円泉寺/伊藤嘉兵衛の墓

○円泉寺 足立区加平2-6-16

 伊藤嘉兵衛家と相前後して、当地に移住し、嘉兵衛新田開発を進めた吉田家の私有墓地とその周囲の田畑をもとに創建されたと伝えられています。
 荒綾八十八ヶ所霊場71番札所です。

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<札所碑/道標>

「荒綾八十八ヶ所第七十一番円泉寺 嘉兵衛新田
 是ヨリ辰沼龍岩寺 十四丁半」

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【参道左手石碑群】

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<廻国供養塔>

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 廻国供養塔
  文政元(1818)年。
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 南無阿弥陀仏為三界万霊
  寛永6(1629)年。
  右脇下に日本廻国六十六部とあります。
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 大乗妙典日本廻国六十六部
  明和元(1764)年。
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<宝篋印塔>

 文化6年(1809)の造立、施主は吉田増右衛門。

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<庚申塔群> 足立区文化財

 庚申塔が五基並んでいます。

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(説明板)
「圓泉寺の庚申塔群
 正面に向かって左から文政十一年(一八二八)銘・文政十年銘・年不詳・寛政九年(一七九七)銘・年不詳
 円泉寺は山号を大光山、院号を観音院とする浄土宗寺院である。寺伝では正保三年(一六四六)開山とされ、阿弥陀如来立像を本尊として安置する。
 山門を入って左側に並んでいる五基の石造物は、庚申塔と呼ばれる。
 庚申塔は、我が国で平安時代以来盛んであった庚申信仰に基づいて造立された。この信仰は古代中国の道教から発生し、六十日でひと回りする十千十二支の「庚申(かのえさる)」の夜、寝入ると体内から三尸という虫が天に昇りその人の日頃の悪事を天帝に告げ、寿命が縮まるので徹夜をして三尸が抜け出るのを防ぎ長寿を析る俗信である。時代が下がると庶民にも広がり、江戸時代には村々に講が結成され、順番に宿を決め寄り集まって夜通し娯楽に興じることが主な目的となった。三年で結願とされ、庚中塔が造立された。
 庚申塔の形態は様々であり、主尊も青面金剛を中心に阿弥陀・観音・地蔵等が彫刻された。
 園泉寺所在の庚申塔は、三基が駒形(寛政九年銘・文政十一年銘・文政十二年銘)、一基が光背型(年不詳)、一基が自然石(割り石・年不詳)の形態であり、主尊は青面金剛の陽刻が三基ある。また主尊の代わりに「青面金剛」・「庚申塔」等の文字が刻まれる庚申塔は、江戸時代後期のものが多く、園泉寺所在の「青面金剛」と文字が刻まれた庚申塔も江戸時代後期の文政十一年の造立である。
 光背型の庚中塔は造立年が不明だが、園泉寺十二世「弾誉上人」の名が刻まれている。弾誉の没年が享保十八年(一七三三)九月四日であるために、それ以前の造立であることが確認されるとともに、地域の庚申講に地元寺院の僧侶が関与したことを示す貴重なものである。
 五基の庚中塔は、いずれも平成十八年三月に足立区登録有形民俗文化財となった。
  平成二十二年三月  足立区教育委員会」

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「文政11年(1828)年銘」
 文字庚申塔
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「文政10(1827)年銘」
 青面金剛像
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「年不詳」
 青面金剛像
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「寛政9(1797)年銘」
 青面金剛像
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「年不詳」
 「庚申塚」文字塔
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<六地蔵>

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<法然上人尊像>

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<本堂>

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○伊藤嘉兵衛の墓(足立区文化財) 神宮寺墓地

<伊藤嘉兵衛と嘉兵衛新田>

 武蔵国橘樹郡稲毛領(現・神奈川県川崎市北部)に居住していた伊藤嘉兵衛が、当地に移住し嘉兵衛新田を開発しました。

 足立区立郷土博物館掲示より抜粋
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<神宮寺墓地>

 神宮寺墓地は、円泉寺墓地の北西にあります。元は加平2丁目8番にあったのを昭和40年に区画整理事業の際に円泉寺の墓地に改葬したものです。円泉寺の墓地とは塀によって区切られ行き来はできません。

