南泉寺

〇南泉寺  荒川区西日暮里3-8-3

 富士見坂を下りてきて、左手の六阿弥陀道沿に「南泉寺」があります。門前に「東京都指定旧跡 初代二代松林伯円墓」碑があります。ここにも警視庁の碑があります。「祈 交通安全 火の用心」

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(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
 美濃遠山氏の聖観音(南泉寺)
 山号を瑞応山と称する臨済宗妙心寺派の寺。元和二年(一六一六)、徳川家から境内三千二百余坪(約一○六○○平方メートル)を拝領し大愚が開創した。その後、将軍家光・家綱に仕えた老女岡野の遺言により貞享三年(一六八六)朱印地三十石を賜った。
 本堂内の木造聖観音立像は、美濃遠山氏の念持仏。厨子に遠山氏の家紋、「遠山家 息心菴本尊、聖観音菩薩、安政四年丁巳星七月十日」の銘がある。上半身等に江戸期の補修が加えられているが、鎌倉期の作と推定される。その他、善光寺式阿弥陀三尊の一部と思われる銅造菩薩立像を所蔵。境内には、菅谷不動、講談師松林伯円の墓等がある。
  荒川区教育委員会」

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<団十郎不動>

 団十郎の弟子、新蔵の眼病を治した団十郎不動です。

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<戦死之墓>

 西南戦争の犠牲者を弔っている「戦死之碑」です。

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<境内 葵紋>

 徳川家と繋がりがあるのがうかがえます。

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<境内>

 三界万霊塔など。古そうなゴミ箱。

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<本堂>

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<蛙塚>

 三匹の蛙が描かれています。「亀戸町 施主 本多藤太郎 大正六年五月十三日建之」(裏面)

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<おまねぎ様>

 陰陽石が祀られています。

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<墓地>

 広大な墓地で、諏訪台通り沿の家まで、坂と階段で続いています。

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<市橋家墓域>

 手すり付の階段を上がった先に、市橋家墓域。

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<坂氏代々之墓>

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「老女岡野の基」

 坂氏代々之墓に、徳川2代~4代将軍に仕えた大奥女中(筆頭老女)岡野(宗仙の二女)の墓があります。正面「栄寿院殿松岩慧昌大姉」

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「ウィキペディアの記載が矛盾していて理解不能。」
 徳川家光の生没は1604年~1651年6月
 老女岡野の生没は1604年~1676年8月22日(家光より25年長く生きています)
 「岡野が病没した際は、家光は深く哀悼し永代回向のため、南泉寺に葵の紋章使用を許し、朱印寺として遇した。1686年(貞享3年)には岡野の遺言で朱印地三十石を南泉寺に賜る。将軍自ら墓参したが、これは臣下の墓へ前例のないことだと記されている。」
 現地の墓誌を見ると、同内容が書かれています。


「宗仙法印の墓」
 正面「洞庵宗仙法印」
 洞庵宗仙法印は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕えた御典医で、「法印」の称号で子孫代々将軍に仕えました。
 隣接する洞庵室墓は、墓誌によると改葬の際に一骨もなかったとのこと。

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「墓誌」

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<初代と二代の松林伯円の墓>(東京都旧跡)

 幕末の講談師、初代と二代の松林伯円の墓です。

 「軍談師 初代伯円之墓」(初代の墓)
 「二世松林伯円事 若林義行累世之墓」(二代の墓)
 「二世松林伯円 児女墓」(明治9年に亡くなった二世松林伯円の子の墓?)

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<遠山景高墓所>

 浦賀奉行の遠山景高の墓所は、広大な墓地の坂を登り切った左奥にあります。
 ここまで来ると、横にある民家は、諏訪台通りに面している家でした。

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