伊能忠敬住居跡(旧深川黒江町)
○伊能忠敬住居跡 江東区門前仲町1-18-3(旧深川黒江町)
葛西橋通りの歩道に、標柱「伊能忠敬住居跡」があります。
伊能忠敬は、寛政7(1795)年、50歳の時に隠居し、下総国佐原から江戸深川黒江町に隠居宅を構え、幕府天文方高橋至時の門に入って天文学を学び始めました。
この地に、50歳から69歳の寛政7(1795)年から文化11(1814)年まで住み、全国測量へ向かいました。出発前には近くの富岡八幡宮に詣でてから出発しました。
「伊能忠敬住居跡」



(標柱)
「伊能忠敬は千葉県に生れ江戸にでて高橋東岡に測量術を学び寛政七年幕府の命をうけて全国を測量し沿海路程図を完成した その測量の原点は伊能忠敬の居宅であった 伊能忠敬ははじめこの付近にすみのち中央区八丁堀にうつり正確な地図を完成した 伊能忠敬は文政元年四月十三日 七十四歳をもって死去し台東区源空寺に葬られている。
昭和四十三十月月一日 江東区第二十一号」



<江戸切絵図>
「永代橋」「黒江町」「富ケ岡八幡宮」部分の抜粋です。

「黒江町」部分の抜粋です。「黒江町」の記載が6か所見えます。標柱「伊能忠敬住居跡」が建っている場所から、黄色○「黒江町」がその地です。黒江橋南詰から、黒江川の河岸に沿って西に行ったところです。
なお、黒江町には渋沢栄一も住んでいました(現:澁澤倉庫)。

葛西橋通りの歩道に、標柱「伊能忠敬住居跡」があります。
伊能忠敬は、寛政7(1795)年、50歳の時に隠居し、下総国佐原から江戸深川黒江町に隠居宅を構え、幕府天文方高橋至時の門に入って天文学を学び始めました。
この地に、50歳から69歳の寛政7(1795)年から文化11(1814)年まで住み、全国測量へ向かいました。出発前には近くの富岡八幡宮に詣でてから出発しました。
「伊能忠敬住居跡」



(標柱)
「伊能忠敬は千葉県に生れ江戸にでて高橋東岡に測量術を学び寛政七年幕府の命をうけて全国を測量し沿海路程図を完成した その測量の原点は伊能忠敬の居宅であった 伊能忠敬ははじめこの付近にすみのち中央区八丁堀にうつり正確な地図を完成した 伊能忠敬は文政元年四月十三日 七十四歳をもって死去し台東区源空寺に葬られている。
昭和四十三十月月一日 江東区第二十一号」



<江戸切絵図>
「永代橋」「黒江町」「富ケ岡八幡宮」部分の抜粋です。

「黒江町」部分の抜粋です。「黒江町」の記載が6か所見えます。標柱「伊能忠敬住居跡」が建っている場所から、黄色○「黒江町」がその地です。黒江橋南詰から、黒江川の河岸に沿って西に行ったところです。
なお、黒江町には渋沢栄一も住んでいました(現:澁澤倉庫)。

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