橋戸稲荷神社(千住橋戸町)
○橋戸稲荷神社 足立区千住橋戸町25-1

「江戸名所図会 千住川」
「江戸名所図会千住川」に「いなり」(橋戸稲荷神社)が見えます。


<橋戸稲荷神社と伊豆長八の鏝絵>
鳥居左手にある説明板「橋戸稲荷神社と伊豆長八の鏝絵」です。
(説明板)
「橋戸稲荷神社と伊豆長八の鏝絵 登録 昭和五七年一二月
当社は、昔この地の半農半漁の開拓民が、稲荷の神を勧請し延徳二年(一四九○)の創建という。もとは千住河原の景勝地に本殿のみが建立されていたと伝わる。
江戸時代、千住が宿場になると、社の付近に、上流の飯能・秩父・川越方面から物資が陸揚げされ、この辺りは、継場として栄えた。
文禄三年(一五九四)千住大橋がかけられると、人馬の往来が数多くなり、宿場を通る人々や、河川の小揚組などの信仰を集め今日に至った。
文久三年(一八六三)拝殿の前扉に、当時、鏝絵の名工として名高かった伊豆長八の創作で白虎が彫刻された。伊豆長八の作品として、数少ない貴重な遺作である。
平成十六年三月 足立区教育委員会」

<矢穴の石>
江戸城石垣石によく見られる矢穴のある石があります。

<睦逎松碑>

<手水舎>

<獅子山>
獅子山の上は、神使狐です。



<橋戸神社縁起碑>
平成2(1990)年の建立です。

<拝殿>
扁額は「神威」です。


<本殿>


(説明板)
「伊豆長八作 鏝絵
橋戸稲荷神社本殿は、寺社建築では珍しい土蔵造りで、足立区登録有形文化財(建造物)である。
正面、観音開き左右の扉の内側には、伊豆長八(本名は入江長八)により鏝絵が画かれている。絵は夫婦の白狐で、向かって右扉に雄狐、左扉に雌狐が子狐を抱き、背後にもう一匹の子狐と稲穂が配されている。小狐を見る母狐の慈愛溢れる眼差しや優美な白狐の姿態など、名工長八の技量が遺憾なく発揮された名作である。
土蔵造りの本殿、鏝絵の図柄とも、橋戸耕地の稲の豊作を祈願したものと思われ、絶えず水害に苦しんだ農民の願いが込められたものといわれる。
伊豆長八は文化十二年(一八一五)、伊豆国松崎(静岡県松崎町)に生まれ、文政九年(一八二六)、郷里で左官となった。天保四年(一八三三)、江戸に出て技術を研き、明治二十二年(一八八九)、東京深川で没した。長八の鏝絵は、伊豆はもとより、関東・東海の各地に見られたというが、関東大震災などで失われたものが多く、現存する作品は貴重である。
平成二十八年三月 足立区教育委員会」

