渋沢栄一とガス事業~ガスミュージアム

○東京ガス「渋沢栄一とガス事業」  小平市大沼町4-31-25

 東京ガスの創設者である渋沢栄一とガス事業の企画展が、ガスミュージアムで開催されています。
  https://www.gasmuseum.jp/gallery/

 2階展示スペースで「渋沢栄一とガス事業」展示。撮影禁止だったので、パンフのみ。

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1階展示スペース こちらは撮影可能です。

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東京のガス事業のはじまり
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東京瓦斯株式会社
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<煉瓦造りの展示館>

 2棟の展示館は明治時代に建てられた東京ガスの煉瓦造りの社屋を移設・復元しています。
 「ガス灯館」は、明治42年建築の東京ガス本郷出張所の建物、「くらし館」は明治45年建築の東京ガス千住工場計量器室の建物の移設・復元です。

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tag : 渋沢栄一煉瓦

銀行発祥地/渋沢栄一邸/郵便発祥地

○銀行発祥の地  中央区日本橋兜町4-3 みずほ銀行兜町支店

 みずほ銀行兜町支店の外壁に銘板「銀行発祥の地」がはめ込まれています。

 「銀行発祥の地
  この地は明治6年6月11日(1873年)
  わが国最初の銀行である第一国立銀行が
  創立されたところであります
             明治38年6月建立」

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<東京開化三十六景 第一国立銀行>(三代広重)

 第一国立銀行の行章は、星形を2つ重ねた「二重星(ダブルスター)」でした。
 「朝に星をいただいて出勤し、夕に星を眺めて帰る」という勤勉さを表したものだったそうです。
 錦絵に「二重星(ダブルスター)」の旗が描かれています。

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<株式会社第一銀行>

 ガスミュージアムに展示されていた写真です。

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「明治大正建築写真聚覧 第一国立銀行」(建築学会編 昭和11年)

 建築学会の写真が残っています。海運橋と第一国立銀行が写されています。2枚目は銀行部分を拡大。

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<兜町歴史地図>

 西の外壁に説明パネルが設置されています。

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<渋沢栄一と建物の歴史>

 「渋沢栄一と建物の歴史」として、4枚の説明パネルが設置されています。
 こちらに詳細が紹介されています。
 清和総合建物 > 兜町ビルの歴史ー銀行発祥の地ー

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「銀行発祥の地」

(パネル文)
「渋沢栄一翁
 渋沢栄一翁は幕末の慶応3(1867)年に渡欧し、最先端の経済制度や科学技術を学びました。帰国後はその知識を活かし、明治政府において新生日本の基盤となる制度作りに力を発揮しました。
 その後実業界に転じ、生涯を通じて約500にものぼる株式会社の設立・育成を行うとともに、学校や病院など約600の社会・公共事業の育成・推進にも力を注ぎ、近代日本社会・経済の基礎作りに大きな貢献をしました。
 中でも、渋沢翁が中心となって明治6(1873)年にこの場所に開業した「第一国立銀行」は、日本最初の近代的な銀行として有名です。この地周辺にはその後日本で最初の株式取引所(現東京証券取引所)や数多くの会社が次々と設立され、兜町は日本経済の中心地として発展していきました。」

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「日本橋川沿いに建つ渋沢栄一邸。
 ベネチアンゴシック様式の建築は辰野金吾の設計です。」
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「初代建物(第一国立銀行)」

(パネル文)
「初代建物(第一国立銀行)
 日本最初の近代的な銀行である「第一国立銀行」(現みずほ銀行)は、明治6(1873)年にこの場所で誕生しましたが、その本店として使用されたのが明治5(1872)年に竣工した写真の建物です。
 日本初となる銀行建築を請け負った清水組(現清水建設)二代清水喜助は、外国人の手を借りず、設計施工すべてを自分達で手掛けました。木骨石造、ベランダ、日本屋根、塔を組み合わせた和洋折衷の建物は、擬洋風建築の最高峰といわれ錦絵にも度々描かれた東京の名所でした。」

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「設計者:二代目清水喜助(1815-1881)
文化12(1815)年富山生まれ。
 生地井波は宮大工輩出の地として知られ、幼少期から社寺建築に親しむ環境の中で育ち、大工となりました。近郷出身の清水組創始者初代清水喜助を頼り江戸に出て、幕末には横浜開港に伴う幕府御用の工事を手がけて事業を大きく発展させ、近代建設業の基礎を整えました。
 本建物の他、我が国初の大規模和洋折衷建築と言われる築地の外国人旅館(通称築地ホテル)など彼の作った建物は、明治初期に全国各地に建設された擬洋風建築に大きな影響を与えました。」

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「二代目建物」(辰野金吾設計)

