三河島菜 宮地稲荷神社(三河島稲荷神社)
○江戸・東京の農業 三河島菜と枝豆 荒川区荒川3-65-9 宮地稲荷神社(三河島稲荷神社)
宮地稲荷神社(三河島稲荷神社)に、JA案内板「江戸・東京の農業 三河島菜と枝豆」があります。
(説明板)
「江戸・東京の農業 三河島菜と枝豆
三河島菜は結球白菜が中国から伝わる以前から栽培されていた漬菜で、江戸時代初期に、三河国(愛知県)の百姓が入植してつくりはじめたと伝えられています。
三河島菜の特徴は、葉の幅が広く、色は黄緑。現在の白菜のようには結球せずに大株になり、外葉のつけねの部分が外の方向に張り出し、船の錨に似た姿なので「いかり菜」とも呼ばれ、漬物にして食べていました。
明治初年頃から作付面積が増えていきましたが、まもなく白菜の人気が高まるにつれて、とって代わられました。
三河島枝豆は三河島菜と共に作られてきた品種で、7月の中頃に収穫できる枝豆で、枝数が多く、さやの表面についている毛は白色、葉は濃い緑で、ひとさやに3粒の豆が揃ってつく優れた特性をもっています。
この地域の土質は、荒川下流の沖積土で、枝豆の栽培に適していました。
しかし、当地の宅地化が進んだため、農地の消滅と共に、「三河島菜」「三河島枝豆」の産地は、東京農業の歴史にその名をとどめるだけになってしまいました。
平成9年度JA東京グループ
農業協同組合法施行五十周年記念事業」

<伝統野菜 三河島菜>
素盞雄神社に、三河島氏子有志による奉納の三河島菜がありました。

○宮地稲荷神社(三河島稲荷神社) 荒川区荒川3-65-9



(説明板)
「宮地稲荷
三河島稲荷ともいう。宮地の名は当社よりおこったものであろうといわれる。天正七年(一五七九)の創建と伝えるが、今は失われた棟札に「弘治三年(一五五七)丁巳八月武蔵国豊島郡三河島総鎮守」とあったという。
祭神は倉稲魂命。猿田彦大神、天神社、神明宮、疱瘡神などを合祀している。とくに脚気に効き目があるとして参詣する人が多く、祈願成就の時には草鞋を奉納したという。末社天神社の神木の大欅は樹齢六百五十年といわれたが、現在は切株のみが残る。社殿の右側には新吉原から奉納された安永八年(一七七九)二月初午銘の手水鉢がある。
荒川区教育委員会」

「昭和三十六年に撮影」

「宮地稲荷の大欅」(荒川区史 昭和11年)
昭和11年の「荒川区史」にも大欅の写真がありました。

<御大典記念碑>

<天然記念樹>
枯れた切り株が祀られています。



<拝殿>






<天神社>

<新吉原奉納手水鉢> 荒川区文化財
安永8(1779)年銘の新吉原奉納の手水鉢です。

正面「奉納 宮地稲荷大明神」

左側面に、紀年。

右側面に、新吉原連中世話人。

<本殿>
裏から本殿を見たら、小路に裸電球の街灯がありました。

宮地稲荷神社(三河島稲荷神社)に、JA案内板「江戸・東京の農業 三河島菜と枝豆」があります。
(説明板)
「江戸・東京の農業 三河島菜と枝豆
三河島菜は結球白菜が中国から伝わる以前から栽培されていた漬菜で、江戸時代初期に、三河国(愛知県)の百姓が入植してつくりはじめたと伝えられています。
三河島菜の特徴は、葉の幅が広く、色は黄緑。現在の白菜のようには結球せずに大株になり、外葉のつけねの部分が外の方向に張り出し、船の錨に似た姿なので「いかり菜」とも呼ばれ、漬物にして食べていました。
明治初年頃から作付面積が増えていきましたが、まもなく白菜の人気が高まるにつれて、とって代わられました。
三河島枝豆は三河島菜と共に作られてきた品種で、7月の中頃に収穫できる枝豆で、枝数が多く、さやの表面についている毛は白色、葉は濃い緑で、ひとさやに3粒の豆が揃ってつく優れた特性をもっています。
この地域の土質は、荒川下流の沖積土で、枝豆の栽培に適していました。
しかし、当地の宅地化が進んだため、農地の消滅と共に、「三河島菜」「三河島枝豆」の産地は、東京農業の歴史にその名をとどめるだけになってしまいました。
平成9年度JA東京グループ
農業協同組合法施行五十周年記念事業」

<伝統野菜 三河島菜>
素盞雄神社に、三河島氏子有志による奉納の三河島菜がありました。

○宮地稲荷神社(三河島稲荷神社) 荒川区荒川3-65-9



(説明板)
「宮地稲荷
三河島稲荷ともいう。宮地の名は当社よりおこったものであろうといわれる。天正七年(一五七九)の創建と伝えるが、今は失われた棟札に「弘治三年(一五五七)丁巳八月武蔵国豊島郡三河島総鎮守」とあったという。
祭神は倉稲魂命。猿田彦大神、天神社、神明宮、疱瘡神などを合祀している。とくに脚気に効き目があるとして参詣する人が多く、祈願成就の時には草鞋を奉納したという。末社天神社の神木の大欅は樹齢六百五十年といわれたが、現在は切株のみが残る。社殿の右側には新吉原から奉納された安永八年(一七七九)二月初午銘の手水鉢がある。
荒川区教育委員会」

「昭和三十六年に撮影」

「宮地稲荷の大欅」(荒川区史 昭和11年)
昭和11年の「荒川区史」にも大欅の写真がありました。

<御大典記念碑>

<天然記念樹>
枯れた切り株が祀られています。



<拝殿>






<天神社>

<新吉原奉納手水鉢> 荒川区文化財
安永8(1779)年銘の新吉原奉納の手水鉢です。

正面「奉納 宮地稲荷大明神」

左側面に、紀年。

右側面に、新吉原連中世話人。

<本殿>
裏から本殿を見たら、小路に裸電球の街灯がありました。


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