旧万世橋駅 万世橋 萬代橋

○旧万世橋駅 千代田区神田須田町1-25-4(マーチエキュート神田万世橋内) HP

 交通博物館が2006年5月14日に閉館。旧万世橋駅の遺構は、プラットホームが展望デッキ「2013プラットホーム」として開放され、ホームに上がるふたつの階段も、公開されています。

<2013プラットホーム>

 万世橋駅の開業時(明治45年)に作られたホームです。両脇を中央線が行き交います。駅ではないので、通過していく列車は迫力あります。

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<旧万世橋駅ホーム上屋基礎>

(説明板)
「旧万世橋駅 プラットホーム上屋基礎
 2013プラットホームの工事の際、旧万世橋駅ホーム土中から、古レールを転用して作られたプラットホーム上屋基礎が発見されました。
 その一部を保存し、ここに展示しています。  旧万世橋駅」

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<1912階段>

 万世橋駅開業当時に作られた階段です。

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(説明板)
「旧万世橋駅 1912階段
 1912(明治45)年4月、万世橋駅開業時に作られた階段で、鉄道博物館(後の交通博物館)開館から1943(昭和18)年の駅休止までは、ホームから直接入館できる特別来館口でした。
 階段は花崗岩や稲田石を削りだした重厚なものですが、踊り場は当時の新素材であるコンクリートが使われ、壁面のタイルも、覆輪目地(ふくりんめじ)という高級な施工がされているのも特徴
です。  旧万世橋駅」

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<1935階段>
 鉄道博物館の建設に伴い1935(昭和10)年に増設された階段です。

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○万世橋 千代田区外神田〜千代田区神田須田町

<現在の万世橋>
 最初は明治17(1884)年に架けられた木橋で「昌平橋」と呼ばれ、その後、「新万世橋」→「万世橋」と名称を変えました。
 明治36(1903)年に鉄橋に改架、関東大震災で被害を受け、昭和5(1930)年に帝都復興事業で架け替えられました。

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 橋名板「萬世橋」「昭和五年三月完成」

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 汽車と燈籠

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 神田川下流

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  神田川上流

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(説明板)
「万世橋
 現在の万世橋と昌平橋の間に江戸城の見附の一つである筋違門がありました。1872年(明治5年)に門が撤去されその石材を用いて架けられたのが萬代橋(萬世橋)です。石造アーチの形状は眼鏡橋と通称され、東京名所として錦絵などにも描かれました。
 1903年(明治36年)、現在の位地に新たに万世橋が架橋された後、石造の萬世橋は1906年に撤去されました。現在の橋は関東大震災後の1930年(昭和5年)に架けられました。甲武鉄道(後の中央線)のターミナル駅として万世橋駅が1912年(明治45年)に開業すると、橋の周辺は交通の要衝としてたいへんな賑わいを見せました。」

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<震災復興と万世橋>

(説明板)
「震災復興と万世橋
 明治5年(1872)に筋違見附が取り壊され、翌年にその石材を再利用して、筋違橋の場所にアーチ二連の石造りの橋が完成した。この橋は、当時の東京府知事大久保忠寛が萬世橋(よろずよばし)と命名したが、次第に「まんせいばし」という音読みの方が一般化した。さらに明治29年(1896)に萬世橋東側に木橋を架けて馬車鉄道が開通する。
 明治36年(1903)に現在の位置に新しい万世橋が架け直され、元万世橋と名を変えた上流の眼鏡橋の方は、後に撤去された。この新しい万世橋は、路面電車が走るなど東京の名所となったが、大正12年(1923)の関東大震災で被災し、昭和5年(1930)に長さ26m、幅36m、石及びコンクリート混成のアーチ橋に架け替えられた。
 現在神田川に架けられている橋の多くは、震災復興橋梁と呼ばれる大正末年から昭和初期に架けられたもので、各橋は地域性を踏まえたデザインで造られたという。トラスドアーチ橋の聖橋、鋼ラーメンゲルバー桁橋の御茶ノ水橋、ヒンジアーチ橋の和泉橋と美倉橋など、神田川にある震災復興橋梁は、様々な構造で造られ、親柱や欄干のデザインに特徴を見出すことができる。」

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○萬代橋(萬世橋、よろずよばし)

