文部科学省(さざれ石 情報ひろば 霞ヶ関由来)

○さざれ石 千代田区霞が関3-2-2 文部科学省

 旧文部省庁舎と現在の文部科学省の間の緑地に、2個の「さざれ石」が展示されています。 昭和37(1962)年に、岐阜県旧春日村(現:揖斐川町)が旧文部省に寄贈した「さざれ石」です。

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(説明板)
「国歌に読まれているさざれ石
 この石は学名を石灰質角礫岩と言う。石灰石が雨水に溶解して、その石灰分を含んだ水が時には粘着力の強い乳状体となり、地下において小石を集結して次第に大きくなる。
 やがてその石が地上に出て、国歌に詠まれているように、千代に八千代に年を経てさざれ石の巖となりて苔のむす、その景観誠にめでたい石である。
 全国至る所の石灰質の山に産する石であるが、特にこの石は国歌発祥の地と言われる岐阜県揖斐郡春日村の山中にあったもので、その集結の過程状態はこの石を一見してよく知ることができる。
  春日村は現在、合併により揖斐川町となっています。」

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<全国にちらばる「さざれ石」>
 岐阜県春日村で見つかった50トンものさざれ石は、岐阜県天然記念物(昭和52年11月)です。旧春日村は、旧文部省に「さざれ石」を贈って以来、各方面に「さざれ石」を送りました。また、発見者の遺族が神社に奉納したざざれ石があり、全国にちらばっています。
 これまでに見た「さざれ石」
 「文部科学省」(千代田区)
 「神田明神」 (千代田区)
 「日枝神社」 (千代田区)
 「乃木神社」 (港区)
 「幸龍寺」  (世田谷区)
 「明治神宮」 (渋谷区)  加筆中
 「サンシャインシティ」(豊島区)  作成中
 「天祖神社」 (豊島区)
 「玉前神社」  (千葉県一宮町)


○文部科学省情報ひろば 千代田区霞が関3-2-2 HP 臨時休館

 「文部科学省 情報ひろば」は、旧文部省庁舎(国登録有形文化財)を活用した文部科学省のミュージアム・情報発信スペースです。現在、臨時休館です。
 展示1「旧大臣室」、展示2「教育」、展示3「スポーツ」、展示4「科学技術・学術」、展示5「文化」、展示6「企画展示室」があります。

 昭和8年当時の姿に復元された旧文部大臣室です。

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○霞が関の由来 千代田区霞が関3-2-2

 旧文部省庁舎前の歩道に、「千代田区町名由来板 霞ヶ関」が設置されています。

(説明板)
「千代田区町名由来板 霞ヶ関
 皇居外苑南東端にある外桜田門から港区虎ノ門に至る桜田通りにかけての一帯は、霞が関(昭和四十二年〈1967〉に霞ヶ関から改称)といいます。江戸城を守る外郭門のひとつであった虎御門は、江戸時代初期までは遠浅の海(日比谷入江)に面していました。
 霞ヶ関の名前は古代までさかのぼり、日本武尊が蝦夷の襲撃に備えて、武蔵国に置いた関所「霞ヶ関」から名付けられたといいます。その名前は関所から雲霞を隔てた遠方を望むことができるということに由来し、江戸時代の地図にはすでに、「霞ヶ関」と記したものもあります。
 江戸時代には、幾多の大名が住む武家地であり、日向延岡藩内藤家(文部科学省・会計検査院・霞が関ビル周辺)、筑前福岡藩黒田家(外務省)、安芸広島藩浅野家(国土交通省周辺)、出羽米沢藩上杉家(法務省旧本館・法曹会館周辺)などの上屋敷がありました。
 明治維新後、この一帯は政府用地として利用されます。一丁目・二丁目は、明治二十年代以後の官庁集中計画に基づいて、赤レンガ造りの官庁が林立し、現在の中央官庁街となりました。警視庁前に残る法務省旧本館の建物はその名残であり、重要文化財に指定されています。
 三丁目には、明治四年(1871)、日本初の官立の工業技術教育機関である工部大学校(東京大学工学部の前身)が開校しました。のちには各国の大公使館も置かれ、政治や外交の中心地的印象が強い霞が関ですが、三丁目一帯は近代産業も芽生え、発展してまいりました。
  霞ヶ関三丁目町会」

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月岡芳年

○月岡芳年(つきおかよしとし)
 天保10年3月17日〜明治25年6月9日(1839年4月30日〜1892年6月9日)

