飯匙祖師堂 瑞輪寺(大久保主水墓)

○飯匙祖師堂 台東区谷中4-2-46

 道灌山の由縁に太田道灌と関道閑がありますが、関道閑ゆかりの飯匙祖師堂に参詣。
 最初瑞輪寺に行って、祖師堂が見当たらず、恥ずかしながら社務所で聞きました。瑞輪寺本堂から離れた敷地にあります。瑞輪寺境内から一端外に出て左に進み、通りを左折すると道沿に祖師堂があります。
 左門柱に「除厄安産 江戸十大祖師 飯匙(しゃもじ)祖師」、右門柱に「東京七面山」とあります。

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<飯匙祖師堂>

 文永11年(1274)3月、関善左衛門の妻が難産で日蓮聖人に救いを請うと、飯匙に御本尊をしたため産婦にいだかせたところ安産し、関氏は聖人の御尊像を彫み、善性寺を建立しその尊像を安置しました。
 御尊像は、後に感應寺(現:天王寺)に移され、元禄11(1698)年、感應寺破却に際して瑞輪寺に移遷されました。
 (善性寺HPでは、善性寺が日蓮宗に復帰した時に保管していた瑞輪寺から善性寺に戻され、その後江戸末期に瑞輪寺に移されたとしています。)

 善性寺のホームページでは、
 「善性寺の開基を「関善左衛門」とする説もありますがこれは誤りで、感応寺とともに関小次郎長耀入道道閑が開基にあたりました。」とあります。
 関善左衛門と関長耀(出家後道閑あるいは道観)は別人物としていますが、伝承内容がほぼ同じです。


<祖師堂のしゃもじ>

 壁2か所にシャモジが奉納されています。

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(説明板)
「江戸十大祖師
 安産飯匙の祖師由来
 文永十一年(一二七四)三月十三日
日蓮聖人佐渡配流、赦免となり鎌倉に向かうの途路、武蔵国粂川の辺りに関善左衛門という者あり、その妻難産に苦しみ救いを請う、聖人その家に入り、飯匙ありたるに御本尊をしたため産婦にいただかせ給うに、たちどころに安産して母も子もつつがなし、一家一門その感応を拝みて入信、かしこみて聖人の御尊像を彫みて武州谷中(現在東日暮里)に善性寺を建立しその尊像を安置す。
のち谷中感王應寺(現在の天王寺)に移す。
以来安産救護の利益あらたかに多く庶民の信仰を得、元禄十一年(一六九八)十一月十二日、感應寺改宗を命せられし折り、御尊像を瑞輪寺に勧請、利益昔に変わらず。
    平成二十一年五月吉日
      瑞輪寺第五十七世
        井上日修代 」

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<祖師像>

 祖師像の両脇にシャモジがあります。

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<関善左衛門位牌>

 祖師像右側に、関善左衛門の位牌が安置されています。

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<東京七面山> 台東区谷中4-2-45

 昭和34(1959)年に本堂から現在の地に七面堂を新築し勧請されています。

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<鳥供養の包丁塚>

 施主に「日本全鳥調理師司」と刻されています。
 「鳥供養 庖丁塚」「日本全鳥調理師司処 日本全鳥割烹調理師連盟」(右)「包潤協会」(左)
 「百度石」がすぐ脇にあります。

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○瑞輪寺  台東区谷中4-2-5

 山門に「全国潮師法縁本部」、石標「慈雲山瑞輪寺」

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<説明パネル>

 日新上人は徳川家康公が幼少の頃、学問教育の師範でありました。

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 徳川家康公は、天正19(1591)年に瑞輪寺本堂を創建しました。

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<本堂>

 新しい本堂ですが、屋根には葵紋。

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<鐘楼堂>

 当初の鐘楼堂は、徳川家光が寄進しています。

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<庫裡>

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<客人稲荷大明神>

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<河鍋暁斎之墓> 台東区史跡

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<大久保主水墓> 東京都旧跡

 大久保主水の墓は、鐘楼を案内に従って左に行き、八角井戸の脇を通って突き当たると、標石「大久保忠行之墓」があります。
 大久保忠行は、もと徳川家康の家臣であり、神田上水の開発や幕府儀礼の創始など、多くの事蹟を残した人物です。

(説明板)
「大久保主水墓(都旧跡)
    台東区谷中四丁目二番五号 瑞輪寺
 名は忠行、または藤五郎と称す。三河国の武士で、徳川家康に仕え三百石を給されていた。一向一揆のときに足を負傷してから戦列に加われず、餅菓子を作る特技を生かし、以降、家康に菓子を献じたという。
 天正十八年(一五九○)家康は江戸に入り町づくりを始める。用水事業を命ぜられた忠行は、武蔵野最大の湧水地である井の頭池、善福寺池を源に、それぞれの池から流れる河流を利用して、江戸城ならびに市中の引水に成功した。これを神田上水といい、江戸の水道の始まりであり、また我が国水道のさきがけであった。
 この功により、家康から「主水」の名を賜り、水は濁らざるを尊しとして「モント」と読むべしと言ったという。以来、子孫は代々主水と称し、幕府用達の菓子司を務めた。元和三年(一六一七)没。
 なお、墓への通路脇にある八角形の井戸「大久保主水忠記の井戸」は、天保六年(一八八五)十代目忠記が、忠行の業績を顕彰したものである。平成二十三年に台東区有形文化財として台東区区民文化財台帳に登載された。
    平成二十七年三月  台東区教育委員会」

