太郎稲荷神社 一葉桜・光月通り

○太郎稲荷神社 台東区入谷2-19-2

 小林清親と井上安治が浮世絵に描いている太郎稲荷神社です。明治初期の頃なので、筑後柳河藩立花家下屋敷は廃止され、荒野が拡がっています。

「浅草田甫太郎稲荷」(小林清親)

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「東京名所 浅草田甫太郎稲荷」(井上探景(井上安治))

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<江戸切絵図>

 新吉原の裏手に「立花左近将監」が見えます。柳川藩立花左近将監の下屋敷に太郎稲荷がありました(邸内社)。

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<下町まちしるべ 旧光月町>

 鳥居の脇に旧光月町の町名由来板があります。

(説明板)
「旧町名由来案内 下町まちしるべ
 旧光月町
 光月町は、現在の松が谷三丁目付近に誕生した。明治三年(一八七一)のことである。そして同五年には、新堀川上流にある筑後国柳川藩主立花氏邸跡を合併した。合併とは言え互いに離れ、飛び地であった。さらに明治二十四年になると、最初に光月町と名付けられた所が松葉町に変わったことから花氏邸跡の部分が光月町になった。昭和十八年(一九四三)、本町は下谷区光月町と浅草区光月町とに分かれた。しかし、同二十二年の台東区発足にともなって再び統合された光月町にもどった。
 町名のいわれは、近くにあった東光院の「光」と燈明寺の「明」をもとにして名付けられたと言われている。
 「太郎稲荷神社」は新堀川沿いにある立花家の下屋敷にあった。生い茂る樹木の奥に社殿があり、参拝する人でにぎわっていた。現在は、地元の人びとにより祀られ、祭礼などが行われている。 台東区」

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<太郎稲荷神社 縁起>

 町名由来板の裏に、「太郎稲荷神社 縁起」(太郎稲荷講)があります。賽銭が山をなすほど、定期的に爆発的なブームとなりました。

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<社号標「太郎稲荷大神」/一の鳥居「太郎稲荷大神」>

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<参道/手水鉢/二の鳥居>

 短い参道ながら、二の鳥居まで、多くの幟が立ちます。

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<境内>

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<社殿>

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○一葉桜・光月通り 台東区千束2-4~入谷2-39

<路標「一葉桜・光月通り」>

 通りの両側歩道(台東区千束2-4と入谷2-11)に路標「一葉桜・光月通り」があります。

  路標表面
  「一葉桜 光月通り」

  路標側面
  「旧光月町 材木の街
   一葉桜光月通り
   平成二十一年十二月十二日
   一葉桜千束入谷振興会」と記されています。

 「路標」(台東区千束2-4)
 
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 「路標」(台東区入谷2-11)

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<旧町名由来案内 旧光月町> 台東区千束2-5

 旧光月町の町名由来案内があります。
 太郎稲荷神社の鳥居脇にも旧光月町の由来案内がありますが、内容は異なっています。

(説明板)
「旧町名由来案内 下町まちしるべ
 旧光月町
 本町は、江戸時代初期まで田圃あるいは沼地だった。その後、埋め立てられ寺院などが建てられた。
 正保二年(一六四五)、松が谷三丁目に現存する海禅寺の東北部に新鳥越町四丁目飛地が造られ、鳥越町の商戸をここに移した。
 明治三年(一八七○)、この飛地は光月町と改称した。
 町名の由来は、町の近くにあった東光院の「光」と燈明寺の「明」の字を合わせて命名したとされている。
 その後、同五年に北側に位置する筑後柳河藩立花家下屋敷を合併し、町域を広げた。
 そして、同二十四年、光月町起立時の範囲である新鳥越町四丁目飛地の部分を松葉町に割譲した。この結果、立花亭の部分が光月町となった。
 昭和十八年(一九四三)、光月町は一部を下谷区に移し、浅草区光月町、下谷区光月町に分けられた。その後、台東区発足により、統合され光月町に戻った。
 昭和四十年(一九六五)、住居表示の実施で千束二丁目と入谷二丁目になった。  台東区」

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○ 浅草反甫の奇怪

「江戸名所道戯尽三 浅草反甫の奇怪」(歌川広景)

 タヌキが人間を化かしている浮世絵です。吉原の遊郭が見えるので、場所は吉原遊郭の裏の太郎稲荷がある浅草田圃でしょう。
タヌキが指揮者のように両手に2本の棒を使って人間を操っています。月夜に田んぼを行く男三人は、鍬を掲げ大名行列の槍持を勘違いしています。真ん中の人は、草履を頭に載せて、黄色いふんどしがほどけています。男三人は、大名行列の先頭で「下に〜、下に〜」と言いながら進行しているのでしょう。正気に戻ったら、びっくりでしょう。

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(参考)上屋敷にあったのが西町太郎稲荷です(こちらで記載
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