石川島公園 石川島造船所跡
○石川島公園 中央区佃2-1-5
<案内板> 中央区佃2-1
「相生橋 720M→」
「①石川島公園と②佃公園」「③石川島資料館」の説明掲示があります。


<都市公園コンクール 建設大臣賞受賞>
建設大臣賞受賞プレートがあります。階段護岸や自然石護岸では、直接水に接することができるようになっています。








カモメの群れが休んでいました。近づいてカメラを向けても逃げないですね。


<灯蓋>
区の花「ツツジ」と区の木「ヤナギ」がデザインされた蓋です。「灯」とあり、街路灯の制御を行うためのハンドホール蓋で、街路灯に沿って続いています。

<パリ広場>
パリ広場記念碑「友情から未来へ」があります。フランスと日本の児童250人が参加して作成した作品です。









<日本初の民営洋式造船所発祥の地> 中央区佃2-1・2
ペリー来航の1853(嘉永6)年、幕府の命を受けた水戸藩(徳川斉昭)は、石川島に石川島造船所を創設しました。明治維新により官営となり、1876(明治9)年、平野富二により民営洋式造船所として再スタートしました。株式会社に改組した1893(明治26)年に、渋沢栄一が東京石川島造船所取締役会長に就いています(1909(明治42)年まで在任)。リバーシティー21に、石川島資料館があります。
(説明板)
「米国ペリー艦隊が来航した1853年(嘉永6年)幕府の命を受けた水戸藩がこの地に石川島造船所を創設した。同造船所は洋式軍艦「旭日丸」をはじめ、日本人によって設計、建造された最初の蒸気軍艦「千代田形」など数多の艦船を次々と建造、造船技術を通じてわが国産業の近代化に大きく貢献した。
明治維新後の1876年(明治9年)平野 富二によりわが国初の民営洋式造船所として再スタートし、その後1889年(明治22年)には渋沢 栄一などの協力により会社組織となり、有限責任石川島造船所、株式会社東京石川島造船所の社名の下、明治から大正・昭和にかけて多くの軍艦・商船を世に送り出してきた。この地での造船事業は1939年(昭和14年)の造船部門の東京深川区豊洲への
移設によって幕を閉じた。
その後、石川島重工業株式会社、石川島播磨重工業株式会社と社名が変更される中で、当地は日本屈指の重機械類の専門工場として活躍してきたが、1979年(昭和54年)の工場大移転により、その長い歴史を終えた。」





「千代田形」(大日本帝国軍艦帖 明治27年10月 国立国会図書館蔵)
江戸幕府に納入された「千代田形」は、明治維新後も活躍していました。
<案内板> 中央区佃2-1
「相生橋 720M→」
「①石川島公園と②佃公園」「③石川島資料館」の説明掲示があります。


<都市公園コンクール 建設大臣賞受賞>
建設大臣賞受賞プレートがあります。階段護岸や自然石護岸では、直接水に接することができるようになっています。








カモメの群れが休んでいました。近づいてカメラを向けても逃げないですね。


<灯蓋>
区の花「ツツジ」と区の木「ヤナギ」がデザインされた蓋です。「灯」とあり、街路灯の制御を行うためのハンドホール蓋で、街路灯に沿って続いています。

<パリ広場>
パリ広場記念碑「友情から未来へ」があります。フランスと日本の児童250人が参加して作成した作品です。









<日本初の民営洋式造船所発祥の地> 中央区佃2-1・2
ペリー来航の1853(嘉永6)年、幕府の命を受けた水戸藩(徳川斉昭)は、石川島に石川島造船所を創設しました。明治維新により官営となり、1876(明治9)年、平野富二により民営洋式造船所として再スタートしました。株式会社に改組した1893(明治26)年に、渋沢栄一が東京石川島造船所取締役会長に就いています(1909(明治42)年まで在任)。リバーシティー21に、石川島資料館があります。
(説明板)
「米国ペリー艦隊が来航した1853年(嘉永6年)幕府の命を受けた水戸藩がこの地に石川島造船所を創設した。同造船所は洋式軍艦「旭日丸」をはじめ、日本人によって設計、建造された最初の蒸気軍艦「千代田形」など数多の艦船を次々と建造、造船技術を通じてわが国産業の近代化に大きく貢献した。
明治維新後の1876年(明治9年)平野 富二によりわが国初の民営洋式造船所として再スタートし、その後1889年(明治22年)には渋沢 栄一などの協力により会社組織となり、有限責任石川島造船所、株式会社東京石川島造船所の社名の下、明治から大正・昭和にかけて多くの軍艦・商船を世に送り出してきた。この地での造船事業は1939年(昭和14年)の造船部門の東京深川区豊洲への
移設によって幕を閉じた。
その後、石川島重工業株式会社、石川島播磨重工業株式会社と社名が変更される中で、当地は日本屈指の重機械類の専門工場として活躍してきたが、1979年(昭和54年)の工場大移転により、その長い歴史を終えた。」





「千代田形」(大日本帝国軍艦帖 明治27年10月 国立国会図書館蔵)
江戸幕府に納入された「千代田形」は、明治維新後も活躍していました。

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