 月岡芳年は、幕末から明治中期にかけて活動した浮世絵師です。彼の描く人物や妖怪は型に納まっていないのが感心します。 「東京開化狂画名所」では、江戸風俗を文明開化の中に描いています。

「月岡芳年」(近代日本人の肖像 国立国会図書館)

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「大蘇芳年像」(金木年景 明治25年 都立図書館蔵)
 「夜をつめて照まさりしか夏の月 江海院よし年」

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<ピックアップ>

「東京開化狂画名所 神田明神 写真師の勉強」(月岡芳年 明治14年 都立図書館蔵)
 明治時代となり、神田明神の御祭神からはずされ御神殿を下りた平将門と7人の影武者が、写真師の勉強のために、カメラを前にポーズをきめています。芳年の発想に驚嘆します。

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「東京開化狂画名所 浅草観音年の市旧弊の仁王」(月岡芳年 明治14年 足立区立郷土博物館蔵)
 年の市の賑わいに誘われたのか、秘仏の観音様も仁王を連れてお歩きになっています。

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「東京開化狂画名所 尾張町 日報社田舎者の旧法」(月岡芳年 明治14年 都立図書館蔵)
 日報社は明治9(1876)年12月31日に煉瓦社屋に移転、翌年の明治10(1977)年元日付から「東京日日新聞」を発行しています。
 尾張町の「日報社」の花ガス燈の広告灯を田舎夫婦が拝んでいます。文明開化の光である花ガス燈を初めて見て、あまりにもの明るさにありがたやと拝んでいるのでしょう。月岡芳年は文明開化時代を端的に画いています。

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夜鷹/夜鷹そば/船饅頭

○夜鷹

<本所吉田町>

 本所吉田町(昭和4(1929)年に墨田区石原四丁目に編入)は法恩寺橋の西の両側にありました。本所吉田町の裏長屋は、夜鷹の巣窟として有名でした。

「江戸切絵図」

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<本所吉田町の裏長屋>

「東京開化狂画名所 本所吉田町 夜たかのどんたく」(月岡芳年 都立図書館蔵)
 どんたくとは休日を意味します。土曜日は半日が休みなので「半ドン」です。夜鷹たちの本所吉田町の裏長屋での休日の光景が描かれています。鼻がもげて、鼻穴だけの女性もいます。
 川柳「はな散る里は吉田町鮫ケ橋」

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<隅田川を渡って>

「名所江戸百景 御厩河岸」(広重)
 船上の二人は夜鷹で、横に控える男の肌色の顔色と異なり、真っ白な濃い化粧で表現されています。 男は妓夫(ぎゅう)(客引き、用心棒)で、牛、牛夫とも書き、牛太郎とも呼ばれました。
 夜鷹は石原橋奥の本所吉田町の裏長屋に住み、隅田川を越えて商売をしていました。

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 隅田川の向岸に見えるのが「石原橋」(現存せず)です。現在の横網2丁目12番地の入堀に架かっていました。
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「江戸名所百人美女 大川橋里俗吾妻はし」(豊国・国久)
 夜鷹は、黒の着付けで白木綿の手拭いをかぷり、端を口にくわえ吹きさらしにする姿が定形でした。夜鷹の横にいるのは妓夫(客引き、用心棒)です。妓夫は左手に「吉田」と書かれた傘をもっています。 夜鷹と妓夫は、本所吉田町から来て、隅田川を吾妻橋で渡り柳原に商売に行くのでしょう。

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「月百姿 田毎ある中にもつらき辻君の かほさらしなや運の月かけ 一とせ」(月岡芳年)
 柳原で人気だった夜鷹が「ひととせ」です。黒の着付けで白木綿の手拭いをかぷり、端を口にくわえ、ゴザを抱える夜鷹の定型の姿です。月に向かって顔をさらさないようにと訴え、さらせば運の尽きと掛けています。
 川柳に「てうちんで 夜鷹をみるは むごい人」があります。

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<柳原土手>
 昼間は古着屋が軒を連ね賑わった柳原土手ですが、夜は夜鷹が営業する場所として有名でした。
 「古着屋と 二十四文と 入れかわり」(川柳)

「江戸名所図会 柳原堤」
 昼間の柳原堤です。古着屋が軒を連ねて、古着が吊るされています。

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「東京開化狂画名所 柳原 生臭坊主の臆病」(月岡芳年 都立図書館蔵)
 柳原土手での光景が描かれています。

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「江戸の花:温故知新 柳原夜鷹の図」(博文舘 1890年)
 柳原の夜鷹が描かれています。

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「東京名所三十六戯撰 柳原元和泉はし」(昇齋一景 1872年)
 神田川の和泉橋辺りの柳原での光景です。女性が舟に乗ろうとして、たぶんこぼれていた汚物に滑って、お隣の汚穢舟に転げ落ちています。転んでいる女性はゴザを持っているので、夜鷹でしょう。左端の男性は臭くて鼻をつまんでいます。右端の女性は着物の袖で顔の下をおおい、男性は扇子で顔の下をおおっています。下肥は、長屋より武家屋敷のほうが高く買い取られ、神田川は汚穢舟が目立った東京の名所でしたか?

