藍染川

○藍染川

 紺屋町には古くから藍染川という小川が流れていました。幅一間(約1.82メートル)ほどの川で、染物の布を洗い流していたことから、そう呼ばれるようになったといいます。「狂歌江都名所図会」には、「紺屋町近くにありて藍染の川の流れも水浅黄なり」などの歌が詠まれています。
 北斎と広重が、藍染職人が藍染川で洗った反物を干している光景を描いています(次で記載)。

「江戸切絵図」

 江戸切絵図から、藍染川部分の抜粋です。

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「神田松枝町界隈(安政3(1856)年)」

 千代田区町名由来板からの抜粋です。

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<藍染橋> 千代田区岩本町2-2〜2-7

 藍染橋は、2本の藍染川の流路が一つに合流したところに架かっていた橋です。 現在は何の痕跡もありません。

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「江戸名所図会 藍染川」

 藍染川と藍染橋が描かれています。 障子が少し開いている家の軒先には、風鈴が見えます。道行く女性が持っているのは鰹でしょうか。

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「江戸名所図会 弁慶橋」

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 本文には、「弁慶橋之図」の挿絵とともに、以下記載されています。「同所(お玉が池旧跡)東の方 和泉橋の通 藍染川の下流に架す  其始御大工棟梁弁慶小左衛門といへる人の工夫によりて懸初しといへり  此地の形に応じ衛を横切て筋替にかくる尤奇なり」

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○弁慶橋跡 千代田区岩本町2-17-2

 大門通りの「秋葉原サウスイーストビルディング」前の歩道に説明板「弁慶橋跡」が設置されています。解説とともに、江戸名所図会の弁慶橋の挿絵も併せて掲示されています。

(説明板)
「弁慶橋跡
 かつて神田鍛冶町から東に向かって、藍染川(愛染川)という水路が流れていました。弁慶橋は、このあたりで藍染川に架かっていた橋です。藍染川がL字型に屈曲し、屈曲部分を覆い隠すように橋が架けられていたため、3方向から渡ることができました。
 1885年(明治18年)に、藍染川が埋め立てられた際、橋も壊されました。なお橋の廃材は転用され、赤坂門西側の堀に新たに弁慶橋が架けられ、東京の花見の名所として親しまれました。  千代田区」

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 こちらは、昭和60(1985)年に改架された、弁慶堀に架かる弁慶橋です。

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tag : 江戸名所図会神田千代田区町名由来

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