立会川の坂本龍馬像
○北浜川児童遊園 品川区東大井2-25-22
<商店街>
国道から旧東海道へ、「立会川商店街」「立会川龍馬通り繁栄会」と2つの商店街が続いており、立会川の「弁天橋」の横に坂本龍馬像が建っている北浜川児童遊園があります。
龍馬像が置かれている前の商店街が「立会川龍馬通り繁栄会」です。商店街を抜けた丁字路を左右に走っている道路が旧東海道です。丁字路を右折して50mほど進んだところが「浜川橋(涙橋)」です。
立会川商店街

立会川龍馬通り繁栄会

弁天橋

立会川龍馬通り繁栄会

現地地図

児童遊園入口


児童遊園奥から入口方面

<龍馬が世界と出会ったまち品川>
(説明板)
「龍馬が世界と出会ったまち品川
ペリーが初めて来航した嘉永六年(一八五三)、一九歳の坂本龍馬は藩からの許可を得て江戸で剣術修行中でした。
土佐藩は立会川河口付近にあった下屋敷(今の品川区東大井)警備のため、江戸詰めの武士を動員し、龍馬もその中に加わりました。
同年九月には「異国船処々来り候へば、軍(いくさ)も近き内と存じ奉り候、其節は異国の首を打取り・・」と、父親に手紙を書いています。
品川での黒船警固から、龍馬の幕末は出発したのです。」


(指示標識)
「←第一京浜(国道15号 土佐藩品川下屋敷跡)
→旧東海道 浜川砲台跡」

<立会川 二十歳の龍馬像>
(説明板)
「立会川 二十歳の龍馬像
嘉永6年(1853)黒船4隻によるペリー艦隊来航の折、坂本龍馬(1835-1867)は土佐藩品川下屋敷の近くにあった浜川砲台の警護にあたります。
当地は後に海運貿易の亀山社中の設立・薩長同盟の斡旋など、近代を切り拓いた龍馬が志を立てたゆかりの地と言えます。
地元有志、品川龍馬会の人々のはたらきで、桂浜にあるものと同じ姿の龍馬像が高知市の寄贈により設置されていましたが、近頃の時代の閉塞感とあいまって、龍馬の事績に思いを致す人々の、ブロンズ像であればとの強い願いを受けて、東京京浜ロータリークラブは関係者と密に語らい議って、二十歳の龍馬像としてこれをここに建立したものです。
なお、この像には、平成11年修復時の高知県桂浜の像の金属片が溶かし込んであります。
平成22年11月15日」

<しながわ百景>
立会川の坂本龍馬像は、「しながわ百景」に選定されています。
「しながわ百景
区制70周年 平成29年選定
108 立会川の坂本龍馬像
平成29年 品川区」

<顔はめパネル 十九歳の龍馬>

<坂本龍馬像>




足もとは草履です。

寄贈 東京京浜ロータリークラブ

「しながわ花海道」周辺お散歩MAP


○土佐高知藩山内家下屋敷跡(品川区立浜川中学校) 品川区東大井3-18-34
中学校の工事中で、説明板「土佐高知藩山内家下屋敷跡」は撤去されています。高知藩山内家の下屋敷と抱屋敷は、東海道を挟んで東西に位置していました。立会川河口の抱屋敷の地には、嘉永6(1853)年に砲台が造られ、浜川砲台と呼ばれました。
北浜川児童遊園に設置されていた平成16(2004)年に高知市から寄贈されたプラスチック製の龍馬像が、平成20(2008)年にブロンズ像に造り変えられたことにより、旧像は土佐藩の下屋敷跡である品川区立浜川中学校に移されています。
<商店街>
国道から旧東海道へ、「立会川商店街」「立会川龍馬通り繁栄会」と2つの商店街が続いており、立会川の「弁天橋」の横に坂本龍馬像が建っている北浜川児童遊園があります。
龍馬像が置かれている前の商店街が「立会川龍馬通り繁栄会」です。商店街を抜けた丁字路を左右に走っている道路が旧東海道です。丁字路を右折して50mほど進んだところが「浜川橋(涙橋)」です。
立会川商店街

立会川龍馬通り繁栄会

弁天橋

立会川龍馬通り繁栄会

現地地図

児童遊園入口


児童遊園奥から入口方面

<龍馬が世界と出会ったまち品川>
(説明板)
「龍馬が世界と出会ったまち品川
ペリーが初めて来航した嘉永六年(一八五三)、一九歳の坂本龍馬は藩からの許可を得て江戸で剣術修行中でした。
土佐藩は立会川河口付近にあった下屋敷(今の品川区東大井)警備のため、江戸詰めの武士を動員し、龍馬もその中に加わりました。
同年九月には「異国船処々来り候へば、軍(いくさ)も近き内と存じ奉り候、其節は異国の首を打取り・・」と、父親に手紙を書いています。
品川での黒船警固から、龍馬の幕末は出発したのです。」


(指示標識)
「←第一京浜(国道15号 土佐藩品川下屋敷跡)
→旧東海道 浜川砲台跡」

<立会川 二十歳の龍馬像>
(説明板)
「立会川 二十歳の龍馬像
嘉永6年(1853)黒船4隻によるペリー艦隊来航の折、坂本龍馬(1835-1867)は土佐藩品川下屋敷の近くにあった浜川砲台の警護にあたります。
当地は後に海運貿易の亀山社中の設立・薩長同盟の斡旋など、近代を切り拓いた龍馬が志を立てたゆかりの地と言えます。
地元有志、品川龍馬会の人々のはたらきで、桂浜にあるものと同じ姿の龍馬像が高知市の寄贈により設置されていましたが、近頃の時代の閉塞感とあいまって、龍馬の事績に思いを致す人々の、ブロンズ像であればとの強い願いを受けて、東京京浜ロータリークラブは関係者と密に語らい議って、二十歳の龍馬像としてこれをここに建立したものです。
なお、この像には、平成11年修復時の高知県桂浜の像の金属片が溶かし込んであります。
平成22年11月15日」

<しながわ百景>
立会川の坂本龍馬像は、「しながわ百景」に選定されています。
「しながわ百景
区制70周年 平成29年選定
108 立会川の坂本龍馬像
平成29年 品川区」

<顔はめパネル 十九歳の龍馬>

<坂本龍馬像>




足もとは草履です。

寄贈 東京京浜ロータリークラブ

「しながわ花海道」周辺お散歩MAP


○土佐高知藩山内家下屋敷跡(品川区立浜川中学校) 品川区東大井3-18-34
中学校の工事中で、説明板「土佐高知藩山内家下屋敷跡」は撤去されています。高知藩山内家の下屋敷と抱屋敷は、東海道を挟んで東西に位置していました。立会川河口の抱屋敷の地には、嘉永6(1853)年に砲台が造られ、浜川砲台と呼ばれました。
北浜川児童遊園に設置されていた平成16(2004)年に高知市から寄贈されたプラスチック製の龍馬像が、平成20(2008)年にブロンズ像に造り変えられたことにより、旧像は土佐藩の下屋敷跡である品川区立浜川中学校に移されています。

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テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
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