巣鴨地蔵通り~庚申塚通り

○巣鴨地蔵通り 豊島区巣鴨3丁目・4丁目

 巣鴨地蔵通りは、真性寺前から庚申塚まで続く旧中山道です。公式マスコットキャラクター「すがもん」が郵便ポストの上にいます。

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<巣鴨の地名の由来>

(説明板)
「地名の由来
 ここ「巣鴨」は、古い資料では「州賀茂」、「菅面」、「州鴨」、「州処面」、「須賀茂」、「須賀母」、「州賀茂」とも表記されています。砂州(州処)や沼地があり葭が茂った村とする説、大池に鴨が巣を作っていたからとする説などがありますが、はっきりとした根拠はわかっていません。「巣鴨」と表記されている古い資料は「長禄江戸図」(1457〜60年)程度しかなく、江戸半ば以降に武蔵国豊島郡巣鴨村として定着したと考えられています。」

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<周辺案内図>

 巣鴨郵便局前にある「周辺案内図」と、巣鴨地蔵通り部分の抜粋です。

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<すがも史跡まっぷ>

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<街路灯説明パネル>

 LED装飾街路灯に、巣鴨の歴史や史跡を説明するパネルが掲示されており、延々と続いています。以下はその一部です。

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<巣鴨地蔵通り標識> 豊島区巣鴨4-13-15地先

 巣鴨地蔵通りの終端[庚申塚交差点」南に、標識「巣鴨地蔵通り」があります。

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○庚申塚通り 豊島区西巣鴨2丁目・3丁目

 庚申塚通りは、庚申塚から明治通りまで続く旧中山道です。庚申塚停留所所に「地域案内」があります。歩道には道標がはめられています。

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巣鴨庚申塚

○庚申塚・猿田彦大神神社 豊島区巣鴨4-35-2 HP

<巣鴨庚申塚立場>

  庚申塚の地は、中山道の立場だったところで、よしず囲いの茶屋がありました。茶屋店では、藤の花をきれいに咲かせていたのが評判で、小林一茶も訪れて句を詠んでいます。

 (七番日記 小林一茶 文化13年)
  「藤棚を潜れば王子海道哉」
  「藤棚に翌巡る江戸の画解哉」
  「藤棚に寝て見てもお江戸哉」
  「藤棚の隅から見ゆるお江戸哉」


「江戸名所花暦 桜草」

 江戸名所花暦では、巣鴨庚申塚の左右の植木屋や農家では、桜草を栽培して売っていたことが記されています。中山道を通って、江戸市中に「桜草」を売りに行っていたようです。
 「巣鴨  庚申塚左右この辺植木屋又は農家にても作れるなり こは生業となすゆゑなり」


「江戸名所図会 巣鴨庚申塚」

 巣鴨庚申塚の茶屋の夏の風景です。茶屋は3店描かれており、手前にもあるようで4店あったようです。 街道を行く人々は麦藁帽子をかぶり、扇子で仰ぎながら歩く人も見えます。虫捕りの子どもが見えます。茶屋では扇子で涼をとっています。茶屋ではスイカや団子を売っています。

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・道標
 中央左に道標が見えます。道標の正面には「王子稲荷大明神」、右側面「右わうじ道」と刻まれています。
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・塚上の二碑
  塚の上に石碑が二つ見えます。小さい方は青面金剛を刻んだ庚申塔で、大きい方は現在祀られている庚申塔でしょうか。明暦3(1657)年の庚申塔で、この下に文亀2(1502)年の石碑が埋められています。
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・「スイカ」と「団子」
 茶屋ではスイカを切って売っています。団子を焼いて売っています。
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「絵本江戸土産 巣鴨庚申塚」

 広重が巣鴨庚申塚を描いています。

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「木曽街道板橋之駅」(英泉)

 タイトルは板橋之駅(板橋宿)ですが、中央に王子道の道標が見え、その手前は巣鴨庚申堂のある立場が描かれています。巣鴨の立場から板橋宿(背後の森は加賀前田家の下屋敷)を描いていますが、その間の中山道が飛ばされています。立場の茶屋の後ろに庚申塚があります(絵には描かれていません)。

