東京都水道歴史館

○東京都水道歴史館 文京区本郷2-7-1 HP

【館外】

<タイル絵>

 水道歴史館の横の歩道脇に、水道の歴史を描いたタイル絵が連なっています。

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 水道の歴史をコンパクトに4枚にまとめられています。

 「江戸の上水井戸」
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 「江戸の水売り」
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 「江戸の長屋の台所」
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 「淀橋浄水場起工式」
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「水売/飲用水売」(世渡風俗図会 清水晴風)/「水売」(江戸年中風俗之絵 橋本養邦)国立国会図書館蔵

 上水の給水範囲では上水井戸が設けられ、上水の届かない本所や深川では、上水の「余り水」を水船が運び、住民は棒手振りの水売から飲料水を買っていました。上水は江戸市中に給水後、余り水は銭瓶橋及び一石橋の吐樋から放流されていました。幕府の鑑札を受けた水船業者が水船に汲んで本所や深川に運び、あるいは廻船に売水していました。

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<旧中島博士邸の井戸側>

 水道歴史館の敷地に入って、館入口の右に「旧中島博士邸の井戸側」があります。

(説明掲示)
 「旧中島博士邸の井戸側 Well Curb
  この井戸側は、近代水道創設の開祖と評される中島鋭治博士の旧宅で使用されていたものです。
  井戸側の制作年代は、「規格、材質、技術」等から、江戸時代後期と推定されます。」

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<通路>

 移築復元「神田上水石樋・白堀」が展示されている本郷給水所公苑へは、水道歴史館脇の通路からも行くことができます。こちらで記載

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【館内二階】

 二階は江戸上水の展示となっています。

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<江戸上水史>

神田上水
 天正18年(1590)徳川家康の江戸入府に先立ち、城下に飲料水を供給するため家臣・大久保藤五郎に上水開設を命じた。
 藤五郎は小石川に水源を求め、目白台下の流れを利用し、神田方面へ通水させたと伝えられている。これが小石川上水の誕生であり、その後、随時拡張され神田上水となった。井の頭の池や善福寺池、妙正寺池を水源とした。

玉川上水
 家光が三代将軍になると、「参勤交代の制度」と「大名正妻・嫡子の江戸在府の制度」により、諸国の武家が江戸に集まってくるとともに、その生活を支える町人が増え、江戸の人口は増加し、水需要が増大した。
 この江戸の都市化に対し、神田上水に加え新たな上水の開設が必要になった。
 江戸町人、庄右衛門、清右衛門兄弟により、多摩川を水源に承知3年(1654)玉川上水が開設された。

亀有上水
 明暦の大火後の江戸の復興に伴って、本所、深川の町づくりが万治2年(1659)以降に行われており、この頃開設されたと思われる。隅田川西側には神田・玉川上水より給水されていたが、東側に給水することができず、このために元荒川に堰を作って溜井とし、埼玉県北足立郡を経て、亀有に入り、南下して本所方面に給水された。後に本所上水と呼ばれるようになった。享保7年
(1722)に廃止。

青山上水
 万治3年(1660)に雑貨仁左衛門、木瓜屋庄兵衛によって開設された。四谷大木戸で玉川上水の余水に水口を付け給水し、主に青山、赤坂、麻布、芝方面に供給された。
 享保7年(1722)に廃止されたが、明治15年(1882)から麻生水道として、近代水道が敷設されるまでの一時期に利用された。

三田上水
 三田上水は玉川上水を下北沢で分水し、渋谷川の谷と目黒川の谷の間の狭い台地を通している。
 寛文4年(1664)に中村八郎右衛門、磯野助六により開設され、三田、芝、金杉方面へ給水された。享保7年(1722)に廃止された。

千川上水
 元禄9年(1696)小石川白山御殿、本郷湯島聖堂、上野東叡山寛永寺、浅草浅草寺など将軍御成りのところへ上水を引用するために玉川上水を谷保村で分水し、開設された。開設後は上水沿線20ヶ村に分水され、灌漑や飲料水に利用された。享保7年(1722)に廃止されたが、沿線への村々には灌漑用水として利用された。また明治13年(1880)岩崎弥太郎により千川水道株式会社として復活した。

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<江戸に水を配る>

 木樋や駒の頭(木樋と木樋をつなぐ継手)の実物が展示されています。

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<江戸の給水方法>

 江戸の上水は、木樋の水道管から竹樋(呼樋)で上水井戸に給水されていました。挿絵と模型で解説、実物が展示されています。

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 東京都水道歴史館のパンフレット表紙の挿絵にも、上水井戸が描かれています。上水井戸脇で米をとぐ長屋の女房は、「百人一首地口絵手本」(梅亭樵父 国立国会図書館蔵)が出典かと思われます。

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「江戸井」(守貞漫稿守貞謾稿 巻三 国立国会図書館蔵)

