神田ふれあい橋(神田川)
○神田ふれあい橋 千代田区神田須田町二丁目(右岸)〜神田佐久間町一丁目(左岸)
東北・上越新幹線の東京駅乗り入れ工事の鉄橋工事用の橋が、地元の要望により工事完了後も撤去せず、平成元(1989)年4月から人道橋として供用されています。幅員が2.5メートルしかないので、並んで歩けない幅です。
神田須田町側


神田佐久間町側

橋名板

柳森神社から神田ふれあい橋

神田ふれあい橋橋上

神田川上流(万世橋)

神田川下流(和泉橋)

神田川下流右岸(柳森神社)

神田ふれあい橋の位置

<欄干>
橋の中央に設けられた2ヶ所のバルコニーの欄干には、「柳のレリーフ」(橋灯がじゃまで見えにくい)、「江戸名所図会 柳原堤」からの抜粋と、文化3(1806)年の柳原の地図のレリーフがはめられています。 「江戸名所図会柳原堤」からの抜粋には、柳森稲荷や、道行く様々な職業の人々、神田川を行く舟が掲示されています。


「柳のレリーフ」
太田道灌が柳原に植えたとされる柳のレリーフが掲げられています。

「江戸名所図会 柳原堤」
「江戸名所図会柳原堤」からの抜粋で、「柳森稲荷」、道行く様々な職業の人々と神田川の舟が掲示されています。



「江戸名所図会 柳原堤」(国立国会図書館蔵)
欄干に掲示されている図会の抜粋です。





「江戸の地図」
文化3(1806)年の地図が掲示されています。神田川右岸の柳原堤の抜粋です。

地図が横向きに掲示されているので、元の形に回転して抜粋したものです。「筋違門」「和泉橋」や、小菅へ移転前の「籾蔵」が見えます。

<街灯>
神田川右岸の神田ふれあい橋入口の銘板「神田ふれあい橋 Kanda Fureai Bashi」の街灯です。


<柳原通り/神田ふれあい通り>
神田ふれあい橋の南側の歩道に「柳原通り」「神田ふれあい通り」のプレートがあります。神田ふれあい通りは、神田ふれあい橋から神田駅へと、高架沿いに続く道です。

東北・上越新幹線の東京駅乗り入れ工事の鉄橋工事用の橋が、地元の要望により工事完了後も撤去せず、平成元(1989)年4月から人道橋として供用されています。幅員が2.5メートルしかないので、並んで歩けない幅です。
神田須田町側


神田佐久間町側

橋名板

柳森神社から神田ふれあい橋

神田ふれあい橋橋上

神田川上流(万世橋)

神田川下流(和泉橋)

神田川下流右岸(柳森神社)

神田ふれあい橋の位置

<欄干>
橋の中央に設けられた2ヶ所のバルコニーの欄干には、「柳のレリーフ」(橋灯がじゃまで見えにくい)、「江戸名所図会 柳原堤」からの抜粋と、文化3(1806)年の柳原の地図のレリーフがはめられています。 「江戸名所図会柳原堤」からの抜粋には、柳森稲荷や、道行く様々な職業の人々、神田川を行く舟が掲示されています。


「柳のレリーフ」
太田道灌が柳原に植えたとされる柳のレリーフが掲げられています。

「江戸名所図会 柳原堤」
「江戸名所図会柳原堤」からの抜粋で、「柳森稲荷」、道行く様々な職業の人々と神田川の舟が掲示されています。



「江戸名所図会 柳原堤」(国立国会図書館蔵)
欄干に掲示されている図会の抜粋です。





「江戸の地図」
文化3(1806)年の地図が掲示されています。神田川右岸の柳原堤の抜粋です。

地図が横向きに掲示されているので、元の形に回転して抜粋したものです。「筋違門」「和泉橋」や、小菅へ移転前の「籾蔵」が見えます。

<街灯>
神田川右岸の神田ふれあい橋入口の銘板「神田ふれあい橋 Kanda Fureai Bashi」の街灯です。


<柳原通り/神田ふれあい通り>
神田ふれあい橋の南側の歩道に「柳原通り」「神田ふれあい通り」のプレートがあります。神田ふれあい通りは、神田ふれあい橋から神田駅へと、高架沿いに続く道です。


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テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
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