(パネル文)
「二代目建物
 国立銀行制度の終了に伴い、明治29(1896)年第一国立銀行は株式会社第一銀行となりましたが、その本店の二代目建物として明治35(1902)年に竣工したのが写真の建物です。
 後に東京駅舎で有名となる辰野金吾の設計によるもので、外壁は石造ですが鉄棒で補強し、床は耐火構造、シャッター、消火栓等、当時としては最新の防災設備を備えていました。
 大正12(1923)年の関東大震災では、地域全体に広がった火災により大きな被害を受けましたが、建物自体は堅牢な作りで崩壊を免れ、その後も使われ続けました。」

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「設計者辰野金吾(1854-1919)
 嘉永7(1854)年佐賀生まれ。
 明治6(1873)年工学部工学寮(後の工部大学校、現在の東京大学工学部)に第一回生として入学。同校造家学科を首席で卒業後、官費留学生として英国に留学しました。帰国後は工部大学校の教授に就任し、後には帝国大学工科大学学長や建築学会会長などの要職に就きました。
 建物の重圧で堅牢なイメージから「辰野堅固」とも言われたという彼の作品には、日本銀行本店や東京駅駅舎など、現在でも重要文化財などに指定されて残っているものが多数あります。」

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「三代目建物」(西村好時設計)

(パネル文)
「三代目建物
 二代目建物は、昭和5(1930)年に第一銀行本店が当地から丸の内に移転した後も、同行の兜町支店として使われていましたが、その役割は昭和11(1936)年に三代目となる写真の建物に引継がれました。鉄骨鉄筋コンクリート造の建物は、銀行・証券会社の立ち並ぶ兜町の中でもひと際目立つ堂々とした風格を備えていました。 その後昭和51(1976)年に、第一国立銀行以来四代目となる現在の建物が建てられ、現在もみずほ銀行の兜町支店として百数十年に亘る歴史を繋いでいます。」

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〇東京証券取引所  中央区日本橋兜町2-1

 東京証券取引所の前身である「東京株式取引所」は、明治11(1878)年に、渋沢栄一らにより設立されました。

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「明治大正建築写真聚覧 東京株式取引所」(建築学会編 昭和11年)

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○渋沢栄一翁ゆかりの赤石(佐渡赤石)  中央区日本橋兜町1-10

 ※「赤石」は、令和3(2021)年に「KABUTO ONE」に再移設されました。

 日証館(平和不動産株式会社本店)は、旧渋沢栄一兜町邸宅の跡地に、1928(昭和3)年に建てられました。

 1階エントランスに渋沢栄一翁ゆかりの赤石が展示されています(平日7:00-18:00開館)。
 渋沢栄一翁が、1888(明治21)年に兜町邸宅を建設した際に、縁起石として設置したものです。

 赤石は、昭和24(1949)年に孫の渋沢敬三が柳橋の懐石料理亭「亀清楼」(閉業)に寄贈したものを、平和不動産70周年記念事業の一環として、2017(平成29)年に本赤石を譲り受け、日証館エントランスに展示したものです。

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(説明パネル)
「渋沢栄一ゆかりの赤石
 渋沢栄一翁は、明治6年(1873年))に、ここ日本橋兜町に日本で最初の株式会社である第一国立銀行(現みずほ銀行)を設立。
明治11年(1878年)には東京株式取引所(現東京証券取引所)を設立し、日本経済・金融の礎を築きました。
本赤石(佐渡赤石)は、明治21年(1888年)に渋沢栄一翁が兜町邸宅(現日証館所在地)を建てた際に、日本経済の繁栄を祈念した縁起石として当地に設置されました。
 その後、渋沢栄一翁は明治41年(1908年)に三田綱町邸宅(後に大蔵大臣公邸、現財務省三田共用会議所所在地)を建て移り住む際にも移設するなど本赤石を生涯大切にしていました。本赤石は、昭和24(1949年)に渋沢栄一の孫である渋沢敬三(元日本銀行総裁、元大蔵大臣)によって渋沢栄一翁が明治の元勲である伊藤博文や桂太郎らとの会談場所として足繁く通った柳橋の料亭「柳ばし亀清楼」に寄贈されました。
 平成29年(2017年)に平和不動産株式会社創立70周年記念事業の一環として、渋沢栄一翁の意志を受け継ぐべく、本赤石を譲り受け我が国資本主義発祥の地である「日本橋兜町」に設置するに至りました。」

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<渋沢栄一邸(渋沢事務所>

「兜町澁澤邸」(明治大正建築写真聚覧 建築学会編 昭和11年)

 渋沢事務所(渋沢邸)は、日本橋川沿に建っていました。
 竣工・明治21年4月 経過・大正12年9月焼失 設計者・辰野金吾

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「兜町澁澤事務所正面」(渋沢男爵実業講演 帝国図書出版 大正2)