 明治5(1872)年、筋違橋門が取り壊され、桝形石垣を利用して、
 明治6(1873)年、門の跡に東京最初の石橋(石造二連アーチ)の萬代橋(よろずよばし→万世橋→元万世橋と変遷)が架橋されました。
 明治36(1903)年、新万世橋が鉄橋に改架され、
 明治39(1906)年、元万世橋は撤去されました。

<橋名を刻んだ親柱>

 親柱が神田神社の境内に保存されています。

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「東京神田萬世橋賑之圖」(昇齋一景 明治7(1874)年)
 新しくできた石橋は賑わったようです。

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「東京名所図会 筋違万代橋」(三代広重)
 新しくできた石橋は名所となったようです。

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「東京開化三十六景 旧聖堂より萬世橋を見る」(三代広重)
 新しくできた石橋は東京開化三十六景として描かれています。

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「萬代橋朝日出」(小林清親 明治13(1880)年)
 神田川の西から、萬代橋と税務局が描かれています。
 日の出の空は、奥の赤味から明るくなってきています。雲が黄色く輝いています。

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「萬代橋雨ノ景」(井上安治)

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「東京名所帖 萬世橋」(井上探景(安治))
 石橋の上を路面電車が走っています。

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春日局の菩提寺 麟祥院

○春日局の菩提寺 麟祥院 文京区湯島4-1-8 HP

 春日局の終焉の地に麟祥院があり、同寺は、春日局の菩提寺です。

<江戸名所図会 麟祥院>

 挿絵の手前の道は「ゆしま切通」(現在の春日通り)で、通りに沿って麟祥院の「からたち」の生垣が続いています。「からたち寺」とも呼ばれました。

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<麟祥院案内図>

 寺務所で配布している「麟祥院案内図」。山門開閉時間は6時から17時まで。

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<春日局像>

 「春日局像 湯島麟祥院安置スル所、木像也。」 出典:東京市史稿 市街篇第四(東京市編 昭和3年)

 京都の麟祥寺の春日局座像とそっくりで、こちらのほうは微笑んでおられます。
 家光公が狩野探幽に命じて描かせた「紙本墨画着色春日局像」は文京区文化財に指定されていますが、春日局座像は文化財に見当たりません。関東大震災は難を逃れたようですが、空襲で焼失してしまったのでしょうか。

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<山門>

「海東法窟」の扁額が山門に掲げられています。

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「不許葷酒入山門」宝暦9(1759)年の銘。

 江戸名所図会の挿絵では、総門の左に「不許葷酒入山門」が描かれています。
 現在は総門の直ぐ右に設置されています。禁酒の碑です。

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「春日局終焉之地碑」と説明板

 春日局、天正7(1579)年~寛永20年9月14日(1643年10月26日)。

(説明板)
「春日局の墓
   麟祥院
   区指定史跡
 春日局(天正7年~寛永20年・1579~1643)は、三代将軍徳川家光乳母で名はお福。
 稲葉正成との間に三児をもうけるが、離婚し江戸城大奥に入る。慶長9年(1604)家光(竹千代)が生まれるとその乳母となり、生涯家光に仕えた。
 この麟祥院は、寛永元年(1624)春日局隠棲所として創建され、「報恩山 天澤寺」と称した。局の死後、寺は局び菩提寺となり、法名にちなみ「天澤山 麟祥院」と改めた。
 墓地奥にある局の墓は、無縫塔で四方に穴が貫通した特異な形をしている。
 哲学館跡(省略)
  東京都文京区教育委員会  令和2年11月」

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<参道>

 山門くぐると、すぐ左手に寺務所。寺務所の裏に鐘楼があります。参道右手に庫裡、本堂書院。参道をそのまま直進すると、「春日局御廟所」がある墓地に至ります。墓地手前に「無縁仏群」。

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<庫裡>

 庫裡にかかる扁額は「麟祥院」。庫裡の左に、人なつこい吠えない柴犬「チヨ」がいます。

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「麟称院碑」

 「亀趺」があります。元禄13(1700)年の造立。
 亀趺に乗っている石碑は、表も裏も横も漢文で文字が埋めつくされています。正成の文字もあるので、春日局と夫の稲葉正成を顕彰する内容かと思います。