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「江戸名所道化尽 七 新シ橋の大風」(歌川広景)
 神田川の新シ橋(現在の美倉橋)辺りの柳原での光景です。柳原堤と強風にあおられている柳が見えます。神田川の上流には、火の見櫓が見えます。
 新シ橋の上では、吹き荒れる風に人々が翻弄されています。一人は空高く傘を飛ばされ、一人は笠を飛ばされています。女性はマリリン・モンロー状態で、紙(浅草紙ですかね)を飛ばされています。飛ばされている紙は、柳原という場所を考えると御簾紙で女性は夜鷹に思えます。手がふさがっている男性は布を顔面に飛ばされ前が見えません。

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○夜鷹そば

 夜そば売りは「夜鷹そば」と呼ばれました。夜鷹がよく食べたから、そばの値段が夜鷹の代金と同じだったから、夜鷹と同じく夜になると現れて商売したからなど諸説あります。
 夜鷹蕎麦よりも上等な風鈴蕎麦が登場しますが、夜鷹そばも真似て風鈴をつけ出し、両者の区別はなくなり風鈴そばという名称も消えていきました。風鈴だけはそのまま使われ、夜そば売りのトレードマークとなりました。

「江戸年中風俗之絵」(橋本養邦)
 「夜そば売り」です。提灯を脇に置いて、客がそばをすすっています。

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「今世斗計十二時 寅ノ刻」(国貞)

 寅ノ刻とあるので、深夜3時から5時です。夜鷹が描かれており、こま絵には夜そば売りが描かれています。屋台に風鈴が2つぶら下げられています。

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「鐘淵劇場故」(国貞 都立図書館蔵)
 役者絵で描かれた夜そば売りです。 掛行燈には「二八 そは うんどん」の文字が入っています。

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○船饅頭

 船で商売する私娼を「船饅頭」と呼びました。 表向きは「饅頭」を売っていたからだといわれています。船饅頭は川岸で客に声をかけ、客を船に乗せて水上へ船を出し、一定の時間で戻ります。行徳河岸〜永久橋、鉄砲洲の川岸に多かったようです。

「東京開化狂画名所 鉄砲洲船饅頭舟玉の開扉 」(月岡芳年 都立図書館蔵)
 碇泊している船から船饅頭が小舟に飛び降りてきています。 船に乗り込んで仕事を終えてきたのか、船に乗り込んで客引きをしてきたのか、どちらですかね。

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「盲文画話 舟まんぢう」

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「世諺口紺屋雛形」(曲亭馬琴)

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「間合俗物譬問答」

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「絵本阿房袋」

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札の辻

○札の辻 港区芝5-29

 江戸初期には、ここが江戸の入口で、高札場が設けられ「札の辻」と呼ばれていました。元和2(1616)年に「芝口門」が建てられ江戸の正面入口としての形式が整えられました。天和3(1683)年に高札場は高輪大木戸へ移されました。
 現在の札の辻交差点には、三基の案内板が建っています。

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「江戸切絵図」

 「元札辻」と記されています。

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「東海道名所風景 東海道本芝札ノ辻」(歌川芳宗)
 街道には札が立ち、海上には台場が見えます。

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「江戸の花名勝会 芝札の辻浦」(三代豊国・二代広重)
 こま絵には、街道に札が見えます。

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<札の辻>

(説明板) 港区芝5-29-16
「札の辻 
 江戸時代のはじめ、ここに高札場が設けられて、布告法令などが掲示されたところから、札の辻と呼ぶようになりました。元和二年(一六一六)には、芝口門をここに建てて、江戸正面入口としての形式を整えました。この門は「日暮御門」といわれましたが、これはこの東がすぐ江戸湾に接し、海を隔てて房総の山々を望む、一日眺めてもあきない景色であったためといわれます。
 その後高札場は、天和三年(一六八三)に南方の高輪(後の大木戸の場所)に移されました。また、宝永七年(一七一○)に、芝口門は新橋北側に建替えられ、ここは「元札の辻」と呼ぶようになりましたが、明治維新後はまた「元」を略して「札の辻」と呼んでいます。
  昭和五十二年一月(平成十七年十二月建替)  港区教育委員会」

