ジョイフル三の輪 瑞光公園 中島弁財天 都電

○ジョイフル三の輪 荒川区南千住一丁目 HP

DSCN5706_20201025211058405.jpg

DSCN5597_20201025211059383.jpg

DSCN6917_20201025211101562.jpg

DSCN5323_20230220164021665.jpg

DSCN5324_202302201640231d7.jpg


○石川屋敷跡 荒川区南千住1-26-10瑞光公園

 瑞光公園は「瑞光石の光」をテーマに整備した公園です。瑞光石は素盞雄神社創建の起源となった奇岩です。なぜか、テレビドラマのロケ地に何度も選ばれています。
 「石川屋敷跡」説明板があります。

<時計塔と瑞光石の光>
 時計塔から「瑞光石の光」が四方八方に放たれています。

DSCN7259_202010252106099f3.jpg

DSCN5569_20230228034006975.jpg

DSCN3394_202312181527389ff.jpg

DSCN5567_20230228034008cc3.jpg

<石川屋敷跡>
 石川屋敷があった新開地には、かつて大正時代に酩酒屋街がありました。

(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
 石川屋敷跡
 伊勢亀山藩主石川日向守屋敷は、新開地一帯(現在のジョイフル三の輪あたり)にあって、総坪数一万千四十坪(約三万六千四百平方メートル)にも及ぶ広さであった。万治元年(一六五八)、主殿頭憲之の時に、三河島・三の輪・小塚原三か村のうち、一万五百三十坪(約三万四千七百平方メートル)の地を拝領し下屋敷を造築。寛文五年(一六六五)三河島村重右衛門の所有地五百十八坪(約千七百平方メートル)を買上げ、屋敷・庭園を造築した。
 この石川屋敷では、四月から七月までの間に限って鉄炮稽古をしたという。
    荒川区教育委員会」

DSCN7260.jpg

DSCN6954.jpg

○中島弁財天  荒川区南千住1-23-11
 2012年1月に廃業した銭湯「弁天湯」から像を譲り受けた商店街が2012年11月に、祠を設け祀っています。

(説明板)
「中島弁財天の由来
 当商店街至近の「元弁天湯」は大正時代創業で、関東大震災や空襲をくぐり抜けた建物は「都内最古級」と云われ百年近く地域に親しまれてきましたが東日本大震災で配管等に甚大な被害が出て閉業しました。
 その女湯の脱衣場の中庭に置かれていたのが七福神の一つこの弁財天 様です。開運、商売繁盛、弁活、芸術、財神、延寿の神弁財天として安置いたしました。
 かつて、江戸時代から明治二年の版籍奉還まで、大名伊勢亀山藩主石川家(六万石)の下屋敷・抱屋敷として立地し、その屋敷内に大きな弁天池 が有り、その中の島に祀られていた「中島弁財天」に由来するものであります。」

DSCN7253_20201025210817380.jpg

DSCN7258.jpg

DSCN7255_202010252108203af.jpg

DSCN7256.jpg

DSCN7257.jpg

○記述済の店
 大勝湯
 砂場 総本家
 パンのオオムラ
 ベジフル
 とくとく弁当ニハマル
 てぃだ食堂

○三ノ輪橋停留場  荒川区南千住1-12
 2007(平成19)年に、レトロにリニューアルされています。看板がレトロ。2018(平成30)年10月、案内所「三ノ輪橋おもいで館」(東京都交通局)開設。

DSCN5592_20201025212931119.jpg

DSCN5704_20201025212933914.jpg

DSCN5705_202010252129349b0.jpg

DSCN0501.jpg

DSCN0502.jpg

DSCN0500.jpg

DSCN5699_20201025213248f08.jpg

DSCN5700_202010252132491e4.jpg

DSCN5701_202010252132519f5.jpg

DSCN5703_202010252132534e2.jpg

DSCN5702_20201025213254290.jpg

○三ノ輪橋
 記載済
関連記事

テーマ : 駅めぐり - ジャンル : 旅行

tag : 鉄道遺構南千住

上総一宮 まとめ

〇上総一宮

 一宮の町名は上総国一之宮玉前神社の社格に由来しています。
 1896(明治29)年に房総鉄道(現:外房線)が開通し、1897年には一ノ宮駅、1899年に大原まで延伸され、一宮は別荘地として有名人の別荘が多く建ち、「東の大磯」と呼ばれました。
 2020年東京オリンピックのサーフィン競技が、一宮町の釣ヶ崎海岸で行われることになっていました。

