益子舘里山リゾートホテル

○益子舘里山リゾートホテル 益子町大字益子243-3 HP

 平成2(1990)年に「益子焼温泉健康センター」として開業、平成4(1992)年にホテルサンシャイン益子舘を開業。現在の屋号は「益子舘里山リゾートホテル」となっています。
 令和4(2022)年5月には、「温泉&フィットネス FLANER 益子舘」(HP)がオープンしています。
 令和2(2020)年から日帰り入浴を受け付けしています。
  営業時間 15:00~20:00 ※最終受付19:00
  料金 大人\1000/子供\800
 じゃらんでポイントが進呈されたので、益子では唯一となった温泉であり、利用しました。


<入口>

 入口の幟には「ゆ」の文字があります。日帰り入浴の掲示もあります。

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 渡り廊下先の別館

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<受付>

 山の上に建っているのが宿泊棟で、駐車場から入って右手にフロントのある宿泊棟前の館があります。左手に渡り廊下続きの別館の食事処・温泉棟があります。日帰り入浴はフロント横の別のカウンターで受け付けです。入浴整理券を渡されます(入浴後にフロントへ返還)。


<別館へ>

 フロントから2階へ上がって、渡り廊下から別館に渡ります。

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 渡り廊下から、露天風呂の眼前にある「天空の滝」が見えます。

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 1階へおります。

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 1階に卓球台があり、その先の手前に男湯、奥に女湯です。

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<温泉許可証>

 自家源泉の源泉名「益子焼温泉」を使用しているのかと思うも、平成26年11月4日付の温泉許可で、利用源泉名「塩原四季の郷温泉」です。利用場所は、「露天風呂(男・女)」となっています。

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<益子温泉は?>

 温泉ミシュランによると、「益子焼温泉 単純温泉(Na-HCO3型) 28.4℃ pH=8.0 TSM=0.256g/kg」
 宿のHPにも温泉分析書が以前は掲示されていましたが、現在は見当たりません。チラシは「里山の湯」で、「益子温泉」の文字はありません。
 温泉ブログをググってみると、2020年までは内湯に益子温泉使用の記録は見当たります。自家源泉と購入源泉を使用する施設では、自家源泉は分析せず温泉許可をとらない場合もあります(分析費用が高いとのこと)。このパターンか最近益子温泉の使用をやめたのか、泉温が25℃未満となって温泉に該当しなくなったのかどれかでしょう。
 温泉を使用していないのなら益子温泉全滅で、継続しているなら法律上の温泉に該当しなくなっても益子では唯一の温泉と思います。


<温泉分析書「塩原四季の郷温泉」>

 平成26年11月18日の分析書です。
 源泉名:「塩原四季の郷温泉」 湧出地:栃木県那須塩原市折戸字蟇沼道添231番160
 アルカリ性単純温泉(アルカリ性低張性高温泉)
 成分総計:0.993g 泉温:50.4℃ pH:8.6
 知覚的試験 微褐色でほとんど澄明、無味で微硫化水素臭を有する。

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<塩原四季の郷温泉の湧出地>

 こちらは塩原四季の郷温泉の湧出地です。新源泉を掘削するも湧出せず、2カ所目掘削で、2014年11月に湧出。足湯ができていました。

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 コロナの影響下、現在は立ち入り禁止のロープが張られています。

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<塩原四季の郷温泉の秀逸だった施設>

 印西市(旧印旛村)の日帰り温泉施設「那須塩原温泉 舞姫の湯」(2011/3閉館)で、塩原四季の郷温泉のローリー湯で使用していました。銀イオン使用で、塩素臭なく源泉の特徴も衰えておらず良かったですが、閉館して残念です。
 「塩原四季の郷温泉」は、現在も手広く販売されています。

 閉館した舞姫の湯
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<内湯>

 湯口は大急須です。オーバーフロー部は溢れだしはありません。
 温泉使用の露天風呂より内湯のほうが気持程度ですが温泉らしさを感じます。内湯は温泉使用許可は見当たらないものの、水道水の浴感ではないので、法律上の温泉に該当しなくなった元「益子焼温泉」を使用しているのかも(わかりません)。