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「江戸切絵図」

 真性寺と庚申塚部分の抜粋と、庚申塚と滝ノ川三軒家部分の抜粋です。

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<入口>

 「仲仙道庚申塚 猿田彦大神庚申堂」と「庚申塔造立 五百年記念」の標石が並んでいます。その横には「猿田彦大神庚申堂 由来記」が掲示されています。

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<猿田彦大神庚申堂 由来記>

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<庚申塚>

 入口左手に豊島区教育委員会の説明板があります。

(説明板)
「庚申塚
 庚申信仰の起源は、中国から伝わった道教の三尸説に求めることができる。それによれば、人の身体にいる三尸という虫が、六○日に一度訪れる庚申の夜に人の罪状を天帝に告げに行くため、人々はこの晩は寝ずに過ごし、寿命が縮められるのを防ぐというものである。
 こうしたことから、室町時代の中頃から庚申待が行われるようになり、さらに僧侶や修験者の指導によって講集団が組織され、江戸時代になると各地に庚申講が作られ、その供養のため庚申塔が造立されるようになった。
 さて、江戸時代の文化年間(一八○四〜一七)に出された地誌「遊歴雑記」によると、祠内に納めている庚申塔は、明暦二年(一六五七)一月の大火後に造られ、その際文亀二年(一五○二)造立の高さ八尺の碑は、その下に埋められたとされている。
 この庚申塚は、旧中山道(現地蔵通り)沿いに展開した巣鴨町の北東端、すなわち旧中山道と折戸通りの交差地に位置し、天保年間(一八三○〜四三)に刊行された「江戸名所図会」では、中山道板橋宿に入る前の立場(休憩所)として描かれている。現在も都電の庚申塚停留所を下車して参拝する人や、とげぬき地蔵(高岩寺)の参拝帰りに立ち寄る人が後を絶たない。
  平成八年三月  東京都豊島区教育委員会」

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<庚申塔(猿像)>

 左右に庚申塔(猿像)2基があります。台座に三猿が刻まれています。昭和62(1987)年の奉納です。

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<百度>

 石柱ではなく木柱で、百度石ではなく百度木ですかね。

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<手水鉢>

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<江戸の名所>

(碑文)
「江戸の名所
 巣鴨の中山道沿いにある庚申塚は、江戸時代から近郷近在に聞こえた名所でした。江戸と板橋宿との間にあり行き交う旅人たちで賑わっていたと伝えられ、その様子は「江戸名所図会」にも描かれています。現在では、特に庚申の日ともなると、近くの「とげぬき地蔵(高岩寺)」の縁日(毎月四の日)と同様に多くの参拝者があります。庚申塚では町内会の人たちが、参拝者に対し、季節ごとに趣向をこらした食事を作ってもてなしています。
 「江戸名所図会」のなかの茶店の屋根の葭簀の上に見える石塔は、庚申塚のいわれを裏付けるものです。現在、この石塔は当地の小さな社に鎮座し、その銘文によれば一六五七(明暦三)年に造立されたものということがわかります。これより以前、一五○二(文亀二)年に造立されたといわれる石碑がありましたが今はなく、「遊歴雑記」では、この塚の下に埋められていると伝えています。
 また、この庚申塚には、お猿さんが祀られているというようにいわれていますが、これは、この巣鴨近辺の有志が、明治初期、千葉県銚子市にある猿田神社から猿田彦大神を分祀したという歴史的事実によるものです。
  平成四年三月  豊島区教育委員会発行(石造文化財より)」

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<庚申塚由来記>

(説明文)
「庚申塚由来記
 全国的に有名な巣鴨の庚申塚にあった庚申塔は高さ八尺で文亀二年(一五○二年)造立、現存していれば区内最古の石碑
 昔巣鴨の庚申塚は中山道の本街道であり板橋宿の一つ手前の立場として上り下りの旅人の往来が激しく休息所として賑わい簡単な茶店も在り人足や馬の世話もした。
 広重の絵にも描かれ江戸名所図絵で見ると茶屋に人が休み人足の奪い合いをしている旅人もいて賑やかである。
 ここに団子などを売る茶店もできて藤の花を綺麗に咲かせていたのが評判で花の頃は、小林一茶も訪れて
  ふじ棚に 寝て見てもまたお江戸かな
   の句もある。
 令和元年十二月吉日 毛堀濤石書」

