勝専寺(赤門寺)(千住)

○三宮神山大鷲院勝専寺(赤門寺) 足立区千住2-11

 朱塗りの山門から、別名「赤門寺」と呼ばれています。 寺宝の木造千手観音立像(非公開)は、千住の地名起源の一つとされています。
 徳川将軍家の御殿(御旅所)が造営され、徳川家忠・家光・家綱の利用があり、また日光門主等の本陣御用も務め、千住宿の拠点の一つでした。
 勝専寺の院号「大鷲院」が示すように、大鷲大明神が本堂内に安置されています(非公開)。江戸時代には花畑大鷲神社が本酉・上酉、勝専寺が中酉、浅草鷲神社が新酉・下酉と称され賑わいました。 勝専寺では閻魔詣で賑わうようになり、酉の市は明治期に廃されました。
 ※浅草鷲神社のHPから以下引用です。
「現在の足立区花畑の大鷲神社を「上酉」、千住にある勝専寺を「中酉」、浅草の鷲神社を「下酉」と称しており、江戸時代から続いていた酉の市はこの3カ所でしたが、明治時代になり千住・勝専寺の酉の市が閉鎖され、花畑の大鷲神社と浅草の鷲神社とが唯一江戸時代から続く酉の市となりました。」


<赤門寺のボロ市>

 勝専寺は、ボロ市でも有名で、かつて参勤交代の大名や旅人が江戸入りする千住で正装に着替え、捨てられた衣服や足袋が洗って売られたのがはじまりといわれます。
 ボロ市は、二七の市といって二と七のつく日に行われていました。

 「ボロ市 昭和37(1962)年」(足立区立郷土博物館蔵)
  赤門の右手に石屋が見えます。
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 「ボロ市 昭和42(1967)年12月、同」(足立区立郷土博物館蔵)
  鐘楼下の境内ですね。
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<千住駅御殿地勝専寺>

「御由緒書 千住駅御殿地勝専寺」(文政7(1824)年9月 足立区立郷土博物館蔵)
 幕府鷹場の鳥見役に提出された勝専寺の由緒書の控です。徳川家光の来訪や、徳川家綱の将軍家御殿造営など将軍家にまつわる来歴や、検地、鷲大明神の由緒などを合わせ記されています。
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「江戸御成筋色分之図」(足立区立郷土博物館蔵)
 将軍家が御成で出かける範囲を示した絵図から、千住部分の抜粋(上が南)です。「千住町」と「掃部宿」の間に「御殿地」が見えます。
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<赤門>

 赤門が開くのは、地獄の釜の蓋が開くとされ地獄が「休日」の1月と7月の15・16日だけ開けられます。
 左の寺号標「浄土宗 勝専寺」と右の「南無阿弥陀仏」には、「知恩院門跡量誉」とあります。知恩院門跡量誉とは、知恩院八十三世門跡岸信宏(明治22(1889)年〜昭和54(1979)年)です。

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 「三宮神山」の扁額は、明治12(1879)年の明治天皇の勝専寺御巡幸を記念して掲額されたもので、足立区文化財です。

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 赤門向かって右側の黒扉は開きます。境内にいたらそこから入ってくる方がおられました。

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<赤門前石屋> 足立区千住2-35

 赤門前に明治26(1895)年創業の坂本石材があります。大橋公園にある「おくのほそ道矢立て初めの碑」や千住神社の回る恵比寿様は坂本石材が仕立てたものです。

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<赤煉瓦>

 外塀は赤煉瓦貼りで明治時代の造営です。かつて荒川(現在の隅田川)周辺など足立区には多くの煉瓦工場があり、千住地域にも煉瓦が多く使われました。

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 電信柱には「赤門支」とあります。

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(説明板)
「三宮神山大鷲院勝専寺
 「赤門寺」という通称で親しまれている浄土宗寺院で京都知恩院を本山とする。寺伝では文応元年(一ニ六○年)勝蓮社専阿上人を開山、新井政勝を開基とし草創されたという。
 江戸時代に日光道中が整備されると、ここに徳川家の御殿が造営され、徳川家忠・家光・家綱らの利用があった。また日光門主等の本陣御用を務めた記録も見られ、千住宿の拠点の一つであったことが知られる。
 加えて当寺は、千住の歴史や文化に深くかかわる多くの登録文化財を今に伝えている。木造千手観音立像は千住の地名起源の一つとされ開基新井政勝の父正次が荒川から引き上げたという伝承を持つ。
 ほかに一月と七月の十五・十六日の閻魔詣で知られる寛政元年(一七八九年)の木像閻魔大王坐像、巻菱潭の筆による明治十ニ年(一八七九年)の扁額「三宮神山」を山門に掲げるほか、千住の商人高橋繁右衛門の冑付具足を伝来している。いずれも足立区登録文化財となっている。
  平成十三年十月  足立区教育委員会」

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<南門>

 赤門脇の黒扉から中へ入れますが、知らなかったので南門から入ります。門には葵紋です。

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<二宮尊徳像>

 南門入ってすぐ右手に「二宮尊徳像」がおられます。これほど童顔の二宮尊徳像は初めて見ました。

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<木遣顕彰之碑>

 南門入ってすぐ左手に「木遣顕彰之碑」があります。平成16(2004)年3月28日日の建立です。「木遣顕彰之碑」「第十一區」とあります。

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<出店中石燈籠>

 「出店中」と刻まれた石燈籠があります。

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<石祠/南無阿弥陀仏>

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<鐘楼>

 当初安永4(1775)年に建設された鐘楼は、明治に入って破損し明治24(1891)年に再建されています。銅鐘は戦時中の金属供出で失われたため、昭和34(1959)年に再鋳されています。

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 北側の側壁に碑文がはめ込まれています。題字「鐘楼建築記念碑 金玉均」は日本亡命中の朝鮮国の政治家金玉均による揮毫です。

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碑文に「明治廿四年四月」とあります。
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<閻魔大王堂>

 寛政元(1789)年に開眼された木造閻魔王坐像(足立区文化財)が安置され、毎年1月15・16日、7月15・16日に開帳され、縁日で賑わいます。閻魔大王だけで奪衣婆はいません。

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<宗歌 月影 法然上人御詠>

(碑文)
「宗歌 月影 法然上人御詠
 月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ
 満月が空に昇りました。月の光はどこもかしこも照らしています。しかし家の中にいたり、外に出ていても空を見上げてみない人には月が出ている事すら分かりません。一方、今宵は満月だと気付き、空を仰ぎ見た人には、心の中にまで美しい月の光が差し込み照らしてくれるのです。
 阿弥陀様の救いのみ光も、誰にも平等に照らして下さっているが、そのありがたさに気付き、心から南無阿弥陀仏と称える人にしかわからない。気づいたときには阿弥陀様は私たちの心の中にいつもいてくださるようになる。」

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<馬頭観世音堂/六地蔵>

 「新編武蔵風土記稿」によると、勝専寺境内には構堀があり、御馬屋堀と呼ばれていました。将軍家光が馬の足もとを洗ったと伝えられています。その傍に、馬頭観音像が建てられました。

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<本堂>

 明治39(1906)年の建立です。コンクリート造・レンガ張り建築です。
 荒川から引き上げられ、千住の地名の由来になったといわれる木造千手観音立像(足立区文化財・非公開)が安置されています。鷲大明神(非公開)も本堂に祀られています。

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<寺務所>

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