<鏝絵レプリカ>
本殿の鏝絵のレプリカが拝殿にあります。
向かって左扉の鏝絵:母狐と二匹の子狐と稲穂


向かって右扉の鏝絵:父狐と稲穂


<境内社>
拝殿左手の境内社



拝殿右奥の境内社


<橋戸稲荷神社参拝記念>
「橋戸稲荷神社縁起
この社は延長四年(九二六)に創建された。千住では歴史の古い神社である。初めは千住の渡し場のほとりの小高い丘に小さな社が造られ、土地の開拓農民や荒川の上流から江戸に荷物を運ぶ船頭達の信仰を集めた。
祭神 倉稲魂命 と稱し、本殿は延徳二年(一四九○)拝殿は文久二年(一八六二)に建立された。現在の本殿は土蔵造りで扉を開くと左右に伊豆長八作の雌雄二匹の狐と稲穂の漆喰の彫刻が見られる。
「橋戸稲荷神社と伊豆長八の鏝絵
当社は、昔この地の半農半漁の開拓民が、稲荷の神を勧請し延徳二年(一四九○)の創建という。もとは千住河原の景勝地に本殿のみが建立されていたと伝わる。
江戸時代、千住が宿場になると、社の付近に上流の飯能・秩父・川越方面から物資が陸揚げされ、この辺りは、継場として栄えた。
文禄三年(一五九四)千住大橋がかけられると、人馬の往来が数多くなり、宿場を通る人々や、河川の小揚組などの信仰を集め今日に至った。
文久三年(一八六三)本殿の前扉に、当時、鏝絵の名工として名高かった伊豆長八の創作で白虎が彫刻された。伊豆長八の作品として、数少ない貴重な遺作である。」
「伊豆長八作 鏝絵
橋戸稲荷神社本殿は寺社建築では珍しい土蔵造りで、足立区登録有形文化財(建築物)である。
正面、観音開き左右の扉の内側には、伊豆長八(本名は入江長八)により鏝絵が画かれている。絵は夫婦の白狐で、向かって右扉に雄狐・左扉に雌狐が子狐を抱き、背後にはもう一匹の狐と稲穂が配されている。子狐を見る母狐の慈愛溢れる眼差し・優美な白狐の姿態など、名工長八の技量が遺憾なく発揮された名作である。
土蔵造りの本殿、鏝絵の図柄とも、橋戸耕地の稲の豊作を祈願したものと思われ、絶えず水害に苦しんだ農民の願いが込められたものといわれる。
伊豆長八は文化十二年(一八一五)、伊豆国松崎(静岡県松崎町)に生まれ、文政九年(一八二六)、郷里で左官となった。天保四年(一八三三)、江戸に出て技術を研き、明治二十二年(一八八九)、東京深川で没した。長八の鏝絵は、伊豆はもとより、関東。東海の各地に見られたと言うが、震災・戦災で失われたものが多く、現存する作品は貴重である。」

「江戸名所図会 千住川」
「江戸名所図会千住川」に「いなり」(橋戸稲荷神社)が見えます。


<橋戸稲荷神社と伊豆長八の鏝絵>
鳥居左手にある説明板「橋戸稲荷神社と伊豆長八の鏝絵」です。
(説明板)
「橋戸稲荷神社と伊豆長八の鏝絵 登録 昭和五七年一二月
当社は、昔この地の半農半漁の開拓民が、稲荷の神を勧請し延徳二年(一四九○)の創建という。もとは千住河原の景勝地に本殿のみが建立されていたと伝わる。
江戸時代、千住が宿場になると、社の付近に、上流の飯能・秩父・川越方面から物資が陸揚げされ、この辺りは、継場として栄えた。
文禄三年(一五九四)千住大橋がかけられると、人馬の往来が数多くなり、宿場を通る人々や、河川の小揚組などの信仰を集め今日に至った。
文久三年(一八六三)拝殿の前扉に、当時、鏝絵の名工として名高かった伊豆長八の創作で白虎が彫刻された。伊豆長八の作品として、数少ない貴重な遺作である。
平成十六年三月 足立区教育委員会」

<矢穴の石>
江戸城石垣石によく見られる矢穴のある石があります。

<睦逎松碑>

<手水舎>

<獅子山>
獅子山の上は、神使狐です。



<橋戸神社縁起碑>
平成2(1990)年の建立です。

<拝殿>
扁額は「神威」です。


<本殿>


(説明板)
「伊豆長八作 鏝絵
橋戸稲荷神社本殿は、寺社建築では珍しい土蔵造りで、足立区登録有形文化財(建造物)である。
正面、観音開き左右の扉の内側には、伊豆長八(本名は入江長八)により鏝絵が画かれている。絵は夫婦の白狐で、向かって右扉に雄狐、左扉に雌狐が子狐を抱き、背後にもう一匹の子狐と稲穂が配されている。小狐を見る母狐の慈愛溢れる眼差しや優美な白狐の姿態など、名工長八の技量が遺憾なく発揮された名作である。
土蔵造りの本殿、鏝絵の図柄とも、橋戸耕地の稲の豊作を祈願したものと思われ、絶えず水害に苦しんだ農民の願いが込められたものといわれる。
伊豆長八は文化十二年(一八一五)、伊豆国松崎(静岡県松崎町)に生まれ、文政九年(一八二六)、郷里で左官となった。天保四年(一八三三)、江戸に出て技術を研き、明治二十二年(一八八九)、東京深川で没した。長八の鏝絵は、伊豆はもとより、関東・東海の各地に見られたというが、関東大震災などで失われたものが多く、現存する作品は貴重である。
平成二十八年三月 足立区教育委員会」