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<榎本留吉翁顕彰碑>

(碑表)「榎本留吉翁顕彰碑
(碑横)
「榎本留吉翁は、明治三十二年庚申塚に生をうけ、戦前、戦後を通じ、町会長として庚申堂の奉斎につとめ、戦災により焼失した堂宇を、昭和四十六年桧づくりに再建、昭和四十九年、手水舎を設ける等、境内整備につくした。これらは六十余年に亘る翁の郷土愛のたまものであり、茲にその功績を賛え顕彰するものである
  昭和六十年九月吉日  猿田彦大神奉賛会
   天祖神社宮司高島俊彦書
         真島泰峨文
           石治刻」

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<縁起>

(碑文)
「縁起
巣鴨旧中仙道庚申塚所在 猿田彦大神庚申堂は 古く江戸時代から当地にあって今上天皇御大典記念に 近隣有志により代々奉祭してきましたが その後立派に建造し 社務所兼庚申塚町会事務所 会合場として時代に即応してきたが 昭和十九年三月 戦災により焼失し仮堂におまつりして来たのである 昭和四十七年隣接四町会及び広く崇敬する信者の賛同を得て 現在のような立派な御堂を建直すことが出来 又続いて御水屋も完成 境内も一層荘厳さを増したので茲に関係者の名を刻して後世に伝える
  昭和五十一年三月吉日
   庚申堂猿田彦大神奉賛会
     代表 榎本留吉」

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<庚申堂>

 「史蹟 巣鴨の庚申塚」(木柱です)
 庚申堂には明暦3(1657)年銘の庚申塔が祀られ、その下に、文亀2(1502)年の石碑が埋められています。
 また、猿田彦大神が合祀されています。 火消し組から奉納された立派な額「猿田彦大神」が右手にあります。

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とげぬき地蔵尊 延命地蔵堂

○とげぬき地蔵尊(萬頂山高岩寺) 豊島区巣鴨3-35-2

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<とげぬき地蔵尊 高岩寺誌>

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<弥陀三尊庚申板碑> 豊島区文化財

 大永8(1528)年銘の庚申板碑ですが、ガラス窓越しから見るので光の反射でよくわかりませんでした。

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<小僧稲荷神社/地蔵群>

 寺が下谷にあった時、和尚が寵愛した狸が妖怪となって現れるようになり、そのタヌキを祀っています。
 小僧稲荷神社の右横には多くの地蔵像が納められています。

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<洗い観音>

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<天水桶>

 「製作人 川口市 山崎甚五兵衛」作の天水桶です(昭和33年)。

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<本堂>

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○延命地蔵堂 豊島区西巣鴨2-33-9

 庚申塚通り(旧中仙道)に標石「延命地蔵尊」があり、ちょと入ったところに延命地蔵堂があります。堂前に「豊島区登録有形民俗文化財 延命地蔵堂の石造物群」の掲示があります。

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<由緒>

(碑文)
「由緒
当延命地蔵尊は今から約百七十年前(文政年間)建之され当所に移築されましたのは今から約八十年前の事であります。当時は江戸五街道の一つである仲仙道を通行する多くの旅人が此所で必ず一休みされ更に永い旅路の為つかれはてて、当地で死亡した人馬の霊を供養する為に建之されたものです。以後毎年八月廿四日を命日とし全人類の平和と幸福を願ひ供養して居ります。」

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 境内に5つの石塔があります。

 (中央)「延命地蔵尊」

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 (左) 「庚申像塔」と「馬頭観音塔」

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 (右) 「徳本名号塔」と「南無妙法蓮華経」題目塔

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(説明板)
「延命地蔵堂の石造物群
 江戸時代の中山道巣鴨庚申塚付近には、巣鴨町近辺で行き倒れた人馬の共同墓地があった。その墓標として延命地蔵が建立された。以来、さまざまな供養塔が集まった。
 かつてこれらの像は、現在の都電庚申塚駅の場所にあったが、明治四十四年(一九一一)、王子電気軌道(現都電荒川線)の停車場建設により移転された。その後、現位置に再移動し、大正期に参道と堂が整備された。
 昭和二十年(一九四五)四月十三日の空襲により、延命地蔵堂のすべての石造物が大きな被害をうけた。終戦後、土地の守り地蔵尊として信仰されている延命地蔵を再興するため、同三五年に地元住民による奉賛会が発足し、毎年八月二十四日に法要が行われている。平成二十四年(二○一二)十一月、地域の民間信仰を示すものとしての重要性が評価され、豊島区登録有形民俗文化財となった。

