【皀角坂】 神田上水懸樋跡など
【皀角坂】 千代田区三崎町1丁目〜神田駿河台2丁目
「江戸切絵図」
「水道橋」の下流に「神田上水懸樋が見えます。懸樋の駿河台側に「サイカチサカ」の注記があります。駿河台は、武家屋敷が多く見られます。

<駿河台>
「駿河台」は、もともと本郷台・湯島台と地続きで、「神田台」と呼ばれていました。「神田川」が開削され、本郷台・湯島台から切り離され、現在の駿河台が形成されました。
徳川家康が駿府で没した後、駿河から帰ってきた旗本(駿河衆)たちが、駿河国の富士山が見えるこの地に多く屋敷を構えました。 駿河衆が住んでいたことや駿河国の富士山が見えたことなどから、この地は駿河台と呼ばれるようになりました。
「名所江戸百景 水道橋駿河台」(広重)
神田上水懸樋辺りの本郷台から、水道橋方向の駿河台の武家屋敷を見下ろしています。富士山が見えます。画面左下の神田川下流から水道橋へ下っている坂が「皀角坂」です。

武家は、端午の節句には家紋の幟や吹き流し、鍾馗(しょうき)の幟を上げました。鯉のぼりを揚げるのは町人の文化でした。

「絵本江戸土産 水道橋」(広重)
名所江戸百景より下のアングルで描かれています。

「江戸名所百人美女 するがだい」(豊国・国久 都立図書館蔵)
駿河台は武家地なので、美女も武家の娘でしょう。

こま絵には火の見櫓が描かれています。

「江戸名所四十八景 駿河台月夜」(二代広重 都立図書館蔵)
左手の屋敷は、江戸切絵図によると「田口加賀守」(長崎奉行)でしょうか?

○皀角坂 千代田区神田駿河台2-11(標柱設置)
皀角坂(さいかちざか)の標柱は、2022年10月に更新されたようです。

(標柱)
「皀角坂
坂名は、サイカチの木が多く植えられていたことから名付けられました。サイカチは、野山にはえる落葉高木で、枝にとげが多く、花も実も豆に似ています。現在でも、二本のサイカチの木があり、秋になると豆状の実をつけています。」


○神田上水懸樋跡 千代田区神田駿河台2-11(説明板設置)
神田上水懸樋跡の駿河台側です。神田川左岸の本郷側にもモニュメントがあります。






説明板は、2022年10月に更新されたようです。
(説明板)
「神田上水懸樋跡
江戸時代、この辺りには神田上水が神田川を越えるために設けた懸樋がありました。1658年〜1661年(万治年間)に架け替えられ、俗に万年樋と呼ばれました。
神田上水は、江戸で最も早く整備された上水といわれ、1596年〜1615年(慶長年間)に整備に着手したといいます。井の頭池・善福寺池・妙正寺池を水源とし、現在の文京区関口あたりに堰が設けられ、小日向台から小石川後楽園を通り水道橋の下流に達しました。懸樋によって神田川を超えた上水は、この辺りから暗渠(埋樋)となり、南は京橋川、東は永代橋より大川(現在の隅田川)以西、北は神田川、西は大手町から一橋門外まで供給されました。
なお、関口で神田上水から分水した余水は河川となります。牛込門外(現在の飯田橋)までは「江戸川」、牛込門外から下流は「神田川」と呼ばれました。 千代田区」



「江戸名所図会 御茶の水 水道橋 神田上水懸樋」が掲示されています。

○皀角坂の芭蕉句碑 千代田区神田駿河台2-11-16
松尾芭蕉らしいと言われますが定かではない句碑があります。
「皀角子の
実は
そのままの
落葉哉」


○ふるさと文化の散歩道 千代田区神田駿河台2-9

「江戸切絵図」
「水道橋」の下流に「神田上水懸樋が見えます。懸樋の駿河台側に「サイカチサカ」の注記があります。駿河台は、武家屋敷が多く見られます。

<駿河台>
「駿河台」は、もともと本郷台・湯島台と地続きで、「神田台」と呼ばれていました。「神田川」が開削され、本郷台・湯島台から切り離され、現在の駿河台が形成されました。
徳川家康が駿府で没した後、駿河から帰ってきた旗本(駿河衆)たちが、駿河国の富士山が見えるこの地に多く屋敷を構えました。 駿河衆が住んでいたことや駿河国の富士山が見えたことなどから、この地は駿河台と呼ばれるようになりました。
「名所江戸百景 水道橋駿河台」(広重)
神田上水懸樋辺りの本郷台から、水道橋方向の駿河台の武家屋敷を見下ろしています。富士山が見えます。画面左下の神田川下流から水道橋へ下っている坂が「皀角坂」です。

武家は、端午の節句には家紋の幟や吹き流し、鍾馗(しょうき)の幟を上げました。鯉のぼりを揚げるのは町人の文化でした。

「絵本江戸土産 水道橋」(広重)
名所江戸百景より下のアングルで描かれています。

「江戸名所百人美女 するがだい」(豊国・国久 都立図書館蔵)
駿河台は武家地なので、美女も武家の娘でしょう。

こま絵には火の見櫓が描かれています。

「江戸名所四十八景 駿河台月夜」(二代広重 都立図書館蔵)
左手の屋敷は、江戸切絵図によると「田口加賀守」(長崎奉行)でしょうか?

○皀角坂 千代田区神田駿河台2-11(標柱設置)
皀角坂(さいかちざか)の標柱は、2022年10月に更新されたようです。

(標柱)
「皀角坂
坂名は、サイカチの木が多く植えられていたことから名付けられました。サイカチは、野山にはえる落葉高木で、枝にとげが多く、花も実も豆に似ています。現在でも、二本のサイカチの木があり、秋になると豆状の実をつけています。」


○神田上水懸樋跡 千代田区神田駿河台2-11(説明板設置)
神田上水懸樋跡の駿河台側です。神田川左岸の本郷側にもモニュメントがあります。






説明板は、2022年10月に更新されたようです。
(説明板)
「神田上水懸樋跡
江戸時代、この辺りには神田上水が神田川を越えるために設けた懸樋がありました。1658年〜1661年(万治年間)に架け替えられ、俗に万年樋と呼ばれました。
神田上水は、江戸で最も早く整備された上水といわれ、1596年〜1615年(慶長年間)に整備に着手したといいます。井の頭池・善福寺池・妙正寺池を水源とし、現在の文京区関口あたりに堰が設けられ、小日向台から小石川後楽園を通り水道橋の下流に達しました。懸樋によって神田川を超えた上水は、この辺りから暗渠(埋樋)となり、南は京橋川、東は永代橋より大川(現在の隅田川)以西、北は神田川、西は大手町から一橋門外まで供給されました。
なお、関口で神田上水から分水した余水は河川となります。牛込門外(現在の飯田橋)までは「江戸川」、牛込門外から下流は「神田川」と呼ばれました。 千代田区」



「江戸名所図会 御茶の水 水道橋 神田上水懸樋」が掲示されています。

○皀角坂の芭蕉句碑 千代田区神田駿河台2-11-16
松尾芭蕉らしいと言われますが定かではない句碑があります。
「皀角子の
実は
そのままの
落葉哉」


○ふるさと文化の散歩道 千代田区神田駿河台2-9


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