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<露天風呂/天空の滝>

 大きな岩石を積み上げた人口の岩壁に、5分間隔で水が落されます(16時~18時30分)。
 湯口には、鬼怒川温泉でよく見る鬼がいてマスクをしています。
 オーバーフローなく、源泉量の不足を加水で補っているようで、源泉湧出地で味わった源泉の持ち味は失われています。
 内湯より露天のほうが塩素臭がして、内湯をメインに利用しました。

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<益子の温泉>

 「益子温泉 ニュー益子温泉ホテル」が2007年6月に閉館、「龍神温泉 七福の湯」が1年もたたずに2009年3月に閉館しています。
 益子で温泉を使用しているのは益子舘だけで、益子町初のフィットネスもオープンして、地域に根差す歴史を有していることをよく受け継いでいると感じました。


○【閉館】龍神温泉 七福の湯  益子町北中465-2

 2008年4月にオープンするも、2009年3月には閉館してしまいました。旧益子うな八温泉。
 源泉名「龍神温泉七福の湯」を加温のみの掛け流しで良い日帰り温泉でした。

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○【閉館】ニュー益子温泉ホテル  益子町小宅240

 2007年6月に閉館してしまいました。源泉名は「益子温泉」。泉温41.8℃、単純温泉でした。

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○【閉館】大川戸鉱泉  益子町上大羽2229-1 

 廃業して生活されていましたが、空家になったようです。

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○道の駅ましこ 益子町長堤2271 HP

 道の駅ましこは、平成28(2016)年10月に誕生した道の駅です。

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<大笹牧場 乳飲料 コーヒー>

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○益子時計 益子町益子4283-5

 「道の駅ましこ」出店に伴い、カフェは平成27(2015)年に閉店し、現在は宿泊のみです。ランチがおしゃれで良かったです。
 現在は、「道の駅ましこ」に出店しているので、道の駅で味わうことができます。混んでいたので残念ながらパスしました。

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○本郷稲荷山神社 益子町山本981

 「道の駅ましこ」から「益子舘」への途中にあったので、寄ってみました。
 古墳の上に鎮座する神社です。「No.55 本郷稲荷山神社 ましこ世間遺産」

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tag : 古墳道の駅

おおるりグループ→マイステイズホテル

 
○「おおるりグループ」→「マイステイズ・ホテル・マネジメント」

 マイステイズ・ホテル・マネジメントがおおるりグループから取得していた施設がオープンです。
 (画像はおおるりグループ当時のものです)

・塩原温泉八汐荘 那須塩原市塩原2441 0287-32-5963 2022/3/1open HP
 旧ホテルニュー八汐

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・日光湯西川平家本陣 日光市湯西川1033 0288-98-0016 2022/4/1open HP
 旧平家本陣

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・亀の井ホテル奥日光湯元 日光市湯元2519 0288-62-2700 2022/4/28open HP
 旧おおるり山荘
 
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・高雄温泉那須山荘 那須町湯本212-486
 オープン準備中です。

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常楽院(六阿弥陀第五番)

○常楽院 台東区上野4-8-4(旧所在地)

 当初の名称は長福寺でしたが、九代将軍家重の幼名が長福丸であったため、常楽院に改称しています。常楽院は、関東大震災で大きな被害を受け、また戦災で焼失し、調布に移転しました。
 戦後に跡地一帯を購入した赤札堂は、赤札堂の敷地内に仮堂を設け本尊の阿弥陀の模刻を安置しました(上野4丁目)。その後、昭和36(1961)年に開業した東天紅の敷地の一角(池之端1丁目)に堂宇(常楽院別院)を設け、ここに模刻の阿弥陀は移されます。株式会社アブアブ赤札堂と株式会社東天紅の持ち株会社が小泉グループで、両社はグループ企業です。ビルの屋上ではなく平地にお祀りした心意気に感心します。
 ※「「篤信」の「商売人」ー東天紅上野本店裏手の常楽院別院に関する調査報告ー徳田安津樹」を参照しました。


「江戸名所図会 常楽院」

 挿絵には「六阿弥陀五番目なり 春秋二度の彼岸中賑わし」とあります。石畳の参道の右手に「六地蔵」や「地蔵」が見えます。阿弥陀堂内右手には閻魔大王が見えます。

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「東都歳事記 彼岸六阿弥陀参」

 東都歳事記に六阿弥陀参の全体図が描かれており、五番常楽院部分の抜粋です。三橋の脇に「五番」が描かれています。

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「武州江戸六阿弥陀巡拝之図」(文政12(1829)年 足立区立郷土博物館所蔵)