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 江戸名所図会の挿絵では、禅堂の脇に亀趺が描かれています。

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<本堂>

「中門」
 中門にかかる扁額は 「天澤山」。

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「手水鉢」
 手水鉢は、寛永20(1643)年の造立。奥には苔蒸した庭が拡がっています。
 稲葉氏家紋「角切折敷三文字」がある手水鉢です。

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「石燈籠】」
 寛永21年9月14日の銘です。

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「本堂」
 本堂にかかる扁額は 「麟祥禅院」。

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「書院」

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○墓地

<慰霊碑>

 墓地入口左手に、三基の慰霊碑が並んでいます。
 左から「大正大震災横死者之碑」「中華民国留学生癸亥地震遭難招魂碑」「神田火災死亡者記念碑」

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<東洋大学発祥之地碑>

 墓地入口右手に東洋大学発祥之地碑が建っています。裏面に昭和六十二年(1987)建碑とあります。
 仏教哲学者の井上円了は境内に、東洋大学の前身である哲学館を創設しました。

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<春日局墓所 順路/案内図>

 春日局の墓は、麟祥院の墓地の奥に位置します。案内板がありますので、それに従って進むとあっさりと着きました。

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「當山開基 春日局御廟所」 文京区指定史跡

 廟所前の左手に「當山開基 春日局御廟所」、右手に手水鉢。
 石燈籠2基は、両基とも寛永21(1644)年9月14日の銘。

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 廟門には、徳川の三つ葉葵と稲葉家の家紋があります。

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 春日局の墓石は、僧侶の墓塔で多々見られる、塔身が卵形の無縫塔(卵塔)です。
 二重の蓮台に台石と墓石が乗り、墓石の四方及び台石の二方には、穴が穿ってあります。
 「死して後も天下の政道を見守り之を直していかれるよう黄泉から見通せる墓を作って欲しい」との春日局の遺言に、衆議して建立されたものです。

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 正面
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 右横
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 左横
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(説明板)
「春日局
 幼名は福、父は明智光秀の重臣斎藤内蔵助利三、母は刑部少輔越智道明の女で、はじめ稲葉佐渡守正成の妻となり、正勝、正定、正利の三子をもうけましたが、慶長九年(一六○四)三代将軍家光公の乳母として召出され三千石を賜わりました。
 家光公が将軍職に就くため献身的な活躍をし、大奥の制度の確立に尽くしたことは有名です。
 寛永五年家光二十五歳の折、疱瘡にかゝられ、諸医の手当てにも験がなかった時、局は斎戒沐浴して東照大権現の神前に詣で、「将軍の病が平癒したら今後私が病気になっても絶対に薬を服用しません」と祷りました。
 その忠誠心に感応してか、日ならずして家光公の病気が快復しました。そのため局は身の終る迄、鍼灸薬餌を一切用いなかったと言うことです。
 寛永六年京都へ上り御所へ参内し、春日局の号を賜わり、後水尾天皇より天盃を頂戴しました。同九年再び台命により上洛し、明正天皇より従二位に叙せられました。寛永二十年(一六四三)九月十四日 六十五歳で卒し、当院墓地に葬られました。  文京区」

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「佐倉藩 堀田家墓」

 崩壊した石燈籠に、横倒しの手水鉢。放置されているような印象を受けます。

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・堀田正俊(家光に殉死した堀田正盛の3男)正室。戒名は栄昌院華陰宗融尼大姉。
 春日局の曾孫です(春日局と夫である稲葉正成の子稲葉正勝の次男正則の娘)

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・堀田正篤(佐倉藩5代藩主)の長男、春之助、涼松院殿の墓。

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「館山藩稲葉家分家墓」

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「淀藩稲葉家墓」

 淀藩稲葉家墓
 2代目藩主の稲葉正任や4代目藩主の稲葉正親らが眠っています。

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 ・奉献石燈籠

  墓所入口の石畳の両脇に石燈籠があります。
  麟祥院殿と刻まれているかと思ったら、大義院と刻まれています。
  大義院は、稲葉正親。山城淀藩第4代藩主です。
  享保19(1734)年9月14日の奉献。