 江戸の井戸は、地上に出ている井筒は化粧側といいました。土中は井戸の深さに応じて、桶を積み重ね、一番側、二番側・・・といいました。最下部は根側といい、底板がありました。井側材はヒバの赤みが主に用いられました。水道の樋から竹筒の呼樋を用いて、水を上水井戸に溜めました。江戸っ子は「水道の水で産湯を使い・・」がご自慢でした。

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<井戸浚> 七月七日

 江戸市中の上水井戸は、神田上水や玉川上水が地下に引き込まれ繋がっており、七月七日に江戸中では一斉に井戸浚(いどさらえ/いどさらい)を行いました。七月七日は、祖先を迎える盂蘭盆の準備をする行事日で、「井戸浚」は、水による禊祓という面がありました。

「繪本世都之時 井戸浚」(北尾重政 国立国会図書館蔵)
 木に滑車を据えて、井戸水を汲みだしています。汲みだしたところで、井戸内の掃除です。滑車を据える木がない場合はどうする?北斎が答えています。
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「富獄百景 2編 井戸浚の不二」(北斎 国立国会図書館蔵)
 2つの梯子を組み合わせ、そこに丸太を固定し、滑車を取り付けています。
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<江戸長屋>

 江戸長屋が実物大で再現されています。上水井戸が再現され、木蓋の下水も再現されています。
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 上水井戸から汲んだ水は、底が細くなっている「水瓶」に溜められました。
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 共同便所と芥箱も実物大で再現されています。
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<大久保藤五郎>(忠行/初代主水)(不詳〜元和3年7月6日(1617年8月7日))

 大久保藤五郎は徳川家康に仕え、永禄6(1563)年、三河一向一揆に出陣しますが、鉄砲の弾が腰に当たり負傷、歩行が不自由となります。槍働きができなくなり、戦役を免除され、菓子司となります。菓子に毒を仕込まれることも多く、家康は信頼のおける藤五郎の菓子をたびたび求めました。嘉祥の儀(6月16日)(こちらで記載)の成立にも深くかかわっています。

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 徳川家康に菓子を献上する大久保藤五郎」(館内掲示)

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 家康は関東への移封にあたり、大久保藤五郎に江戸城下の上水工事を命じ、小石川上水(神田上水の元)を完成させます。この功績により家康は「主水(もんと)」の名を与えました。また、歩行が不自由な藤五郎のため、「山越」と称する馬を与え、乗馬のまま城内を通行できる許可を与えました。
 家康が水源を視察した際の茶会には、藤五郎は三河餅を献上し、家康は「宮嶋」という茶釜を藤五郎に与えました。

 (館内掲示)
  「家康の命を受け、小石川上水を開設した大久保藤五郎はその功労として茶かまと名馬「山越」を賜わった。」
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 ※茶釜は、現在はこちらに所蔵されています。
 ※「大久保主水墓」(東京都旧跡)は、瑞輪寺(谷中)にあります。こちらで記載


<玉川兄弟像>

 羽村堰にある「玉川兄弟像」(松野伍秀作)の複製です。左に弟の清右衛門、右に兄の庄右衛門です。
 「玉川庄右衛門および清右衛門墓」(東京都旧跡)は、聖徳寺(台東区松が谷)にあります(こちらで記載)。

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<神田上水懸樋(模型)>

「神田上水懸樋の今昔の写真」

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「御茶の水の懸樋の模型(縮尺1:50)」

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「東都名所 御茶之水之図」(歌川広重)の掲示
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 前後左右
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 懸樋の側面に、高札が掲げられています。
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 鰻の蒲焼店には「もりやま」の暖簾がかかっています。上水の水量や汚れを監視する見守番屋の番人は、副業として鰻屋「もりやま(守山/森山)」を営んでいました。
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 番人が蓋を開けて上水のチェックをしています。
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 地中の断面図も再現されています。
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<発掘された江戸上水>

 発掘された「丸の内三丁目の木樋」及び「八重洲北口の木樋」が展示されています。

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【館内一階】

<館内案内>
 一階は近現代水道の展示となっています。
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 「水滴くん」は、自主判断でマスクを付けています。
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<展示一部>

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<馬水槽(模造)>

 中島鋭治(1858〜1925)が、明治34(1901)年から翌年にかけてヨーロッパを視察した際に、ロンドン市牛馬給水槽協会から東京市に寄贈されたものです。
 明治39(1906)年に東京府庁舎(現東京国際フォーラム)前に設置、大正7(1918)年に麹町の東京市水道局守護門前に移設、昭和32(1957)年に淀橋浄水場に移設、昭和39(1964)年9月に新宿駅東口駅前広場に移設されています(新宿区文化財)(こちらで記載)。

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「明治39(1906)年ロンドンより寄贈された当時の馬水槽
  設置されていた場所ー現千代田区丸の内二丁目」

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