音無橋 王子大堰(大滝)
○音無橋 王子本町1丁目~滝野川2丁目
音無橋は昭和4年12月に起工し、同6年1月に竣工しました。渋沢栄一は建築や開通式を支援しました。
(説明板)
「音無橋
音無橋の名の由来は、架橋されている石神井川に求められる。石神井川は多摩地方から東流し、北区において隅田川と合流するが、王子権現付近より以東の路線はかつて滝野川あるいは、音無川と呼ばれていた。音無川の名は紀州熊野権現本宮の近くにある音無川に因んだものである。
本橋は、昭和5年の架橋以来、周辺の交通の便を確保するとともに、地域の発展の要として機能している。 」
(「絵本江戸土産(広重作)の音無川」と「完成当時の音無川と音無橋」が添えられています。)




歩道脇の欄干にも「絵本江戸土産」のプレートがはめ込まれています。「王子稲荷社」「音無川の堰」「王子滝の川」「飛鳥山総図」。それぞれ2枚づつ、合計8枚あります。




「絵本江戸土産」から、欄干と同絵を引用(飛鳥山は其一と其二を合成)




「武藏百景之内 王子瀧の川」(小林清親)
小林清親が、広重の「絵本江戸土産 瀧の川」と同じアングルで、しかも同じ題名で瀧の川を描いています。

「滝の川紅葉の三曲」楊斎延一 明治26(1893)年)
滝の川が3方向に分かれる三曲は、明治時代も紅葉の名所だったようです。

<名所江戸百景>
名所江戸百景の錦絵が、音無橋から階段を下りたところに掲示されています。階段からさらに親水公園に降りて、王子大堰跡を見通した画です。


○王子大堰(大滝)
「王子大堰」は明暦2(1656)年に築造され、人々は大滝と呼び王子の名所になっていました。王子大堰から上流へ不動の滝や岩屋弁天へと音無川沿いに名所が展開していました。石神井川は王子大堰から三手に分流していました。
「名所江戸百景 王子音無川堰タイ世俗大滝ト唱」(広重)「江戸切絵図」
料理屋の扇屋、海老屋あたりから、現在の音無親水公園のやや上流にあった「王子大堰」の付近を描いた絵図です。
堰の上流、音無川の左岸に王子権現別当寺、金輪寺が描かれ、対岸の高台には日光御成道に立ち並ぶ茶屋が描かれています。江戸切絵図には「六コク坂」「此辺料理屋多シ」と記されています。


「江戸名所図会 音無川」
広重と同じアングルから描かれています。

「江戸名所図会の音無川と飛鳥山全図」を合成してみると、全景がよくわかりました。飛鳥橋も確認できます。


「絵本江戸土産 音無川の堰 世俗大滝と唱」(広重)
浮世絵や江戸名所図会と同じアングルからの絵です。

「瀧の川の図」(小林清親)
滝野川の上の高台の光景が描かれています。

「瀧ノ川紅葉」(井上安治)
清親と同じ構図です。

「花美人名所合 滝の川乃紅葉」(尾形月耕 明治29(1896)年)
こちらも同じ場所かと思います。

<現在の堰跡>
音無橋上から音無川の上流にかつてあった堰は、取り壊されて跡形もありません。堰は、図の文字入れしたところにありました。


親水公園には、堰がなくなったので、ポンプアップで導水しているのかと思いきや、石神井川からの取水ではなく、循環ろ過です。

<1911(明治44)年出版「東京風景」の瀧の川>
川が3手に分流し、本流はその先に下がっています。右手に飛鳥山が見えます。瀧の川の上流から堰方面を撮った写真でしょう。

音無橋は昭和4年12月に起工し、同6年1月に竣工しました。渋沢栄一は建築や開通式を支援しました。
(説明板)
「音無橋
音無橋の名の由来は、架橋されている石神井川に求められる。石神井川は多摩地方から東流し、北区において隅田川と合流するが、王子権現付近より以東の路線はかつて滝野川あるいは、音無川と呼ばれていた。音無川の名は紀州熊野権現本宮の近くにある音無川に因んだものである。
本橋は、昭和5年の架橋以来、周辺の交通の便を確保するとともに、地域の発展の要として機能している。 」
(「絵本江戸土産(広重作)の音無川」と「完成当時の音無川と音無橋」が添えられています。)




歩道脇の欄干にも「絵本江戸土産」のプレートがはめ込まれています。「王子稲荷社」「音無川の堰」「王子滝の川」「飛鳥山総図」。それぞれ2枚づつ、合計8枚あります。




「絵本江戸土産」から、欄干と同絵を引用(飛鳥山は其一と其二を合成)




「武藏百景之内 王子瀧の川」(小林清親)
小林清親が、広重の「絵本江戸土産 瀧の川」と同じアングルで、しかも同じ題名で瀧の川を描いています。

「滝の川紅葉の三曲」楊斎延一 明治26(1893)年)
滝の川が3方向に分かれる三曲は、明治時代も紅葉の名所だったようです。

<名所江戸百景>
名所江戸百景の錦絵が、音無橋から階段を下りたところに掲示されています。階段からさらに親水公園に降りて、王子大堰跡を見通した画です。


○王子大堰(大滝)
「王子大堰」は明暦2(1656)年に築造され、人々は大滝と呼び王子の名所になっていました。王子大堰から上流へ不動の滝や岩屋弁天へと音無川沿いに名所が展開していました。石神井川は王子大堰から三手に分流していました。
「名所江戸百景 王子音無川堰タイ世俗大滝ト唱」(広重)「江戸切絵図」
料理屋の扇屋、海老屋あたりから、現在の音無親水公園のやや上流にあった「王子大堰」の付近を描いた絵図です。
堰の上流、音無川の左岸に王子権現別当寺、金輪寺が描かれ、対岸の高台には日光御成道に立ち並ぶ茶屋が描かれています。江戸切絵図には「六コク坂」「此辺料理屋多シ」と記されています。


「江戸名所図会 音無川」
広重と同じアングルから描かれています。

「江戸名所図会の音無川と飛鳥山全図」を合成してみると、全景がよくわかりました。飛鳥橋も確認できます。


「絵本江戸土産 音無川の堰 世俗大滝と唱」(広重)
浮世絵や江戸名所図会と同じアングルからの絵です。

「瀧の川の図」(小林清親)
滝野川の上の高台の光景が描かれています。

「瀧ノ川紅葉」(井上安治)
清親と同じ構図です。

「花美人名所合 滝の川乃紅葉」(尾形月耕 明治29(1896)年)
こちらも同じ場所かと思います。

<現在の堰跡>
音無橋上から音無川の上流にかつてあった堰は、取り壊されて跡形もありません。堰は、図の文字入れしたところにありました。


親水公園には、堰がなくなったので、ポンプアップで導水しているのかと思いきや、石神井川からの取水ではなく、循環ろ過です。

<1911(明治44)年出版「東京風景」の瀧の川>
川が3手に分流し、本流はその先に下がっています。右手に飛鳥山が見えます。瀧の川の上流から堰方面を撮った写真でしょう。

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