嶽山箒根神社参道と大日如来像
〇嶽山箒根神社参道と大日如来像
嶽山箒根神社奥の院へは、八方が原への車道が開かれ、梵天もトラックであげています。
昔からの神社へと導く「丁石」が置かれた参道は、今では人が通らなくなったようです。
月山の南に座する大日如来像へショートカットで訪れ、その後、奥の院へ行きました。
<嶽山口/参道入口>
県道30号沿の宇都野に バス停「嶽山口」があります。
「嶽山箒根神社参道」の石碑があります。
「大正七年二月十七日建設」。
道標にもなっています。
「下宮遥拝殿 五町
御本社 七十四町」
(本社に七十四丁の丁石がありました。)






<嶽山箒根神社0.2KM>
分岐を左へ。「嶽山箒根神社0.2KM」

<嶽山神社入口>
バス停「嶽山神社入口」
塩原観光案内図があります。
突っ込んでおくと、月山の位置が間違って描かれています。
(説明板)
「本社の創立は、遠く明らかではないが崇神天皇の御代に豊城入彦命を東国に治めさせた時、各地の従わぬ者を征伐して善政をとった。
祭神は、大巳貴命、事代主命、伊弉冊命であり、その後、豊城入彦命の曽孫、御所別命が当嶽山に豊城入彦命を合祀し、命の曽孫宇都野別命が神主となり、当地に住んでいたので、地名を宇都野と名づけた。
天武天皇の白鳳8年(679年)山本良章は修験者小角と共に登山し、木像を祀った。
延暦年間(782~805年)神位従五位を授けられた。
寛治5年(1091年)源義家が奥羽地方を討伐し戦勝した時、本社に神田と金銅を宝物としてさしあげた。
長承年間(1132~1134年)宇都野鳩ケ森城主尾張守資家は、社殿を建て、社領200石を寄付した。これにより、本城の祈願所となった。
天文2年(1533年)11月大田原城主の備前守資清と戦い、鳩ケ森城は落城し、天文12年(1543年)大田原城主の土地となる。
本社もこの祈願所となり、山城守丹治綱清は、社領70石を寄付した。その後社殿は、城主が修理して栄させた。
嘉永3年(1850年)飛弾守富清は、社領35石を寄付した。
文久2年(1862年)社殿を新たに建てた。(現在の社殿)
大正5年10月同所高清水神社、八雲神社、荻神社を合祀して箒根神社を村社嶽山箒根神社と改称した。
例大祭11月23・24日の2日間、梵天祭、子ども獅子舞も奉納される。
なお、道路網も改修されて、遥拝殿より約8キロ、八方ケ原の学校平より約2キロを、自家用車で本殿に到着し、参拝できる。
註:遥拝殿(高清水神社)」



<嶽山箒根神社(奥の宮)9.8KM>




<馬頭観音堂/殉国愛馬の碑/庚申塔>
昭和12年に日中戦争が始めると、農家で飼っていた馬は徴発され、戦争で死んでしまいました。その馬を供養するために建てられたのが「愛馬之碑」です。
表には「支那事変殉国 愛馬之碑」と刻まれ、裏には22頭の馬の名前と馬齢、畜主の名前が刻んであります。
馬頭観音堂は、寄付者名板によると平成14年に改築されています。
観音堂の脇には馬頭観音碑がありますがその数がすごいです。数えてみたら58基ほどありました。
右端に庚申塔があります。




<「九丁目」丁石>
車道から石仏のところを右に曲がり奥の参道を進みます。
「九丁目」丁石があります。参道の痕跡を確認して引き返します。




<嶽山箒根神社(奥の宮)9.2KM>
車道を進んで「嶽山箒根神社(奥の宮)9.2KM」。

<嶽山箒根神社(奥の宮)7.2KM>
「嶽山箒根神社(奥の宮)7.2KM」で、直進せず、右折して上黒に行って様子見。
舗装が途切れた地点。左の林道を行くか、直進して左手の参道を行くかとなります。
ここからですと大日如来像まで距離があるのと、最後は等高線が密なので、
林道・沼代シダブ線に戻って、車道を登ります。


