仙台城址(国史跡) 土井晩翠像
【仙台城址】 国史跡 仙台市青葉区川内1
「史跡 仙台城跡」
(左)「平成十七年三月三十一日」
(右)「平成十五年八月二十七日指定」


(説明板)
「政宗が育んだ“伊達”な文化 仙台城跡
伊達政宗によって築かれた伊達氏の居城跡です。建設地の青葉山はかつて霊場のあった場所で、そこに自然地形を活かし、高い石垣をもつ城郭を築きました。 関ヶ原の戦い直後の慶長5年(1600年)12月に城の縄張りが行われ、翌年1月から普請に着手。 工事は慶長7年(1602年)には一応の完成をみたとされています。二の丸は2代藩主忠宗によって造営され、以降藩政の中心となりました。」



<仙台城本丸大広間跡>




<懸造跡>



<昭魂碑>
佐賀の乱、西南戦争、日清戦争などに従軍した戦没者に対する慰霊顕彰碑として、明治35(1902)年11月に昭忠会により建立されました。


<伊達政宗公騎馬像>
福島県沖地震により損傷し、令和5(2023)年3月末完了予定で修復中です。修復完了まで、騎馬像を写したグラフィック幕で代替されています。修復先から戻ってきたようです。


(説明掲示)
「令和4年3月16日に発生した福島県沖を震源とする地震により、騎馬像が傾くなどの被害が発生したため、現在、修復作業を行っております。」


<土井晩翠先生像>



(説明板)
「土井晩翠
晩翠は本名を林吉といい明治四年(一八七一年)仙台市北鍛冶町の質商土井七郎兵衛の長男として生まれた。
明治十一年、培根小学校(今の木町小学校)に入り、のち立町小学校に転校、仙台英語学校、旧制第二高等学校を経て明治三十年東京帝国大学英文科を卒業、明治三十三年母校二高の教授として帰仙した。
その間、三十一年に不朽の名作「荒城の月」を作詩発表、続いて第一詩集「天地有情」を処女出版した。島崎藤村の「若葉集」におくれること二年の明治三十二年、晩翠の二十八才から二十九才にかけての頃であった。
のち六つの詩集や数多くの随筆など出版した。
昭和二十二年日本芸術院会員、二十四年仙台市名誉市民に推され翌二十五年、文化勲章を受章され昭和二十七年十月十九日、仙台市本荒町の晩翠草堂で情熱の詩人としての八十一年の生涯を閉じられた。
この碑は昭和二十七年、晩翠会等によって建てられたものです。」

<荒城の月歌碑>
「荒城の月
春高楼の花の宴 めぐる盃影さして
千代の松が枝わけいでし むかしの光いまいづこ
秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて
植うるつるぎに照りそひし 昔のひかりいまいづこ
今荒城の夜半の月 変わらぬ光たがためぞ
垣に残るはただかづら 松に歌ふは唯あらし
天上影は変わらねど 栄枯は移る世のすがた
写さんとてか今もなほ ああ荒城の夜半の月
晩翠」



「土井晩翠肖像」(「近代日本人の肖像」国立国会図書館)
明治4年10月23日〜昭和27年10月19日(1871年12月5日〜1952年10月19日)



(参考)
国際子ども図書館の前庭に「小泉八雲記念碑」があります。結核のため23歳で亡くなった土井晩翠の長男土井英一は小泉八雲を景仰しており、その遺言に基づき、父の土井晩翠が昭和10(1935)年に帝国図書館前庭に建てました。


○宮城縣護國神社 仙台市青葉区川内1番地 HP
宮城縣護國神社は、明治37(1904)年に仙台城本丸城址に創建された神社です。


「史跡 仙台城跡」
(左)「平成十七年三月三十一日」
(右)「平成十五年八月二十七日指定」


(説明板)
「政宗が育んだ“伊達”な文化 仙台城跡
伊達政宗によって築かれた伊達氏の居城跡です。建設地の青葉山はかつて霊場のあった場所で、そこに自然地形を活かし、高い石垣をもつ城郭を築きました。 関ヶ原の戦い直後の慶長5年(1600年)12月に城の縄張りが行われ、翌年1月から普請に着手。 工事は慶長7年(1602年)には一応の完成をみたとされています。二の丸は2代藩主忠宗によって造営され、以降藩政の中心となりました。」



<仙台城本丸大広間跡>




<懸造跡>



<昭魂碑>
佐賀の乱、西南戦争、日清戦争などに従軍した戦没者に対する慰霊顕彰碑として、明治35(1902)年11月に昭忠会により建立されました。


<伊達政宗公騎馬像>
福島県沖地震により損傷し、令和5(2023)年3月末完了予定で修復中です。修復完了まで、騎馬像を写したグラフィック幕で代替されています。修復先から戻ってきたようです。


(説明掲示)
「令和4年3月16日に発生した福島県沖を震源とする地震により、騎馬像が傾くなどの被害が発生したため、現在、修復作業を行っております。」


<土井晩翠先生像>



(説明板)
「土井晩翠
晩翠は本名を林吉といい明治四年(一八七一年)仙台市北鍛冶町の質商土井七郎兵衛の長男として生まれた。
明治十一年、培根小学校(今の木町小学校)に入り、のち立町小学校に転校、仙台英語学校、旧制第二高等学校を経て明治三十年東京帝国大学英文科を卒業、明治三十三年母校二高の教授として帰仙した。
その間、三十一年に不朽の名作「荒城の月」を作詩発表、続いて第一詩集「天地有情」を処女出版した。島崎藤村の「若葉集」におくれること二年の明治三十二年、晩翠の二十八才から二十九才にかけての頃であった。
のち六つの詩集や数多くの随筆など出版した。
昭和二十二年日本芸術院会員、二十四年仙台市名誉市民に推され翌二十五年、文化勲章を受章され昭和二十七年十月十九日、仙台市本荒町の晩翠草堂で情熱の詩人としての八十一年の生涯を閉じられた。
この碑は昭和二十七年、晩翠会等によって建てられたものです。」

<荒城の月歌碑>
「荒城の月
春高楼の花の宴 めぐる盃影さして
千代の松が枝わけいでし むかしの光いまいづこ
秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて
植うるつるぎに照りそひし 昔のひかりいまいづこ
今荒城の夜半の月 変わらぬ光たがためぞ
垣に残るはただかづら 松に歌ふは唯あらし
天上影は変わらねど 栄枯は移る世のすがた
写さんとてか今もなほ ああ荒城の夜半の月
晩翠」



「土井晩翠肖像」(「近代日本人の肖像」国立国会図書館)
明治4年10月23日〜昭和27年10月19日(1871年12月5日〜1952年10月19日)



(参考)
国際子ども図書館の前庭に「小泉八雲記念碑」があります。結核のため23歳で亡くなった土井晩翠の長男土井英一は小泉八雲を景仰しており、その遺言に基づき、父の土井晩翠が昭和10(1935)年に帝国図書館前庭に建てました。


○宮城縣護國神社 仙台市青葉区川内1番地 HP
宮城縣護國神社は、明治37(1904)年に仙台城本丸城址に創建された神社です。



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