隅田川お花見屋形船

隅田川お花見屋形船

○屋形船組合
 かつて江戸川では網船(あみぶね)が盛んでした。舵子(かじこ)と網打ちの二人三脚でとった魚をその場で刺身やてんぷらにして、客をもてなす船遊びでした。
 旧江戸川沿右岸の船宿のほとんどが、「あみ」の冠を付す名称となっています。

 江戸屋形船組合(17事業者) HP
 屋形船東京都協同組合(35事業者) HP
 東京屋形船連合会 HP

○お花見屋形船

 屋形船「あみ幸」(HP)の第六あみ幸丸に乗船しました。 「あみ幸」は江戸川での投網漁(とあみりょう)から始まり創業100年に至る船宿です。両国桟橋から乗船します。

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 隅田川を下りお台場へ向かいます。お台場では10分ほど停泊し、展望デッキに出て、お台場の夜景を観賞しました。周りに他の屋形舟も多く見られます。
 レインボーブリッジはライトアップされていますが、台場は光がないので目立ちません。
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 昼間のお台場と屋形船です(昼間のお台場海浜公園はこちらで記載)。
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 フジテレビがブルーにライトアップされています。右手の自由の女神像は、その存在が分かる程度の弱いライトアップです。
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 よく見えたとしても自由の女神像の背中です(昼間の自由の女神像はこちらで記載)。
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 展望デッキの前後からの夜景です。

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 屋形船は反転して浅草・スカイツリー方面へ向かいます。
 吾妻橋手前のスカイツリーとアサヒビールタワーが見えてきました。
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 歩道橋「すみだリバーウォーク」と「スカイツリーライン隅田川橋梁」をくぐります(こちらで記載)。
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 スカイツリーと満月が見えました。
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 江戸随一の観光名所だった墨堤の、桜の開花宣言前のほとんど咲いていなかった夜桜のライトアップを観賞しました(墨堤はこちらで記載)。
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 食事をしながらの夜景観賞でした。揚げたての天ぷらが順に出てくるのが良かったです。 刺身は本まぐろを使用と質が良かったです。

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 両国桟橋に戻って下船です。土産の「江戸名所百景」(広重)のコースターです。
 「吾妻橋金竜山遠望」「水道橋 駿河台」「隅田川水神の森真崎」「大はし あたけの夕立」「浅草 金竜山」
 隅田川の名所ですが、1枚だけ神田川の絵が含まれています。あみ幸と所縁のある鯉が描かれているからでしょう。

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tag : 隅田川歌川広重

市川歴史博物館

○市川歴史博物館 市川市堀之内2-27-1 HP

 古い時代(先土器時代から平安時代)は考古博物館に、新しい時代(平安時代から現代)は歴史博物館に展示しています。
 両館とも入館料無料です。

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【屋外展示】

「時の流れ」(大須賀力) 昭和62(1987)年度市川市野外彫刻設置事業

 婦人像と縄文土器との取り合わせで、過去から現在そして未来へと一本のつながりを持つ彫刻を意図しています。

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<和歌付庚申塔型道標>

 一列に陳列されている諸塔の中に、「和歌付庚申塔型道標」があります。
 大門通りに建てられていたものを寄贈を受けてこちらに設置されています。

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 大黒天と三猿
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 「先たつも後から行くも おなしみち つれてゆかぬか別れなり
  根元喜右衛門 深草庵波光」
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 (左側面)
  「国府台 総寧寺 松戸小金流山道」
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 (右側面)
  「右 真間 弘法寺 国分寺通」
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【館内】

 一部撮影不可とありますが、ほとんど撮影可です。

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 第1室「中世以降の市川」
 10世紀後半から昭和までの市川の歩みを展示しています。

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 第2室「海辺の人々の生活」
 近世における塩作りと近代の海苔養殖の様子を中心に展示しています。

