スターギャラリー (有楽町)

〇スターギャラリー 千代田区有楽町1-2-2

 東京ミッドタウン日比谷と日比谷シャンテを繋ぐ地下2階の通路に「スターギャラリー」があります。全77名の人名リストが掲げられています。

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 ドラえもんの手形もあります。

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(参考)
 「スターの広場」(浅草公会堂) こちらで記載
   浅草ゆかりのスターの手型とサイン337人。

 「日本スポーツ文化賞栄誉広場」(上野公園) こちらで記載
   国民栄誉賞受賞者の手形。

 「力士像と手形」(国技館通り) こちらで記載
   7基の力士像と手形の碑。

 「雷電手形石と手形の墓石」(報土寺) こちらで記載
   力士雷電の手形石。手形の墓石。

 「指塚」(傳通院)    こちらで記載
   日本指圧協会による建立。
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tag : 手形

アガペーの像(愛の像)

○アガペーの像(愛の像) 千代田区丸の内1-9

 戦犯の遺書・遺稿701編を編纂した「世紀の遺書」の印税の一部により、中村勝五郎氏の尽力により「アガペーの像」(愛の像)が東京駅丸の内駅前広場に設置、昭和30(1955)年11月11日に除幕式が行われました。
 当初は上野公園に設置される予定でしたが調整がつかず、「世紀の遺書」の推薦人の一人だった国鉄総裁の縁で東京駅に設置されたようです。
 アガペーの像の彫刻は、広島の平和記念公園「祈りの像」などを制作した横江嘉純が手がけています。
 東京駅の駅舎改修工事に伴い、2007年10月に撤去されましたが、2017年12月に完了した東京駅丸の内駅前広場の整備事業で、当初の位置とは異なりますが南側に再設置されました。

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 ギリシャ語「ἀγάπη」の上の「愛」の文字は、巣鴨プリズンの教誨師だった田嶋隆純氏による揮毫です。
 台石には「世紀の遺書」が納められています。

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<東京駅丸の内駅舎>
 アガペーの像からみた、辰野金吾設計の東京駅丸の内駅舎です。

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(参考)
 丸の内駅前広場の北側には、 「井上勝君像」(日本の鉄道の父)があります。こちらで記載
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tag : 巣鴨プリズン丸の内銅像

巣鴨プリズン(Sugamo Prison)

○巣鴨プリズン(Sugamo Prison)

 江戸時代の「石川島人足寄場」(こちらで記載)は、明治維新により幾度かの名称変更を経て、「石川島監獄署」となりました。
 明治28(1895)年、北豊島郡巣鴨村(現・豊島区東池袋)に移転、「警視庁監獄巣鴨支所」と改称、その後「巣鴨監獄」「巣鴨刑務所」と改められました。
 「巣鴨刑務所」は関東大震災で被災し、昭和10(1935)年に府中市へ移転し「府中刑務所」となります。
 「巣鴨刑務所」の跡地は昭和12(1937)年に「東京拘置所」となります。
 昭和20(1945)年11月、「GHQ」は接収した「東京拘置所」を利用してA級・BC級戦犯容疑者の収容、刑の確定後の刑の執行を目的として「巣鴨プリズン」(Sugamo Prison)を開設しました。
 昭和27(1952)年4月に「巣鴨プリズン」は日本に移管され「巣鴨刑務所」となり、昭和33(1958)年に最後の戦犯が釈放され、「巣鴨刑務所」は昭和37(1962)年に閉鎖となります。
 昭和33(1958)年に「東京拘置所」が「巣鴨刑務所」に併設して復元されますが、昭和46(1971)年に小管へ移転します。
 「東京拘置所」の跡地は「サンシャインシティ」や「東池袋中央公園」等となっています。
 (※矯正図書館HPを参照しました。)