<鏝絵レプリカ>
本殿の鏝絵のレプリカが拝殿にあります。
向かって左扉の鏝絵:母狐と二匹の子狐と稲穂


向かって右扉の鏝絵:父狐と稲穂


<境内社>
拝殿左手の境内社



拝殿右奥の境内社


<橋戸稲荷神社参拝記念>
「橋戸稲荷神社縁起
この社は延長四年(九二六)に創建された。千住では歴史の古い神社である。初めは千住の渡し場のほとりの小高い丘に小さな社が造られ、土地の開拓農民や荒川の上流から江戸に荷物を運ぶ船頭達の信仰を集めた。
祭神 倉稲魂命 と稱し、本殿は延徳二年(一四九○)拝殿は文久二年(一八六二)に建立された。現在の本殿は土蔵造りで扉を開くと左右に伊豆長八作の雌雄二匹の狐と稲穂の漆喰の彫刻が見られる。
「橋戸稲荷神社と伊豆長八の鏝絵
当社は、昔この地の半農半漁の開拓民が、稲荷の神を勧請し延徳二年(一四九○)の創建という。もとは千住河原の景勝地に本殿のみが建立されていたと伝わる。
江戸時代、千住が宿場になると、社の付近に上流の飯能・秩父・川越方面から物資が陸揚げされ、この辺りは、継場として栄えた。
文禄三年(一五九四)千住大橋がかけられると、人馬の往来が数多くなり、宿場を通る人々や、河川の小揚組などの信仰を集め今日に至った。
文久三年(一八六三)本殿の前扉に、当時、鏝絵の名工として名高かった伊豆長八の創作で白虎が彫刻された。伊豆長八の作品として、数少ない貴重な遺作である。」
「伊豆長八作 鏝絵
橋戸稲荷神社本殿は寺社建築では珍しい土蔵造りで、足立区登録有形文化財(建築物)である。
正面、観音開き左右の扉の内側には、伊豆長八(本名は入江長八)により鏝絵が画かれている。絵は夫婦の白狐で、向かって右扉に雄狐・左扉に雌狐が子狐を抱き、背後にはもう一匹の狐と稲穂が配されている。子狐を見る母狐の慈愛溢れる眼差し・優美な白狐の姿態など、名工長八の技量が遺憾なく発揮された名作である。
土蔵造りの本殿、鏝絵の図柄とも、橋戸耕地の稲の豊作を祈願したものと思われ、絶えず水害に苦しんだ農民の願いが込められたものといわれる。
伊豆長八は文化十二年(一八一五)、伊豆国松崎(静岡県松崎町)に生まれ、文政九年(一八二六)、郷里で左官となった。天保四年(一八三三)、江戸に出て技術を研き、明治二十二年(一八八九)、東京深川で没した。長八の鏝絵は、伊豆はもとより、関東。東海の各地に見られたと言うが、震災・戦災で失われたものが多く、現存する作品は貴重である。」

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仲町の家(千住仲町)
○仲町の家 足立区千住仲町29-1 HP
千住大橋の建設に尽力し、掃部堤(現在の墨堤通り)を作るなど、この街の繁栄の礎を築いた石出掃部亮吉胤。 その子孫が暮らした屋敷が「仲町の家」です。氷川神社の前にあります。
<入口>



<庭>



<西門>

<パンフレット>

<新田開発と掃部新田>
足立区立郷土博物館の展示パネルより、掃部新田部分の抜粋です。


千住大橋の建設に尽力し、掃部堤(現在の墨堤通り)を作るなど、この街の繁栄の礎を築いた石出掃部亮吉胤。 その子孫が暮らした屋敷が「仲町の家」です。氷川神社の前にあります。
<入口>



