花見の名所だった新吉原

○新吉原の花見

 江戸時代の花見の名所は、上野寛永寺、浅草、王子飛鳥山、御殿山、向島の墨堤、小金井などがあり、今でも、上野や飛鳥山、墨堤は、お花見スポットとして有名です。

 江戸時代には、ガイドブックが盛んに出版されており、「江戸名所図会」や、四季の花の見頃と名所を紹介する「江戸遊覧花暦」などを手に人々は花見に繰り出しました。

 「吉原遊郭」も江戸の花見の名所でした。旧暦の3月1日(4月上旬頃)になると、仲之町通りに植木職人が桜の木を数千本も植えました。(「江戸遊覧花暦」に記載あり、しかし数千本は誇張かと思います。)
 桜が散るとぼたんを植え、次はしょうぶ、秋には紅葉を移植し、人工的な花見の名所でした。

 上野の寛永寺は、暮六つ(午後六時頃)の鐘とともに山門が閉ざされ、見物人は追い出され、夜桜は禁止されていましたが、新吉原の花見の名所では、夜桜を楽しめました。

 江戸には一日千両ものお金が動く場所が三カ所あったと、川柳「日に三箱鼻の上下臍の下」と詠まれたのが、芝居町、魚河岸、新吉原です。その新吉原の夜桜は浮世絵に多く描かれています。


「江戸遊覧花暦 新吉原」(岡山鳥/長谷川雪旦画)

 江戸の花見のガイドブックに、新吉原が掲載されています。

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「東都名所 新吉原五丁町弥生花盛全図」(広重)

 広大な敷地と周囲に巡らされた鉄漿溝(おはぐろどぶ)が描かれています。
 仲之町の中央には満開の桜が咲いています。

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 水道尻に「秋葉常燈明」があります。水道尻の裏門は、酉の市には開放され、大門から通り抜けられるよう便宜が図られました。
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 鉄漿溝の跳橋も見えます。
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「東都名所 新吉原」(広重)

 新吉原仲之町より見返柳・日本堤を見た絵です。

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 左下の仲之町に満開の桜が見えます。 屋根には、火災に備えての天水桶が見えます。
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 日本堤と見返柳の抜粋です。
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「絵本江戸土産 新吉原仲の町上櫻」(広重)

 挿絵には、「吉原大門を入て 直なる通りを仲の町といふ 春時満開の桜を植て芳野初瀬をここに摸せり また灯籠俄の踊りもみなこの仲の町にありて 四時遊楽このうへなし」とあります。

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「画本東都遊 新吉原」(北斎)

 葛飾北斎も新吉原の桜を描いています。

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「絵本江戸錦 新吉原」(豊春)

 大門から仲之町の桜が描かれています。竹柵の中には多くの明かりが配されライトアップされています。

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「名所江戸百景 廓中東雲」(広重)

 木戸から朝帰りの遊客が桜が満開の仲之町通りに出てくる光景です。

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「江戸名勝図会 吉原」(二代広重)

 桜と花魁が描かれています。

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「東都三十六景 吉原仲之町」(広重)

 夜桜が行灯に照らされています。

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「江戸自慢三十六興 新よし原仲の町の桜」(豊国/広重)

 三代豊国と二代広重の合筆です。

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「吉原高名三幅対」(国貞)

 満開の夜桜を背景に、三人の花魁と付き添う禿が描かれています。

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「全盛花菖蒲之図」(三代豊国)

 菖蒲が植えられた仲之町が描かれています。菖蒲は堀切からの取り寄せでしょうか。

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「江戸名所百人美女 新吉原満花」(豊国・国久)

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【新吉原全般】

「江戸名所図会 新吉原町」

 挿絵には、「闇の夜は 吉原ばかり 月夜かな 其角」と其角の句が書かれています。
 本文には、庄司甚右衛門から始まる歴史が書かれています。

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「江戸名所図会 新吉原中之町八朔図」

 八朔(八月一日)の情景を描いたものです。

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「絵本江戸土産 衣紋坂・見帰柳」(広重)

 「右 日本堤より西の方へ入れば新吉原町なり その下り口に一本の柳あり これを見返り柳といふ またその下り口を衣紋坂といふ これはこの廓に来たる人ここにて衣紋を製ふゆゑの名 柳は後朝この辺より跡を見かへる故の名なるべし」とあります。

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「 江戸高名会亭尽 新吉原衣紋坂日本堤」(広重)

 「狂句合 播磨屋の門きよめにも赤穂しほ 左棟」
 土手八丁に茶屋がずらりと並んでいます。見返り柳から衣紋坂に入ってすぐ左手に料亭「はりまや」が見えます。

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「銀世界東十二景 新吉原雪の朝」(広重)

 日本堤、見返り柳、衣紋坂、大門が見えます。

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「新吉原大門」「新吉原遊郭」(東京名所写真帖 明治33(1900)年)

 明治14(1881)年に鉄の門が完成し、4月1日に開門式が行われています。完成時はアーチはなく、鉄柱だけだったようです。
 写真の大門はアーチが架かっています。桜の木が植えられていた仲之町の中央は、桜の木ではなく電柱が連なっています。

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「東京名所写真帖 芳原仲ノ町」(美博堂 明治35(1902)年)

 大門は、アーチ部分がなく、門柱のみとなっています。
 仲之町の中央は木が植えられており電柱は見られないので、柱の上にあるのはガス燈でしょう。鉄柱が完成した当時の古い写真を使用しているようです。
 さて、関東大震災で吉原大門は遊女の足抜けを防ぐため閉められたと、東京新聞までが事実誤認の記事を書いています。門柱だけの門をどうやって閉めたのでしょうかね、見解を聞きたいところです。。

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「新吉原の景」(小林清親)

 ガス灯が見えます。仲之町中央には電柱はなく、木が植えられ木々の間に行灯が見えます。
 まだ夜桜の花見が行われていた時の描画でしょう。

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「新吉原夜桜景」(井上安治)

 小林清親の弟子の井上安治の作です。
 タイトルからして、描いた明治13年には、まだ夜桜を行っていたことになります。電柱が設置されてなくなったのでしょうか。

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「新吉原夜桜之景」(井上探景(安治))

 外国のご婦人方も、新吉原の夜桜見物に来ていたことがうかがえます。

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「東京名所帖 吉原」(井上探景(安治))明治20年)

 井上安治の作です。仲之町の中央には木々が植えられています。まだ夜桜の見物が行われていた時でしょうか。

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「東京名勝独案内 新吉原夜景」(豊栄堂 明治23年4月)

 大門にはガス燈です。

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「吉原神社及新吉原氏子全図」(明治40年)

 吉原神社に掲示の抜粋です。
 大門にはアーチが架かっています。仲之町中央には電柱はなく、ガス燈だか電灯だかが続いています。

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「現在の大門」

 花見の名所だった仲之町の中央は、現在はセンターラインのみです。

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「吉原細見」(蔦屋重三郎 寛政7 (1795)年)

 当時の妓廊の詳細が記されています。
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