普門院(伊藤左千夫の歌碑と墓)

○普門院 江東区亀戸3-43-3

「江戸名所図会 普門院」

 江戸名所図会に普門院は描かれています。挿絵にある「御腰掛松」は現在はありません。

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「絵本江戸土産 普門院境内御腰掛の松」(広重)

 御腰掛の松は柵囲いされています。

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「江戸切絵図」

 亀戸天満宮と比べると大きな寺院です。

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<老松の略頌>
 
 三代将軍家光が慶安2年8月24日に訪れ、腰かけた「御腰掛松」の由緒を記した石碑「老松の略頌」があります。明治45年銘です。明治43年の大洪水で枯れ、2世の松を植えたようですが見当たりません。
 他、九代将軍家重が、宝暦3年10月29日に訪れています(東京近郊名所図会(明治43年)に記載)。

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<江東みちしるべ「普門院」>

(説明板)
「江東みちしるべ
 普門院 (開運毘沙門天)
 由来
 普門院は真言宗の名刹で、福聚山善應寺と号します。大永2年(1522)三股(隅田川・荒川・綾瀬川が落ち合うあたり、現・足立区千住)城中に創建され、元和2年(1616)に現在地に移りました。その時、過って梵鐘を隅田川に沈め、鐘ヶ淵(墨田区)の地名の由来になったといわれています。
 江戸時代の地誌『絵本江戸土産』には、将軍が鷹狩の際に立ち寄り腰を掛けた御腰掛の松が描かれています。
 亀戸七福神のひとつ(毘沙門天)として親しまれています。」

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<山門>

 寺号標は「福聚山 普門院」。

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<札所碑> 江東区文化財

 四国八十八カ所の第四十番、江戸三十三番順礼所の第三十番です。

「四國八十八箇所〜
 江戸三十三番順禮所〜」

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「南無遍照金剛」「宝暦九年十月吉日 亀戸普門院」

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 「施主 日本橋 藤木店喜八」

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<大島伯鶴の歌碑>

 山門脇に、標柱「大島伯鶴之墓」と「大島伯鶴の歌碑」があります。歌碑は平成9年5月建立と新しい碑です。
 「辞世の句 伯鶴は永々嘘をつきました いずれあの世で 舌は無いもの」
 なお標柱掲示の墓は墓地にあります。

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<標柱「伊藤左千夫墓」>

 普門院の入り口入ってすぐ左に江東区標柱「伊藤左千夫墓」があります。

(標柱文)
「伊藤左千夫墓
 左千夫は元治元年千葉県に生れ今の墨田区錦糸町駅附近で牛乳搾取業を営むかたわら歌道茶道をたしなみ正岡子規の門人となりアララギ派の歌人として知られ小説歌論にも著作を残したが晩年は大島町六丁目に住し大正二年七月三十日五十歳にて死去し普門院に葬られた
  昭和三十三年十月一日  江東区第十六号」

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<石造宝篋印塔> 江東区文化財

 石造宝篋印塔(天明8(1788)年銘)でしょうか、山門右手の雑木の中に建っています。江戸名所図会に描かれている場所から移設されているようです。

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<持経観音菩薩像>

 参道左手に持経観音があります。昭和53(1978)年11月の造立です。

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<毘沙門堂>

 亀戸七福神の毘沙門天を祀っています。

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【参道右手】

<徳本講碑> 江東区文化財

 明治9年銘。

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<句碑>

 「東京近郊名所図会」(明治43年)に解説がありました。

 「散ときのそのやかりは櫻かな
  来た道へたつね當りし花野かな」
 「他に二句を記す。蓋し四季の詠なり。其の名を逸す。」

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<生徳崇慕碑>

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<その他>

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【墓地手前右手石碑群】

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<水盤> 江東区文化財

 元文4(1739)年銘の水盤です。

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<五輪塔>

 寛文3(1663)年銘の五輪塔です。寛永2(1625)年銘の江東区文化財の五輪塔が別にあるようですがわかりませんでした。

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<地蔵供養塔寛文3年在銘> 江東区文化財

 寛文3(1663)年銘の地蔵供養塔です。

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<地蔵逆修供養塔> 江東区文化財

 寛文3(1663)年銘の地蔵逆修供養塔です。

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<庚申塔>

 庚申塔は、寛文8(1668)年銘です。下部正面、左右面に三猿が一体ずつ刻されています。三面に三猿が分かれて刻されているのは初めて見ました。

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<不詳の石碑>

 漢文で刻まれていますが、破損激しくよくわかりません。

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<戦災殉難者供養之碑>

 区画整理で、亀戸駅前からの移設です。

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 脇に日露戦争の個人のお墓が複数あります。

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<無縁墓>

 無縁墓が墓地ではなく、戦災殉難者供養之碑の脇にあります。

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【本堂前】

<松本魯山歌碑> 江東区文化財

 寺務所入口左手に「松本魯山歌碑」と、歌碑背面の説明碑(昭和55年)があります。歌碑背面には、漢文で魯山の事跡と建立年月日が刻まれています。説明碑によると、元文4(1739)年の建碑とのこと。
 歌碑は素養なく読めませんが、「東京近郊名所図会」(明治43年)の解説によると以下刻まれているとのこと。

 「陽月六日岡氏宅にて即題 落葉
   液雨(しぐれ)そと聞きしもあやなまきの戸を
   たたく落葉の音寒き夜は 元房」

<江東区HP解説>
「松本魯山歌碑
 松本魯山は、延宝8年(1680)に亀戸で生まれ、歌人・書家などとして活躍しました。門人は数千人に及んだといいます。本名は元房、通称は半右衛門で、魯山と号しました。江戸小田原町(現在の中央区)で暮らしていましたが、元文元年(1736)に大坂へ移って医術を生業としました。大坂では大岡幸得と称し、後に卜仙と号しました。元文3年10月16日、59歳で京都にて亡くなりました。
 本碑は死後に江戸の門人たちが魯山の出身地を探し出して建立したものです。歌碑の背面には、漢文で魯山の事績と建立年月日(「元文己未正月甲戌日」=元文4年1月27日)が刻まれています。」

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<伊藤左千夫歌碑>

 普門院の住職が、成東町(現:山武市)から伊藤左千夫の縁者から得た拓本により、昭和59(1984)年、左千夫の命日の7月30日に建碑されています。左千夫の真筆です。
 「牛飼がうたよむ時に世の中のあらたしき歌おほいに起る 左千夫」

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 牛霊塔が脇にあります。

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<寺務所>

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<本堂>

 本堂の扁額は「福聚山」。

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<墓地入口>

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<伊藤左千夫の墓> 江東区史跡

 墓地に入って右に折れると、案内柱があります。

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 墓石「伊藤左千夫之墓」は、中村不折の筆です。裏には没年が大きく刻まれています。

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