三囲神社

〇三囲神社 墨田区向島2-5-17

 「社号塔 三圍神社」「三囲神社説明板」「神社由緒板」<隅田川沿の鳥居>など。
 隅田川沿の鳥居からは閉まっていて入れないので、見番通りから参詣となります。
 歴史のある石碑が林立しています。

 (三井広報委員会)←三井グループと関係が深い神社です。

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<日比翁助石垣の歌碑>
 説明板の左に三越百貨店を創業した日比翁助氏の歌碑があります。
 (説明板)
 「いしがきの 小石大石持合ひて 御代はゆるがぬ 松ヶ枝の色 日比美勲
  日比翁助は号を美勲と称し 三越呉服店の会長。わが国近代百貨店の創始者であった
  茲来百年 松を新たに植え 旧観を復した」

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<三つ穴石燈籠>
 三囲神社最古の石造物。宝永3年(1707)奉納。火袋に三点の穴が開いています。

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<ライオン像>
 池袋三越の閉店にともない奉納。

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 「奉納
   株式会社 三越
   清水建設株式会社
   平成二十一年十月吉日」
  清水建設も奉納者です。

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(説明板)
「三囲のライオン像
 三越の旧池袋店から移した 三越のシンボルであるライオン像は 大正3年、当時の三越呉服店を率いた日比翁助がライオンを大いに好み 三越本店に 一対のライオン像を据えたのにはじまる。 戦後、本店の像をもとに各支店に設置されている ライオン像の原形はロンドン・トラファルガー広場の有名なネルソン像をかこむライオン像である なお「現金 安売り掛け値なし」という三井の越後屋の画期的な商売の仕方は 大いに発展し 明治29年三越呉服店につながる。」

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<銅壺大石>

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(説明板)
「(右)越に○は三越の商標。客に出す茶の湯を沸かす銅壺の台石に彫られ、越に○の雛形といわれる。明治29年から昭和の初期まで実際に使われていた。
(左)ライオンは東洋的意匠の狛犬に変化したのだが、三越のライオン像も狛犬のように神前を守っている。」

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<三囲のコンコンさん>

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(説明板)
「三囲のコンコンさん
目尻のさがった温和な表情を ここいら辺の職人言葉で「みめぐりのコンコンさんみてぇだ」と言ったそうである 向店は越後屋本店(ほんだな)の道をへだてた向いにあって木綿を主に扱っていた。
享和1年(1802)の奉納」

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<三柱鳥居>
 鳥居に三本の柱があります。
 (説明板)
 「三井邸より移す。原型は京都太秦・木嶋神社にある」

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<三本柱手水鉢>
手水鉢の屋根は3本の柱で支えられています。

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<顕名霊社>
 三井家当主たちをお祀りしています。

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<三囲神社別殿(大國神 恵比寿神)>

(案内板)
「隅田川七福神コース案内板
 三圍神社 大國神 恵比寿神
 三圍神社の別殿には、古くから大國、恵比寿二神の神像が奉安されている。もとは三井の越後屋(今の三越)にまつられていたものである。江戸時代の終り頃、町人層の好みが世間のさまざまな分野で表面に現れ、多くの人々によって支持された時代の流れの中で、隅田川七福神が創始されたとき、当社の二神もその中に組み込まれたのであった。
 大國神は慈悲円満と富貴の表徴、恵比寿神は豊漁をもたらす神、商家の繁栄を授ける神として庶民の信仰を集め、その似通った御神徳から一対の神として崇められることが多い。大國を同じ音の大黒とも書く。」

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<白狐祠など>

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<道標>
 道標が境内にあります。
 寛延三年。「三囲稲荷大明神 右 秋葉道 左 稲荷社」

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<鬼面石ほか>
 力石でしょう。

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<老翁老嫗の石像>

(説明板)
「老翁老嫗の石像   所在 墨田区向島二丁目五番十七号三囲神社内
 元禄の頃、この三囲稲荷にある白狐祠を守る老夫婦がいました。願い事のある人は老婆に頼み、老婆は田んぼに向って狐を呼びます。すると、どこからともなく狐が現れて願い事を聞き、またいずれかへ姿を消してしまうのです。不思議なことに、他の人が呼んでも決して現れることがなかったそうです。
 俳人其角は、そのありさまを「早稲酒や狐呼出す姥が許」と詠んでいます。老婆の没後、里人や信仰者がその徳を慕って建てたのが、この老夫婦の石像であると伝えられています。老嫗像には「大徳芳感」、老翁像には「元禄十四年辛巳五月十八日、四野宮大和時永、生国上州安中、居住武州小梅町」と刻まれています。
  平成十八年十二月    墨田区教育委員会」

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<宝井其角「ゆうだちや」の句碑(雨乞いの句碑)>(墨田区登録文化財)

(説明板)
「墨田区登録文化財
 宝井其角「ゆうたちや」の句碑(雨乞の碑)
    所在 墨田区向島二丁目五番十七号 三囲神社内
 元禄六年(一六九三)は大変な干ばつで、秋の収穫を心配して困りきった小梅村の人々は三囲神社に集まり、鉦や太鼓を打ち雨乞いをしていました。ちょうど三囲神社に詣でた俳人其角が、このありさまをみて、能因法師などの雨乞の故事にならい「遊ふた地や田を見めぐりの神ならば」と詠んだのです。この話は其角自選句集の『五元集』にも「うたえば翌日雨降る」と記されているように、早速効果があったと伝えられています。
 其角は寛文元年(一六六一)江戸に生まれ、姓を榎本、のちに宝井と称し、芭蕉門下第一の高弟として知られ、特に洒落風の句を得意としました。この碑は安永六年(一七七七)に建立されたものが摩滅したので、明治六年(一八七三)に再建されたものです。
  平成十八年十二月    墨田区教育委員会」

