半額322円天丼弁当(和食さと)
○半額322円天丼弁当(和食さと)
2022年7月25日〜8月10日の平日限定で、天丼弁当が半額の646円→322円(税込)です。



海二尾とアジ、野菜、海苔がのっています。コンビニ弁当と違って、ゴハンが美味しい。


2022年7月25日〜8月10日の平日限定で、天丼弁当が半額の646円→322円(税込)です。



海二尾とアジ、野菜、海苔がのっています。コンビニ弁当と違って、ゴハンが美味しい。


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テーマ : テイクアウト・お持ち帰り - ジャンル : グルメ
ALMOND EYE アウトレットケーキ②
○ALMOND EYE(アーモンドアイ) 足立区中央本町4-4-12ルブランサポート1階 03-5888-5908
11:00-13:00 14:00-18:00(夏季は17:00まで) 定休:土日祝
<新しいチラシ>
チラシが新しくなりました(2022年7月訪問時)。抹茶ロールケーキ切り落としが値上がりで、150円→200円。
いちごクリームケーキ200円を購入。



前回記事 アーモンドアイ
11:00-13:00 14:00-18:00(夏季は17:00まで) 定休:土日祝
<新しいチラシ>
チラシが新しくなりました(2022年7月訪問時)。抹茶ロールケーキ切り落としが値上がりで、150円→200円。
いちごクリームケーキ200円を購入。



前回記事 アーモンドアイ
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tag : 工場直売
宝泉寺(几号水準点)
○ 宝泉寺 渋谷区東2-6-16
<几号水準点>
本堂向かって左にある「常盤薬師堂」碑の台座正面最下部の中央に几号水準点が刻まれています。「常盤薬師堂」は、源義朝の側室、常盤御前の持仏を祀ったお堂で、文化文政の頃火災により焼失しています。現在は「常盤薬師堂」碑と持仏だけが残ります。




「江戸名所図会 渋谷氷川明神社」
「渋谷氷川明神社」と別当の「宝泉寺」が描かれています。

参道からの宝泉寺部分の抜粋です。

「江戸切絵図」
「氷川宮」と「宝泉寺」が一緒に描かれています。 近くに「金王八幡宮」があります。

<参道>
参道から境内に入ると樹木が鬱蒼と茂っています。


(説明板)
「東二丁目6番16号 天台宗 慧日山薬王院 寶泉寺
区指定有形文化財 平成十九年三月一日
木造阿弥陀如来立像
本像は当寺の本尊で、両手の第一指と第二指を捻じる来迎印を表す阿弥陀如来立像です。像は頭の頂から両足のほぞにいたるまで一本の樹木(針葉樹)から彫り出し、これを耳の後ろを通る線で前後に割り、頭部も首下でいったん割り離し、それぞれの内側に刳りを入れた割矧造という技法が用いられてます。
端正に身を伸ばして立った姿は、玉眼につくらず彫眼とし、螺髪も小粒に彫出するという手法とともに、平安時代後期の作風を引き継いでいます。しかし、波型の髪際や着衣の細やかで明快な衣文の彫法には、鎌倉時代後期の洗練された表現が際立っています。とくに左肩に大きく折り返してかかる衲衣の纏い方や、体部全面を覆うその装飾的に整えられた衣文表現は、13世紀後半頃の傾向をよく伝えるものといえます。お顔にわずかな整形を加えているほか、袖の大部分を補修しているものの、当初の像容を損なわずに伝存した本像は、区内に伝わる秀れた鎌倉時代の作例として重要です。
渋谷区教育委員会」

<地蔵像ほか>

<几号水準点>
本堂向かって左にある「常盤薬師堂」碑の台座正面最下部の中央に几号水準点が刻まれています。「常盤薬師堂」は、源義朝の側室、常盤御前の持仏を祀ったお堂で、文化文政の頃火災により焼失しています。現在は「常盤薬師堂」碑と持仏だけが残ります。