 文政12(1829)年に六阿弥陀四番与楽寺が作成した「武州江戸六阿弥陀巡拝之図」から、常楽院部分の抜粋です。常楽院から三橋を渡って4番与楽寺へ、あるいは6番常光寺への六阿弥陀巡拝路が描かれています。

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「江戸切絵図」

 江戸切絵図には、三橋の脇、下谷広小路に面して「常楽院」が描かれています。現在のABABがある場所です(台東区上野4丁目)。

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「名所之内上野」(歌川芳盛 東京都立図書館蔵))

 「名所之内上野」の全体図と六阿弥陀部分の拡大です。常楽院は三橋の手前に「六アミダ」と表示されています。町屋の間にある冠木門(表門)をくぐった先が境内となっています。

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「上野広小路」(日本之名勝 史伝編纂所 明治33年)

 三橋の手前右手に常楽院の入口らしきものが見えます。

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<几号水準点>

 几号水準点の所在地に「上野広小路常楽院地蔵台石」がありますが、消失したようです。


○常楽院別院 台東区池之端1-4-1

 門柱には、左に「六阿彌陀」、右に「第五番」とあります。

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<誹風柳多留巻頭の地>

 境内入口に、平成27(2015)年に柳多留二百五十年実行委員会が建立した「誹風柳多留巻頭の地」碑があります。「五番目は同し作でも江戸産れ」は、『誹風柳多留』の巻頭を飾る句です。
 六阿弥陀詣の六ヶ寺のうち、常楽院だけが御府内に位地し大いに賑わい、江戸っ子の自慢であり、川柳の題材ともなりました。
六阿弥陀は同じ人が、同じ木から彫ったものでも、五番目は他とは違って江戸にあるという江戸自慢を詠んだ句です。他に「五番目の弥陀は麦めしきらひ也」という川柳もあります。

 (正面)「誹風柳多留巻頭の地」

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 (右面)「五番目は同じ作でも江戸産れ」

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 (左面)「平成二十七年四月吉日 柳多留二百五十年実行委員会」

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 (参考)
 上野公園入り口の階段横に、「川柳の原点 誹風柳多留発祥の地」の記念碑が建っています。平成27(2015)年8月の建立です。 こちらで記載済

 東岳寺(足立区伊興本町)に、誹風柳多留の版元、花屋久次郎遺跡の碑が建っています。こちらで記載済


<境内>

 境内に、石燈籠、水鉢、石仏、不明の石があります。

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<江戸六阿弥陀縁起>

 東天紅の壁に「江戸六阿弥陀縁起」の掲示があります。

(説明板)
「江戸六阿弥陀縁起
 聖武天皇の項(七二四~七四九)、武蔵国足立郡(今の東京都足立区)に沼田の長者とよばれる庄司(荘園を管理する人)従二位藤原正成という人がいて、多年子宝に恵まれずにいたが、ある時、熊野権現(和歌山県)に詣でて祈願したところご利益を得てようよう一女を授かった。
 この息女は足立姫と呼ばれた程にみめ美しく、仏を崇い、天質聡明であったが、隣りの郡に住む領主豊島左ヱ門尉清光に嫁がせると、領主の姑が事々に辛くあたり悲歎の日々を送ることになった。
 そしてある時、里帰りの折りに思い余って沼田川(現荒川)に身を投げ、五人の侍女もまた姫の後を追って川に身を投じたのであった。
 後日、息女らの供養に諸国巡礼の旅に出た長者が再び熊野権現に詣でたところ夢に権現(衆生を救うために日本の神の姿をとって現れる仏)が立ち一女を授けたのはそなたを仏道に導く方便であった、これより熊野山中にある霊木により六体の阿弥陀仏を彫み広く衆生を済度せよ、と申されたのであった。
 長者が熊野山中を探し歩くと果たして光り輝く霊木をみつけ、長者は念を込めてその霊木を海に流したのである。長者が帰国してみると霊木は沼田の入江に流れ着いており、間もなくこれも先の夢のお告げの通りに、諸国巡礼の途に沼田の地に立ち寄られた行基菩薩に乞うて六体の阿弥陀仏を彫り、六女ゆかりの地にそれぞれお堂を建ててこれを祀ったのである。
 江戸時代に入り、この六阿弥陀を巡拝し、極楽往生を願う信仰が行楽を伴って盛んになり、特に第五番常楽院は上野広小路の繁華街(現ABAB赤札堂地)にあったので両彼岸などは特に大いに賑わい、江戸名所図絵にも描かれている。広小路のお堂は、関東大震災と第二次大戦期の焼失を継て、ご本尊阿弥陀さまは調布市に移ったが、参詣の便を図って縁のある上野池之端、此東天紅の敷地を拝借して別院を設け、模刻の阿弥陀さまをお祀りしている。
  六阿弥陀第五番  常楽院
  調布市西つつじヶ丘四の九の一」

