行徳船場/新河岸跡

○行徳船場/新河岸跡

「江戸名所図会 行徳舩場」

 挿絵には「大江戸小網町三丁目行徳河岸といへるより此地まて舩路三里八丁あり 房総の駅路にして旅亭あり 故に行人絡繹として繁盛の地なり 殊更正五九月は成田不動尊へ参詣の人夥しく賑ひ大方ならず」とあります。

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 「新河岸」の「行徳船場」に燈籠が見えます。
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 燈籠の手前に「番所」があり刺股がたてられています。「高札場」が見えます。
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 「八はた舟はし街道」と記された行徳街道には、左上に「八まん宮」「神明宮」が、右上に「名物ささやうんとん」が描かれています。
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「江戸近郊八景之内 行徳帰帆」(広重)

 手前に「行徳船」が描かれています。
 旧江戸川では櫓をこいでいます。
「二またの猫ざね川の追い風に こはこは帰る行とくのふね 早船楼 新酒」

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「成田土産名所尽 行徳新河岸市川」(三代広重)

 明治23(1890)年の行徳新河岸が描かれています。蒸気船「通運丸」が煙をたなびかせて停泊しています。

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(参考)「行徳河岸」(こちらで記載


○常夜灯公園 市川市本行徳28

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 常夜灯公園
 この公園は、市指定の有形文化財である常夜灯をシンボルとした公園です。

 常夜灯の歴史
 現在残る常夜灯は、航路安全祈願のために、江戸日本橋の成田山講中が建立したものです。
 文化9年(1812年)に建てられ、数度改修され、平成21年(2009年)の公園整備の際に免震装置を備えた現在の形態となりました。

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 旧江戸川下流

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 旧江戸川上流

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「行徳船場」「新河岸跡」

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(説明板)
「行徳新河岸〜新河岸の賑わい〜
 江戸時代の新河岸(現在地)は、船で往来する人や物資などで賑わう場所で、成田山につながる成田道の起点でもありました。江戸川・常夜灯を背にして、旧行徳街道までの間は江戸名所図会にも描かれており、その様子がうかがえます(階段上の『江戸名所図会』参照)。
 この道筋には、まず番人が詰める施設と掟などが記された高札場や、旅人などが休息をした信楽などの旅館がありました。旅館信楽は、近江国信楽出身者が行徳にちなむ呼称です。信楽から道(旧行徳街道)を挟んだ向かいの建物が「笹屋」と言われるうどん屋です。「笹屋」は、江戸時代の文学作品にも記され、源頼朝が訪れた伝承を残しています。
 明治時代に入り、江戸川に蒸気船が運航されると、地元では「蒸気河岸」とも呼ばれるようになりました(下図)。「蒸気河岸」の発着場として、新河岸界隈は多くの人々で賑わっていました。
  市川市教育委員会」

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○行徳船と常夜灯

 行徳船は、江戸小網町の行徳河岸から本行徳河岸にいたる航路(約12.6km)に、寛永9(1632)年に設けられた定期船です。本行徳村が江戸幕府から独占権を得て営業していました。毎日午前6時から午後6時まで運航していました。はじめは16艘であったといい、寛文11(1671)年に53艘、嘉永年間(1848-54)には62艘が往来していました。
 行徳船は明治に入り、蒸気船の普及で圧倒され、明治12(1879)年に廃止となりました。
 市川市本行徳の旧江戸川畔の新河岸場に常夜塔が一基残っており、周辺は常夜灯公園として整備されています。

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 標柱「市指定重要有形文化財 常夜燈」
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 「設置昭和五十四年三月市川市」
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 多くの奉納者の名前が刻まれています。
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(説明板)
「市指定有形文化財 常夜灯 昭和三十五年十月七日指定
 この常夜灯は文化9年(一八一二)、江戸日本橋の成田講中(成田山新勝寺への講の人々)が航路安全を祈願して建てたと推察されます。なお、側面には協力した人々の名前が刻まれています。江戸時代、成田山新勝寺には江戸から多くの人々が参詣しました。行徳は、江戸から成田にかけての重要な中継地でした。
 左下の図は、『江戸名所図会』に描かれた現在地の景観です。左隅に常夜灯と思われる灯篭が建っています。江戸時代後半の記録にも、常夜灯は「川岸に立つ」とあります(『葛飾誌略』)。また、図には現在のような堤防は描かれておらず、船から降りた人々は高低差の小さな箇所から陸地に上がったとみられます。
 そして、常夜灯付近の現在地を新河岸(船着場)とも呼びました。「新」の字が示すように、元禄3年(一六九○)、河岸がこの地に移り、新河岸として図にあるような景観が整備されていったと推察されます(『葛飾誌略』)。また、この地から江戸に向けて船が行き交っていました。一般に、この船は行徳船と呼ばれ、江戸川を下り、新川・小名木川を経由し、日本橋小網町まで就航していました(約12.6km)。成田講中の人々や行徳産の塩も、行徳船を利用して江戸に運ばれたようです。
 また有名な人物として、松尾芭蕉(俳人)や渡辺崋山(田原藩家老)なども行徳を訪れています。特に渡辺崋山は、『四州真景図巻』という作品の中で常夜灯及び周辺景観をスケッチしています。
 明治時代になると、江戸川には蒸気船が見られるようになります。
 『成田土産名所尽』という記録に、明治期以降の常夜灯周辺の様子が描かれ、常夜灯周辺が多くの人々で賑わった様子がわかります。そのため、常夜灯は江戸川を行き交う船や多くの人々の目印の役割もはたしてきたと思われます。
 平成21年(二○○九)、現在地周辺は常夜灯公園として整備されました。
  二○一二年 市川市教育委員会」

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○川の駅あづま家 市川市本行徳28 10:00-17:00 定休月金

 「肉のアズマ」(市川市塩焼)が、常夜灯公園に出店している「あづま家」です。 旧江戸川左岸堤防にあります。
こちらで記載
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