「江戸名所図会 渋谷氷川明神社」
「渋谷氷川明神社」と別当の「宝泉寺」が描かれています。

参道からの宝泉寺部分の抜粋です。

「江戸切絵図」
「氷川宮」と「宝泉寺」が一緒に描かれています。 近くに「金王八幡宮」があります。

<参道>
参道から境内に入ると樹木が鬱蒼と茂っています。


(説明板)
「東二丁目6番16号 天台宗 慧日山薬王院 寶泉寺
区指定有形文化財 平成十九年三月一日
木造阿弥陀如来立像
本像は当寺の本尊で、両手の第一指と第二指を捻じる来迎印を表す阿弥陀如来立像です。像は頭の頂から両足のほぞにいたるまで一本の樹木(針葉樹)から彫り出し、これを耳の後ろを通る線で前後に割り、頭部も首下でいったん割り離し、それぞれの内側に刳りを入れた割矧造という技法が用いられてます。
端正に身を伸ばして立った姿は、玉眼につくらず彫眼とし、螺髪も小粒に彫出するという手法とともに、平安時代後期の作風を引き継いでいます。しかし、波型の髪際や着衣の細やかで明快な衣文の彫法には、鎌倉時代後期の洗練された表現が際立っています。とくに左肩に大きく折り返してかかる衲衣の纏い方や、体部全面を覆うその装飾的に整えられた衣文表現は、13世紀後半頃の傾向をよく伝えるものといえます。お顔にわずかな整形を加えているほか、袖の大部分を補修しているものの、当初の像容を損なわずに伝存した本像は、区内に伝わる秀れた鎌倉時代の作例として重要です。
渋谷区教育委員会」

<地蔵像ほか>


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小日向 本法寺(几号水準点/漱石句碑)
○小日向(こびなた)本法寺 文京区小日向1-4-15 HP
夏目家累代の菩提寺で、夏目家の墓があるお寺です。漱石の「坊ちゃん」に出てくる下女の「清」のお墓がある小日向の「養源寺」は、本法寺がモデルであるといわれています。なお、養源寺には漱石の同級生だった米山保三郎の墓があり、米山の祖母「清」が葬られています。
漱石は五女雛子の墓を雑司ヶ谷墓地に求め、漱石と妻鏡子もそこに葬られています(こちらで記載)。
小日向は住居表示は「こひなた」ですが、地元では「こびなた」と呼びます。寺のHPアドレスも[kobinata]です。
本法寺には几号水準点があります。
「江戸名所図会 金剛寺 氷川明神社 本法寺」
「金剛寺」(中野区上高田に移転)、「氷川明神社」(小日向神社)、「日輪寺」、「本法寺」が描かれています。

左半分の下に日輪寺と本法寺が描かれており、本法寺は本堂が見えるだけです。

「江戸切絵図」
江戸切絵図では「本方寺」とあります。
神田上水沿いには、将軍直衛の弓・鉄砲隊である「御持筒組」「御先手組」「御持組」や「御鎗組」、将軍の親衛隊である「御書院番組」が集中しています。他には「御勘定組」や「御賄方組」(江戸城内へ食料品を供給)「御台所組」が見えます。

<寺号標>
カーブミラーのような寺号標です。ちなみに支柱にカーブミラーが付いています。境内に几号水準点が刻まれている台座が見えます。



<早稲田大学で教鞭をとった文豪シリーズ>
門前に夏目漱石について刻まれているレリーフが掲げられています。
(レリーフ文)
「高源山随自意院本法寺は、東本願寺の末寺で、 眞宗大谷派に属し、夏目漱石(金之助)の菩提寺である。
夏目家は、代々江戸の名主をつとめた。明治十四年一月に母、二○年三月に長兄、六月に次兄が本法寺に葬られた。それ以来、漱石はしばしば小日向を訪れた。亡き母を詠んだ句もある。兄の死を悼んだ英文のスピーチを旧制一高で弁じたこともある。蓮如の「御ふみ」の言葉を友人子規に書き送りもした。作家となってからは「坊ちゃん」の清の墓をここに設けるなど、漱石の心の中に本法寺の幻はゆらめきつづけた。
境内には、早稲田大学第十四代総長奥島孝康が揮毫した漱石の句碑 がある。
早稲田大学創立125周年記念
「早稲田大学で教鞭をとった文豪シリーズ」」


<几号水準点>
天水桶(鉄水鉢)が置かれていた台座の左側面に几号水準点が刻まれています。戦時供出により台座のみ残っています。




<漱石句碑>
境内のブロック塀の前に「漱石句碑」があります。
「梅の花 不肖なれども 梅の花 夏目漱石」



(碑文)
「夏目漱石は、明治二二年二月五日に「兄の死」と題し一高で英語の演説をし、墓参の心境と境内の情景を語った。二九年正月松の内には本法寺で「展先妣墓」として「梅の花不肖なれども梅の花」と詠んだ。名作「坊ちゃん」の清の墓のモデルも他ならぬ小日向の菩提寺のこの墓である。
平成一四年三月吉日
早稲田大学総長 奥島孝康 識」