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<阿弥陀堂>

 祭壇のロウソクは電光式、線香も電光式です。電光式の線香は初めて見ました。

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<模刻阿弥陀さま>

 模刻ですが、直接拝めるのはここと一番の再建露仏だけなので、貴重かと思います。

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恵明寺(六阿弥陀第二番)

○恵明寺 足立区江北2-4-3

 江戸時代、沼田村に存していたのが恵明寺(えみょうじ)です。末寺の延命院が管理する阿弥陀堂(延命院から離れたところ)が六阿弥陀第二番でした。延命院は明治9(1876)年に廃寺となり、本寺だった恵明寺が阿弥陀堂を管理するところとなり、恵明寺が六阿弥陀第二番となります。
 大正時代の荒川放水路開削工事により阿弥陀堂は河川敷地内となったため廃止され、阿弥陀堂にあった阿弥陀仏は恵明寺に移されました。
 荒綾八十八ヶ所霊場の第54番札所です。

<寺号標/札所標>

 右に寺号標
 「江戸六阿弥陀第弐番 宮城山恵明寺」

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 左に大正8(1919)年銘の札所碑。
 「第弐番 六阿弥陀如来霊場
  荒綾八十八ケ所第五十四番 弘法大師霊場
  宮城山恵明寺」

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(説明板)
「恵明寺(えみょうじ)
 真言宗、宮城山円明院恵明寺と称す。本尊阿弥陀如来坐像は、造像の技法がきわめてすすんだころの等身大の寄木造りである。この阿弥陀如来は、江戸阿弥陀二番の札所として、古くは小台の延命寺にあったものを明治九年の合併の際移したものである。六阿弥陀仏の信仰は、平安後期以後に発生したものと思われる。
 当寺に伝わる六阿弥陀縁起、足立姫の伝説は広く知られており、江戸時代の天野信景の随筆「塩尻」にもその巡礼の様子がみられ、この地の人々の信仰を集めていたことがわかる。
  平成元年一月  東京都足立区教育委員会」

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<庚申塔二基/地蔵道標>

 右は、文政8(1825)年6月銘の庚申塔です。「庚申」「青面金剛」とあります。

 中央は、元禄5(1692)年9月銘の舟型光背型庚申塔です。

 左は、貞享3(1686)年銘の地蔵道標です(移設)。
 正面上部に地蔵座像が浮き彫りされ、その下中央に「従是西六あミた」と刻まれ六阿弥陀の道標となっています。 (劣化著しく読めないので「近世以前の土木遺産」(岡山大学名誉教授・馬場俊介)のデータベースを参照しました。)

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<子育地蔵堂>

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<板碑>

 子育地蔵堂の裏に、古い板碑が二基あります。

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<宝篋印塔>

 文化6年(1809)4月銘の宝篋印塔です。

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<本堂>

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<大師堂>

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<無縁塔>

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<聖観音菩薩像>

 寛文9(1669)年12月銘の聖観音菩薩像ですが、台石に三猿がいます。

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○恵明寺ぷちてらす 足立区江北2-3-16

 恵明寺の門前に「恵明寺ぷちてらす」があります。

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延命院(六阿弥陀第二番)

○延命院 足立区江北2-36辺り

 正式名は、「甘露山 延命院 応味寺」で、江戸時代の案内書には延命院・延命寺のほか、応味寺・応味院と案内されています。延命院から離れたところにある阿弥陀堂が六阿弥陀第二番でした。阿弥陀堂は小台村の飛地で沼田の六阿弥陀と呼ばれました(現在の江北2-46先荒川土手)。明治9(1876)年に延命院は廃寺となり、本寺だった恵明寺が阿弥陀堂を管理するところとなり、恵明寺が第二番となります。 大正時代の荒川放水路開削工事により阿弥陀堂は河川敷地内となったため廃止され、阿弥陀堂にあった阿弥陀仏は恵明寺に移されました。