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「正厳院の墓」

 「正厳院殿尊前」石燈籠が多数で圧巻です。
 正厳院は、小田原藩主稲葉正則(春日局の孫)の正室で名は万菊子。戒名は正厳院天室知鏡大姉。

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<六地蔵>

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<無縁墓石群>

 墓地入口左手に、角柱と板型墓石が集積されています。仏像型墓石は参道にありました。

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<十方至聖三界萬霊>

 春日局の墓の東横に、三界萬霊塔に集積されている墓石もありました。

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<福田会育児院 諸霊塔>

 福田会育児院は、東京茅場町の智泉院内に. 設立された育児施設(児童擁護施設)です。
 「福田会育児院 諸霊塔」「明治廿四年十二月八日建之」

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<歴代住職墓所>

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<石塔>

 江戸名所図会の挿絵にも、同じ場所に描かれている石塔です。
 漢文が読みくだせませんが、竹田氏の子である千代を供養しているのかと思います。

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<動物供養塔>

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<嵯峨三郎磨之墓/嵯峨実愛墓/嵯峨公勝之墓>

 他にも立派な墓所多数。

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春日局之像 (春日通り)

○麟祥院前ポケットパーク 文京区湯島4-1

<春日局之像>

 「春日局之像」が、礫川公園から麟祥院前ポケットパークに令和元(2019)年10月14日に移設されました。
 春日局が名前の由来の春日通りに面して建っています。 春日通りを西に行くと、徳川家康生母・於大の方の墓所である伝通院があります。

 「春日局之像
  高橋剛作 題字 文京区長 成島正嗣」

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<石碑>

 「春日局之像」の裏に、石碑があります。
 春日局の辞世の句が刻まれ、「文京区と春日局」の説明文が刻まれています。

「文京区と春日局
 文京区「春日」の地名は 春日局が乳母として仕えた三代将軍徳川家光より拝領した土地に由来し昔は春日殿町と呼ばれていました
 また春日局の菩提寺麟祥院が湯島にあり 文京区は春日局と歴史的に深い縁があります 昭和六十四年一月(一九八九)より一年間NHK大河ドラマ「春日局」が放映されました 文京区ではこれを契機として「文京区春日局推進協議会」を設立し 区民の皆様と共に区内の活性化 地域の振興を図ることを目的として種々の事業を推進しました ここに本事業を記念して春日局像を建立することにいたしました
  平成元年十二月吉日
    文京区春日局推進協議会
      文  京   区
      文京区産業連合会
      東京商工会議所文京支部
      文京区観光協会
      文京区商店街連合会
      文京区町会連合会
      文京区旅館協同組合」

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「春日局和歌 西に入る 月をいざない 法を得て 今日ぞ火宅を のがれけるかな」

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砂尾堤

○砂尾堤

<江戸絵図>

 砂尾堤と川筋が日光街道の東から総泉寺まで続いています。

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 砂尾堤北端に、「三王権現」「福壽院」が見えます。

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<明治20年代の砂尾堤>

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<砂尾堤と砂尾長者>

 砂尾堤北端、山王清兵衛祠の東に、説明板「砂尾堤と砂尾長者」があります。

(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
 砂尾堤と砂尾長者
 南千住七丁目二十番地付近から現在の隅田川に沿って台東区今戸に向かう道は、土手になっていて砂尾堤と呼ばれた。中世の石浜に砂尾長者とよばれる土豪が住み、この地を領していたことに因むという。石浜の地は古代から武蔵国(東京都・埼玉県・神奈川県東部)と下総国(千葉県北部・茨城県南部・東京都東部)をつなぐ交通の要地であり、砂尾長者は、十五世紀半ば千葉氏が内紛により下総国を逃れ石浜に入った後、家臣としてこの地に住んだといわれる。台東区橋場にある砂尾不動院の開基とも、中興ともいわれる人物である。
 この一帯は昔から広範囲にわたりしばしば水害に見舞われた。汐入堤とも呼ばれたこの堤近くには昭和初期まで、砂尾・堤根という字が残っていた。
  荒川区教育委員会」