※巣鴨監獄教誨師事件
 明治31(1998)年に、巣鴨監獄典獄に着任した有馬四郎助は、典獄誨師の活動のあり方に疑問を感じ、霊南坂教会で洗礼をうけた留岡幸助を教誨師として採用します。
 これに反発した本願寺の僧侶達は全員辞表を提出し、本山は、政府(大隈内閣)に檄文を送る大騒ぎとなり帝国議会まで巻き込む騒動となりました。事件は本願寺側に何ら合理性がないことが明らかになって終息します。教誨師事業への関心を喚起させるきっかけとなりました。


○巣鴨プリズン跡 豊島区東池袋3-1-6 東池袋中央公園

 巣鴨プリズンの絞首台があった場所に「平和の碑」扱いの巣鴨プリズン跡碑が建っています。

(碑表)
 「永久平和を願って」

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(碑陰)
「第二次世界大戦後、東京市谷において極東国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された。
 戦争による悲劇を再びくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。
  昭和五十五年六月」

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<東池袋公園案内板>

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 東池袋中央公園前の地図です。
 次に向かう巣鴨プリズンの遺構がある「イケ・サンパーク」へ530m、「サンシャインシティ」へ100mです。

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 池袋中央公園からのサンシャイン60
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○石積みのモニュメント 豊島区東池袋4-34-16
 豊島区立としまみどりの防災公園(IKE・SUNPARK イケ・サンパーク)

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<石積みのモニュメント>

 巣鴨プリズンの排水口が移設保存され、説明パネルが設置されています。

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 巣鴨プリズンの石垣石は、公園の植栽に再利用されています。

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(説明板)
「石積みのモニュメントについて
このアーチ状の石積みは、本公園の敷地の隣接道路(都市計画道路補助第176号線および特別区道41-340)を支えていた石垣の一部で、周辺道路整備で撤去した際に保存し、公園内に復元したものです。
かつてこの地には巣鴨刑務所があり、関東大震災で被害を受けその後縮小され、昭和14年、縮小により空地となった土地の一部に造幣局が移転してきました。この地には長らく貨幣の製造工場や博物館がありましたが、それらの機能は平成28年にさいたま市へ移転し、その跡地に豊島区からの要請を受けたUR都市機構が本公園を整備しました。
そうした歴史から、かつてこの石積みは巣鴨刑務所の排水口として、この周辺を流れていた水窪川(現・暗渠)につながっていたのではないかと考えられています。石垣の石は他にもこの公園で再利用していますので探してみてください。」

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<石積みの排水工と石垣のあった場所>

 石積みの排水口と石垣があった場所は、公園の南西、坂下通りの終端の階段を降りたところです。

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 工事が続いています。

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tag : 池袋巣鴨プリズン

留岡幸助創設・家庭学校跡

○家庭学校跡 豊島区上池袋1-30-20 上池袋東公園

 上池袋東公園内には、かまどスツールなど、災害時を意識した設備があります。
 園内には、日本の福祉の先駆者である留岡幸助が開設した「家庭学校跡」の説明板が設置されています。豊島区の公園説明サイトではスルーされているのが残念ですが、教育委員会が説明板を設置しただけでも感心します。 

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<家庭学校跡>

 説明板「家庭学校跡」が、南の公園入口に設置されています。
 明治32(1999)年1月に巣鴨村に家庭学校が設立されました。
 なお、留岡幸助は、明治31(1998)年に巣鴨監獄典獄に着任した有馬四郎助より、巣鴨監獄の獄誨師に採用されています(本願寺の反発で騒動となる)。