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<伊藤家墓所>

 説明板が日焼けして読みにくいですが、肉眼でははっきり読めます。

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(説明板抜粋)
「伊藤嘉兵衛の墓
 嘉兵衛新田の開拓者・伊藤嘉兵衛の墓で、台座まで含めると総高が約二メートルに及ぶ五輪塔である。もと加平二丁目にあったが、昭和四十年に現在地に移転した。
 嘉兵衛新田について、『新編武蔵風土記』には、「名主嘉兵衛カ祖ナリシモノ。慶長元和ノ頃。当国稲毛領(神奈川県)ヨリ来リテ開発セリト云。家数六十五。(中略)東西八丁許。南北六七丁。乾ノ方六月村ノ内ニ飛地アリ。村ノ東ノ方ハ葛西用水ヲ引テ水田ヲ耕シ。西ノ方ハ三沼代用水ヲ沃ケリ。農隙ニハ浅草紙ヲ漉テ生産ヲ資ク。」と記している。
 五輪塔の地輪正面に「武州足立郡渕江之内加兵衛新田住人 為浄照禅定門也 寛永十葵酉(一六三三)四月廿八日」と住居地、戒名および没年が刻まれている。
 また、右側面には、没後百五十年を経た、天明三年(一七八三)にこの五輪塔が造立された旨が追記されている。地域の開発者の事蹟を留めるものとして、昭和六十年十一月区登録有形文化財(歴史史料)となった。
  平成二十四年三月  足立区教育委員会」

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<伊藤嘉兵衛の墓>

 寛永10(1633)4月28日に亡くなった伊藤嘉兵衛(法名「浄照禅定門」)の五輪塔の墓です。

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(正面)
 「武州足立郡渕江之内 加兵衛新田住人
  為浄照禅定門也
  寛永十葵酉四月廿八日」
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(右側面)
  没後百五十年を経た天明3(1783)年に、この五輪塔が造立された旨が記されています。
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<普門品供養塔>

 馬頭観音が陽刻されていますが、普門品供養塔のようです。墓地内左手にあります。
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 (左側面) 享和3(1803)年銘
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 (右側面) 「奉供養普門品」
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<海軍三等火夫伊藤留次郎碑>

 墓地正面に聳える、明治28(1895)年12月建立の大きな漢詩文碑です。漢学者の島田重礼による撰文で、日清戦争における威海衛の戦いで戦死した水兵・伊藤留次郎について漢文で記しています。伊藤留次郎の先祖が伊藤嘉兵衛だった関係で、この場所に碑が建てられているのだと思います。

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「海軍三等火夫伊藤留次郎碑」( 「篁村遺稿」島田篁 大正7年)
  国立国会図書館デジタルコレクションに漢文全文がありました。

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tag : 荒綾八十八ヶ所霊場新田開発戦役紀念碑

河合平内と新田開発

○河合平内と新田開発

 河合平内は、
 ・大谷田新田(足立区大谷田・中川)
 ・普賢寺・北三谷新田(足立区東和・綾瀬・東綾瀬)
 ・六木新田(足立区六木)
 ・千住榎木新田(位地未詳)、を開発しました。
 外からの移住者が中心であった新田開発人の中で、珍しく室町時代辺りからこの地にいた一族のようです。

 足立区立郷土博物館掲示より抜粋加工
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「普賢寺北三谷新田宛伊奈忠治開発定書」(慶長19(1614)年 足立区立郷土博物館所蔵)  足立区文化祭

 伊奈忠治が発給した開発定書の一つで、新田開発の入植者を五つの条件を示して募っています。宛所の「川井平内」は開発人、河合平内のことです。
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「大谷田新田宛伊奈忠治開発定書」(元和2(1616)年 足立区立郷土博物館所蔵)  足立区文化財
 伊奈忠治が発給した開発定書の一つで、新田開発の入植者を、五つの条件を示して募っています。宛所の「平内」は開発人、河合平内のことです。
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「伊奈忠治印判状写(河合平内宛)」(元和5(1619)年 足立区立郷土博物館所蔵)
 新田開発人の河合平内に対し、新田開発をすすめたことについて「御忠節」と位置づけ、「御褒美」として田畑屋敷地2町歩を与えるとしています。
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○河合平内の墓 足立区文化財 足立区東和1-29-22 円性寺

