草加⑨ 漸草庵百代の過客
○漸草庵 百代の過客 草加市松江1-1-5
ドナルド・キーン氏の命名による施設で2019年3月式典、4月21日オープン。




<芭蕉と曾良の肖像画>


<ドナルド・キーン先生一周忌追悼パネル展>
「漸草庵 百代の過客」は綾瀬川が良く見えてロケーション良いです。1回切の展示で終わってしまうのはもったいない気がします。











〇無量寺 北区西ヶ原1-34-8
ドナルド・キーンさんのお墓があります。
墓地は檀家以外立ち入り禁止でした。

「江戸名所図会/江戸切絵図」
江戸名所図会の挿絵には、「無量寺 六阿弥陀 第三番目」と書かれています。

江戸切絵図にも、「六阿弥陀 第三番」と書かれています。

<六阿弥陀三番目無量寺標石> 北区西ヶ原1-29-9
安永9(1780)年銘の六阿弥陀三番目無量寺標石です。
(表)「六阿弥陀三番目 西箇原 無量寺」
(横)「六あみた三はんめ」





<山門/六阿弥陀標石>
山門前に、「六阿弥陀三番目」の標石と、道標があります。

右は標石「六阿弥陀三番目 西箇原 無量寺」です。

左は享保11(1726)年銘の他寺の参拝者を昌林寺へ引き入れるための道標です(移設)。
(正面)「六阿弥陀すゑ木のくわんをん江
是より左江一町 補陀落山昌林寺」
(右) 「享保十一丙午年十月十八日」
(左) 「昌林禅寺八世陽信和尚代」

山門の先にある門の右側にも「六阿弥陀第三番目 西箇原 無量寺」の標石があります。

(説明板)
「無量寺
北区西ヶ原一ー三四ー八
無量寺は佛寶山西光院と号し、真言宗豊山派に属する寺院です。創建年代は不明ですが、調査によって十四世紀頃の板碑が多数確認されています。また、『新編武蔵風土記稿』や寺伝等には、慶安元年(一六四八)に幕府から八石五斗余の年貢・課役を免除されたことや、元禄十四年(一七○一)四月に五代将軍綱吉の生母桂昌院が参詣したこと、寺号が九代将軍家重の幼名長福丸と同じであるため、これを避けて現在の名称に改めたことが記されています。
本堂の正面には、平安時代後期に造られたといわれる阿弥陀如来坐像が安置されています。江戸時代には、江戸六阿弥陀詣(豊島西福寺・沼田延命院・西ヶ原無量寺・田端与楽寺・下谷広小路常楽院・亀戸常光寺)第三番目の阿弥陀として親しまれました。人々は春と秋の彼岸に極楽往生を願い、花見や紅葉狩りを楽しみながら各所の阿弥陀如来を巡拝していたようです。
阿弥陀如来坐像の右手には、本尊である不動明王像が安置されています。言い伝えによれば、ある晩、忍び込んだ盗賊が不動明王像の前で急に動けなくなり、翌朝つかまったことから「足止め不動」として信仰されるようになりました。
また、大師堂の中には恵心作の聖観音像が安置されており、「雷除けの本尊」としても知られています。
平成十五年七月 東京都北区教育委員会」

<本堂>
ドナルド・キーン氏の命名による施設で2019年3月式典、4月21日オープン。




<芭蕉と曾良の肖像画>


<ドナルド・キーン先生一周忌追悼パネル展>
「漸草庵 百代の過客」は綾瀬川が良く見えてロケーション良いです。1回切の展示で終わってしまうのはもったいない気がします。











〇無量寺 北区西ヶ原1-34-8
ドナルド・キーンさんのお墓があります。
墓地は檀家以外立ち入り禁止でした。

「江戸名所図会/江戸切絵図」
江戸名所図会の挿絵には、「無量寺 六阿弥陀 第三番目」と書かれています。

江戸切絵図にも、「六阿弥陀 第三番」と書かれています。

<六阿弥陀三番目無量寺標石> 北区西ヶ原1-29-9
安永9(1780)年銘の六阿弥陀三番目無量寺標石です。
(表)「六阿弥陀三番目 西箇原 無量寺」
(横)「六あみた三はんめ」





<山門/六阿弥陀標石>
山門前に、「六阿弥陀三番目」の標石と、道標があります。

右は標石「六阿弥陀三番目 西箇原 無量寺」です。

左は享保11(1726)年銘の他寺の参拝者を昌林寺へ引き入れるための道標です(移設)。
(正面)「六阿弥陀すゑ木のくわんをん江
是より左江一町 補陀落山昌林寺」
(右) 「享保十一丙午年十月十八日」
(左) 「昌林禅寺八世陽信和尚代」

山門の先にある門の右側にも「六阿弥陀第三番目 西箇原 無量寺」の標石があります。

(説明板)
「無量寺
北区西ヶ原一ー三四ー八
無量寺は佛寶山西光院と号し、真言宗豊山派に属する寺院です。創建年代は不明ですが、調査によって十四世紀頃の板碑が多数確認されています。また、『新編武蔵風土記稿』や寺伝等には、慶安元年(一六四八)に幕府から八石五斗余の年貢・課役を免除されたことや、元禄十四年(一七○一)四月に五代将軍綱吉の生母桂昌院が参詣したこと、寺号が九代将軍家重の幼名長福丸と同じであるため、これを避けて現在の名称に改めたことが記されています。
本堂の正面には、平安時代後期に造られたといわれる阿弥陀如来坐像が安置されています。江戸時代には、江戸六阿弥陀詣(豊島西福寺・沼田延命院・西ヶ原無量寺・田端与楽寺・下谷広小路常楽院・亀戸常光寺)第三番目の阿弥陀として親しまれました。人々は春と秋の彼岸に極楽往生を願い、花見や紅葉狩りを楽しみながら各所の阿弥陀如来を巡拝していたようです。
阿弥陀如来坐像の右手には、本尊である不動明王像が安置されています。言い伝えによれば、ある晩、忍び込んだ盗賊が不動明王像の前で急に動けなくなり、翌朝つかまったことから「足止め不動」として信仰されるようになりました。
また、大師堂の中には恵心作の聖観音像が安置されており、「雷除けの本尊」としても知られています。
平成十五年七月 東京都北区教育委員会」

<本堂>

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