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○郵便発祥の地(中央区史跡)  中央区日本橋1-18-1 日本橋郵便局

「郵便発祥の地
 ここは、明治四年三月一日(1871年4月20日)
 わが国に新式郵便制度が発足したとき駅通司
 と東京の郵便役所が置かれたところです」

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「郵便創業100年記念ポスト」

 昭和46(1971)年の設置です。

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「前島密先生」「郵便発祥の地」

 郵便創業90周年を記念して、昭和37(1962)年4月に建てられました。

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「前島密像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
 天保6年1月7日〜大正8年4月27日(1835年2月4日〜1919年4月27日)

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「最初の郵便」(実写奠都五十年史 大正6年)

 「駅逓司内の郵便役所」、「郵便函」、「郵便物騎馬集配人」の写真です。
 解説「上は明治四年三月一日始て開始したる日本橋四日市驛逓司内の郵便役所にして下は其當時の郵便函と郵便物騎馬集配人なり」

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「東京開化三十六景 四日市郵便本局」 (三代広重)

 日本橋四日市に置かれた郵便役所、四日市郵便本局を描いた東京開花三十六景の1枚です。四日市郵便本局の奥に、第一国立銀行の二重星(ダブルスター)が描かれています。

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「四日市」(井上安治)

 井上安治が「四日市」を描いています。左手に「東京郵便役所」が見えます。右手に七棟並んでいた「七つ蔵」(現在の三菱倉庫)が見えます。

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「古今東京名所 江戸橋 三つ菱の荷蔵」(三代広重 明治16年 台東区立図書館蔵)

 江戸橋から、四日市の三菱「七ツ蔵」を描いています。左手奥に、かすかに郵便役所が見えます。

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「江戸名所図会 四日市」

 日本橋と旧江戸橋(現在の江戸橋より東へ約100m)の間、日本橋川の南が四日市です。日本橋川の対岸は日本橋魚河岸です。四日市の地名は毎月四の日に市がたったのを起源としています。

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tag : 渋沢栄一清水建設辰野金吾江戸名所図会井上安治銅像日本橋川郵便ポスト史跡

如水会館渋沢栄一像(一橋大学創設)

〇如水会館 千代田区一ツ橋2-1-1

 渋沢栄一は、商法講習所(現・一橋大学)、大倉商業学校(現・東京経済大学)等の実業教育の設立にも尽力しました。

 大正6(1917)年、栄一の喜寿を記念し渋沢栄一寿像が東京高商講堂に設置されましたが関東大震災で失われました。
 大正15(1926)年、如水会館復興建築竣工開館式、続いて栄一の寿像除幕式が行われ、渋沢栄一が出席し謝辞を述べました。
 この像は掘進二作で二基鋳造され、もう一基は、一橋大学附属図書館大閲覧室にあります。
 昭和19年に金属類供出により失われ、昭和39(1964)年、渋沢栄一寿像の再建除幕式が行われています。
 一ツ橋大学著図書館の像は笑っていますが、こちらは笑っていません。

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<一橋大学図書館の渋沢栄一胸像>

 図書館の中に入れないので、代わりに東商渋沢ミュージアムで撮ってきた画像です。

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<東京外国語学校発祥の地>

 東京外国語大学発祥の地でもあります。

(碑文)
「東京外国語学校発祥の地
東京外国語大学の起源は安政1(1857)年に創設された蕃書調所まで遡るが、直接の前身である東京外国語学校が開設されたのは, 明治6(1873)年11月1日、この地(当時の東京府神田区一ツ橋通町一
番地)においてであった。東京外国語大学は この日を建学記念日として、ここに碑を建立する。
平成14(2002)年3月27日  東京外国語大学」

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渋沢栄一と帝国ホテル

○渋沢栄一と帝国ホテル  千代田区内幸町1-1-1

 帝国ホテルは、1890(明治23)年、明治政府の要請に応じ、渋沢栄一や大倉財閥設立者の大倉喜八郎、三井物産を創設した益田孝などが設立発起人となり、開業しました。 渋沢栄一は、開業以来19年間経営を舵取りし、初代会長を務めました。


〇企画展示「日本資本主義の父 渋沢栄一と帝国ホテル」

 帝国ホテルの初代会長、渋沢栄一の偉業や功績を紹介する企画展示が2021年2月13日(土)~2022年1月31日(月)の予定で、帝国ホテル内常設展示スペース「インペリアル タイムズ」において、開催されています。

 「帝国ホテルニュースリリース

<インペリアルタイムズ案内>

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<展示>

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こちらは従来の展示、帝国ホテルに宿泊した方々
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「渋沢栄一と帝国ホテル」年表