 円性寺の墓地の中ほどに河合家の墓所があり、そこに河合平内の墓である宝篋印塔があります。

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「足立区登録有形文化財(歴史史料)
 慶長元和期江戸時代初期の新田開発者
 伝・河合平内の墓
 平成十四年十二月
 足立区教育委員会」

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 宝篋印塔(河合平内の墓)

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<河合家由来墓誌>

 河合平内の軌跡と河合家について記されています。当代とある河合平内は平成7年から8年まで足立区議会議長を務められました。

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※ 円性寺全般については、こちらで記載
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tag : 新田開発関東郡代

稲荷山蓮華院観音寺

○稲荷山蓮華院観音寺 足立区綾瀬4-9-6

 五兵衛新田を開発した金子五兵衛が開基となり創建されました。 「稲荷社」と称した綾瀬稲荷神社の別当を務めました。
 荒川辺八十八ヶ所霊場51番札所、荒綾八十八ヶ所霊場70番札所です。
 幕末には新選組の屯所となりました。

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(説明板)
「稲荷山蓮華院観音寺
 真言宗豊山派の寺院。開山は賢智上人で十七世紀初頭に創建されたと推定される。この地は江戸時代のはじめ頃から開発が進み、五兵衛新田と言われ、その後も同新田の菩提寺として地域とともに歩んできた。のち慶応四年(一八六八)三月には、江戸から退却する新撰組の一隊(当時は甲陽鎮撫隊)が金子家とこの寺院に宿泊。新政府軍も伊藤谷橋まで進出し戦闘が始まろうとしたが、新撰組が流山に撤退したというエピソードを持つ。
 開基は開発者の一人で法名を開田院と称した金子五兵衛である。境内に五輪塔形式の墓があり、開発の歴史を今に伝え、金子五兵衛の墓として足立区登録有形文化財となっている。
 本尊は十一面観世音菩薩で江戸時代初期の作、境内に大師堂や鐘楼があるほか、荒川辺八十八か所五十一番、荒綾八十八か所七十番札所で、荒川をめぐる地域の巡拝地であった。ほかにも境内に寛文四年(一六六四)の聖観音立像庚申塔があり、足立区登録有形文化財となっている。
  令和元年十二月  東京都足立区教育委員会」

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<五兵衛新田> 足立区立郷土博物館掲示より抜粋

 武蔵国入間郡金子村(現埼玉県入間市)から入植した金子五兵衛が五兵衛新田を開発しました。

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<入口>

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<本堂>

 大正4(1915)年築の本堂が老朽化し、現在の本堂は平成18(2006)年の新築です。

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 「延命之塔」

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<大師堂>

 「南無大師遍照金剛」(昭和45(1970)年)

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 扁額「遍照尊」
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 「弘法大師一千年忌供養」(天保5(1834)年)
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 「弘法大師一千百御御遠忌記念塔」(昭和9(1934)年)
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<鐘楼>

