砂尾堤

○砂尾堤

<江戸絵図>

 砂尾堤と川筋が日光街道の東から総泉寺まで続いています。

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 砂尾堤北端に、「三王権現」「福壽院」が見えます。

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<明治20年代の砂尾堤>

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<砂尾堤と砂尾長者>

 砂尾堤北端、山王清兵衛祠の東に、説明板「砂尾堤と砂尾長者」があります。

(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
 砂尾堤と砂尾長者
 南千住七丁目二十番地付近から現在の隅田川に沿って台東区今戸に向かう道は、土手になっていて砂尾堤と呼ばれた。中世の石浜に砂尾長者とよばれる土豪が住み、この地を領していたことに因むという。石浜の地は古代から武蔵国(東京都・埼玉県・神奈川県東部)と下総国(千葉県北部・茨城県南部・東京都東部)をつなぐ交通の要地であり、砂尾長者は、十五世紀半ば千葉氏が内紛により下総国を逃れ石浜に入った後、家臣としてこの地に住んだといわれる。台東区橋場にある砂尾不動院の開基とも、中興ともいわれる人物である。
 この一帯は昔から広範囲にわたりしばしば水害に見舞われた。汐入堤とも呼ばれたこの堤近くには昭和初期まで、砂尾・堤根という字が残っていた。
  荒川区教育委員会」

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<砂尾堤跡>

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○山王清兵衛祠 荒川区南千住7-23-10

 日枝神社の参道口(旧砂尾堤土手北端)に、歯神清兵衛を祀った小さな祠があります。虫歯の痛みに耐えかねてこの地で切腹した藩士・清兵衛を祀っています。

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<地蔵>

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<手水鉢>

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<板碑型庚申塔> 荒川区登録文化財

 祠の横に板碑型庚申塔があります。祠の正面からは木の陰で見えず、祠の横から見えます、裏から見えます。
 寛文9(1669)年の造立。荒川区登録文化財です。

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 正面右「庚申講中」
 正面中「南無阿弥陀佛」
 正面左「寛文九己酉天十月十二日」
 下に三猿です。

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<錨をくわえた女性の絵馬>

 歯痛に悩む者が祈願して効き目があれば、錨をくわえた女性の絵馬を奉納する慣わしで、千住の歯神として有名だったとのこと。
 錨は船を繋ぎとめることから,揺らぐ歯の動きが止まる、あるいは歯痛が止まるという、歯痛平癒を意味しているようです。

 「江戸名所百人美女 千住」(豊国・国久)
  楊枝をくわえた美人(飯盛女)は、錨をくわえた女性の絵馬を想起させます。

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○日枝神社 荒川区南千住7-23-18

 正和2(1313)年創建の日枝神社は、山王社とよばれ旧中村町(千住宿)の鎮守でした。
 現在の日枝神社は施錠されており、外から拝観となります。素盞雄神社の境外社で、日枝神社例祭(8月5日)には開放されるようです。

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<江戸名所図会>

 山王が見えます。

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<山王清兵衛(日枝神社)>

(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
 山王清兵衛(日枝神社)
 日枝神社は、江戸時代山王社とよばれた旧中村町(千住宿)の鎮守であり、正和五年(一三一六)に建てられたと伝える。
 この社の入り口にあたる旧砂尾堤土手北端に歯神清兵衛を祀った小祠がある。いずれかの藩士清兵衛が虫歯の痛みに耐えかねてこの地で切腹し、遺言によってその霊を祀ったという。俗に山王清兵衛とよばれ、歯痛に悩む者が祈願して効き目があれば、錨をくわえた女性の絵馬を奉納する慣わしで、千住の歯神として有名であった。
  荒川区教育委員会」

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<手水鉢>

 文化八辛六月の手水鉢。「青龍山福壽院 中興開山法印真海」と刻まれています。
 江戸絵図には、「三王権現」「福壽院」と併記されており、福寿院は山王権現の別当寺だったのでしょう。
 「青龍山福壽院」は現在は存在しないので、配寺になったのでしょうが、手水鉢が残っています。

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