下尾久石尊 三社供養塔 荒川区
〇下尾久石尊 荒川区東尾久6-31-2


(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
下尾久石尊
暦応(一三三八〜四二)の頃、しばしば起こる地震に、村人が不思議に思ってこの地を訪れたところ、地より二尺(約六十センチメートル)ばかりの異形な石が生えていたという。一名 「出世石尊」。石神と崇め、祀るようになったと伝える。文政十一年(一八二八)成立の『新編武蔵風土記稿』には「阿遮院持」と記載。天保十四年(一八四三)の書上帳には、境内二十五坪(約八十平方メートル)と記録されている。
この石尊を祀る講は「出世講」と呼ばれ、現在でも続けられている。石神信仰は関東周辺に広く分布しており、下尾久字石神といわれたこの周辺の字名も、これにちなんだものと思われる。
社殿左側の庚申塔には、元禄十一年(一六九八)十一月吉祥日の紀年銘がある。
荒川区教育委員会」

<三社供養塔>
明治14年の造立です。
よくみかける「大先達 大乗院」とあります。
湯殿山
月 山 三社供養塔 講中
羽黒山




<庚申塔>
元禄11(1698)年11月吉祥日の紀年銘がある庚申塔。
元禄十一戊寅年
奉供養庚申講為二世安楽也
十一月吉祥日」

<堂内>
扉の穴から内部を覗くことが出来ます。



○素盞雄神社
→出羽三山供養塔


(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
下尾久石尊
暦応(一三三八〜四二)の頃、しばしば起こる地震に、村人が不思議に思ってこの地を訪れたところ、地より二尺(約六十センチメートル)ばかりの異形な石が生えていたという。一名 「出世石尊」。石神と崇め、祀るようになったと伝える。文政十一年(一八二八)成立の『新編武蔵風土記稿』には「阿遮院持」と記載。天保十四年(一八四三)の書上帳には、境内二十五坪(約八十平方メートル)と記録されている。
この石尊を祀る講は「出世講」と呼ばれ、現在でも続けられている。石神信仰は関東周辺に広く分布しており、下尾久字石神といわれたこの周辺の字名も、これにちなんだものと思われる。
社殿左側の庚申塔には、元禄十一年(一六九八)十一月吉祥日の紀年銘がある。
荒川区教育委員会」

<三社供養塔>
明治14年の造立です。
よくみかける「大先達 大乗院」とあります。
湯殿山
月 山 三社供養塔 講中
羽黒山




<庚申塔>
元禄11(1698)年11月吉祥日の紀年銘がある庚申塔。
元禄十一戊寅年
奉供養庚申講為二世安楽也
十一月吉祥日」

<堂内>
扉の穴から内部を覗くことが出来ます。



○素盞雄神社
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テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
tag : 出羽三山
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