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<報佛恩徳>

 「宗祖弘法大師真跡」
 平成18(2006)年4月に完成した本堂及び客殿の新築工事の経緯が記されています。

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<聖観音立像庚申塔> 足立区文化財

 左から、青面金剛懇親塔、聖観音立像庚申塔、墓石と並んでいます。

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(説明板)
「聖観音立像庚申塔
 庚申塔は庚申信仰をする庚申講の人々によって造立された塔である。
 庚申とは十干の庚と十二支の申とが結び付いた六十日に一回巡ってくる日のことを指す。
 庚申の日は、人間の体内にいる三尸という虫が睡眠中に体内から抜け出て天帝に罪過を告げるため人間の寿命が縮むという説が中国の道教にあり、これが日本に伝わり信仰された。庚申の夜には眠らずに過ごす守庚申に、札拝本尊や宗教儀札が組込まれた庚申待が室町時代の中頃から行われるようになり、江戸時代に入ると一般にも浸透し各地に庚申講が結成され、供養のための庚申塔が多数造立されるようになった。庚申塔の形態・様式は多様であり、文字塔の他、「青面金剛」・「帝釈天」など種々の神仏を主尊とする。
 聖観音は正式には聖観世音著薩といい、すべての観音のみなもととして、古くから深く信仲されている。像型は光背型で像の左右に「寛文四庚辰年(一六六四)極月十五日」・「泰造立庚申供養二世安穏所也」、下部に施主名がある。区内にある江戸期の庚中塔の初期のものにあたるが、様相の整った極めて見事な刻像である。
 昭和六十二年(一九八七)十一月、足立区登録有形民俗文化財とした。
  令和元年十二月  東京都足立区教育委員会」

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(中央)
 聖観音立像庚申塔
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 後背左「寛文四(1664)年極月(12月)」
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 後背右「奉造立庚申供養二世安穏所也」
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(左)
 駒型庚申塔
 寛政10(1798)年11月の造立。

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<六地蔵>

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<無縁墓など>

 寛文8(1668)年銘の無縁墓
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 平成元(1989)年の一切精霊菩提
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<戦没英霊菩提>

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<井戸>

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○金子五兵衛の墓 足立区文化財

 寛永4年(1627)10月5日に亡くなった金子五兵衛(法名「開田院光月空花居士」)の五輪塔の墓があります。

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 「寛永四卯年十月五日
  開田院光月空花居士
  當村興創金子五兵衛」

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勝曼寺(出羽三山供養塔)

○勝曼寺 江戸川区新堀1-9-12

 将軍鷹狩の時には勝曼寺は御膳所として利用されました。山門から本堂への参道の両脇に松が植わっていますが、かつては山門までにも松並木参道が続いていました。

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(説明板)
「勝曼寺
 勝曼寺は真言宗豊山派で、九品山山王院と号します。約四百年ほど前、奥州相馬庄大勝寺の住僧善誉房専芸和尚がこの地に来住し、薮崎隼人、山崎甚太郎らの協力を得て、この寺を建てたといわれています。
 元禄の頃(一六八八?一七○四)秀翁和尚によって中興され、将軍鷹狩りのときに何度か御膳所にあてられました。
■木造阿弥陀如来立像
   昭和五十七年(一九八二)二月登録
   区登録有形文化財・彫刻
 信徒達が、勝曼寺を開いた専芸和尚の菩提を弔うために寄進したと、胎内文書にあります。像高約三五センチ、寄木造りですが、顔と胸部は一材から彫りだされています。江戸時代初期の作と推定されます。
  平成十四年十二月  江戸川区教育委員会」

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「葛西筋御場絵図 江戸御場絵図」(文化2(1805)年 国立公文書館蔵)

 「江戸御場絵図」は、幕府の御鷹場の地図で、6つの鷹場(葛西筋・岩淵筋・戸田筋・中野筋・六郷筋)が記載されています。
 「葛西筋御場絵図」に、「新堀」「御膳所」「勝曼寺」の記載が見えます。

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<出羽三山供養塔>

 参道右手に二基の宝篋印塔が建っています。

 手前の宝篋印塔は延享4(1747)年3月の建立。

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 奥の宝篋印塔は、珍しい宝篋印塔型の出羽三山等供養塔となっています。

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 昭和59(1984)年に改修されており、台座の一部が新しくなっています。
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 「羽黒山 月山 湯殿山 供養塔
  天下泰平 家内安全 諸願成就 
  四國 西國 秩父 坂東 奉順拝百八十八ヶ所」

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 明治9(1876)年3月の建立です。明治時代の建碑なので、出羽三山は羽黒山が先頭に刻まれています。
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<修行大師像>

 二基の宝篋印塔の間にある「修行大師像」です。

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<庚申塔等>

 石仏が五基並んでいます。

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 左から「弥陀如来像」
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 「地蔵尊像」
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 「庚申塔」
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 「聖観音像 寛文9(1669)年」
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 「庚申塔 元禄10(1697)年」と並んでいます。
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<地蔵堂>