(説明板)
「家庭学校は、巣鴨村大字巣鴨(現上池袋一丁目三十七番一帯)にあった感化教育施設である。
 設立者の留岡幸助(とめおかこうすけ)は、元治元(一八六四)年に備中国(現岡山県)で生まれた。幼少期に経験した身分制社会の不条理から、すべての人間が平等に生きられる社会を希求するようになり、キリスト教にその理想を見出した。同志社英学校神学課卒業後、明治二十四(一八九一)年から北海道空知集治監の教誨師をつとめるなかで、「犯罪を犯すに至った原因は、少年期の環境が悪いためである」という考えをもつ。同三十二年一月、厳本善治の斡旋によって巣鴨村の三六○○坪の土地を購入し、同年十一月二十三日に家庭学校を開校した。
 家庭学校では、当時まだ自然豊かであった巣鴨村で、農業や牧畜の作業とキリスト教を通じて、不良少年の感化教育が行われた。生徒は校内の宿舎で父親役・母親役の教師と寝食を共にし、家族のような共同生活を送った。
 明治三十七年、日本初の慈善事業従事者養成機関として、慈善事業師範部を校内に設けた。明治四十二年、東京府代用感化院に指定。大正三(一九一四)年、北海道紋別郡遠軽に社名渕分校(現北海道家庭学校)、同十二年に神奈川県に茅ケ崎分校を開設した。
 昭和六(一九三一)年、留岡が倒れたことにより、家庭学校は東京府代用感化院の指定を辞退し、茅ヶ崎分校を閉鎖した。同九年二月五日、留岡が七十歳で死去する。巣鴨の校地は、日本初のガン専門の研究機関である癌研究所(昭和九年開設。平成十七年有明へ移転)及び付属治療所に譲渡した。
  平成二十九年三月三十一日  豊島区教育委員会」

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「家庭学校 第1編」(留岡幸助 警醒社 明治34,35年 国立国会図書館蔵)

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(参考)
「岡山医療福祉六峰」 岡山市北区祇園 旭川荘内

 「留岡幸助」「石井十次」「矢野恒太」「山室軍平」「三木行治」「川崎祐宣」のレリーフが設置されています。
 皆さん、岡山県出身です。
 「一路白頭に至る 留岡幸助(1864〜1934)」

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 福祉の先人たちは、名言を残されています。
 「この子らを世の光に」(糸賀一雄 近江学園創設者)
 「この子は私である。あの子も私である。どんなに障害が重くともみんなその福祉を守ってあげなければと深く心に誓う。」
  (小林提樹 島田療育園創設者)
 「一路白頭に至る」(留岡幸助 家庭学校創設者)
 「流汗悟道」(谷昌恒 北海道家庭学校第5代校長)

(参考)
 北区滝野川には、北区の説明板「滝乃川学園跡」が設置されています。(こちらで記載
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tag : 池袋

池袋氷川神社 池袋富士塚

○池袋氷川神社 豊島区池袋本町3-14-1 HP

 かつての池袋は、池袋駅より北側、当社を中心とした「池袋本町」周辺が中心でした。
 明治時代に境内から谷端川にいたる付近一帯から発見された貝塚は「池袋西貝塚」として知られています。(「池袋東貝塚」については、こちらで記載。)