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 第3室「水路と陸路」
 常夜灯の所在する行徳新河岸のにぎわいが、うどん屋「笹屋」の看板や屏風などともに紹介されています

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 「笹屋の看板」「笹屋の広告用ちらし」「六曲屏風」(別途記載

 第4室「台地の人々の生活」

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 第5室「郷土コーナー」

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 「人で綴る市川の歴史」
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 「行徳を往来した人と作品
  松尾芭蕉 太田南畝 葛飾北斎 小林一茶 十辺舎一九 渡辺崋山 大原幽学」
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<パンフレット>

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tag : 塩の道

市川市塩焼

【塩焼】

  地名の「塩焼」は、天日で塩分の濃度をあげ,海水をカマで煮詰める「塩焼」に由来します。


「江戸名所図会 行徳 塩釜の図」

 江戸名所図会に塩焼の光景が描かれています。

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「塩焼の図と模型」(市川歴史博物館)

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「江戸名所図会 行徳 汐浜」

 江戸名所図会に描かれた行徳塩浜の光景です。塩田が見えます。奥に房総半島、左手に船橋が見えます。

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「東都近郊図」(文政8(1825)年 都立図書館蔵)

 「東都近郊図」から、「塩ハマ」部分の抜粋です。新田開発の記載も見えます。

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「ぎやうとくしほはまよりのぼとのひかたをのぞむ」(北斎 東京国立博物館蔵)

 北斎の描いた塩浜です。

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「行徳塩浜之図」(広重 ボストン美術館)

 初代広重が描いた塩浜です。

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【塩焼の店】(こちらで記載
○肉のアヅマ 市川市塩焼2-4-38
○岡田商店(八百屋) 市川市塩焼3-12-5
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tag : 江戸名所図会歌川広重葛飾北斎

江戸川の渡し(河原の渡し/今井の渡し)

【河原】
 旧河原村です。
 現在の江戸川区東篠崎と市川市行徳の河原地区との間に、かつて「河原の渡し」がありました。 旧江戸川は江戸川水門を作る際に西寄りに流れを変えており、河原水門のある場所は、「河原の渡し」を河原村(千葉県)から渡った篠崎村(東京都)側となります。

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○河原水門 河原番外地(東京都江戸川区か千葉県市川市か未確定)

 この辺りは、東京都と千葉県で境界が定まっていない地域で、「河原番外地」と呼ばれています。昭和18(1943)年3月に江戸川放水路との分岐点に江戸川水門が完成しました。水門を造る際、旧江戸川の流れを西寄りに変えました(境界論争の発端)。
 江戸川区は旧来の境界線の維持を主張し、市川市は川の中央を境界線にすべきと主張し、帰属が決まっていません。
 なお、河原番外地にある江戸川河川事務所江戸川河口出張所は、所在地を江戸川区東篠崎町250としています。 また、河原水門の所在地も江戸川区東篠崎町250としています。なお、隣にある河原排水機場の所在地は、市川市下新宿1です。
 河原水門の奥にある船溜まりが旧江戸川の旧流路です。水門から上流の旧江戸川左岸にできた陸地は、江戸川水門ができる前は東京都です。

 河原水門と河原排水機場

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 河原水門江戸川上流
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 下流
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(参考)本行徳排水機場/本行徳水門 市川市本行徳26-15