DSCN6977_202010212300283f3.jpg

 
 以下記載

 一宮町
  ○ 上総一宮まとめ(当ページ)
  ○ 魚料理タカラ亭
  ○ 上総国一之宮 玉前神社
  ○ 芥川荘/芥川龍之介文学碑
  ○ ホテル一宮シーサイドオーツカ
関連記事

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 芥川龍之介

芥川荘/芥川龍之介文学碑

○芥川荘(国登録有形文化財) 一宮町一宮9241一宮館敷地内

 ホテル一宮シーサイドオーツカでの日帰り入浴まで時間があるので、玉前神社から芥川荘へ向かいます。
 一宮館の駐車場の奥の庭に、芥川荘があります。

DSCN6977c.jpg


(芥川荘説明)
「芥川荘
 一宮川河口に位置する旅館・一宮館の離れで、大正3年(1914)と大正5年(1961)に芥川龍之介がこの離れに滞在したことから、この名がつけられた。芥川は滞在中にこの離れから、後に妻となる塚本文に長い求婚の手紙を送り、一宮での思い出を「微笑」「海のほとり」「玄鶴山房」「蜃気楼」などの作品に登場させている。建物は、明治30年(1897)の建築。茅葺寄棟造の木造平屋建てで、主屋と次の間2室の3方に縁側を回らし、縁側の一端には洗面所を設けており、当地方の伝統的な民家建築技法で建てられ、周囲の松林の閑静な雰囲気と相まって良好な景観となっている。」
(芥川荘の説明は、文化庁、千葉県HPなどにありますが、一宮観光協会サイトが詳しいのでそちらからの引用です) 

DSCN7032_20201021163031cfb.jpg

DSCN7031_20201021163032556.jpg

DSCN7033_202010211630349f8.jpg

DSCN7044_202010211630354c5.jpg

DSCN7034_202010211630378d7.jpg

DSCN7042.jpg


<芥川龍之介文学碑>

 芥川龍之介の塚本文(後の芥川夫人)あての一宮からの手紙を陶板に記したプレートを埋め込んだ御影石の碑です。
 正面「芥川龍之介文学碑」、裏面に由縁が刻まれています。平成3年5月建立。

DSCN7035.jpg

DSCN7041.jpg

DSCN7036_20201021164601d55.jpg

DSCN7037_202010211646026d5.jpg

DSCN7038_20201021164603928.jpg

    
<小高倉之助歌碑>

 地元の農民歌人。鍬の形をした歌碑で、碑は斜めになっています。平成3年12月建立。

DSCN7039.jpg

DSCN7040_20201021164802553.jpg


○一宮館 一宮町一宮9241 0475-42-2127
 HP:http://www.ichinomiyakan.com/

 芥川荘のある庭側の一宮館

DSCN7043.jpg

 一宮館の表に回ってみました。

DSCN7046.jpg

DSCN7047_202010211651038af.jpg

DSCN7045_20201021165104134.jpg


〇芥川龍之介 愛の碑 一宮町船頭給2512

 一宮海岸広場(国民宿舎一宮荘跡地)に「芥川龍之介 愛の碑」があります。駐車場から見たものの下調べ不十分で芥川龍之介の碑とは気づかず、写真は取り損ねました。画像は一宮海岸です。