<林道・沼代シダブ線>
林道の説明板があります。(林道終点にもありました)


<滝>
橋を3つ渡り終わった先のヘアピンカーブの右手に、小さな滝がありました。


<火の用心 沼原線 NO.54 電源開発>
右手に送電線鉄塔が見えてきます。
「火の用心 沼原線 NO.54 電源開発」と掲示されています。
送電鉄塔から道なりに数メートル進むと、右斜めに入る参道があります。







<五十九丁>丁石
参道に入ってすぐ右手に丁石があります。「五十九丁」。

<五十五丁>丁石
参道をさらに進むと、上部が欠けた丁石があります。五十五丁でしょう。 先に進みます。


<展望その1>
見晴らしの良い場所に出ました。崖下を見ると、登ってきた林道が見えます。
振り返ると、送電線と鉄塔が見えます。



<展望その2>
再度、展望の良い場所に出ました。筑波山も良く見えました。
振り返ると送電線の鉄塔はだいぶ小さくなりました。




<五十丁>丁石
五十丁丁石が、剥きだしで倒れています。


<その他丁石>
丁石の多数は失われています。崖下に落ちた丁石も多いかと思いました。
実際に崖下に丁石らしき石柱が転がっているのが見えました。
<大日如来像>
車道から参道に入り、写真撮りながら15分で大日如来像に到達しました。
「湯殿山」と台座に刻まれた大日如来坐像です。
台座側面「導師 箒根山東嶽寺」寛政12年10月の造立。












<地蔵菩薩像>
大日如来のすぐ近くに「地蔵菩薩像」。



<月山>
車道に戻り、参道ではなく、車道を登っていきました。
嶽山箒根神社石鳥居の手前から、月山(つきやま)が見えました。
石鳥居を過ぎると、林道の終端に到着。トイレの脇から境内に入りました。


嶽山箒根神社奥の院へは、八方が原への車道が開かれ、梵天もトラックであげています。
昔からの神社へと導く「丁石」が置かれた参道は、今では人が通らなくなったようです。
月山の南に座する大日如来像へショートカットで訪れ、その後、奥の院へ行きました。
<嶽山口/参道入口>
県道30号沿の宇都野に バス停「嶽山口」があります。
「嶽山箒根神社参道」の石碑があります。
「大正七年二月十七日建設」。
道標にもなっています。
「下宮遥拝殿 五町
御本社 七十四町」
(本社に七十四丁の丁石がありました。)






<嶽山箒根神社0.2KM>
分岐を左へ。「嶽山箒根神社0.2KM」

<嶽山神社入口>
バス停「嶽山神社入口」
塩原観光案内図があります。
突っ込んでおくと、月山の位置が間違って描かれています。
(説明板)
「本社の創立は、遠く明らかではないが崇神天皇の御代に豊城入彦命を東国に治めさせた時、各地の従わぬ者を征伐して善政をとった。
祭神は、大巳貴命、事代主命、伊弉冊命であり、その後、豊城入彦命の曽孫、御所別命が当嶽山に豊城入彦命を合祀し、命の曽孫宇都野別命が神主となり、当地に住んでいたので、地名を宇都野と名づけた。
天武天皇の白鳳8年(679年)山本良章は修験者小角と共に登山し、木像を祀った。
延暦年間(782~805年)神位従五位を授けられた。
寛治5年(1091年)源義家が奥羽地方を討伐し戦勝した時、本社に神田と金銅を宝物としてさしあげた。
長承年間(1132~1134年)宇都野鳩ケ森城主尾張守資家は、社殿を建て、社領200石を寄付した。これにより、本城の祈願所となった。
天文2年(1533年)11月大田原城主の備前守資清と戦い、鳩ケ森城は落城し、天文12年(1543年)大田原城主の土地となる。
本社もこの祈願所となり、山城守丹治綱清は、社領70石を寄付した。その後社殿は、城主が修理して栄させた。
嘉永3年(1850年)飛弾守富清は、社領35石を寄付した。
文久2年(1862年)社殿を新たに建てた。(現在の社殿)
大正5年10月同所高清水神社、八雲神社、荻神社を合祀して箒根神社を村社嶽山箒根神社と改称した。
例大祭11月23・24日の2日間、梵天祭、子ども獅子舞も奉納される。
なお、道路網も改修されて、遥拝殿より約8キロ、八方ケ原の学校平より約2キロを、自家用車で本殿に到着し、参拝できる。
註:遥拝殿(高清水神社)」