徳本名号塔(文政十一年再建)
 徳本は諸国を巡錫して各地に徳本念仏と呼ばれる念仏講を創成した僧である。独特な筆跡による名号と、徳本銘・花押が四面に刻まれている。
題目塔
 中央に「南無妙法蓮華経」、その左右に「大摩利支尊天」「北辰妙見大菩薩」を配置する三尊形式をとっている。塔の正面に「加越能佳人」「為道中安全」とあることから、北陸と江戸を結ぶ街道として中山道を往来した者が建立したのであろう。
延命地蔵塔
 延命地蔵堂の中心となる地蔵尊である。角柱型の安山岩に、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ半跏座像の地蔵が浮彫されている。現在は傷みが激しく、建立年代等を知ることはできないが、地蔵堂の形式などから、江戸時代初期のものであろうと推定される。
地蔵像庚申塔
 この庚申塔については、かっては上部に日月があり、中央に地蔵菩薩立像、その下に三猿が描かれていたという明治期の記録がある。それによると、地蔵像の右に「是より小石川おたんす町之ミち」、左に「元禄拾一年戌寅四月十六日 諸願成就」の銘があった。
馬頭観音塔
 台座前面の銘は一部欠損しているが、もとは「馬頭観世音」とあったとみられる。側面には「巣鴨」「願主 馬口 藤三郎」とあり、巣鴨の住民が建立したものである。
  平成二十六年三月  豊島区教育委員会」

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菅原神社(子安天満宮)

○菅原神社(子安天満宮) 豊島区北大塚1-7-3

「江戸名所図会 巣鴨真性寺」

 真性寺の遠景に「天神山」(子安天満宮)が描かれています。

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<すがも史跡まっぷ(抜粋)>

 真性寺から子安天満宮まで、距離は500mほどでした。

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<社号標>

 社号標は「子安天満宮」です。鳥居の左手の草々に埋もれ気味です。

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<参道/社務所>

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<手水鉢>

 手水鉢正面に文字が刻まれており、宝永年間の奉納です。「加刕」(加賀国)とあり金沢の石工が造った手水鉢です。

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<拝殿/本殿>

 扁額は「子安天満宮」です。

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<由緒>

 創建は室町時代の天文年間です。三河から移住した仁平三河守盛義により、屋敷神として勧請され、邸内の東に創建されたのが始まりです。盛義の子息である徳右衛門は保坂姓を名乗り、代々巣鴨村の名主を務めました。江戸時代には子安天満宮と称され、江戸二十五天神の一社に数えらました。また、社名に由来して、この地域は天神山と称されました。

「子安天満宮
御祭神 菅原道真公
 平安朝宇多天皇時代の人(西暦八四五〜九〇三)
 政治家・学者として歌人
鎮座 室町時代天文年間(西暦一五三二〜一五五五)
大祭 毎年五月二十五日
 由緒
室町時代天文年間に巣鴨保坂氏の祖先、仁平(にだいら)三河守盛義(新編武蔵風土記稿巣鴨村の項参照)が三河の国から(一説には京都から)この巣鴨の地に来て、当神社の西方低地谷端川のほとりに陣屋と称する家屋敷を構え、巣鴨村立始の住人となって(駒込圓勝寺の墓石参照)土地の開墾に勤め、同時に屋敷の東西南北の小高い場所に神々を祭って屋敷神とした。北は氷川神社(北大塚一丁目三八番八号の辺り)、南は熊野神社(南大塚二丁目三九番五号の辺り、現在は天祖神社内に移る)、西は稲荷神社(北大塚一丁目十五番五号の辺り、又は同二丁目三三番の辺り)、そして東に勧請したものが菅原道真公を祭るこの神社であり、最も広く、明治時代は坂の下の道迄一、一二〇坪の境内地を擁した。盛義は元亀二年(西暦一五七一年)に没し、その子は武士をやめて姓を保坂と改め、代々徳右衛門と名乗るようになり、やがて江戸に徳川幕府がおかれ、中山道の往来がしげくなるにつれ、陣屋をすてて中山道筋に移り、永く増上寺領巣鴨村の名主を勤めた、保坂氏の子孫は絶えることなく、当神社への奉仕を続けて今日に至っている。尚この辺り一帯の土地を天神山と唱えるのは、この御宮に由来するものであり、社号に子安の二字を冠するのは子育ての意味である。当神社は江戸時代の江戸惣鹿子名所大全、須原屋版分間大絵図等にも登載され、江戸名所図会の巣鴨真性寺の遠景にも描かれている。
  平成十六年五月 菅原神社」