<若松翁之碑>
どなたでしょうかね。

<本堂/庫裡>


<夏目家墓>
墓所に夏目家墓があります。「夏目墓」「夏目氏」とあります。漱石の父母、長兄・次兄・三兄など近親の方々が眠っています。住職の奥さまから、わかりにくいですよとのことでしたが、墓所の上から見ていくとさほど労せずありました。



夏目家累代の菩提寺で、夏目家の墓があるお寺です。漱石の「坊ちゃん」に出てくる下女の「清」のお墓がある小日向の「養源寺」は、本法寺がモデルであるといわれています。なお、養源寺には漱石の同級生だった米山保三郎の墓があり、米山の祖母「清」が葬られています。
漱石は五女雛子の墓を雑司ヶ谷墓地に求め、漱石と妻鏡子もそこに葬られています(こちらで記載)。
小日向は住居表示は「こひなた」ですが、地元では「こびなた」と呼びます。寺のHPアドレスも[kobinata]です。
本法寺には几号水準点があります。
「江戸名所図会 金剛寺 氷川明神社 本法寺」
「金剛寺」(中野区上高田に移転)、「氷川明神社」(小日向神社)、「日輪寺」、「本法寺」が描かれています。

左半分の下に日輪寺と本法寺が描かれており、本法寺は本堂が見えるだけです。

「江戸切絵図」
江戸切絵図では「本方寺」とあります。
神田上水沿いには、将軍直衛の弓・鉄砲隊である「御持筒組」「御先手組」「御持組」や「御鎗組」、将軍の親衛隊である「御書院番組」が集中しています。他には「御勘定組」や「御賄方組」(江戸城内へ食料品を供給)「御台所組」が見えます。

<寺号標>
カーブミラーのような寺号標です。ちなみに支柱にカーブミラーが付いています。境内に几号水準点が刻まれている台座が見えます。



<早稲田大学で教鞭をとった文豪シリーズ>
門前に夏目漱石について刻まれているレリーフが掲げられています。
(レリーフ文)
「高源山随自意院本法寺は、東本願寺の末寺で、 眞宗大谷派に属し、夏目漱石(金之助)の菩提寺である。
夏目家は、代々江戸の名主をつとめた。明治十四年一月に母、二○年三月に長兄、六月に次兄が本法寺に葬られた。それ以来、漱石はしばしば小日向を訪れた。亡き母を詠んだ句もある。兄の死を悼んだ英文のスピーチを旧制一高で弁じたこともある。蓮如の「御ふみ」の言葉を友人子規に書き送りもした。作家となってからは「坊ちゃん」の清の墓をここに設けるなど、漱石の心の中に本法寺の幻はゆらめきつづけた。
境内には、早稲田大学第十四代総長奥島孝康が揮毫した漱石の句碑 がある。
早稲田大学創立125周年記念
「早稲田大学で教鞭をとった文豪シリーズ」」


<几号水準点>
天水桶(鉄水鉢)が置かれていた台座の左側面に几号水準点が刻まれています。戦時供出により台座のみ残っています。




<漱石句碑>
境内のブロック塀の前に「漱石句碑」があります。
「梅の花 不肖なれども 梅の花 夏目漱石」



(碑文)
「夏目漱石は、明治二二年二月五日に「兄の死」と題し一高で英語の演説をし、墓参の心境と境内の情景を語った。二九年正月松の内には本法寺で「展先妣墓」として「梅の花不肖なれども梅の花」と詠んだ。名作「坊ちゃん」の清の墓のモデルも他ならぬ小日向の菩提寺のこの墓である。
平成一四年三月吉日
早稲田大学総長 奥島孝康 識」

<若松翁之碑>
どなたでしょうかね。

<本堂/庫裡>


<夏目家墓>
墓所に夏目家墓があります。「夏目墓」「夏目氏」とあります。漱石の父母、長兄・次兄・三兄など近親の方々が眠っています。住職の奥さまから、わかりにくいですよとのことでしたが、墓所の上から見ていくとさほど労せずありました。




