お丸山公園(喜連川城跡)
○お丸山公園頂上部 さくら市喜連川
<貯湯タンク>
貯湯タンクが新たに塗装されていました。

捨て湯

かつての温泉スタンドの給湯パイプが痛々しく残っています。

「きつれがわ奥州街道案内図」
古い案内図がそのまま掲示されています。

<全面開放>
令和2(2020)年3月に、頂上部の立ち入り禁止から全面開放されました。建物は停留所跡だけ残して、令和2(2020)年度に、老人福祉センター(喜連川城温泉)、物産センター、足湯と全て撤去されました。



スカイタワーは電波塔として残されています。


<平地林>
平地林遊歩道が再整備されています。


<伊藤清雲詩碑>
(碑文)
「祝 喜連川温泉吟詠
由緒ある山間喜連川町
文化の恵み拓いて温泉湧き
諸賢光来日日に栄え
更に明らかすお丸山城跡
伊藤清雲作」

<恵泉句碑>
金子義夫(恵泉)の句碑で、平成5年の建立です。
「雲湧きて全山動く新樹かな」


○黒髪道祖神
(碑文)
「残雪の黒髪山を背に睦む
道祖神笑みて
花散りしきる」





<双体道祖神など>


<展望>
お丸山から西の展望、眼下には「もとゆ」が見えます。


お丸山が崩落した時の「もとゆ」からの光景

〇大蔵ヶ崎橋
三の堀に架かるのが「大蔵ヶ崎橋」です。
※「一の堀橋」(雨情橋)はこちらで記載。なお「二の堀」に架かっていた「背山橋」は土砂崩壊で消失しています。



(碑文)
「橋名の由来
源平の合戦に源氏の大将源義経に従って武勲をたてた塩谷惟広が文治二年(一一八六)初めて城を築き大蔵ヶ崎城と言った。
城は三方が崖で幾重もの空堀をめぐらした堅固な山城であった。
天正十八年(一五九二)第十七代城主惟久は豊臣秀吉の東征に際し、人員その他物資の調達を命じられたが、惟久は機を失してこれに応じなかったため、秀吉の怒りに触れることを恐れて出奔したので廃城となった。
しかし、惟久の妻嶋子は、秀吉が古河に出陣した折、出向いて惟久に二心のないことを釈明したため、秀吉は嶋子の懇願を聞き入れ名門足利氏の断絶を惜んで古河公方家(のち喜連川に移って喜連川公方)を再興させた。
ここに、初代惟広築城以来八百余年の大蔵ヶ崎城(のち倉ヶ崎城)の歴史を偲び、この名を後世に残すために橋の名としたものである。
平成元年三月 喜連川町」

「鮎供養塚」ですか?

○展望台(旧シャトルエレベーター山頂駅)
展望台から東の展望です。



(参考)震災前のお丸山





<貯湯タンク>
貯湯タンクが新たに塗装されていました。

捨て湯

かつての温泉スタンドの給湯パイプが痛々しく残っています。

「きつれがわ奥州街道案内図」
古い案内図がそのまま掲示されています。

<全面開放>
令和2(2020)年3月に、頂上部の立ち入り禁止から全面開放されました。建物は停留所跡だけ残して、令和2(2020)年度に、老人福祉センター(喜連川城温泉)、物産センター、足湯と全て撤去されました。



スカイタワーは電波塔として残されています。


<平地林>
平地林遊歩道が再整備されています。


<伊藤清雲詩碑>
(碑文)
「祝 喜連川温泉吟詠
由緒ある山間喜連川町
文化の恵み拓いて温泉湧き
諸賢光来日日に栄え
更に明らかすお丸山城跡
伊藤清雲作」

<恵泉句碑>
金子義夫(恵泉)の句碑で、平成5年の建立です。
「雲湧きて全山動く新樹かな」


○黒髪道祖神
(碑文)
「残雪の黒髪山を背に睦む
道祖神笑みて
花散りしきる」





<双体道祖神など>


<展望>
お丸山から西の展望、眼下には「もとゆ」が見えます。


お丸山が崩落した時の「もとゆ」からの光景

〇大蔵ヶ崎橋
三の堀に架かるのが「大蔵ヶ崎橋」です。
※「一の堀橋」(雨情橋)はこちらで記載。なお「二の堀」に架かっていた「背山橋」は土砂崩壊で消失しています。



(碑文)
「橋名の由来
源平の合戦に源氏の大将源義経に従って武勲をたてた塩谷惟広が文治二年(一一八六)初めて城を築き大蔵ヶ崎城と言った。
城は三方が崖で幾重もの空堀をめぐらした堅固な山城であった。
天正十八年(一五九二)第十七代城主惟久は豊臣秀吉の東征に際し、人員その他物資の調達を命じられたが、惟久は機を失してこれに応じなかったため、秀吉の怒りに触れることを恐れて出奔したので廃城となった。
しかし、惟久の妻嶋子は、秀吉が古河に出陣した折、出向いて惟久に二心のないことを釈明したため、秀吉は嶋子の懇願を聞き入れ名門足利氏の断絶を惜んで古河公方家(のち喜連川に移って喜連川公方)を再興させた。
ここに、初代惟広築城以来八百余年の大蔵ヶ崎城(のち倉ヶ崎城)の歴史を偲び、この名を後世に残すために橋の名としたものである。
平成元年三月 喜連川町」

「鮎供養塚」ですか?

○展望台(旧シャトルエレベーター山頂駅)
展望台から東の展望です。



(参考)震災前のお丸山






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