DSCN7049.jpg

DSCN7048.jpg

DSCN7050.jpg
関連記事

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 芥川龍之介国登録有形文化財

上総国一之宮 玉前神社

〇上総国一之宮 玉前神社 一宮町一宮3048 HP
 
 上総一ノ宮駅駅前の「タカラ亭」で食事後、玉前神社に芭蕉句碑を見に訪問。

DSCN7118.jpg


<芭蕉句碑>

 「叡慮にて賑ふたみや庭かまど はせを」

(説明板)
「一宮町指定文化財(史跡)
 芭蕉の句碑  平成四年一月十四日指定
「この碑は表面中央に「たかき屋にの御製の有難を今も猶 叡慮にて賑ふたみや庭かまど はせを」と大書されている。「はせを」は芭蕉のことであり、元禄元年(一六八八年)秋冬の頃の作で、仁徳天皇の聖徳を称えたものである。左には「名にしおはゞ名取草より社宮哉 金波」を発句とする表十句を刻んである。
 背面には、上部に「無尽言」の題字、その下に百四十九句を刻み、起名庵金波の芭蕉景仰の漢文銘があり、左端に「明治紀元戊辰晩秋 催主 千丁 河野五郎兵衛」とあり、上総千町村 (現茂原市千町)の俳人起名庵金波「河野五郎兵衛」一門によって建てらたもので、書も金波といわれている。
 金波は文化元年(一八〇四)岡山の井出家に生れ、俳句を学び起名庵を創始した。嘉永五年(一八五二)千町村の河野家の養子として迎えられ明治二十年八十四歳で没した。
  平成五年八月三十一日  一宮町教育委員会」(誤字は適宜修正しました)

DSCN7007_20201021231120729.jpg

DSCN6985_202010212311224c6.jpg

DSCN6983_202010212311227ca.jpg

DSCN6987.jpg


<一の鳥居>

DSCN6978_20201021231401357.jpg

DSCN7029.jpg

DSCN7030_20201021231404f8e.jpg

DSCN7016.jpg


<白鳥井/ご神水>

 ご神水は、金気臭に金気味です。塩味はなし。分析すれば鉄鉱泉かと思います。

DSCN7023_202010212315498e4.jpg

DSCN7019.jpg

DSCN7022.jpg

DSCN7020_20201021231553e3e.jpg


<ご神砂>

DSCN7021_20201021231555854.jpg


<二の鳥居/蜀山人書神号銅額>

 一宮町HPによると
 「蜀山人の書になる神号銅額は、境内正面の石鳥居に建立以来久しく掲げられおり、最近採った拓本に「文化十三子四月太田覃書」の刻文と「南畝」の印、当時の宮司家などの名が読まれた。」
 石鳥居は文化三年と刻まれており、石鳥居が建ってから現在の神号額が掲げられたこととなります。
 蜀山人は大田南畝です。

DSCN7026_20201021231925394.jpg

DSCN7025.jpg

DSCN7024_202010212319272f1.jpg


<狛犬>

DSCN7018_2020102123205049b.jpg

DSCN7017_20201021232052ad3.jpg


<三峯神社/玉前稲荷神社>

DSCN7013.jpg

DSCN7014.jpg


<さざれ石>

 内閣総理大臣橋本龍太郎氏揮毫です。

DSCN7015_202010212320551ef.jpg


<神楽殿/玉前神社上総神楽>

DSCN7011.jpg

DSCN6994_20201021232431a6e.jpg


<社殿>

DSCN7012.jpg

DSCN6991_20201021232636f87.jpg

DSCN7010_2020102123263823a.jpg


<神木 いす>

DSCN6995_20201021232832948.jpg

DSCN7009.jpg


<力石>

DSCN6992_20201021232950a8c.jpg

DSCN6997_20201021232952f52.jpg

DSCN6993_20201021232952396.jpg


<護錨記念碑>

(説明板)
「明治の末、九十九里浜の海に沈んでいて度々漁網に被害をおよぼしていた錨が漁師の網に掛かり引き揚げられた。漁師達は玉前神社のお陰と大いに喜び、網主十一名が東郷平八郎海軍大将に篆額をいただき、その錨とともに碑を建てた。(以下略)」