<庭>



<西門>

<パンフレット>

<新田開発と掃部新田>
足立区立郷土博物館の展示パネルより、掃部新田部分の抜粋です。


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テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
tag : 千住
環境審議会温泉部会(令和3年度)
〇令和3(2021)年度第2回栃木県環境審議会温泉部会 令和4(2022)年3月1日
令和3(2021)年度第2回栃木県環境審議会温泉部会を令和4(2022)年2月9日から令和4(2022)年2月25日を意見聴取期間として書面により実施した結果です。
・申請者 ロワジール那須高原ハイジ管理組合法人
・申請地 那須郡那須町大字高久丙字湯道西1564
・種 別 掘削
※昔はホテルだった、リゾート分譲マンション「ロワジール那須高原ハイジ」が使用しているのが「ロワジール温泉」。掘削許可ということで、温泉汲み上げができなくなったのでしょうかね。
・申請者 リゾートトラスト株式会社
・申請地 日光市高徳字大柏原59番地
・種 別 増掘
※閉館した「鬼怒川篭石温泉」の湧出地は日光市高徳字篭石50番16で、字名が違います。鬼怒川カントリークラブの「鬼怒川ゴルフ温泉」は、ゴルフ場の所在地が日光市高徳62番地。立ち寄り温泉ミシュランによると、他に「柏原温泉」の名前が見え、これが怪しいですかね。リゾートトラスト株式会社の決算資料には、取得済み開発用地「鬼怒川」の記載があります。
※「サンクチュアリコート日光」(日光市高徳38-3)が2026年2月に開業予定です。HP
リゾートトラストが旧かご岩温泉旅館の跡地一帯を再開発し、会員制リゾートホテル「サンクチュアリコート日光」を建設中です。
2022年1月3日に閉館したかご岩温泉旅館



・申請者 株式会社誠晃印刷
・申請地 矢板市館ノ川字小丸山695番28
・種 別 動力
※ 矢板温泉まことの湯が、2020年12月28日のポンプ故障から悪戦苦闘。がんばってほしいところ。掘削申請を経て、動力申請です。温泉湧出です。
令和3(2021)年度第2回栃木県環境審議会温泉部会を令和4(2022)年2月9日から令和4(2022)年2月25日を意見聴取期間として書面により実施した結果です。
・申請者 ロワジール那須高原ハイジ管理組合法人
・申請地 那須郡那須町大字高久丙字湯道西1564
・種 別 掘削
※昔はホテルだった、リゾート分譲マンション「ロワジール那須高原ハイジ」が使用しているのが「ロワジール温泉」。掘削許可ということで、温泉汲み上げができなくなったのでしょうかね。
・申請者 リゾートトラスト株式会社
・申請地 日光市高徳字大柏原59番地
・種 別 増掘
※閉館した「鬼怒川篭石温泉」の湧出地は日光市高徳字篭石50番16で、字名が違います。鬼怒川カントリークラブの「鬼怒川ゴルフ温泉」は、ゴルフ場の所在地が日光市高徳62番地。立ち寄り温泉ミシュランによると、他に「柏原温泉」の名前が見え、これが怪しいですかね。リゾートトラスト株式会社の決算資料には、取得済み開発用地「鬼怒川」の記載があります。
※「サンクチュアリコート日光」(日光市高徳38-3)が2026年2月に開業予定です。HP
リゾートトラストが旧かご岩温泉旅館の跡地一帯を再開発し、会員制リゾートホテル「サンクチュアリコート日光」を建設中です。
2022年1月3日に閉館したかご岩温泉旅館



・申請者 株式会社誠晃印刷
・申請地 矢板市館ノ川字小丸山695番28
・種 別 動力
※ 矢板温泉まことの湯が、2020年12月28日のポンプ故障から悪戦苦闘。がんばってほしいところ。掘削申請を経て、動力申請です。温泉湧出です。
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B29タイヤ/B29プロペラ/高射砲陣地
○B-29のタイヤ 足立区入谷5-7
1945(昭和20)年5月26日に墜落したB-29のタイヤが残っています。




「16 PLY 56 SMOOTH CONTOUR」
「グッドイヤー(GOOD YEAR)の旗のマーク」



○B-29のプロペラ 足立区立郷土博物館
足立区立郷土博物館には、このときに墜落したB29のプロペラ1枚が保存されています。
(説明板)
「B29プロペラ(部分)
昭和20(1945)年 入谷南中学校寄贈・当館蔵
昭和20年5月25?26日空襲のとき撃墜されたB29の1機が入谷町(足立区入谷)に落ちました。墜落地点近くの地元の人が保存していた#44-69728号機のプロペラの一部です。」


○高射砲陣地
足立区には東京を空襲から守るための高射砲陣地(8か所)と、夜間空襲に備える照空灯陣地(3か所)が設けられていました。
足立区立郷土博物館では、「保木間高射砲陣地」写真や、高射砲陣地関連の収蔵品が展示されています。
<展示パネル>
「高射砲陣地」「照空灯陣地」「墜落箇所」が図示されています。
B29は、入谷町(昭和20/5/26)、嘉兵衛町(昭和20/4/13)、荒川で墜落(昭和20/3/10)。陸軍「屠龍」の体当たりで荒川に墜落(昭和19/12/27)。