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<一勇斎歌川先生墓表(歌川国芳顕彰碑)>

 明治6年の建立。裏面には門弟たちの名がびっしりと刻まれています。

(説明板)
「(墨田区指定文化財)
  一勇斎歌川先生墓表(歌川国芳顕彰碑)
     所在地 墨田区向島二丁目五番十七号 三囲神社
 一勇斎歌川先生とは、幕末を代表する浮世絵師歌川国芳のことです。国芳は、寛政九年(一七九七)に日本橋で生まれました。十五歳で初代歌川豊国の門人となり、文政十年(一八二七)頃「通俗水滸伝豪傑百八人一個」の連作を契機に人気を博し、浮世絵のあらゆる分野で高い水準の作品を残しました。
 この碑は、文久元年(一八六一)に没した国芳の十三回忌にあたる明治六年(一八七三)に建立されました。撰文は学者の東條琴台、篆額と書は萩原秋巌、碑刻は宮亀年が受け持ちました。碑文には国芳の出自や経歴、建碑の経緯などが刻まれています。裏面には、建立者でる弟子たちの名が刻まれており、その中には明治時代の浮世絵を代表する月岡芳年や新聞錦絵の落合芳幾、おもちゃ絵の歌川芳藤などがみられます。芳年の画系は水野年方から鏑木清方、伊東深水、岩田専太郎と近代日本画の流れと続きました。
 国芳は向島に居住した時期もあり、この碑は墨田区の浮世絵に関わる豊かな歴史を示す貴重な文化財といえます。
  平成二十四年一月   墨田区教育委員会」

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<宗因白露の句碑>

(説明板)
「宗因白露の句碑
 「白露や無分別なる置きどころ」と刻まれています。文化九年(一八一二)、西山宗因の流れをくむ素外らが発起人となり、始祖宗因の作品中でもっともすぐれたこの句を選んで建立したものです。
 宗因は慶長十年(一六○五)肥後(現熊本県)に生まれた江戸時代初期の著名な連歌師、俳人です。連歌では主に宗因、俳諧では一幽、西翁、梅翁などと称しました。のちに大阪天満宮の連歌所宗匠の職につき、連歌界の重鎮として知られました。俳諧を始めたのは晩年に近く、あくまで余技としてでした。詠みぶりは軽妙酒脱、急速に俳壇の人気を集め、談林俳諧勃興の起因となった人で、芭蕉は「此道中興開山なり」と記しています。
  平成十八年十二月    墨田区教育委員会」

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<山彦秀翁追悼碑>
 河東節の11代目。

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<五休句碑>
 五休は、新吉原の妓楼の主人。
 「辞世
   陽炎や其きさらぎも遠からず 蘆明庵五休」

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<対松館句碑>
 道標の隣にあります。
 「遠波や春の月夜を載せてよる 對松館」

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<六世川柳句碑>
 つまらぬというはちさな知恵袋

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<五世川柳/九世川柳句碑>
 五世川柳 和らかくかたく持たし人心
 九世川柳 出来秋もこゝろゆるむな鳴子曳

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<庖丁塚>
 大正9年。

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<中山善吉氏之傳>
 囲碁の天才、中山善吉の顕彰碑。明治27(1893)年建立。
 「奇才子 中山善吉氏之傳」

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<富田木歩の句碑>
 夢に見れば死もなつかしや冬木風 木歩

(裏面)
   大正拾参念九月一日震火の一周年に於いて
  富田木歩君慰霊の為建之 友人一同 亜浪書

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<歌沢二世虎右衛門句碑>
 「露の笹まろめて月の光なり」

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<数拳の名手野崎車應追悼碑>

(説明板)
「数拳(かずけん)の名手 野崎車応追悼碑
 大田南畝(蜀山人・四方赤良)の漢詩を冒頭に置き
  ひらく手の五ウは勝なり梅のはな
 と続く 「五ゥ」の「ゥ」は「五」の読みを示す
 ふり仮名であって「うっ(打っ)」の意味である
 文化9年(1812)の建立

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<朱楽管江(あけらかんこう)辞世碑>

(説明板)
「朱楽管江(あけらかんこう)辞世碑
 執着の心や娑婆に残るらんよしのの桜さらしなの月 朱楽管江
 建立の年代は書かれていないが文化文政の頃にはすでに有名な石碑であった」

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<其角惜春の句碑>

 (説明板)
 「其角惜春の句碑
  山吹も柳の糸のはらミかな 普其角
  天保6年(1835)建立」

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<助高屋小沢小傳次之碑/大日本俳優沢村訥子碑>

 明治の歌舞伎役者の碑。
 「大日本少年俳優長 助高屋小沢小傳次之碑」
 「大日本俳優沢村訥子碑」

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<普國警察大尉ヘーン君表功碑>

 警察行政を指導したプロシア(ドイツ)のヘーン大尉の表功碑。山縣有朋の篆額。

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<阪井久良伎川柳碑>

 「川柳中興祖阪井久良伎翁句碑
  広重の雪に山谷は暮れかゝり」

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<木遣音頭之碑>

 (一社)江戸消防記念会の説明板があります。

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<永田甚七君記念碑>

 渋沢栄一による扁額。永田甚七は、番頭として三井組を支えた人物。
 明治十五年十一月建之

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<蒙恬将軍の碑>

(説明板)
「筆祖 蒙恬(もうてん)将軍の碑
 光緒8年(1882)清の名筆 楊朱敬撰書
 画像は応挙筆  明治16年序幕
 三囲でも著名な名碑の一つ
 光緒は中国清の年号」

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<発句塚>

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<桜窓三拙碑>

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