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 帝国ホテルでの渋沢翁の様子

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 また以下の2か所でも企画展示が行われています。

 ・本館中2階フランス料理「レ セゾン」横
  赤煉瓦とチョコレートのオブジェ"KINONE"(キノネ)

 ・本館中2階エレベーターホール
  渋沢翁のコルクアート肖像画

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 ※渋沢栄一が起こした企業は多数で、帝国ホテルのほかにもこれらの会社が実施する企画展が見受けられます。


○帝国ホテルの銅像三基

 帝国ホテルに、胸像が3基並んでいます。木々に遮られて存在がわかりにくいです。左から順に見ていきます。

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「犬丸徹三翁寿像」
 ブロンズ像です。
 「昭和三十年十二月吉日 株式会社帝国ホテル従業員並有志一同」
 犬丸徹三は、大倉喜七社長の後の帝国ホテル社長です。
  
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「男爵大倉喜八郎像 BARONK.OKURA」
 大理石の像です。大倉喜八郎は、渋沢栄一の後の会長です。

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「子爵渋沢栄一像 VISCSHIBUSAWA」
 この胸像は、渋沢栄一が会長職を辞した16年後(当時86歳)の1925(大正14)年に造られました。養育院の像と同じ大正14年の造立です。大理石の像なので、戦時金属供出にあっていません。
 1926(大正15)年7月13日、渋沢栄一の寿像除幕式が開催されました。帝国ホテル社長大倉喜七郎が式辞を述べ、渋沢栄一が答辞を述べました。

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青淵澁澤榮一像

〇青淵澁澤榮一像 千代田区大手町2-7-2 常盤橋公園

 常盤橋公園は日本橋川を挟んで日本銀行本店本館の向い側に位置しています。日本橋川に架かる常磐橋(橋名は「磐」の文字)、国指定史跡「常盤橋門跡」、「青淵澁澤榮一」像があります。戦時金属供出により撤去されましたが、昭和30(1955)年再建。初代、2代目とも、朝倉文夫氏の製作です。
 常盤橋公園は、常盤橋地区再開発工事のため平成29年(2017年)4月から、2027年度までの予定で閉鎖されていますが、渋沢栄一像のスペースは囲われていないので、見学可能です。
 修復工事中だった常磐橋は、令和3(2021)年5月10日に工事完了・開通しました。

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 台座前面の題字「青淵澁澤榮一」は、渋沢栄一子爵ご本人の筆蹟です。銅像は戦時供出されましたが、台座は残り、銅像は朝倉氏により原型によって改鋳され昭和30年に再建されました。

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 裏面の「昭和八年十一月十一日 財団法人渋沢青淵翁記念会建之」の文字は、男爵中島久万吉氏の揮毫にかかります。

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(碑文)
「青淵澁澤榮一翁は 天保十一年埼玉縣の農家に生れたが時勢に激して志士となり 後轉じて幕臣となつて 慶應三年歐州に赴き 民主主義自由主義を知る機會を得た 歸朝後大蔵省に仕官して諸制度の改革に當ったが 明治六年退官し 同年創立された第一國立銀行の頭取となり 爾来産業経濟の指導者成に任じ開與した會社五百 常に道徳経濟合一主義を唱えて終生之を實錢し我が國運の發展に偉大な貢獻をした。また 東京市養育院等社會事業の助成 一橋大學日本女子大學等實業及び女子教育の育成 協調會等による勞資の協調 日華日米親善等世界平和の促進、道徳風教振作のために九十二歳の高齢に達するまで盡力し 昭和六年十一月十一日に逝去した。
 翁の歿後 財界有力者によりその遺徳顯彰の目的で設立された澁澤青淵翁記念會が 昭和八年此処に銅像を建立したが 第二次世界大戦中金属供出のために撤去された 然るにこのたび 銅像再建の聲が盛り上がり各界の有志によって 再び朝倉文夫氏に製作を委嘱し舊位置にこの銅像を建て 東京都に寄附したのである
  昭和三十年十一月 澁澤青淵記念財團龍門社」

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【除幕式】
 昭和8年11月11日14時30分から16時にて除幕式。天候は細雨。列席者700名(雨の中、列席者が700名とはすごすぎ!)。作者の東京芸大朝倉文夫教授も出席し、渋沢雅英君と除幕に当たる。来賓総代として山本達雄内務大臣が祝辞を述べ、遺族総代として渋沢敬三氏が挨拶を述べる。
(建設経過)
 昭和3年10月1日、帝国劇場での渋沢翁の米寿祝賀会で寿像の建設が決議された。昭和6年7月旧常盤橋門趾公園予定地を建設敷地と定める。同年11月に渋沢翁逝去。昭和8年5月10日起工、同年11月9日竣工(施工:清水組)。
(渋沢栄一記念財団のデジタルアーカイブの複数ファイルから抜粋してまとめた。)
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