<高射砲保木間陣地>
高射砲保木間陣地は、昭和18(1943)年に設置され、12cm高射砲をはじめ18門の高射砲がありました。昭和21(1946)年に撤去されています。現在の日光街道西側の西保木間2・3丁目に第二及び第三陣地が、東側の保木間5丁目に第一陣地がありました。
・保木間第1陣地(口径12cm高射砲が6門レーダー1基) 足立区保木間5丁目
・保木間第2陣地(口径8cm高射砲が6門) 足立区保木間3丁目
・保木間第3陣地(口径8cm高射砲が6門) 足立区保木間3丁目・2丁目
第一陣地の跡地である南関東日野自動車株式会社足立支店(足立区保木間5-25-7)のリニューアル工事現場から、令和3(2021)年4月に12cm高射砲が出土し、希少性から陸上自衛隊高射学校に移管保存されました。
展示パネル


「足立区歴史散策マップ」(足立区立郷土博物館発行)より部分抜粋

1945(昭和20)年5月26日に墜落したB-29のタイヤが残っています。




「16 PLY 56 SMOOTH CONTOUR」
「グッドイヤー(GOOD YEAR)の旗のマーク」



○B-29のプロペラ 足立区立郷土博物館
足立区立郷土博物館には、このときに墜落したB29のプロペラ1枚が保存されています。
(説明板)
「B29プロペラ(部分)
昭和20(1945)年 入谷南中学校寄贈・当館蔵
昭和20年5月25?26日空襲のとき撃墜されたB29の1機が入谷町(足立区入谷)に落ちました。墜落地点近くの地元の人が保存していた#44-69728号機のプロペラの一部です。」


○高射砲陣地
足立区には東京を空襲から守るための高射砲陣地(8か所)と、夜間空襲に備える照空灯陣地(3か所)が設けられていました。
足立区立郷土博物館では、「保木間高射砲陣地」写真や、高射砲陣地関連の収蔵品が展示されています。
<展示パネル>
「高射砲陣地」「照空灯陣地」「墜落箇所」が図示されています。
B29は、入谷町(昭和20/5/26)、嘉兵衛町(昭和20/4/13)、荒川で墜落(昭和20/3/10)。陸軍「屠龍」の体当たりで荒川に墜落(昭和19/12/27)。

<高射砲保木間陣地>
高射砲保木間陣地は、昭和18(1943)年に設置され、12cm高射砲をはじめ18門の高射砲がありました。昭和21(1946)年に撤去されています。現在の日光街道西側の西保木間2・3丁目に第二及び第三陣地が、東側の保木間5丁目に第一陣地がありました。
・保木間第1陣地(口径12cm高射砲が6門レーダー1基) 足立区保木間5丁目
・保木間第2陣地(口径8cm高射砲が6門) 足立区保木間3丁目
・保木間第3陣地(口径8cm高射砲が6門) 足立区保木間3丁目・2丁目
第一陣地の跡地である南関東日野自動車株式会社足立支店(足立区保木間5-25-7)のリニューアル工事現場から、令和3(2021)年4月に12cm高射砲が出土し、希少性から陸上自衛隊高射学校に移管保存されました。
展示パネル


「足立区歴史散策マップ」(足立区立郷土博物館発行)より部分抜粋

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草加⑪ 松尾芭蕉像 河合曾良像
○松尾芭蕉像 河合曾良像 草加市高砂1-1-1 草加市役所
松尾芭蕉像・河合曾良像の石膏像が、草加市役所西棟2階のロビーに陳列されています(2018年10月設置)。札場河岸公園にある松尾芭蕉像とおせん公園にある河合曾良像の2つのブロンズ像は、麦倉忠彦氏が制作した石膏でできた原型から鋳造されています。(草加市役所説明を参照しました)





(参考)
札場河岸公園「松尾芭蕉像」

おせん公園「河合曾良像」
松尾芭蕉像・河合曾良像の石膏像が、草加市役所西棟2階のロビーに陳列されています(2018年10月設置)。札場河岸公園にある松尾芭蕉像とおせん公園にある河合曾良像の2つのブロンズ像は、麦倉忠彦氏が制作した石膏でできた原型から鋳造されています。(草加市役所説明を参照しました)





(参考)
札場河岸公園「松尾芭蕉像」

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