 旧江戸川沿に排水機場が多いのは、自然排水がほとんど不可能な低地域における排水を行うためです。「本行徳排水機場」に説明板が設置されています。

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(参考)
 河原にある蕎麦屋「あみ富」(こちらで記載


○今井の渡し旧跡 市川市相之川1-27-1

 今井橋の近くに「今井の渡し旧跡」があります。

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(説明板)
「今井の渡し旧跡
 寛永八年(一六三一)一○月に許可された水幅一一四間(約二○七メートル)、水幅六○間(約一○九メートル)の渡し。大正元年(一九一二)初代の今井橋が架けられて役目を終えました。
 連歌師柴屋軒宗長が永正六年(一五○九)浅草から船に乗り今井の津頭で下船、紀行文『東路の津登』で紹介したのが文献上のはじまりです。
 江戸時代になってからは、江戸からの客は渡しましたが、江戸へ行く客を渡すことは禁じられていました。正保元年(一六四四)千葉の生実の城主森川半彌の家来男女二人久三郎とイネが駆落ちしてきて禁を犯して今井側へ渡ろうとして捕らえられて船頭とその女房を含めて五名が磔の刑に処せられました。
 今井の渡し場から一丁(約一○九メートル)下流にあった磔場に久三郎とイネは葬られて、目印の石地蔵が建てられて「ねね塚」といわれましたが、何れの頃かの洪水でその所在は不明になったとされています。(『葛飾誌略』)」

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「江戸名所図会 今井の津頭」

 江戸名所図会にも描かれている今井の渡しです。連歌師柴屋軒宗長が永正6(1509)年に浅草から船に乗り今井の津頭で下船、紀行文「東路の津登」を表しました。挿絵に今井の渡しの紹介が記されています。
「柴屋軒宗長が永正六年の紀行東土産に隅田川の河舟にて葛西の府のうちを半日ばかり葭芦をしのぎ今井といふ津より下て浄土門の寺浄興寺に立寄て、とあれば、はやくより此津のありし事しられたり。」

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「東都近郊図」(文政8(1825)年 都立図書館蔵)

 「東都近郊図」から、今井の渡し部分の抜粋です。今井の渡しの下流に島が見えます。

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内匠堀

【内匠堀】

 内匠堀は、元和~寛永年中(1615〜1544)に行徳領諸村の灌漑・排水を目的として開削されたと伝えられます。開削者は当代島村の田中内匠と行徳村狩野浄天といわれています。現在は暗渠となっています。

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「江戸名所図会 行徳 徳願寺」
 江戸名所図会に内匠堀が見えます。行徳街道と並行して流れていきます。

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○馬頭観音 市川市本行徳24-8

 かつて内匠堀が流れていたところにあります。内匠堀改修の際には多数の馬の骨がでてきたそうです。

 標柱「史跡 馬頭観世音 内匠堀」
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(説明板)
「馬頭観世音
 (略)
 ここの馬頭観音には「寛永七年甲寅(一八五四)二月七日」「佐原飛脚問屋吉田氏」と銘があります。
 飛脚問屋は、馬喰、馬の飼い主、飛脚屋などを束ねていたので、商売繁盛や無病息災を祈願したものと思われます。
 内匠堀改修の折、この馬頭観音の下から多数の馬の骨がでてきました。愛馬の供養をしたものと思われます。(略)」

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<馬頭観観世音>

 「嘉永七年甲寅二月七日」「佐原飛脚問屋吉田氏」と刻まれた馬頭観音です。

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○おかね塚 市川市押切12-1
   
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「行徳おかね塚の由来」

 おかね塚の伝承が由来碑に刻まれています。
 押切の船着場には、製塩に使う燃料が上総から定期的に運ばれ、船頭や人夫には吉原に遊びに行く者もあり、その中のひとりが吉原のかねという遊女と親しくなりました。かねは年季が明けると押切に来て亡くなるまで船頭を待ち続けます。
 吉原の遊女たちが供養のために碑を建て、村人たちも「おかね塚」と名づけて供養を続けてきたとの伝承です。
 村人たちが語り伝え供養をしてきたことを後世に残そうと、地元有志によって昭和五十一年六月に建碑されたものです。

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<庚申塔>

 阿弥陀如来像を主尊とする寛文5(1665)年銘の庚申塔です。
 正面左に紀年が刻まれています。

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 正面右下に「奉待庚申〜」と刻まれています。

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 庚申塔には戒名などは刻まれていませんが、刻まれた百余名の願主に女性が多いことから伝承と結びついたもののようです。
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