浜川砲台跡

○浜川砲台跡 品川区東大井2-26-18

 かつて土佐高知藩山内家抱屋敷内の立会川河口左岸に砲台が築造されました。
 新浜川公園入口に「浜川砲台」の冠木門があり、公園内に実物大レプリカの大砲と説明板が設置されています。平成27(2015)年11月、品川龍馬会による設置です。

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<浜川砲台>

 坂本龍馬像のある北浜川児童遊園に、説明板「浜川砲台」が設置されています。

(説明板)
「浜川砲台(品川区立新浜川公園)
 土佐藩は、万治元年(1658)頃いまの東大井に1万7千坪余りの下屋敷を入手しました。その中には立会川河口北側の荷揚場も含まれており、この下屋敷は、国元からの物資保管にも使われたようです。
 幕末、ペリーが来航し海防が切迫した課題となると、幕府は台場築造を急ぐとともに、諸大名に江戸湾の警護を分担させました。土佐藩は荷揚場の沖を埋め立て、土台に石垣を用い、大砲を引き回し、任意の位置で撃てるよう専用通路がついた浜川砲台を築造しました。坂本龍馬もこの砲台に詰めたとも伝えられています。
 浜川砲台があった北側の品川区立新浜川公園には、砲台に据えられたホーイッスル砲のレプリカが置かれています。」

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<浜川砲台の大砲>

 大砲前に設置されている説明板です。

(説明板)
「浜川砲台の大砲
   幕末史研究家
   小美濃清明
 嘉永六年(一八五三)六月、アメリカ合衆国はペリー提督の率いる四艘の艦隊を日本に派遣して、開国を迫った。国書を幕府に渡すと、来春、再来航するとしてペリーは去った。
 日本側は、次回は戦争になると想定して、江戸湾の防備に力を入れることになる。
 土佐藤はここに鮫洲抱屋敷を持っていたので、砲台を造ることを幕府に願い出た。
 嘉永七年(一八五四)一月、ペリー艦隊が再来航した時、急遽、土佐藤が違ったのが、浜川砲台である。
  六賞目ホーイッスル砲 一門(復元)
  一貫目ホーイッスル砲 二門
  鉄製五貫目砲     五門
 計八門を配備した砲台だった。ここに復元したのは六貫目ホーイッスル砲である。
 実物のない他藩では丸太を大砲らしく見せた偽物もあった中で土佐藤の装備は江戸っ子の評判も上々で、次のような狂歌も作られている。
  品川の固めの出しのよくきくは
    下地もうまくなれし土佐武士
(品川の固め場(守備陣地)の良く効果的であったのは、準備もうまい熟練の土佐のサムライだからだ)
 これは土佐の鰹節にかけた狂歌で堅目のダシの良く効くは、料理の下ごしらえも、上手くできる土佐ぶし(鰹節)だからだという意味である。
 この浜川砲台に佐久間象山塾で大砲操練を学んだ二十歳の坂本龍馬がいたのである。」

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<浜川砲台(大砲レプリカ)>

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<遊具>

 クジラは親子なので、「寛政の鯨」をイメージはされていないですね。
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 咸臨丸か、黒船ですかね?の遊具もあります。
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○立会川河口堤防船溜り 品川区東大井2-26-18

 新浜川公園から堤防にのぼって、立会川河口堤防船溜りに出ます。堤防は花海道として整備され、勝島運河は船溜まりとして利用されています。

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<しながわ百景>

 花海道と船だまりは、「しながわ百景」に選定されています。

 「しながわ百景
  区制40周年・区民憲章制定5周年記念 昭和62年選定
  53 しながわ花海道と船だまり
  平成29年 品川区」

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「江戸名所百景 南品川鮫洲海岸」(広重)

 江戸時代の広重が描く鮫洲海岸です。延々と連なる海苔養殖場が描かれています。海苔の養殖の「ひび」、海苔採用の「ベカ船」が見えます。

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○坂本龍馬と咸臨丸の壁画 品川区東大井2-27-24

 新浜川公園から、東京都で水道局浜川ポンプ所の脇を通って立会川河口へ向かいます。東京都下水道局浜川ポンプ所の壁画「坂本龍馬と咸臨丸」があります。

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 浜川ポンプ所は解体工事中でした(令和5(2023)年12月まで)。

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○浜川橋(涙橋) 品川区東大井2-27、2-28 南大井1-4、南大井1-5

 立会川に架かる東海道の「浜川橋」です。またの名は「涙橋」です。鈴ヶ森刑場跡まで南へ650mほどです。
 小塚原刑場の近くには「泪橋」跡があります(こちらで記載)。

 北→南
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 南→北
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 濱川橋
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 昭和九年十二月竣功
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 上流(弁天橋方面)
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 下流(浜川ポンプ所方面)
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(説明板)
「浜川橋
 立会川が海に注ぐこの辺りの地名の浜川から名付けられたこの橋は、またの名を「涙橋」ともいいます。
 この橋が架けられたのは、徳川家康が江戸入府後の一六〇〇年頃と思われす。現在の橋は、昭和九年(一九三四)に架け替えられたものです。
 涙橋の由来
 慶安四年(一六五一)、品川にお仕置場(鈴ヶ森刑場)が設けられました。ここで処刑される罪人は、裸馬に乗せられて江戸府内から刑場に護送されてきました。この時、親族らがひそかに見送りに来て、この橋で共に涙を流しながら別れたということから、「涙橋」と呼ばれるようになりました。
  平成十三年三月三十日  品川区教育委員会」

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