銭瓶橋跡 (大手町)
○銭瓶橋跡 千代田区大手町2-6先 日本ビル北側歩道(説明板)
<江戸の銭湯発祥の地>
銭瓶橋は、江戸の銭湯発祥の地でもあります。
天正19(1591)年、伊勢出身の商人、伊勢与市が、銭瓶橋のたもとに銭湯を開業しました。
<本所・深川の給水源>
上水の届かない本所や深川では、上水の「余り水」を水船が運び、住民は棒手振りの水売から飲料水を買っていました。上水は江戸市中に給水後、余り水は銭瓶橋及び一石橋の吐樋から放流されていました。上水記によると、銭瓶橋の北側に神田上水の吐樋、南側に玉川上水の吐樋があったようです。幕府の鑑札を受けた水船業者が水船に汲んで本所や深川に運び、あるいは廻船に売水していました。


(説明板)
「銭瓶橋跡
銭瓶橋は、江戸城建設の物資補給路のために開削された道三掘・日本橋川と、1636年(寛永13年)に掘削された外堀の3本の水路が交差する場所(現在の丸の内一丁目付近)に架けられていました。
銭瓶橋の由来は諸説あり、橋を架設する際に地中から銭の入った瓶が掘り出されたからとする説と、この付近で永楽銭の引換えが行われており、「銭替橋」と呼ばれたからとする説があります。
江戸の名所の一つとして知られ、有名な景勝地でした。歌川広重の「名所江戸百景 八つ見のはし」には中央に銭瓶橋が描かれています。
1909年(明治42年)、道三堀が埋め立てられ橋も姿を消しました。 千代田区」



「江戸城を取り巻く地形と文化財

「名所江戸百景 八ツ見のはし」(広重)
説明板に掲示されている広重の「名所江戸百景 八ツ見のはし」です。

「八ツ見のはし」(一石橋)から、道三堀の銭瓶橋と奥に道三橋が見えます。

「江戸名所四十八景 一石はし夕景」(二代広重 都立図書館蔵)
手前が一石橋で、奥に銭瓶橋が描かれています。

さて、銭瓶橋には、上水懸樋が並行して架けられているように見えます?両側は吐樋だと思っていたので意外な一枚です。

「江戸切絵図」
銭瓶橋部分の抜粋です。
<江戸の銭湯発祥の地>
銭瓶橋は、江戸の銭湯発祥の地でもあります。
天正19(1591)年、伊勢出身の商人、伊勢与市が、銭瓶橋のたもとに銭湯を開業しました。
<本所・深川の給水源>
上水の届かない本所や深川では、上水の「余り水」を水船が運び、住民は棒手振りの水売から飲料水を買っていました。上水は江戸市中に給水後、余り水は銭瓶橋及び一石橋の吐樋から放流されていました。上水記によると、銭瓶橋の北側に神田上水の吐樋、南側に玉川上水の吐樋があったようです。幕府の鑑札を受けた水船業者が水船に汲んで本所や深川に運び、あるいは廻船に売水していました。


(説明板)
「銭瓶橋跡
銭瓶橋は、江戸城建設の物資補給路のために開削された道三掘・日本橋川と、1636年(寛永13年)に掘削された外堀の3本の水路が交差する場所(現在の丸の内一丁目付近)に架けられていました。
銭瓶橋の由来は諸説あり、橋を架設する際に地中から銭の入った瓶が掘り出されたからとする説と、この付近で永楽銭の引換えが行われており、「銭替橋」と呼ばれたからとする説があります。
江戸の名所の一つとして知られ、有名な景勝地でした。歌川広重の「名所江戸百景 八つ見のはし」には中央に銭瓶橋が描かれています。
1909年(明治42年)、道三堀が埋め立てられ橋も姿を消しました。 千代田区」



「江戸城を取り巻く地形と文化財

「名所江戸百景 八ツ見のはし」(広重)
説明板に掲示されている広重の「名所江戸百景 八ツ見のはし」です。

「八ツ見のはし」(一石橋)から、道三堀の銭瓶橋と奥に道三橋が見えます。

「江戸名所四十八景 一石はし夕景」(二代広重 都立図書館蔵)
手前が一石橋で、奥に銭瓶橋が描かれています。

さて、銭瓶橋には、上水懸樋が並行して架けられているように見えます?両側は吐樋だと思っていたので意外な一枚です。

「江戸切絵図」
銭瓶橋部分の抜粋です。

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