(参考)小台大門町
 この飛地から弥生時代の集落跡が発掘されており(足立区文化財)、古くから人が住んでいたと考えられています。荒川放水路開削で、飛地の区域はそのほとんどが荒川河川敷内となりました。 足立区小台大門町として存続していましたが、平成元(1989)年に河川敷地内に住居表示が実施されその名称は消滅し江北2丁目となりました。


「江戸名所図会 六阿弥陀廻」

(どこを描いたのか)
 「江戸名所図会」に六阿弥陀廻の賑わいが描かれていますが、タイトルの明示がなく、場所は推測するしかありません。本文で、延命院と餘木阿弥陀如来が紹介されており、これらを巡拝する人々を描いたものと思われます。延命院が管理する阿弥陀堂近辺、熊之木の光景を描いていると推定します。熊之木の光景と仮定すると、描かれている光景にすべて合点がいきます。

(熊之木が描かれていると仮定して)
 奥に見えるのは荒川(豊島村からは豊島川、沼田村からは沼田川。現:隅田川)で、六阿弥陀の渡しを渡ってきた参詣者が見えます。杖を持つ参詣者が多く描かれています。
 手前の小川は神領堀で、橋が架かっています。川の縁に、食器の入った盥と鍋が置かれています。茶屋の主人が鎌を洗っています。
 茶屋では、藁草履・雪駄を売っています(六阿弥陀詣は長丁場です)。屋根には鶏がいてのどかな農村の雰囲気です。道端では近隣の農家が農産物を売っているのでしょう。茶屋も出ているので、ここは六阿弥陀詣の名所となっていた阿弥陀堂近くの熊之木でしょう。
 駕篭を止めている女性に、六阿弥陀詣の参詣者が、方角を指差しています。その先に阿弥陀堂があるのでしょう。これから神領堀の橋(江戸時代もあったか不明ですが熊之木橋と勝手に推定)を渡ろうとする駕籠の女性や参詣者が見えます。往来の多い道のようなので、弘法大師道で、西新井弘法大師に参詣してから反時計まわりに六阿弥陀を廻るのでしょう。橋を渡ってくる子どもは弁当箱を担いでいます。長丁場なので弁当持参なのでしょう。

(昭和天皇も御訪問)
 昭和天皇がご幼少の頃、車から降りて、荒川堤の五色桜を観覧され、熊之木橋を渡って西新井大師まで歩かれています。

(挿絵説明)
「春秋二度の彼岸には六阿弥陀廻とて日かげの麗かなるに催され都下の貴賎老いたる若き、打群つつ朝とく宅居を出るといへども行程遠ければ遅々たる春の日も長からず秋はことさら暮れやすうおもはるべし」

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「江戸切絵図」

 豊嶋村に「六アミタ一番西福寺」があり、「豊島村渡場」が見えます。 渡場の沼田村の左手に「六アミタ二番延命寺」とあります。  「六アミタ木余如来性翁寺足立姫墓有」と「本木太田三嶋大明神」も描かれています。

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<阿弥陀堂>(現在の江北2-46先荒川土手)

 こちらは「東屋本店」(足立区江北2-46-13)で、店裏の荒川土手にかつて阿弥陀堂がありました。
 東屋本店は江戸時代後期の創業(創業時は茶店)の酒屋で、店主は「荒川五色桜復活の会」の代表を務められました。五色桜にちなんだ酒類の、麦焼酎「咲いた咲いた桜が咲いた」、日本酒「五色桜」「荒川堤」を販売しています。

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<荒川土手>

 荒川土手です。荒川放水路開削前は、隅田川はここら辺りまで曲がっていて、六阿弥陀の渡しがありました。

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<あだち五色桜の散歩みち>

 説明板でもあるかと思ったら、「あだち五色桜の散歩みち」の「桜の配置案内板」です。散歩みちは、荒川左岸土手上の鹿浜橋から西新井橋まで続いています。

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<延命院跡>

 延命院跡を見たところ。

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<対岸>

 対岸(北区豊島)の説明板「阿弥陀の渡船場跡」(こちらで記載)から、阿弥陀堂跡方向を見たところですが、眺望悪し。

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