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几号水準点 白金/白金台/南青山
港区白金(西光寺)、白金台(覚林寺)、南青山の几号水準点です。
○西光寺 港区白金4-3-9


<几号水準点>
「南無阿弥陀佛」の石碑の「渡陸尺」と刻まれた台座の左側に「几号水準点」があります。




○覚林寺 港区白金台1-1-47
<几号水準点> 港区白金台1-1
桜田通りに面して「清正公大神儀」の石碑があります。几号水準点が電話ボックス側の台座にあります。




「鎮守 清正公大神儀
南無妙法蓮華経
寛延四辛未歳六月廿一日 最正寺 日要」




<覚林寺>
加藤清正公が祀られています。
(説明板)
「港区指定有形文化財
建造物 清正公堂及び山門
覚林寺は弘化二年(一八四五)の大火で全焼し、山門は安政三年(一八五六)、清正公堂は慶応元年(一八六五)に再建されたものです。
清正公堂は拝殿・幣殿・本殿からなる権現造形式です。拝殿は間口三間奥行三間、幣殿は間口一間奥行三間。本殿は土蔵造で明治中期頃の再建と考えられますが、伝統的な意匠をもちます。山門は覚林寺の表門で、木造・銅板葺の薬医門であり、両側に脇戸が付きます。斗に皿斗が付くほかは装飾的要素の少ない簡素な門です。
清正公堂は本殿部分を土蔵造とする権現造で、近世の建物構成を継承しています。拝殿・幣殿は本格的な禅宗様形式を採用し、本殿も伝統的な意匠を引き継いでおり、近世以来の技術を伝えるものとして高く評価されます。また山門は現在の境内おいて最古の建築であり、同時期の建設になる清正公堂とともに、近世以来の境内の構成を伝えている貴重な建造物です。
平成十九年十月二十三日指定 港区教育委員会」

<山門> 港区文化財

<百度石/無縁塚>


<毘沙門堂・稲荷堂>

<本堂>

<清正公堂> 港区文化財
扁額の「破魔軍」は、有栖川宮熾仁親王の書。


○南青山几号水準点 港区南青山7-13-29
南青山七丁目の民家先にある几号水準点です。撤去されずに残っていることに感心します。





○西光寺 港区白金4-3-9


<几号水準点>
「南無阿弥陀佛」の石碑の「渡陸尺」と刻まれた台座の左側に「几号水準点」があります。




○覚林寺 港区白金台1-1-47
<几号水準点> 港区白金台1-1
桜田通りに面して「清正公大神儀」の石碑があります。几号水準点が電話ボックス側の台座にあります。




「鎮守 清正公大神儀
南無妙法蓮華経
寛延四辛未歳六月廿一日 最正寺 日要」




<覚林寺>
加藤清正公が祀られています。
(説明板)
「港区指定有形文化財
建造物 清正公堂及び山門
覚林寺は弘化二年(一八四五)の大火で全焼し、山門は安政三年(一八五六)、清正公堂は慶応元年(一八六五)に再建されたものです。
清正公堂は拝殿・幣殿・本殿からなる権現造形式です。拝殿は間口三間奥行三間、幣殿は間口一間奥行三間。本殿は土蔵造で明治中期頃の再建と考えられますが、伝統的な意匠をもちます。山門は覚林寺の表門で、木造・銅板葺の薬医門であり、両側に脇戸が付きます。斗に皿斗が付くほかは装飾的要素の少ない簡素な門です。
清正公堂は本殿部分を土蔵造とする権現造で、近世の建物構成を継承しています。拝殿・幣殿は本格的な禅宗様形式を採用し、本殿も伝統的な意匠を引き継いでおり、近世以来の技術を伝えるものとして高く評価されます。また山門は現在の境内おいて最古の建築であり、同時期の建設になる清正公堂とともに、近世以来の境内の構成を伝えている貴重な建造物です。
平成十九年十月二十三日指定 港区教育委員会」

<山門> 港区文化財

<百度石/無縁塚>


<毘沙門堂・稲荷堂>

<本堂>

<清正公堂> 港区文化財
扁額の「破魔軍」は、有栖川宮熾仁親王の書。


○南青山几号水準点 港区南青山7-13-29
南青山七丁目の民家先にある几号水準点です。撤去されずに残っていることに感心します。






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テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
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