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<砂尾堤跡>

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○山王清兵衛祠 荒川区南千住7-23-10

 日枝神社の参道口(旧砂尾堤土手北端)に、歯神清兵衛を祀った小さな祠があります。虫歯の痛みに耐えかねてこの地で切腹した藩士・清兵衛を祀っています。

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<地蔵>

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<手水鉢>

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<板碑型庚申塔> 荒川区登録文化財

 祠の横に板碑型庚申塔があります。祠の正面からは木の陰で見えず、祠の横から見えます、裏から見えます。
 寛文9(1669)年の造立。荒川区登録文化財です。

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 正面右「庚申講中」
 正面中「南無阿弥陀佛」
 正面左「寛文九己酉天十月十二日」
 下に三猿です。

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<錨をくわえた女性の絵馬>

 歯痛に悩む者が祈願して効き目があれば、錨をくわえた女性の絵馬を奉納する慣わしで、千住の歯神として有名だったとのこと。
 錨は船を繋ぎとめることから,揺らぐ歯の動きが止まる、あるいは歯痛が止まるという、歯痛平癒を意味しているようです。

 「江戸名所百人美女 千住」(豊国・国久)
  楊枝をくわえた美人(飯盛女)は、錨をくわえた女性の絵馬を想起させます。

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○日枝神社 荒川区南千住7-23-18

 正和2(1313)年創建の日枝神社は、山王社とよばれ旧中村町(千住宿)の鎮守でした。
 現在の日枝神社は施錠されており、外から拝観となります。素盞雄神社の境外社で、日枝神社例祭(8月5日)には開放されるようです。

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<江戸名所図会>

 山王が見えます。

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<山王清兵衛(日枝神社)>

(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
 山王清兵衛(日枝神社)
 日枝神社は、江戸時代山王社とよばれた旧中村町(千住宿)の鎮守であり、正和五年(一三一六)に建てられたと伝える。
 この社の入り口にあたる旧砂尾堤土手北端に歯神清兵衛を祀った小祠がある。いずれかの藩士清兵衛が虫歯の痛みに耐えかねてこの地で切腹し、遺言によってその霊を祀ったという。俗に山王清兵衛とよばれ、歯痛に悩む者が祈願して効き目があれば、錨をくわえた女性の絵馬を奉納する慣わしで、千住の歯神として有名であった。
  荒川区教育委員会」

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<手水鉢>

 文化八辛六月の手水鉢。「青龍山福壽院 中興開山法印真海」と刻まれています。
 江戸絵図には、「三王権現」「福壽院」と併記されており、福寿院は山王権現の別当寺だったのでしょう。
 「青龍山福壽院」は現在は存在しないので、配寺になったのでしょうが、手水鉢が残っています。

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橋場村汐入(現在の南千住)

○橋場村汐入(現南千住)

 汐入は戦国時代に上杉謙信の家臣だった高田氏等が入植し切り拓いた村で、橋場村字汐入(現南千住)といいました。砂尾堤の外側にあるこの一帯は、広範囲にわたりしばしば水害に見舞われました。農業と胡粉で生業を立てていました。
 汐入の砂まじりの土地が大根の栽培に適し、江戸野菜の一つである汐入大根(二年子大根)の産地でした。二年子大根は、晩秋に種子をまき、翌年の春に収穫します。白首の細長い小さい大根ですが、品不足の時期に珍重されました(上流の荒木田では「荒木田大根j」と呼ばれました)。「汐入大根」は、「汐入の胡粉」と共に有名でした。

「道灌山下」(井上安治)
 道灌山下の光景ですが、大根を運んでいます。細長い大根で、汐入より荒木田がごく近くなので、荒木田大根(二年子大根)でしょう。

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「武蔵百景 道灌山」(小林清親)
 同じく道灌山の光景ですが、大根を運んでいます。白首大根です。

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「大根売り」
 「世渡風俗圖會」(清水晴風)に掲載の大根売りです。

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<江戸絵図>

 砂尾堤と川筋が日光街道の東から総泉寺まで続いています。砂尾堤の外側が汐入です。

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<明治20年代の砂尾堤>

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○胡録神社(旧第六天社) 荒川区南千住8-5-6 HP

 胡録神社は、永禄4(1561)年、上杉謙信の家臣高田嘉左衛門が川中島の合戦に敗れ、12名の同士と当地へ逃れて永住、永禄4年、面足尊、惶根尊の両神を一祠に奉齋崇敬されたと伝えられます。
 古くは第六天と称しましたが、明治維新の神仏分離令の際、明治2(1869)年に、「武士が矢を支える武具を胡録と申したことと、また、当地汐入の生業として盛んであった胡粉作りの胡の字と大六天の六にあやかり、御社号を胡録神社と改称されました(神社HPより)。