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<神具庫>

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真性寺(江戸六地蔵)

○真性寺 豊島区巣鴨3-21-21

「江戸名所図会 巣鴨真性寺」

 挿絵には「江戸六地蔵の一員なり」とあります。手前の道は「すがも通り」とあり、中山道です。遠景に「天神山」が見えます。

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「江戸切絵図」

 江戸切絵図から、真性寺と庚申塚部分の抜粋です。

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<寺号標/真性寺由緒沿革>

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(説明板)
「真性寺由緒沿革
 当寺は、医王山東光院真性寺と称し、真言宗豊山派に属し、奈良県桜井市初瀬にある総本山長谷寺の末寺であります。
 当寺の開基は、聖武天皇勅願行基菩薩開基と伝えられています。中興開基は元和元年(西暦一六一五年)祐遍法印であります。御本尊は薬師如来でありまして、古来より秘佛として一切開扉されて来ておりません。当寺は、江戸時代より弘法大師御府内八十八ヶ所第三十三番札所・江戸六地蔵参り第三番となっています。
 巣鴨は中山道の江戸への入り口に当たり、八代将軍徳川吉宗公が度々狩りに来られ、当寺か御膳所とされていました。

 江戸六地蔵尊 第三番 縁起
 当寺境内に安置されております江戸六地蔵第三番の尊像は、地蔵坊正元が発願主となって、宝永三年(西暦一七○五年)造立の願を発してから、享保五年(西暦一七二○年)に至る十五年間に、江戸御府内の多くの人々より寄進を集め造立された六体の大地蔵尊の一体で、正徳四年(西暦一七一四年)に完成されました。
 発願主の地蔵坊正元は、若い頃に大病を患い、両親が地蔵菩薩に一心に祈願を込められている姿を見て、自らも御利益が得られたならば、世の中の人々に地蔵菩薩の御利益を勧め、多くの尊像を造立して人々に帰依することを勧めたいと地蔵菩薩に誓ったところ、不思議な霊験があって難病から本復したことにより、誓いの通り地蔵菩薩像を江戸の出入り口にある六ヵ寺に造立されたのであります。
  平成十二年八月吉日  醫王山 真性寺」

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<江戸六地蔵尊開眼三百年祭>

 2014年に、「江戸六地蔵尊開眼三百年祭」が行われています。

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「江戸六地蔵百萬遍大念仏供養 毎年六月二十四日午後厳修」

「百萬遍大念珠供養は「災い回避の御祈願」として毎年六月二十四日の午後五時より厳かに行われます。
 眞性寺境内に沢山の老若男女が、災いの回避を願い、直径三寸五分の大玉と二寸の小玉が連なった(全部で五四〇粒)長さ九間の大念珠を、お念仏を唱え廻します。
 境内の「陰光地蔵尊石碑」によると、其の大念珠供養は天保十年に始まり連綿と続けられておりましたが、先の大戦により中断し戦後昭和四十六年に地内の江戸六地蔵供養会により復活しました。
 現在は「江戸六地蔵尊奉賛会」の方々により運営され、どなたでも参加いただけます。また、子供用の大念珠も用意され、地域のお子様が大念珠を廻しております。
 御奉仕参加の皆様には奉賛会よりお供物が振る舞われます。」