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<芝築旧町名由来板>

(説明板)
「芝地区旧町名由来板
横新町(よこしんちょう)
 むかしは荏原郡上高輪村と呼ばれていました。町の起立の年代は不明ですが、田町大通りに町屋が起立した後に家が建ちはじめ、通新町の横町にあたるので横新町と呼ばれるようになりました。町屋となった後もしばらく代官支配が続きましたが、寛文二年 (1662) に町奉行支配となりました。

通新町(とおりしんまち)
 むかしは荏原郡上高輪村と呼ばれていました。江戸時代のはじめに町家が建ちはじめ、町となった後も代官支配が続きましたが、寛文二年(1662)、町奉行支配となりました。O田通りが町の南北を貫き、田町開設の後に新たに開けた町であることから、通新町と称されるようになったと伝えられています。明治五年(1872)、久留島安房守上屋敷および付近の土地を合併して、通新町となりました。

田町(たまち)
 むかしは荏原都上高輪村と呼ばれていました。芝浦の渚に近い田畑が町家と変わっていったので芝田町と称されるようになりました。寛文二年 (1662)、町奉行支配となって一丁目から九丁目に分けられ、安永五年(1776) には海を埋め立てて町域を拡げました。明治五年(1872)、武家屋敷だったところや寺社地を合併しました。江戸の頃は、東海道を行き来する人々でにぎわい、諸大名の浜屋敷が多くあったところです。
  芝地区総合支所 ここは、港区芝5-29です。」

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<案内マップ>

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tag : 東海道

【休館】那須いこいの家

【休館】那須いこいの家 那須町湯本

 那須町のHP中「那須いこいの家 営業休止期間の延長について(2024年4月30日)」によると、源泉の濁りが発生していたため2023年11月29日から休館していましたが、設備の調整・湯導管の清掃等を続けるも状況が改善されず、再開のための施設の大規模な改修の目途が立たないことから、再開時期を未定として営業休止期間を延長とのことです。
 以下は以前の入湯記録です。

 日帰り入浴は、町民外だと700円(町民500円)と少々お高くなります。

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 御用邸と同じ温泉「旭温泉・地蔵の湯・桜の湯混合泉」を使用しています。湧出地は「那須町御用邸付属地内ほか」です。泉温38.0度とぬるいので、高温の「山楽No.1〜15混合泉」をブレンドして温度調整しています。
 「御用邸の源泉はぬるいので、山楽さんの高温の源泉をブレンドして温度調整しているんですよ。かけ流しのいい湯なんでまたいらしてくださいね」とのことです。

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<地蔵の湯の源泉地>

 源泉「地蔵の湯」は「那須御用邸」と「町営那須いこいの家」に引湯(旭温泉・地蔵の湯・桜の湯混合泉)されています。
 那須温泉史に記載の、地蔵の湯の由縁のお地蔵さまと源泉地を見に行きましたが、宮内庁の立入禁止の看板に阻まれました。「地蔵の湯」温泉源は、宮内庁が管理しており、立入禁止でした。
 那須御用邸の敷地の約半分が2008年に環境省に移管され、移管された敷地に三つの温泉源があり、宮内庁は今も温泉源を所管しています。

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<那須御用邸と源泉> 

 那須御用邸で使用している温泉は、大丸温泉旅館の主力源泉でもある高温の「桜の湯」を引き、途中から「地蔵の湯」と「旭の湯」の管をつないで、「旭温泉・地蔵の湯・桜の湯混合泉」を使用しています。那須御用邸到達時には適温で、山楽の高温の源泉はブレンドはしていないようです。
 那須御用邸の宮内庁職員宿舎の浴室は、東日本大震災時の被災者への開放で写真が出ていましたが、ごく普通の家庭タイル風呂、質素な風呂に、え!?でした。
 「旭温泉」 更地となりましたが、源泉は現役です。
 「桜の湯」 大丸温泉旅館の主力源泉です。
 「地蔵の湯」使用しているのは、那須御用邸と那須いこいの家だけでしょう。
 大丸温泉旅館では御用邸でご使用の源泉と言っているのは、「桜の湯」を使用しているからだと思います。
 山楽では使用源泉は御用邸と同じ泉質と言っています。
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