旧万世橋駅 万世橋 萬代橋
○旧万世橋駅 千代田区神田須田町1-25-4(マーチエキュート神田万世橋内) HP
交通博物館が2006年5月14日に閉館。旧万世橋駅の遺構は、プラットホームが展望デッキ「2013プラットホーム」として開放され、ホームに上がるふたつの階段も、公開されています。
<2013プラットホーム>
万世橋駅の開業時(明治45年)に作られたホームです。両脇を中央線が行き交います。駅ではないので、通過していく列車は迫力あります。


<旧万世橋駅ホーム上屋基礎>
(説明板)
「旧万世橋駅 プラットホーム上屋基礎
2013プラットホームの工事の際、旧万世橋駅ホーム土中から、古レールを転用して作られたプラットホーム上屋基礎が発見されました。
その一部を保存し、ここに展示しています。 旧万世橋駅」



<1912階段>
万世橋駅開業当時に作られた階段です。

(説明板)
「旧万世橋駅 1912階段
1912(明治45)年4月、万世橋駅開業時に作られた階段で、鉄道博物館(後の交通博物館)開館から1943(昭和18)年の駅休止までは、ホームから直接入館できる特別来館口でした。
階段は花崗岩や稲田石を削りだした重厚なものですが、踊り場は当時の新素材であるコンクリートが使われ、壁面のタイルも、覆輪目地(ふくりんめじ)という高級な施工がされているのも特徴
です。 旧万世橋駅」

<1935階段>
鉄道博物館の建設に伴い1935(昭和10)年に増設された階段です。





○万世橋 千代田区外神田〜千代田区神田須田町
<現在の万世橋>
最初は明治17(1884)年に架けられた木橋で「昌平橋」と呼ばれ、その後、「新万世橋」→「万世橋」と名称を変えました。
明治36(1903)年に鉄橋に改架、関東大震災で被害を受け、昭和5(1930)年に帝都復興事業で架け替えられました。



橋名板「萬世橋」「昭和五年三月完成」


汽車と燈籠


神田川下流

神田川上流


(説明板)
「万世橋
現在の万世橋と昌平橋の間に江戸城の見附の一つである筋違門がありました。1872年(明治5年)に門が撤去されその石材を用いて架けられたのが萬代橋(萬世橋)です。石造アーチの形状は眼鏡橋と通称され、東京名所として錦絵などにも描かれました。
1903年(明治36年)、現在の位地に新たに万世橋が架橋された後、石造の萬世橋は1906年に撤去されました。現在の橋は関東大震災後の1930年(昭和5年)に架けられました。甲武鉄道(後の中央線)のターミナル駅として万世橋駅が1912年(明治45年)に開業すると、橋の周辺は交通の要衝としてたいへんな賑わいを見せました。」




<震災復興と万世橋>
(説明板)
「震災復興と万世橋
明治5年(1872)に筋違見附が取り壊され、翌年にその石材を再利用して、筋違橋の場所にアーチ二連の石造りの橋が完成した。この橋は、当時の東京府知事大久保忠寛が萬世橋(よろずよばし)と命名したが、次第に「まんせいばし」という音読みの方が一般化した。さらに明治29年(1896)に萬世橋東側に木橋を架けて馬車鉄道が開通する。
明治36年(1903)に現在の位置に新しい万世橋が架け直され、元万世橋と名を変えた上流の眼鏡橋の方は、後に撤去された。この新しい万世橋は、路面電車が走るなど東京の名所となったが、大正12年(1923)の関東大震災で被災し、昭和5年(1930)に長さ26m、幅36m、石及びコンクリート混成のアーチ橋に架け替えられた。
現在神田川に架けられている橋の多くは、震災復興橋梁と呼ばれる大正末年から昭和初期に架けられたもので、各橋は地域性を踏まえたデザインで造られたという。トラスドアーチ橋の聖橋、鋼ラーメンゲルバー桁橋の御茶ノ水橋、ヒンジアーチ橋の和泉橋と美倉橋など、神田川にある震災復興橋梁は、様々な構造で造られ、親柱や欄干のデザインに特徴を見出すことができる。」

○萬代橋(萬世橋、よろずよばし)
明治5(1872)年、筋違橋門が取り壊され、桝形石垣を利用して、
明治6(1873)年、門の跡に東京最初の石橋(石造二連アーチ)の萬代橋(よろずよばし→万世橋→元万世橋と変遷)が架橋されました。
明治36(1903)年、新万世橋が鉄橋に改架され、
明治39(1906)年、元万世橋は撤去されました。
<橋名を刻んだ親柱>
親柱が神田神社の境内に保存されています。


「東京神田萬世橋賑之圖」(昇齋一景 明治7(1874)年)
新しくできた石橋は賑わったようです。

「東京名所図会 筋違万代橋」(三代広重)
新しくできた石橋は名所となったようです。

「東京開化三十六景 旧聖堂より萬世橋を見る」(三代広重)
新しくできた石橋は東京開化三十六景として描かれています。

「萬代橋朝日出」(小林清親 明治13(1880)年)
神田川の西から、萬代橋と税務局が描かれています。
日の出の空は、奥の赤味から明るくなってきています。雲が黄色く輝いています。

「萬代橋雨ノ景」(井上安治)