 三基の地蔵像のうち、右にとろけ地蔵が座しています。

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<手水舎>

 「この水飲めません」とあるので、地下水でしょう。析出物で白くなっています。

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<水子地蔵尊>

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<本堂>

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tag : 出羽三山

善照寺(出羽三山供養塔)

○善照寺 江戸川区東小松川3-3-19

<山門>

 山門の門は閉じているので、脇の扉から入ります。駐車場から入ると、本堂の脇に出ます。

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 善照寺には、江戸川区で最初の公立小学校「葛西学校」が開校されました。

(説明板)
「善照寺
 真言宗豊山派に属し、医王山薬王院と号します。本尊は大日如来です。起立の年月は不詳ですが、開山は隆範上人(大永二年(一五二二)入寂)を中興の祖とします。慶安元年(一六四八)に徳川家光六石の御朱印地を受けた名刹で、古くから浮洲浅間神社の別当をつとめました。所蔵する銅碑墓版は文政十年(一八二七)に地中から発見され、「成田参詣記」などにも記されています。
 また元禄十二年(一六九九)に横綱明石志賀之助が境内で引退相撲をおこなったことをきっかけとし、毎年不動尊の縁日には草相撲が開催されていたことから、通称「相撲寺」とも呼ばれています。
■旧葛西学校跡
   江戸川区登史跡
   昭和六十二年(一九八七)二月登録
 江戸川区最初の公立小学校「葛西学校」は、明治九年(一八七六)十月に、善照寺を教場として開校しました。校舎を新築し移転する明治十四年(一八八一)一月まで理容されました。
  令和五年三月  江戸川区教育委員会」

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【無縁塔群】
 山門入って参道右手に無縁塔の他、様々な石造物があります。出羽三山供養塔二基と、庚申塔二基を見ます。

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<出羽三山供養塔>

 「月山 湯殿山 羽黒山 奉造立観世音百・・・」
 出羽三山の下部がよく見えませんが百観音霊場の供養塔のようです。

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 裏面を見ると、弘化2(1845)年11月の造立です。
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<出羽三山等供養塔>

 「高野山」「月山 湯殿山 羽黒山」「坂東 西國 秩父」と刻まれた大きな塔です。
 紀年は見当たりませんが、出羽三山の記載順が明治時代から変わるので、江戸時代の造立と思われます。

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<青面金剛像庚申塔>

 視認できませんが、宝永8(1711)年銘の庚申塔です。

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<地蔵菩薩像庚申塔>

 左肩に寛文12(1672)年銘(石碑の左が欠け、寛の文字は欠けています)の地蔵尊を主尊とする庚申塔です。
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 右肩に「庚申待供養」とあります。
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<六地蔵と八観音>

 山門入って参道左手に六地蔵と八観音が並んでいます。

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 八観音のうち左から4番目に馬頭観音があります(逆光となりました)。
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<南無観世音菩薩>

 無縁塔群の隣にあります。

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<大師堂>

 参道右手の大師堂です。

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<宝篋印塔>

 大師堂の左に、石燈籠二基と「宝篋印塔」があります。
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 石燈籠は、その銘「奉為高祖九百五十遠忌報恩謝徳也」によると、天明4(1784)年の弘法大師九百五十年遠忌に建てらています。
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<八幡堂>

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<不動堂>

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<閣老王殿>

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<日露戦役忠死者之塔>

 閣老王殿の奥に、日露戦役の慰霊塔があります。

 (正面)
  「日露戦役忠死者之塔」
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 (台座)
  「明治三十九年五月 松江村兵事義會」
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<報徳紀念碑>

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<手水鉢>

 参道左手の寛政9(1797)年銘の手水鉢です。

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<鐘楼>

 梵鐘は昭和36(1961)年に改鋳されたものです。

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<力石>

 力を要する米俵の運搬や農作業の多かった江戸川区内には、東京都内で最多の力石があります(江戸川区郷土資料室)。
 善照寺の植栽の境石に力石等が多く使われています。

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<南無大師遍照金剛>

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<本堂>

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<當庵開基 賢明上人>

 當庵開基とありますが、どこの開基の賢明上人なのかわかりません。

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