<汐入(胡録神社)>

(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
 汐入(胡録神社)
 汐入の地は、戦国時代に上杉謙信の家臣高田氏らが、川中島合戦の際に落ちのびて、開発したと伝えるところである。明治以前、「第六天」と呼ばれた胡録神社は、汐入の境である当地を守護するために祀られたという。現在残る本殿は、幕末から明治初期の様式を今に伝えている。
 明治の中頃まで胡粉の製造が盛んで、今も胡粉の製造に使用した石臼や、それを転用した石灯籠が、当社や第五瑞光小学校に残されている。昭和二十七年、胡録神社に奉納された襖絵には、山と積まれた牡蠣殻が描かれ、往時の面影をしのぶことができる。
 また、江戸時代、汐入大根(二年子大根)の産地としても知られ、千住の青物市場などに出荷されていたという。
  荒川区教育委員会」

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<一之鳥居>

 一之鳥居は、平成15(2003)年9月の建立です。

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<道祖神/刀塚>

 「道祖神・刀塚 鳥居建替え奉賛者御芳名 令和三年九月吉日」

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 「明和元年甲申年九月吉日」。明和元(1764)年の手水鉢。

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 「奉納」
  奉納の草鞋、草履、下駄、二個のお椀に穴をあけて奉納されています。

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「道祖神御由緒」

(説明板)
「道祖神御由緒
御祭神 猿田彦尊
御由緒
 往古は旅行安全祈願の神様として、亦足の神様として、汐入の村落の出入口に祀られていたが、現在では、胡録神社の境内に移され祀られているのである。神代の昔 天孫降臨の砌、道案内を勤めた神様という故事により旅の安全、足の病気平癒の神様として崇められ、祈願の折は草鞋、草履を奉納して参拝する。亦耳の病気の折は二個のお椀に穴をあけて奉納するなどの風習は今でも受け継がれ守られており、最近では、道の神様でもあるという事で交通の安全を祈願する人々もおられる。」

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「刀塚御由緒」
(神社HP)
「刀塚は、永禄四年八月、川中島の合戦で敗れた上杉謙信が家臣高田嘉左衛門らが落人となり、刀と鎧兜を地中深く埋め、葦が群生する汐入の地を開拓しました。後に汐入の開拓を後世に伝えるため、昭和三十四年九月、町の有志が集まり、埋地と伝承される南千住8丁目1の40番地付近に刀塚として祀りました。平成からの汐入地区再開発で、平成十二年四月、胡録神社が遷移され、同時に刀塚も境内に遷され、祀られています。」


<胡粉挽石臼>

 汐入では胡粉づくりが盛んに行われていました。

(説明板)
「胡粉を挽いた臼
 昔このあたりは地方橋場村小字汐入といわれ、今から一五○年〜三○○年くらい前当汐入では胡粉づくりが盛んに行われ「汐入大根」と共に有名でした。
 汐入産の胡粉は品質極上で、人形、おしろい絵具の材料、能面仕上げ、元結などに使われ“かき殻”を焼いて、この石臼で粉にし、水でさらしてから丸め、乾燥して再び微粒子にして出来上がり
ます。
 大変な重労働でしたが、機械で作られるようになってから衰微し、今では幾つかの挽臼が汐入に残っており、これは其の内の一つです。
 <これからは胡録神社に保管します。>」