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 主水の墓は一番左で、標石「従五位 主水忠行之墓」が左脇に立っています。

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 主水の墓から順に右へ、「清浄院殿蓮乗法修日富」「蓮台院月宝尼墓(忠行の妻)」 「宝乗院殿墓(2代大久保忠元)「寿天院殿長古日照居士墓(3代大久保忠辰夫婦)」 「久成院殿道寿日長居士墓(4代大久保忠武夫婦)」

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<大久保主水忠記の井戸> 台東区文化財

 江戸幕府の御用菓子屋を務めた大久保主水家の10代忠記が、忠行の業績を顕彰し天保6(1835)年に寄進しました。
 八角柱の石造井筒で、上面には八卦、側面には銘文が刻まれています。

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トレイン・ミュージアム 御殿坂

○トレイン・ミュージアム 荒川区西日暮里2-58 下御隠殿橋

 下御隠殿橋は、日暮里駅前にある跨線橋です。御殿坂下と東口を繋いでいます。
 橋の中ほど北側に「トレイン・ミュージアム」と呼ばれるバルコニーが設置されています。JRの新幹線や特急列車を始め京成線など、1日に20種類約2500本の列車が行き交っています。カメラを持った見物人多数です。

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<プレート>

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<説明碑>

 バルコニーに説明碑があります。

「下御隠殿橋の完成にあたって
 旧下御隠殿橋は、コンクリートと鋼板でできた幅員が6mの橋で、昭和3年に建設されました。その後、昭和39年2月に都市計画決定された東京都市計画道路補助線街路第188号線の一部として、西日暮里二丁目と西日暮里三丁目及び谷中地域とを結ぶ重要な役割を果たしてきました。
 しかし、60余年に亘る長い年月と近年の車両交通の増加により、腐食やひび割れが著しく、通行の安全性を確保することが困難な状況になってきました。そのため、昭和63年2月に橋の幅員を15mとする都市計画変更を行い、損傷した橋を架け替えることになりました。
 架け替えにあたっては、周辺地域の人々をはじめ多くの関係者の叡智を集め、景観と眺望に優れた橋として建設しました。それは、日暮里・谷中地区に数多く残る古い神社仏閣や文学碑などを中心とした歴史的な風情に配慮すること、新幹線をはじめ、数多くの種類の列車が1日2500本も通過する日本有数のこ線橋としての特性を活かすこと、日暮里駅は荒川区の玄関口であり品位と格調をもった橋とすること、を基本的な考え方にすえて整備しました。
 新しい下御隠殿橋は、和風的なデザインで、バルコニー付きの広い歩道があり、列車ウォッチングができる生きたトレイン・ミュージアムとしてここに蘇りました。
 この橋が街に新たな表情を与え、荒川区の活力ある発展に大きく貢献することをここに祈念します。

【橋の概要】 橋 格  1等橋
       形 式  3径間鋼ラーメン橋
       橋 長  100m
       幅 員   15m
       工 事  平成元年7月~平成7年3月
       示方書  道路橋示方書・同解説(昭55)
   平成7年4月
   東京都荒川区」

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○御殿坂 荒川区西日暮里三丁目・台東区谷中七丁目

御殿坂は、荒川区と台東区の区境の坂です。下御隠殿橋から七面坂(こちらも荒川区と台東区の区境の坂)へと続きます。坂の説明板(本行寺前)と標柱(谷中墓地横)が荒川区と台東区のそれぞれにあります。

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(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
 御殿坂
 西日暮里三丁目と台東区谷中七丁目の境を七面坂から日暮里駅方面へ下る坂。江戸時代から用いられていた呼称である。
 当時の絵図などから、天王寺(現谷中墓地)の下を通り芋坂下に続いていたことがうかがえる。
 天保九年(一八三八)刊の『妙めを奇談』は、寛永(一六二四~四四)の頃、白山御殿(将軍綱吉の御殿)や小菅御殿(将軍御膳所)と同様の御殿がこのあたりにあったことにより付いたというが、坂名の由来は明確ではない。   荒川区教育委員会」

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(標柱)
「御殿坂
 文政十二年(一八二九)に成立した『御府内備考』には、「感応寺と本行寺の間より根津坂本の方へ下る坂なり」とあるが、「根岸」の誤写の可能性がある。明治五年『東京府志料』には、長さ十五間(約二七.三メートル)幅二間(約三.六メートルm)とあるが、現在の坂の長さは五十メートル以上あり、数値が合致しない。以前は、谷中への上り口に当たる急坂を「御殿坂」と呼んだが、日暮里駅やJRの路線ができた際に消滅したため、その名残である坂の上の部分をこう呼ぶようになったと考えられる。俗に御隠殿(寛永寺輪王寺宮の隠居所)がこの先にあったからといわれるが、根拠は定かではない。」