「東京名所帖 萬世橋」(井上探景(安治))
石橋の上を路面電車が走っています。

交通博物館が2006年5月14日に閉館。旧万世橋駅の遺構は、プラットホームが展望デッキ「2013プラットホーム」として開放され、ホームに上がるふたつの階段も、公開されています。
<2013プラットホーム>
万世橋駅の開業時(明治45年)に作られたホームです。両脇を中央線が行き交います。駅ではないので、通過していく列車は迫力あります。


<旧万世橋駅ホーム上屋基礎>
(説明板)
「旧万世橋駅 プラットホーム上屋基礎
2013プラットホームの工事の際、旧万世橋駅ホーム土中から、古レールを転用して作られたプラットホーム上屋基礎が発見されました。
その一部を保存し、ここに展示しています。 旧万世橋駅」



<1912階段>
万世橋駅開業当時に作られた階段です。

(説明板)
「旧万世橋駅 1912階段
1912(明治45)年4月、万世橋駅開業時に作られた階段で、鉄道博物館(後の交通博物館)開館から1943(昭和18)年の駅休止までは、ホームから直接入館できる特別来館口でした。
階段は花崗岩や稲田石を削りだした重厚なものですが、踊り場は当時の新素材であるコンクリートが使われ、壁面のタイルも、覆輪目地(ふくりんめじ)という高級な施工がされているのも特徴
です。 旧万世橋駅」

<1935階段>
鉄道博物館の建設に伴い1935(昭和10)年に増設された階段です。





○万世橋 千代田区外神田〜千代田区神田須田町
<現在の万世橋>
最初は明治17(1884)年に架けられた木橋で「昌平橋」と呼ばれ、その後、「新万世橋」→「万世橋」と名称を変えました。
明治36(1903)年に鉄橋に改架、関東大震災で被害を受け、昭和5(1930)年に帝都復興事業で架け替えられました。



橋名板「萬世橋」「昭和五年三月完成」


汽車と燈籠


神田川下流

神田川上流


(説明板)
「万世橋
現在の万世橋と昌平橋の間に江戸城の見附の一つである筋違門がありました。1872年(明治5年)に門が撤去されその石材を用いて架けられたのが萬代橋(萬世橋)です。石造アーチの形状は眼鏡橋と通称され、東京名所として錦絵などにも描かれました。
1903年(明治36年)、現在の位地に新たに万世橋が架橋された後、石造の萬世橋は1906年に撤去されました。現在の橋は関東大震災後の1930年(昭和5年)に架けられました。甲武鉄道(後の中央線)のターミナル駅として万世橋駅が1912年(明治45年)に開業すると、橋の周辺は交通の要衝としてたいへんな賑わいを見せました。」




<震災復興と万世橋>
(説明板)
「震災復興と万世橋
明治5年(1872)に筋違見附が取り壊され、翌年にその石材を再利用して、筋違橋の場所にアーチ二連の石造りの橋が完成した。この橋は、当時の東京府知事大久保忠寛が萬世橋(よろずよばし)と命名したが、次第に「まんせいばし」という音読みの方が一般化した。さらに明治29年(1896)に萬世橋東側に木橋を架けて馬車鉄道が開通する。
明治36年(1903)に現在の位置に新しい万世橋が架け直され、元万世橋と名を変えた上流の眼鏡橋の方は、後に撤去された。この新しい万世橋は、路面電車が走るなど東京の名所となったが、大正12年(1923)の関東大震災で被災し、昭和5年(1930)に長さ26m、幅36m、石及びコンクリート混成のアーチ橋に架け替えられた。
現在神田川に架けられている橋の多くは、震災復興橋梁と呼ばれる大正末年から昭和初期に架けられたもので、各橋は地域性を踏まえたデザインで造られたという。トラスドアーチ橋の聖橋、鋼ラーメンゲルバー桁橋の御茶ノ水橋、ヒンジアーチ橋の和泉橋と美倉橋など、神田川にある震災復興橋梁は、様々な構造で造られ、親柱や欄干のデザインに特徴を見出すことができる。」

○萬代橋(萬世橋、よろずよばし)
明治5(1872)年、筋違橋門が取り壊され、桝形石垣を利用して、
明治6(1873)年、門の跡に東京最初の石橋(石造二連アーチ)の萬代橋(よろずよばし→万世橋→元万世橋と変遷)が架橋されました。
明治36(1903)年、新万世橋が鉄橋に改架され、
明治39(1906)年、元万世橋は撤去されました。
<橋名を刻んだ親柱>
親柱が神田神社の境内に保存されています。


「東京神田萬世橋賑之圖」(昇齋一景 明治7(1874)年)
新しくできた石橋は賑わったようです。

「東京名所図会 筋違万代橋」(三代広重)
新しくできた石橋は名所となったようです。

「東京開化三十六景 旧聖堂より萬世橋を見る」(三代広重)
新しくできた石橋は東京開化三十六景として描かれています。

「萬代橋朝日出」(小林清親 明治13(1880)年)
神田川の西から、萬代橋と税務局が描かれています。
日の出の空は、奥の赤味から明るくなってきています。雲が黄色く輝いています。

「萬代橋雨ノ景」(井上安治)

「東京名所帖 萬世橋」(井上探景(安治))
石橋の上を路面電車が走っています。

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