<表参道>

 社号標「氷川神社」
 一之鳥居は、昭和40(1965)年に社殿が造営された時の建立です。

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<二之鳥居>

 大正4(1915)年に建立された鳥居です。

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<狛犬>

 昭和40(1965)年に社殿が造営された時に奉納された狛犬です。歯を見せて笑っています。

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<由緒>

(石碑文)
「氷川神社略記
御祭神(省略)
御由緒
 建速須佐之男命を主神としておまつりし 古い時代から今日にいたるまで 池袋村の鎮守 氏神さまとしてこの土地に住む代々の人々の守り神として崇敬されてきました。
 埼玉県大宮市鎮座の氷川神社(武蔵国一之宮 平安時代の延喜式神名帳所載の官幣大社)から分かれた神社とも言われています。
 池袋の名は 今から四百三十年前の室町時代 永禄二年(西暦一五五九年)の「小田原衆所領役帳」に「武州豊島郡池袋村」と書かれ 当区内の長崎 菅面(巣鴨) 駒込、雑司谷 高田とともに 当時すでに村が形成されていたことが記録されています
 天保元年(一八三○年)の「新編武蔵風土記稿」の池袋村の条に「氷川社 村ノ鎮守」の記述があります。
 昭和の大戦に際して 東京大空襲の災禍にあいましたが 氏子中の一致協力により 戦後の混乱下にもかかわらず御復興を成し遂げました
 現在の御社殿は 昭和四十年の御造営氏子総奉賛事業として竣功した 戦後二度目の建築です。
 当神社の境内から およそ三千五百年前の縄文時代後期に使用されたと推定される土器片が発掘採集されています また明治時代に境内から谷端川にいたる 付近一帯から発見された貝塚は「池袋貝塚」として知られ 曲玉 管玉 土偶なども出土しています この土地で生活した古代人の様子がうかがえますが これは豊島区歴史年表の最初の項目を記すものです」

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<奉納碑>

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<手水舎/百度石>

 手水舎の手前に百度石があります。

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<社号碑>

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<土俵>

 土俵には覆いがかぶせられています。
 参考までに、渋谷氷川神社には、屋根付の土俵がありました(こちらで記載)。

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<八紘一宇>

 昭和15(1940)年の奉納です。

(表)
 「紀元二千六百年記念 八紘一宇 陸軍少将 中柴末純書」
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(裏)
 「記念碑壹基櫻樹六本 本事業ハ班員ノ浄財據出勤勞奉仕ニ依り完成ス
  昭和十五年十一月十日
  帝國在郷軍人會池袋分會第六班」
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<掲揚台>

 戦前かと思える表記ですが、戦後です。
 「敬神崇祖 文部大臣 中村梅吉謹書」

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<御輿庫>

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<境内社>

 御祭神
 日本武尊・應神天皇・菅原道眞命

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<社殿>

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○池袋富士塚(浅間神社) 豊島区史跡

 明治45(1912)年に「池袋月三十七夜元講」によって築かれた富士塚です。7月1日と7月の第一日曜日の年に2日だけ、「お山開き」で登拝可能となっています。

 富士塚入り口
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 手水鉢
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 普段は、門は開いていますが、「お山にのぼらないでください 社務所」との掲示です。
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 登山口に「神猿」がいます。
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 富士塚全景
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 富士塚全景
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 富士塚全景
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 教祖角行の像
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 奥宮
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<修復事業完遂>

 令和5年6月に富士塚の修復事業完遂とのこと。

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(説明板)
「池袋富士塚
富士塚は、さまざまな理由から富士登山ができない人たちも、これに登れば富士山に登ったのと同じ霊験が得られるとして、江戸時代後期以降、現東京都域および近隣地域に各富士講集団を単位として築造されたものである。高さ約五メートル、東西幅約一三メートル、南北幅約一八メートルを測り、全山がボク石で覆われている。登山道は正面部分に電光形に設けられており、その道筋ははっきり確認できる。
 この池袋富士塚は明治四五年(一九一二)六月に池袋月三十七夜元講によって築かれたものである。塚内に造立された講碑から、歴代先達の名前や近隣の富士講集団とのつきあいの様子が知られる。一般に、富士塚の石造物は、頂上に奥宮、中腹向かって右には小御嶽社をあらわす石祠、中腹向かって左には烏帽子岩を配置するのを基本としている。池袋富士塚の石造物は、こうした特徴を備えているほか、経ヶ岳(日蓮ゆかりの霊地)を示す題目碑、合目石、講碑、教祖角行像、一対の天狗像、さらに胎内が配置されており、充実した石造物群を構成している。
 豊島区に残された数少ない富士塚のひとつとして、また池袋本町地区に展開した民間信仰を考えていくうえでも貴重なことから、平成十年(一九九八)六月に東京都豊島区指定史跡となり、保存がはかられている。
  平成十一年三月  東京都豊島区教育委員会」

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