古隅田川③ 親水水路
〇古隅田川親水水路
中川と綾瀬川を繋ぐ古隅田川親水水路は、葛飾区と足立区の境となっていて、両区の共同整備で完成しています。古隅田川流路跡の所々にパネルが設置されています。
<水源>
水源は、花畑川→葛西用水親水水路→八か村落し親水緑道→古隅田川親水水路(環境省資料より)となっています。導水部分は、葛西用水交差北三谷橋、綾瀬駅北口八か村落とし口から元隅田橋へと推測。
<マンホール蓋>
いくつかのパターンのマンホール蓋が見受けられました。



○長門排水場(跡)~北三谷橋
○北三谷橋~元隅田橋
○梅若丸と北三谷
○元隅田橋~東綾瀬公園
○元隅田橋~綾瀬川
○裏門堰親水水路
○北三谷橋/名にしおばいざこととはん都鳥
古隅田川と「葛西用水・曳舟川水路跡」が交差するのが北三谷橋。
在原業平が都鳥の歌を詠んだのは、この辺りではないかとのこと。






<古隅田川(足立・葛飾区)総合案内>


(説明板)
「蒲原村宿駅伝説
寛政6年(1794)出版の「四神地名録」に、「この土地の人のいい伝えに、古隅田川の北に添った蒲原村は、むかしの駅で今でも宿という地名が残っている。在原の業平が東下りした時「名にしおばいざこととはん都鳥我思ふ人は有りやなしや」と詠んだのは、この辺りではないか、今、隅田川と称している地は二百四~五十年前は海だったから川があるはずがないという」とある。
その他の地誌にも、蒲原が古い駅路の宿だったかどうかを記しているものが多い。このため、治承4年(1180)源氏の再起を賭けて伊豆に挙兵、敗れて安房国に逃れた頼朝が再び鎌倉をめざして下総国から武蔵国に入った時、蒲原村に宿陣したという説が地元に根強く伝わっている。」

<手づくり郷土賞>
東和銀座商店街が昭和62年に手づくり郷土賞を受賞。東京都モデル商店街第1号の指定を受けましたが多目的フレームによるアーケードは撤去され、過去の賑わいはありません。国土交通省:過去受賞「東和銀座商店街」


<北三谷一号橋>

<北三谷二号橋>
親水路がありますが、バルブ老朽化で故障中のため、流れは中止中。




<北三谷稲荷橋>
梅若丸説明板がはま寿司の駐車場前にあります。北に北三谷稲荷神社があります。(別途記載)

<宝蔵寺橋>
北に宝蔵寺があります。(別途記載)

○北三谷三号橋/「軍用金伝説」

(説明板)
「軍用金伝説
古代から古隅田川は、武蔵国と下総国との国境をなすほどの大河でした。船の行き来も盛んで、人やものを運ぶ大切な交通手段でもありました。
この辺りは、大きく曲がっているところから大曲と呼ばれ、舟の舵取りの難しいところとされていました。慶長18年(1613)2月の暴風雨の時に、この難所で1隻の船が沈没してしまいました。いつのまにか「沈没した船に軍用金が積んであった」という噂が広まり、明治に至るまで、軍用金探しが行われたそうです。しかし、発見されることなく、近年の区画整理などのため、いまではその正確な場所もわからなくなってしまったそうです。」


<郷乃一之橋>

<郷乃二之橋>

○東隅田橋
常磐線ガード手前です。総合案内のパネルがあります。


「古隅田川(足立区・葛飾区)総合案内」

<隅田橋>
常磐線のガードをくぐり、線路沿いに進み、再度ガードをくぐり線路沿を進むと、下河原公園手前角の交差点が「隅田橋」です。


〇下河原公園 足立区東綾瀬1-11-12

<古隅田川を巡る歴史>
公園沿の歩道にパネル設置。

<庚申供養塔>
公園の北に庚申塔が3基あります。
・「奉供養庚申塔」安永6(1777)年
「右 六阿ミ陀道」「左 江戸道」道標を兼ねています。六阿弥陀詣を導く道標がここにあることは、遠出で来る巡拝者も多かったことが伺えます。
・「青面金剛立像庚申塔」平成8(1996)年。珍しい新しい庚申塔です。
・「青面金剛立像庚申塔」文久2年(1862)12月





<西隅田橋>
下河原公園を越えて、西隅田橋。

<宿添橋>
東京都立葛飾ろう学校(葛飾区西亀有2-58-1)の手前交差点に「宿沿橋」。ろう学校に沿って、川筋が続きます。

<親水水路>
ろう学校前の歩道に親水水路があります。水は流れていません。



<境四橋>
常磐線のガードをくぐった先の交差点が「境四橋」。

<親水水路>
境四橋の先に親水水路が見えて、河添公園の横を流れ道路に沿って続きます。



<入圦橋>
川の手通り手前の入圦橋から親水水路はもぐります。

<出会いの川・古隅田川/古利根川流末関係図>
四阿が出現し、左手にパネルが2枚、設置されています。ここから葛飾区側は西亀有から堀切となります。




<上千葉遺蹟と普賢寺> 葛飾区堀切8-24

○随喜稲荷社 葛飾区堀切8-26-26
川の手通りとの交差に随喜稲荷社があります。
煉瓦の何かの土台らしきものが気になります。







〇元隅田橋
元隅田橋で古隅田川緑道に繋がります。
本来の古隅田川は、元隅田橋で綾瀬駅へ向かい、綾瀬駅の向こう側を回って、現在の綾瀬川通りを南下していました。



次 古隅田川緑道及び古隅田川~綾瀬駅
中川と綾瀬川を繋ぐ古隅田川親水水路は、葛飾区と足立区の境となっていて、両区の共同整備で完成しています。古隅田川流路跡の所々にパネルが設置されています。
<水源>
水源は、花畑川→葛西用水親水水路→八か村落し親水緑道→古隅田川親水水路(環境省資料より)となっています。導水部分は、葛西用水交差北三谷橋、綾瀬駅北口八か村落とし口から元隅田橋へと推測。
<マンホール蓋>
いくつかのパターンのマンホール蓋が見受けられました。



