経ケ峯伊達家墓所

経ケ峯伊達家墓所

 伊達氏に関連する霊廟や付属施設のある一帯は、「経ケ峯伊達家墓所」として仙台市指定史跡となっています。

○瑞鳳殿 仙台市青葉区霊屋下23-2 HP

 瑞鳳殿は、伊達政宗の霊廟です。寛永14(1637)年に経ケ峯に造営された瑞鳳殿は、昭和6(1931)年に国宝に指定されるも戦災で焼失、昭和54(1979)年に再建されています。

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(参考)
<仙台藩外桜田上屋敷跡(伊達政宗終焉の地)> 千代田区日比谷公園

 千代田区日比谷公園に、仙台市の説明板「仙台藩祖 伊達政宗 終焉の地」が建っています。東京都ではなく、仙台市の説明板であることも珍しいでしょう。伊達政宗は、江戸城の目と鼻の先にお住まいだったのですね。政宗の時代には、徳川家康が3度、二代将軍秀忠と三代将軍家光はそれぞれ各4度ここを訪れています。
 寛永13(1636)年にここで亡くなった伊達政宗の遺骸は、仙台の経ヶ峯に埋葬され瑞鳳殿が建てられています。政宗が亡くなった際には15人が殉死しました。殉死の理由は、衆道(武士の男色)にあります。将軍家光は殉死者が出ないように命じていましたが、最終的には許可しています。

(説明板)
「仙台藩祖 伊達政宗 終焉の地
 ここは、仙台藩祖伊達政宗から三代綱宗の時代、仙台藩の外桜田上屋敷があったところである。慶長六年(1601年)、政宗は徳川家康より江戸屋敷を与えられ、外桜田の屋敷は寛文元年(1661年)まで上屋敷として使用された。その敷地は、東西は心字池西岸から庭球場東端まで、南北は日比谷堀沿いの道路から小音楽堂付近まで広がっていたものと推定される。政宗の時代には、徳川家康が三度、二代将軍秀忠と三代将軍家光はそれぞれ各四度ここを訪れ、もてなしを受けたことが記録に残っている。
 政宗は江戸参勤の折、寛永十三年(1636年)五月、ここで七十年の生涯を閉じた。
  仙台市」

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○戊辰戦争 忠魂碑

 瑞鳳殿の近くに、戊辰戦争及び函館戦争の忠魂碑があります。明治10(1877)年の建立です。弔魂碑正面の台座には、「この戊辰戦争で仙台藩のために戦死した一千人余の当地士民の霊魂を慰める為に、伊達宗基旧藩知事により政宗公の御廟のそばに本碑を建てた」と漢文で記されています。

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(説明板)
「戊辰戦争 忠魂碑
 弔魂碑は、戊辰戦争(慶応4年/明治元年(1868)〜明治2年(1869))における仙台藩士及び旧幕臣・米沢藩の仙台応援隊士らを含む殉難者1,260名及び民間で犠牲となった多くの方の霊を弔うために、伊達家(14代当主伊達宗基)と旧仙台藩士が出資し、明治10年(1877)に鋳鉄製で建立されました。」

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<石畳>

 石畳が続いています。

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