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<手水舎> 荒川区登録文化財

 明和元(1764)年9月銘の手水鉢は、荒川区登録文化財です。
 ひしゃくを使わずに、人感センサーで1人分の水が出てきます。

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<神輿庫>

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<獅子山>

 二之鳥居の手前に、獅子山があります。仔狛犬がいます。

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<狛犬>

 「天保十己亥歳九月」。拝殿前の狛犬は、天保10(1839)年の造立です。

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<記念碑(胡録神社御由緒)>

(碑文)
「胡録神社御由緒
 御鎮座地 東京都荒川區南千住八丁目十一番地
 御社号 胡録神社
 御祭神 面足尊 惶根尊
 御創立 享保四年九月十九日
 例祭日 六月一日 往古は九月十九日
當社は永禄四年八月四百余年前川中島の合戰の折上杉謙信の家臣高田嘉左エ門なるもの戰に敗れ計らずも集りたる十二名の同志と関東に厄難をのがれて落ちのび當地の汐入に竹内杉本杉山等數名と永住の地と定めて土着し村落生活の安寧を祈願するため守護神として享保四年九月十九日今より貮百五十余年前面足尊と惶根尊の両神を一祠に奉齊崇敬されたと傳えられる
當社は古くは大六天と稱したが明治二年太政官達により神佛分離がされた際往時武士が矢を支える武具を胡録と申した事とまた當地汐入の特業として盛んであった胡粉作の胡の字と大六天の六にあやかり御社号を胡録神社と改稱された
神殿は嘉永五年九月十九日改築造営されたるものであるが現在の拝殿の改築並に神楽殿社務所の新築造営工事は昭和貮年六月に竣工された
明治百年を奉祝いたし記念碑を建立する」

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<天水桶>

 「昭和弐年六月吉日 潮入 氏子中」
 「武州川口町 「○に二」の社章 田中鋳工所製」
 川口の鋳物です。

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<拝殿>

 拝殿は昭和2年(1927)6月の造営です。向拝部分などには龍の細かい彫刻。木鼻には獏と獅子。

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<本殿> 荒川区登録文化財

 本殿は嘉永5(1852)年に改築造営。荒川区登録文化財です。

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<鈴の音センサー>

 鈴を鳴らす鈴の緒を撤去し、手をかざすと鈴の音が鳴るセンサーがあります。
 「手をかざすと鈴の音が鳴ります」 初めて見ました、感心しました。

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<社務所>

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<東参道>

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<記念碑>

 天皇陛下御在位五十年の時の屋根修復記念碑。昭和51(1976)年11月の建立です。

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<遷宮記念碑>

 平成15(2003)年10月の建立です。

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<記念碑>

 拝殿改築等の記念碑。昭和3年6月竣工。

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<神楽堂>

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<神饌畑>

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<北参道>

 鳥居は、平成15(2003)年5月の建立です。

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○べるぽーと汐入東館 荒川区南千住8-12-5

 「べるぽーと汐入」の壁に、かつての汐入をモチーフに子どもたちが描いた絵のパネルが取り付けられています。
 パネル絵の南端は、都立汐入公園の入口です。スカイツリーが見えます。

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「胡粉用の石臼」
 胡録神社で実物を見ることができます。
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「道祖神わらじ奉納」
 今もわらじが奉納されています。
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「道祖神」
 新しく建て直されています。
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「旧胡録神社」
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「汐入の渡し」
 隅田川最後の渡し「汐入の渡し」は、千住汐入大橋の近くに昭和42(1967)年まで残っていました。
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「胡粉作り」
 山と積まれた牡蛎殻が見えます。
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「第五瑞光小学校」
 再開発のため、廃校となっています。
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「胡録神社拝殿」
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「民家」
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「共同水道」
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「銭湯」
 煙突には「潮乃湯」とあります。汐入には「浩気湯」(南千住8-16-14)と「潮乃湯」(南千住8-28-6)の2軒の銭湯がありましたが、
再開発のため平成6(1994)年に廃業しています。
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「旧家の表門」
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「造船所」
 大正12(1923)年創業の造船所が再開発の前まで一軒残っていました。
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○南千住天然温泉 荒川区南千住4-7-3

 賃貸マンションの「ロイヤルパークスタワー南千住」に、居住者専用の「南千住天然温泉」があります。当初は、住人以外も利用できる足湯がありましたが、大分前に廃止となっています。
 かつて荒川区には大正から昭和にかけて温泉リゾートの尾久温泉がありましたが枯渇。南千住天然温泉は荒川区唯一の温泉です。他には、分析したら温泉かもしれない銭湯「帝国湯」があります。

<足湯跡>

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<分析書>
 源泉名「南千住天然温泉」 ナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉
 泉温28.5度 成分総計4.7g 黒湯です。

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<湧出地>

 ガスセパレーターがあります。

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