○長門排水場(跡)~北三谷橋
○北三谷橋~元隅田橋
○梅若丸と北三谷
○元隅田橋~東綾瀬公園
○元隅田橋~綾瀬川
○裏門堰親水水路
○北三谷橋/名にしおばいざこととはん都鳥
古隅田川と「葛西用水・曳舟川水路跡」が交差するのが北三谷橋。
在原業平が都鳥の歌を詠んだのは、この辺りではないかとのこと。






<古隅田川(足立・葛飾区)総合案内>


(説明板)
「蒲原村宿駅伝説
寛政6年(1794)出版の「四神地名録」に、「この土地の人のいい伝えに、古隅田川の北に添った蒲原村は、むかしの駅で今でも宿という地名が残っている。在原の業平が東下りした時「名にしおばいざこととはん都鳥我思ふ人は有りやなしや」と詠んだのは、この辺りではないか、今、隅田川と称している地は二百四~五十年前は海だったから川があるはずがないという」とある。
その他の地誌にも、蒲原が古い駅路の宿だったかどうかを記しているものが多い。このため、治承4年(1180)源氏の再起を賭けて伊豆に挙兵、敗れて安房国に逃れた頼朝が再び鎌倉をめざして下総国から武蔵国に入った時、蒲原村に宿陣したという説が地元に根強く伝わっている。」

<手づくり郷土賞>
東和銀座商店街が昭和62年に手づくり郷土賞を受賞。東京都モデル商店街第1号の指定を受けましたが多目的フレームによるアーケードは撤去され、過去の賑わいはありません。国土交通省:過去受賞「東和銀座商店街」


<北三谷一号橋>

<北三谷二号橋>
親水路がありますが、バルブ老朽化で故障中のため、流れは中止中。




<北三谷稲荷橋>
梅若丸説明板がはま寿司の駐車場前にあります。北に北三谷稲荷神社があります。(別途記載)

<宝蔵寺橋>
北に宝蔵寺があります。(別途記載)

○北三谷三号橋/「軍用金伝説」

(説明板)
「軍用金伝説
古代から古隅田川は、武蔵国と下総国との国境をなすほどの大河でした。船の行き来も盛んで、人やものを運ぶ大切な交通手段でもありました。
この辺りは、大きく曲がっているところから大曲と呼ばれ、舟の舵取りの難しいところとされていました。慶長18年(1613)2月の暴風雨の時に、この難所で1隻の船が沈没してしまいました。いつのまにか「沈没した船に軍用金が積んであった」という噂が広まり、明治に至るまで、軍用金探しが行われたそうです。しかし、発見されることなく、近年の区画整理などのため、いまではその正確な場所もわからなくなってしまったそうです。」


<郷乃一之橋>

<郷乃二之橋>

○東隅田橋
常磐線ガード手前です。総合案内のパネルがあります。


「古隅田川(足立区・葛飾区)総合案内」

<隅田橋>
常磐線のガードをくぐり、線路沿いに進み、再度ガードをくぐり線路沿を進むと、下河原公園手前角の交差点が「隅田橋」です。


〇下河原公園 足立区東綾瀬1-11-12

<古隅田川を巡る歴史>
公園沿の歩道にパネル設置。

<庚申供養塔>
公園の北に庚申塔が3基あります。
・「奉供養庚申塔」安永6(1777)年
「右 六阿ミ陀道」「左 江戸道」道標を兼ねています。六阿弥陀詣を導く道標がここにあることは、遠出で来る巡拝者も多かったことが伺えます。
・「青面金剛立像庚申塔」平成8(1996)年。珍しい新しい庚申塔です。
・「青面金剛立像庚申塔」文久2年(1862)12月





<西隅田橋>
下河原公園を越えて、西隅田橋。

<宿添橋>
東京都立葛飾ろう学校(葛飾区西亀有2-58-1)の手前交差点に「宿沿橋」。ろう学校に沿って、川筋が続きます。

<親水水路>
ろう学校前の歩道に親水水路があります。水は流れていません。



<境四橋>
常磐線のガードをくぐった先の交差点が「境四橋」。

<親水水路>
境四橋の先に親水水路が見えて、河添公園の横を流れ道路に沿って続きます。



<入圦橋>
川の手通り手前の入圦橋から親水水路はもぐります。

<出会いの川・古隅田川/古利根川流末関係図>
四阿が出現し、左手にパネルが2枚、設置されています。ここから葛飾区側は西亀有から堀切となります。




<上千葉遺蹟と普賢寺> 葛飾区堀切8-24

○随喜稲荷社 葛飾区堀切8-26-26
川の手通りとの交差に随喜稲荷社があります。
煉瓦の何かの土台らしきものが気になります。







〇元隅田橋
元隅田橋で古隅田川緑道に繋がります。
本来の古隅田川は、元隅田橋で綾瀬駅へ向かい、綾瀬駅の向こう側を回って、現在の綾瀬川通りを南下していました。



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