蘇羽鷹神社(松戸市二ツ木)
○蘇羽鷹神社 松戸市二ツ木1732
蘇羽鷹(そばたか)神社は千葉氏の守護神として創建されました。国道6号線沿にあります。
<外観/手水舎/狛犬/拝殿・本殿>








<出羽三山供養塔>
「月山湯殿山羽黒山 坂東西國秩父 百番供養塔」
天保十一(1840)年四月、岡椿舎一友によって建立。右側面に造立趣旨が刻まれています。







<松尾芭蕉>
左側面に、芭蕉の句が刻まれています。
「松杉をほめてや風のかをる音 はせを」「岡椿舎一友建之」


<一友の句碑>
出羽三山供養塔を建てた、岡椿舎一友の句碑があります。
「棟上や餅も鏡もけふの月 岡椿舎一友」


【参道右】
石祠が並んでいます。

<姫宮>
千葉氏の小松姫祀る姫宮です。2つの松の根のコブが祀られています。

<忠魂碑>
大東亜戦争の忠魂碑で、昭和32年9月の建立。隣は日露戦争の個人の墓。


<小祠>


<庚申塔>

<大山阿夫利大神/富士嶽神社>



<大椙大神>

<庚申板碑>
元禄11(1698)年の板碑型庚申塔があります。

<成田山道標/成田山>
「成田山 十三里」文久三(1863)年。道標です。右隣に成田山石塔。


【参道左】
<力石>


<庚申堂>


<疱瘡神>

<庚申塔群>
庚申堂の後方にも、多くの庚申塔が祀られています。









【参道奥】
参道奥には、新築記念の碑、稲荷神社、公園(旧社殿跡・縄文時代前期遺跡「二ツ木向台遺跡」)があります。
<蘇羽鷹神社新築記念>
(碑文)
「蘇羽鷹神社新築記念
蘇羽鷹御神霊新社殿竣工を祝して
当社蘇羽鷹大明神は、中世の豪族千葉氏一族の守護神である 鎌倉大草紙 には千葉頼胤が小金に在った頃 萬満寺の前身大日寺を馬橋に開基したとある 以上の事柄から当地二ツ木台には千葉頼胤の居館があったと謂われる。当社が下総国の中世史を播く上で極めて重要な史跡と謂われる所以もそうした所にある
尤も当社の創立を明活十二年神名帳に見ると古老談として天正四年九月十九日とある 此れは今日残る万治元年宝暦七年及び焼失した文政十一年各棟札に鑑み該年が社伝再建の時期ともなる所からそれが創建伝承となったものであろう。
近世以降氏子一般の当社に対する崇敬は先の棟札境内石造物群等に知れる所であるが隣接三日月馬橋にも熱心な氏子の有った事を記しておきたい
特に昭和五十一年四月三十日夜当社は不審火により祝融の災いを受けた 然し此れを契機として氏子一般の蘇羽鷹神社への尊崇の念は従来に増して強くなり今日の立派な成果として具現した また旧社殿跡の縄文時代早期遺跡は関係者の努力で公園化に成功し保存の処置が講ぜられた
尽きない喜びの中で迎えた我等が鎮守の新社殿竣功に際し氏子一同此れも又御神威のなせる技と信じ只管御祝詞申上げ蘇羽鷹御心霊の安らかく栄えあらんことを併せて末永く不変の御神徳を遍く垂れさせ給えと心から祈るものである(以下略)」

<三峯・阿夫利・稲荷>
稲荷がメインのようです。

蘇羽鷹(そばたか)神社は千葉氏の守護神として創建されました。国道6号線沿にあります。
<外観/手水舎/狛犬/拝殿・本殿>








<出羽三山供養塔>
「月山湯殿山羽黒山 坂東西國秩父 百番供養塔」
天保十一(1840)年四月、岡椿舎一友によって建立。右側面に造立趣旨が刻まれています。







<松尾芭蕉>
左側面に、芭蕉の句が刻まれています。
「松杉をほめてや風のかをる音 はせを」「岡椿舎一友建之」


<一友の句碑>
出羽三山供養塔を建てた、岡椿舎一友の句碑があります。
「棟上や餅も鏡もけふの月 岡椿舎一友」


【参道右】
石祠が並んでいます。

<姫宮>
千葉氏の小松姫祀る姫宮です。2つの松の根のコブが祀られています。

<忠魂碑>
大東亜戦争の忠魂碑で、昭和32年9月の建立。隣は日露戦争の個人の墓。


<小祠>


<庚申塔>

<大山阿夫利大神/富士嶽神社>



<大椙大神>

<庚申板碑>
元禄11(1698)年の板碑型庚申塔があります。

<成田山道標/成田山>
「成田山 十三里」文久三(1863)年。道標です。右隣に成田山石塔。


【参道左】
<力石>


<庚申堂>


<疱瘡神>

<庚申塔群>
庚申堂の後方にも、多くの庚申塔が祀られています。









【参道奥】
参道奥には、新築記念の碑、稲荷神社、公園(旧社殿跡・縄文時代前期遺跡「二ツ木向台遺跡」)があります。
<蘇羽鷹神社新築記念>
(碑文)
「蘇羽鷹神社新築記念
蘇羽鷹御神霊新社殿竣工を祝して
当社蘇羽鷹大明神は、中世の豪族千葉氏一族の守護神である 鎌倉大草紙 には千葉頼胤が小金に在った頃 萬満寺の前身大日寺を馬橋に開基したとある 以上の事柄から当地二ツ木台には千葉頼胤の居館があったと謂われる。当社が下総国の中世史を播く上で極めて重要な史跡と謂われる所以もそうした所にある
尤も当社の創立を明活十二年神名帳に見ると古老談として天正四年九月十九日とある 此れは今日残る万治元年宝暦七年及び焼失した文政十一年各棟札に鑑み該年が社伝再建の時期ともなる所からそれが創建伝承となったものであろう。
近世以降氏子一般の当社に対する崇敬は先の棟札境内石造物群等に知れる所であるが隣接三日月馬橋にも熱心な氏子の有った事を記しておきたい
特に昭和五十一年四月三十日夜当社は不審火により祝融の災いを受けた 然し此れを契機として氏子一般の蘇羽鷹神社への尊崇の念は従来に増して強くなり今日の立派な成果として具現した また旧社殿跡の縄文時代早期遺跡は関係者の努力で公園化に成功し保存の処置が講ぜられた
尽きない喜びの中で迎えた我等が鎮守の新社殿竣功に際し氏子一同此れも又御神威のなせる技と信じ只管御祝詞申上げ蘇羽鷹御心霊の安らかく栄えあらんことを併せて末永く不変の御神徳を遍く垂れさせ給えと心から祈るものである(以下略)」

<三峯・阿夫利・稲荷>
稲荷がメインのようです。


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