<嶽山箒根神社(奥の宮)9.8KM>




<馬頭観音堂/殉国愛馬の碑/庚申塔>
昭和12年に日中戦争が始めると、農家で飼っていた馬は徴発され、戦争で死んでしまいました。その馬を供養するために建てられたのが「愛馬之碑」です。
表には「支那事変殉国 愛馬之碑」と刻まれ、裏には22頭の馬の名前と馬齢、畜主の名前が刻んであります。
馬頭観音堂は、寄付者名板によると平成14年に改築されています。
観音堂の脇には馬頭観音碑がありますがその数がすごいです。数えてみたら58基ほどありました。
右端に庚申塔があります。




<「九丁目」丁石>
車道から石仏のところを右に曲がり奥の参道を進みます。
「九丁目」丁石があります。参道の痕跡を確認して引き返します。




<嶽山箒根神社(奥の宮)9.2KM>
車道を進んで「嶽山箒根神社(奥の宮)9.2KM」。

<嶽山箒根神社(奥の宮)7.2KM>
「嶽山箒根神社(奥の宮)7.2KM」で、直進せず、右折して上黒に行って様子見。
舗装が途切れた地点。左の林道を行くか、直進して左手の参道を行くかとなります。
ここからですと大日如来像まで距離があるのと、最後は等高線が密なので、
林道・沼代シダブ線に戻って、車道を登ります。


<林道・沼代シダブ線>
林道の説明板があります。(林道終点にもありました)


<滝>
橋を3つ渡り終わった先のヘアピンカーブの右手に、小さな滝がありました。


<火の用心 沼原線 NO.54 電源開発>
右手に送電線鉄塔が見えてきます。
「火の用心 沼原線 NO.54 電源開発」と掲示されています。
送電鉄塔から道なりに数メートル進むと、右斜めに入る参道があります。







<五十九丁>丁石
参道に入ってすぐ右手に丁石があります。「五十九丁」。

<五十五丁>丁石
参道をさらに進むと、上部が欠けた丁石があります。五十五丁でしょう。 先に進みます。


<展望その1>
見晴らしの良い場所に出ました。崖下を見ると、登ってきた林道が見えます。
振り返ると、送電線と鉄塔が見えます。



<展望その2>
再度、展望の良い場所に出ました。筑波山も良く見えました。
振り返ると送電線の鉄塔はだいぶ小さくなりました。




<五十丁>丁石
五十丁丁石が、剥きだしで倒れています。


<その他丁石>
丁石の多数は失われています。崖下に落ちた丁石も多いかと思いました。
実際に崖下に丁石らしき石柱が転がっているのが見えました。
<大日如来像>
車道から参道に入り、写真撮りながら15分で大日如来像に到達しました。
「湯殿山」と台座に刻まれた大日如来坐像です。
台座側面「導師 箒根山東嶽寺」寛政12年10月の造立。












<地蔵菩薩像>
大日如来のすぐ近くに「地蔵菩薩像」。



<月山>
車道に戻り、参道ではなく、車道を登っていきました。
嶽山箒根神社石鳥居の手前から、月山(つきやま)が見えました。
石鳥居を過ぎると、林道の終端に到着。トイレの脇から境内に入りました。



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