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御隠殿坂 芋坂

○御隠殿坂 台東区谷中7丁目~上野桜木2丁目

 渋沢家墓所を線路方面に行くと御隠殿坂となります。

(説明板)
「御隠殿坂
明治四十一年刊『新撰東京名所図会』に、「御隠殿坂は谷中墓地に沿い鉄道線路を経て御隠殿跡に下る坂路をいふ。もと上野より御隠殿への通路なりしを以ってなり。」とある。
御隠殿は東叡山寛永寺住職輪王寺宮法親王の別邸。
江戸時代、寛永寺から別邸へ行くため、この坂が造られた。「鉄道線路を経て」は踏切を通ってである。」

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<御隠殿坂>

 坂を下って直進すると御隠殿橋ですが、左手に下りていくのが本来の御隠殿坂です。
 踏切の痕が見えます。

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(標柱)
「御隠殿坂
 明治四十一年刊『新東京名所図会』に、「御隠殿坂は谷中墓地に沿ひ鉄道線路を経て御隠殿跡に下る坂路をいふ。もと上野より御隠殿への通路なりしを以てなり。」とある。御隠殿は東叡山寛永寺住職輪王寺宮法親王の別邸。江戸時代、寛永寺から別邸へ行くため、この坂が造られた。「鉄道線路を経て」は踏切を通ってである。
  平成二十二年三月  台東区教育委員会」

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<御隠殿橋>

 橋脚はコンクリートです。

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<墓地>

 施錠されているので外から見るだけですが、立派な墓地です。墓石は僧の形態です。

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○芋坂(いもざか)  台東区谷中7丁目~荒川区東日暮里5丁目

 台東区谷中から荒川区東日暮里へ下る坂。
 芋坂児童遊園を回り込んで下り、線路で道が途切れています。
 荒川区側に下りてくると、羽二重団子の横に出ます。正面に将軍橋が見えます。

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(標柱)
「芋坂(いもざか)
 坂を登れは谷中墓地、下ると羽二重団子の店の横から善性寺前へ通じていた。鉄道線路でカットされ、これにかかる橋が「芋坂跨線橋」と名付けられて、わずかにその名を残している。
 坂名は伝承によると、この付近で自然薯(山芋)が取れたのに因むという。正岡子規や夏目漱石、田山花袋の作品にもこの芋坂の名が書かれている。
    芋坂も団子も月のゆかりかな  子規
  平成十二年三月  台東区教育委員会 」

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<芋坂人道跨線橋>

 古レールをYの字に組んだ橋脚が壮観です。

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<将軍橋> 荒川区東日暮里5-41-14

 将軍橋のある善性寺は関道閑の開基で、道灌山の由来は、太田道灌と関道閑の2説があります。

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<羽二重団子> 荒川区東日暮里5-54-3

 こちらで記載済です。
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tag : 谷中正岡子規夏目漱石鉄道遺構

澁澤榮一墓所とタブの木

○渋沢栄一墓所のスタンプ

 谷中霊園HPにはお知らせはありませんが、渋沢栄一の墓にスタンプ設置のお知らせが掲示されました。
 屋内への立ち入りは自粛したので、管理事務所には寄らずに、お知らせのみ撮影です。
 緊急事態宣言前の訪問のため、現在は緊急事態宣言に伴って、スタンプは一時撤去されているかもしれません(都営地下鉄の駅スタンプが一時撤去されているので)。

「澁澤榮一とタブの木」

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(参考記事) 渋沢栄一の墓
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tag : 渋沢栄一谷中

根ぎし笹乃雪が解体

○根ぎし笹乃雪 台東区根岸2-15-10 新築のため休業

 笹乃雪が解体されました。お店の案内によると、近隣地で新築準備中とのことで、令和3年秋頃のオープン予定です。→令和6年春頃の再開予定に変更です。
 
「笹乃雪 新築移転のご案内
日頃よりご利用誠にありがとうございます。
現在営業中の店舗の老朽化により、徒歩数分以内の近隣地で新店舗の準備を進めております。
お客様にはご不便、ご迷惑をおかけしますが、令和2年12月27日(日)をもちまして一旦休業とさせていただきます。
なるべく早い営業再開を目指しますが、令和3年秋頃新築オープンできますように準備する次第でございます。 店主」

 以前の建物はなくなり、正岡子規の句碑も見当たりません。

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 解体地に掲示されている建築計画によると、跡地は13階建てのマンションが建ちます。令和3年7月1日着工で、令和4年10月31日完成予定です。

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(参考) 解体前の笹乃雪は、こちらで記載
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tag : 根岸正岡子規

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