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「江戸六地蔵尊略年表」「江戸六地蔵巡拝について」

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<山門>

 山門脇左右に、寺号標「醫王山真性寺 真言宗豊山派」と、札所標「御府内八十八ヶ所第三十三番札所 弘法大師 眞性寺」(明治43年)があります。

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<醫王山東光院 眞性寺>

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【参道左手】
<弘法大師・興教大師供養塔>

 弘法大師空海は、真言宗の開祖。興教大師覚鑁は、真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖です。

 「弘法大師一千五拾年御遠忌供養塔
  興教大師八百五拾年御遠忌供養塔」

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<日露戦争巣鴨町紀年碑>

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<大震火災遭難者供養塔>

 「大正十二年九月一日
   大震火災遭難者供養塔
     胡桃中村方載謹書」

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<巣鴨町長石井君碑>

 明治期に旧巣鴨町の町長を務めた石井小兵衛氏の顕彰碑です。明治44年の建立です。

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<札所碑>

 「弘法大師
   御府内三十三番」

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<芭蕉句碑>

 真性寺境内は萩の名所で、芭蕉百年忌の寛政5(1793)年に、採荼庵梅人らが芭蕉句碑を建立しました。碑には「志ら露も古保連ぬ萩のう禰里哉」と刻まれています。
 裏面には杉風の「萩植てひとり見習ふ山路かな」の句が刻まれています(裏は見ることはできません)。

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(掲示板)
「芭蕉翁
  しら露も
   こぼれぬ萩の
    うねり哉
 杉風 碑裏面
  萩植て
   ひとり見習ふ
    山路かな
 寛政発丑歳仲夏
  一七九三年
  採茶庵梅人社中」

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「興教大師八百五拾年御遠忌供養塔」(平成4年)
「弘法大師壹千百五拾年御遠忌供養塔」(昭和59年)
「弘法大師一千年御忌供養塔」

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【参道右手】
<阿弥陀堂>

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【社務所前】
<修行大師像/観音像>

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<子育て地蔵尊>

 区画整理により大塚3丁目からの移設です。子どもを抱えた地蔵尊像です。

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<江戸六地蔵> 東京都文化財

 江戸六地蔵とは、宝永から享保にかけて江戸の出入口六か所に造られた銅製地蔵菩薩坐像です。

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(説明板)
「東京都指定有形文化財(彫刻)
 銅造地蔵菩薩坐像(江戸六地蔵の一)
  所在地 豊島区巣鴨三ー二一ー二一
  指定  大正一○年三月
 江戸六地蔵の由来は、その一つ太宗寺の像内にあった刊本『江戸六地蔵建立之略縁起』によれば、江戸深川の地蔵坊正元が不治の病にかかり、病気平癒を両親とともに地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したことから、京都の六地蔵に倣って、宝永三年(一七○六)造立の願を発し、人々の浄財を集め、江戸市中六ヶ所に地蔵菩薩をそれぞれ一躯ずつ造立したと伝えられています。各像の全身及び蓮台には、勧進者、その造立年代などが陰刻されており、神田鍋町鋳物師太田駿河守藤原正義によって鋳造されたことがわかります。六地蔵のうち、深川にあった永代寺の地蔵菩薩(第六番)は、廃仏毀釈で取り壊され、五躯が残っています。
 六地蔵のうち、真性寺の地蔵は第四番目で、正徳四年(一七一四)に建立されました。平成二十〜二二年度(二〇〇八〜一〇)の修理の際に胎内から銅造地蔵菩薩坐像四躯と銅札、木札等が多数発見されました。それらは修理完了時に再び胎内に戻され、大切に保存されています。像高は、二六八cmあり、かつては鍍金が施されていました。
 江戸時代中期の鋳造像としては大作であり、かつ遺例の少ないものであることから文化財に指定されました。
  平成二三年三月 建設  東京都教育委員会」

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「都重宝 銅造地蔵菩薩坐像」
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「江戸六地蔵尊修復完成記念碑」(平成22年)
「江戸六地蔵尊三百年記念碑」

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「東京都重宝文化財 江戸六地蔵尊」

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「安永4(1775)年銘の札所碑」
 (中央) 「江戸六地蔵三番目」
 (左側面)「江戸九品仏一番目」
 (右側面)「江戸八十八ヶ所三十三番」

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「陰光地蔵尊」(大正10年)

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<本堂>

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