奈良の大仏(市原市)

○大仏通り 千葉県市原市

 茂原街道(千葉県道14号)から、ENEOSのある交差点から大仏通りへ左折します。ここから大仏通りの終点まで、アップダウンの道で、信号は一つもありません。喜多トンネルを通過。横の標識のほか縦のローマ字表記なしの「大仏通り」標識もあります。

DSCN7877_20230520164017f01.jpg

DSCN7878_2023052016402013b.jpg

DSCN7879_20230520164020498.jpg

 古都辺 (こつべ)から奈良へ入ります。古都辺の由来は、平将門が上野郷に居館し、その地を奈良と称しました。平将門は下総国相馬(現在の茨城県猿島地区)に移りましたが、当地は古い都の付近にあるという意味でつけられたといいます。

 「←1.3km 市指定名勝奈良の大仏」

 奈良の大仏へ寄るため「←1.3km 市指定名勝奈良の大仏」の標識を左折します。しかし、この表示は、通りの名前を示す標識ですよね、不思議な標識です。

DSCN7881_20230520164023145.jpg

DSCN7880_20230520164023f51.jpg

DSCN7882_20230520164026fa6.jpg

 大仏通りの終点です。リソルの森右折の看板が建っています。

DSCN7926_20230519214425c89.jpg

DSCN7927_20230519214429ff0.jpg


○奈良の大仏へ

<道標その1>

 大仏通りから奈良の大仏へ向かう途中に道標がありました。上が折れて消失しているのでよくわかりません。

DSCN7923_20230520164536cdf.jpg

DSCN7924_202305201645395ab.jpg

DSCN7925_20230520164539b61.jpg


<電信柱支柱>

 電信柱の支柱は「奈良支」で、ここが奈良であることを示しています。

DSCN7922_202305201645396d1.jpg


<「奈良の大仏」と道標その2>

 道が2つに分かれるところに「奈良の大仏」表示と、道標があります。

 「市原市指定文化財
  奈良の大仏
  奈良町会」

DSCN7883_20230520164711521.jpg

DSCN7884_20230520164714ea0.jpg

 昭和十二年一月と刻まれている道標です。

DSCN7885_20230520164816b3f.jpg

DSCN7886_20230520164817a7f.jpg

DSCN7888_20230520164820940.jpg

DSCN7887_2023052016482153a.jpg


<参道>

 道標から右の道を進むと、また2つに分かれます。今度は木が生い茂る参道らしき左の道を進みます。

DSCN7921_20230520164955b12.jpg

DSCN7889_20230520164958020.jpg


<奈良児童遊園>

 誰も遊んでいない奈良児童遊園です。ハイキングの人は見かけません。もちろん鹿もいません。

DSCN7890_202305201651258c4.jpg

DSCN7920_2023052016512714e.jpg

DSCN7891_20230520165129d7f.jpg

DSCN7892_20230520165130956.jpg


<奉納>

 奉納碑には、昭和五十九年度町会長と本泉寺第五十七世の紀名がありますが、何を奉納されたのでしょうかね。

DSCN7893_20230520165249de1.jpg


<馬頭観世音供養塔四基>

 奉納碑の左奥に、馬頭観世音供養塔が三基並び、離れて一基あります。一番右の一基の台座には「競馬連」とあります。裏には、明治44(1911)年1月18日建立、馬匹改良大競馬紀念とあります。軍馬の資質を改善するため明治39(1906)年に馬政局が設置され馬匹改良事業に着手、馬匹の需要拡大を狙った競馬の振興も積極的に行いました。当時、奈良は軍馬と競馬の馬産地だったのでしょう。

DSCN7898_2023052016525186c.jpg

DSCN7897_20230520165254f52.jpg

DSCN7894_20230520165254d2d.jpg

DSCN7896_2023052016544482d.jpg


○奈良の大仏 市原市奈良369-2

 伝承によると、初代の大仏は、承平元(931)年に平将門が奈良の大仏を模して此の地に建立した仏像で、創建時は銅製だったとのことです。現在の大仏は文化元(1804)年再興の石造釈迦如来立像で、市川市指定文化財です。ちなみに東大寺の大仏は国宝です。2011年の東日本大震災では、像が台座から落ち損壊しましたが、住民が市原市と費用を折半して修復しました。
 市原市文化財(名勝)に指定されており、所有者・管理者は、本泉寺他32名となっています。

(説明板)
 目の前の大仏や平将門の説明より、参道の植物の説明のほうが圧倒的に多い不思議な説明板です。
「市指定文化財  奈良の大仏
   昭和四九年六月十日指定
 当地は将門伝説と風光の美しさで知られ、等身大の石造釈迦如来立像が鎮座し、以前より奈良の大仏の名で親しまれている。参道には樹齢約一○○年のヤマザクラの並木があり、目通り幹囲は、最大で三メートル以上にも及ぶ。また、近くには、多数のソメイヨシノが植栽されておりこの立像を囲んで、スダジイ・スギ・イチョウ・クロマツ・モミの大木がうっそうと茂り、その周辺の林床植物としては、コシオガマ・ツルニガクサ・ウコギ・ノコンギク・フタリシズカなど数百種類を数える。
  昭和五八年三月  市原市教育委員会」

DSCN7899_202305201656326e6.jpg

DSCN7900_202305201656341d1.jpg

DSCN7902_202305201658242e4.jpg

DSCN7917_20230520165827381.jpg

DSCN7913_20230520165827110.jpg

DSCN7915_20230520165829a2b.jpg

 手水鉢

DSCN7916_202305201659194af.jpg


<台座>

 台座正面一番上
  「承平元辛卯
   春建立
   再三之造立
   八百七拾四年自
   文化元甲子歳
   釈迦如来
   十月十六日
   玄題三千部
   上総國市原郡
   奈良村」

DSCN7906_20230520170022046.jpg

 台座その下「法界萬霊」、台座最下段に安政2年(1855)に台座新造の刻印があります。

DSCN7903_20230520170118f1d.jpg

DSCN7909_202305201701219b8.jpg

 台座2段目の左側面
 「文化元年 再興世話人」の名前が刻まれています。

DSCN7907_20230520170210b1f.jpg

DSCN7910_202305201702121bb.jpg


<釈迦如来立像>

DSCN7905_20230520170259566.jpg

DSCN7912_202305201703011e5.jpg

DSCN7912b.jpg

 このあと、近くの「Sport & Do Resort リソルの森」の漆黒の黒湯「紅葉乃湯」へ向かいました(こちらで記載
関連記事

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 平将門電信柱

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

カウンター
プロフィール

ほっと湯Web

Author:ほっと湯Web

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
09 | 2023/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
検索フォーム
リンク
カテゴリ
北 (9)
タグリスト

全記事タイトル表示

全ての記事を表示する

Japanese→English
English
♥. ♠. ♣Alice
QRコード
QR