養福寺と文人たち
○養福寺と文人たち 荒川区西日暮里3-3-8
門前に説明板と「西國貮拾七番播磨國書寫寺寫」「梅翁花樽碑」があります。
(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
養福寺と文人たち
養福寺は真言宗豊山派の寺院で、補陀落山観音院と号し、湯島円満寺の木食義高(享保三年(一七一八)没)によって中興されたという。
江戸時代、多くの文人たちが江戸の名所である「日暮里」を訪れ、その足跡を残した。なかでも養福寺は「梅翁花樽碑」「雪の碑」「月の碑」などからなる『談林派歴代の句碑(区指定文化財)』や、江戸の四大詩人の一人、柏木如亭を偲んで建てられた『柏木如亭の碑』、畸人で知られた自堕落先生こと山崎北華が自ら建てた「自堕落先生の墓」などさまざまな文人の碑が残る寺として知られている。
荒川区教育委員会 」



<警火 警視庁>
このお寺にも警視庁の警火の碑があります。
「警火 警視庁」
消防も警視庁の所管だった時代物です。

<仁王門/仁王像>





(標柱)
「荒川区指定文化財
善福寺仁王門
この仁王門は、宝永年間(一七○四?一一)の建築と伝えられる。表側に安置されている仁王像の胎内から宝永四年の銘札が発見されており、門柱の上部等の木鼻・蟇股などに施された渦文の絵様から、銘札とほぼ同年代のものと推定される。裏側には四天王の内の、広目天・多聞天の像が安置されている。旧本堂など江戸期の建造物は戦災で失ったが、この仁王門は焼失を免れ、近世建造物として現在にその姿を留めている。
荒川区教育委員会」


<妍斎落歯塚>

<庚申塔2基>





<自堕落先生の墓>

<柏山人碑>
詩人・柏木如亭をしのんで文政3(1820)年に造立。
「柏山人碑」の篆額は陰陽頭安倍晴親です。

<本堂>

<談林派歴代の句碑>
(標柱)
「談林派は大阪の西山宗因を祖とする俳諧の一流派である。軽口俳諧・連吟などを得意とし、江戸初期に流行した。
『好色一代男』の作者・井原西鶴も宗因に師事し俳諧師として活躍している。ここに立つ碑は、寛政四年(一七九二)西鶴の百回忌を記念して建てられた。中央に梅翁花尊碑、左右に雪の碑、月の碑、手前に菱形標石を配する。発起人は谷素外。三基は建立当時のものだが、雪の碑は文化五年(一八○八)の再建である。」






<梅花佛の碑>
各務支考の供養塔です。

門前に説明板と「西國貮拾七番播磨國書寫寺寫」「梅翁花樽碑」があります。
(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
養福寺と文人たち
養福寺は真言宗豊山派の寺院で、補陀落山観音院と号し、湯島円満寺の木食義高(享保三年(一七一八)没)によって中興されたという。
江戸時代、多くの文人たちが江戸の名所である「日暮里」を訪れ、その足跡を残した。なかでも養福寺は「梅翁花樽碑」「雪の碑」「月の碑」などからなる『談林派歴代の句碑(区指定文化財)』や、江戸の四大詩人の一人、柏木如亭を偲んで建てられた『柏木如亭の碑』、畸人で知られた自堕落先生こと山崎北華が自ら建てた「自堕落先生の墓」などさまざまな文人の碑が残る寺として知られている。
荒川区教育委員会 」



<警火 警視庁>
このお寺にも警視庁の警火の碑があります。
「警火 警視庁」
消防も警視庁の所管だった時代物です。

<仁王門/仁王像>





(標柱)
「荒川区指定文化財
善福寺仁王門
この仁王門は、宝永年間(一七○四?一一)の建築と伝えられる。表側に安置されている仁王像の胎内から宝永四年の銘札が発見されており、門柱の上部等の木鼻・蟇股などに施された渦文の絵様から、銘札とほぼ同年代のものと推定される。裏側には四天王の内の、広目天・多聞天の像が安置されている。旧本堂など江戸期の建造物は戦災で失ったが、この仁王門は焼失を免れ、近世建造物として現在にその姿を留めている。
荒川区教育委員会」


<妍斎落歯塚>

<庚申塔2基>





<自堕落先生の墓>

<柏山人碑>
詩人・柏木如亭をしのんで文政3(1820)年に造立。
「柏山人碑」の篆額は陰陽頭安倍晴親です。

<本堂>

<談林派歴代の句碑>
(標柱)
「談林派は大阪の西山宗因を祖とする俳諧の一流派である。軽口俳諧・連吟などを得意とし、江戸初期に流行した。
『好色一代男』の作者・井原西鶴も宗因に師事し俳諧師として活躍している。ここに立つ碑は、寛政四年(一七九二)西鶴の百回忌を記念して建てられた。中央に梅翁花尊碑、左右に雪の碑、月の碑、手前に菱形標石を配する。発起人は谷素外。三基は建立当時のものだが、雪の碑は文化五年(一八○八)の再建である。」






<梅花佛の碑>
各務支考の供養塔です。

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