DSCN6998_202010212332124d1.jpg

DSCN7009b.jpg

DSCN6996_202010212332144b0.jpg


<招魂殿>

「大正十二年建立。日清戦争・日露戦争以降第二次世界大戦までの一宮出身の三二五柱の戦没者をお祀りしている。~以下略~」
 砲弾が奉納されています。
 奉納の戦利品は散逸しているところが多いので珍しいと思います。

DSCN6999.jpg

DSCN7002_20201021233855d00.jpg

DSCN7001_202010212338564c8.jpg

DSCN7000_20201021233857b38.jpg


<はだしの道>

 築山の周りをはだしで3周して祈願するはだしの道。
 築山は古墳の可能性があるようです。

DSCN7008_20201021234053d36.jpg


<西南戦争紀念碑/征清紀念碑>

 はだしの道の築山に石碑が2基あります。
 左に「西南戦争紀念碑」(熾仁親王筆)、右に日清戦争の「征清紀念碑」(彰仁親王筆)。

DSCN6979_2020102123423616b.jpg

DSCN6980_20201021234237c08.jpg

DSCN7006_2020102123423988a.jpg

DSCN7005_202010212342406f7.jpg


<末社 十二社>

 「玉前神社末社十二神社ご由緒
  一宮町内の邑々に昔から祀られ信仰を集めていた神々が明治初年政府の命により玉前神社に合祀され
  十二神社として現在にいたりました~以下省略」

DSCN7004.jpg

DSCN7003.jpg


<玉前神社槇の群生>

DSCN6990_20201021233444546.jpg


<平廣常顕彰碑>

DSCN6989_20201021234523c7c.jpg

DSCN6988_202010212345248c9.jpg


〇寿屋本家 一宮町一宮2987 0475-36-3989

 門前に風格のある明治時代の中期に建てられた寿屋本家(すやほんけ)があります。たまたまの休みでした。

DSCN7027_2020102123462785b.jpg

次に芥川荘へ向かう
関連記事

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 松尾芭蕉戦役紀念碑力石さざれ石大田南畝古墳史跡

国昌寺

〇国昌寺  さいたま市緑区大字大崎2378

DSCN5462.jpg

DSCN5447_20200906154140115.jpg

DSCN5469.jpg

DSCN5468_20200906154142e98.jpg

DSCN5464.jpg

DSCN5445.jpg

(説明板)
「國昌寺
 國昌寺は、曹洞宗の寺院で、大崎山國昌寺といいます。天正年間(一五七三ー一五九二)、見沼区染谷にある常泉寺の第八世住職であった心巌宗智大和尚が開山しました。二世(中興開山)は能書家としても著名な大雲文竜です。
 文竜は、名僧智識としてその名は朝廷にまで達し、特に書に秀でていたため、後陽成、後水尾両天皇から三度も召され、宮中で書を指南しています。寺には、寺宝として大雲文竜書の「大弁才尊天号」の軸物(市指定有形文化財)が伝わります。
 山門は、江戸時代中期(宝暦頃)の建築で、市の有形文化財に指定されています。欄間の龍は、左甚五郎の作と伝えられるもので、棺を担いでこの門をくぐりぬけると、龍に中身を喰われて軽くなるという伝説を持っています。また、この龍はもと見沼に住んでいて作物を荒らしたので、日光から帰る途中の左甚五郎に龍を彫ってもらい、釘付けにして門におさめたという伝説もあります。
 また、境内には、阿弥陀一尊種子板石塔婆(市指定有形文化財)もあります。
  平成二十八年三月  さいたま市」

DSCN5448_20200906154147999.jpg


<出羽三山供養塔>

 出羽三山供養塔があります。
 「月山 湯殿山 羽黒山 三社大権現」
 「先達 大乗院」
 「願主 壽栄」
 台石 「願主 講中」
 文化3(1806)年の造立です。出羽三山供養塔で像塔は珍しい。

DSCN5451_20200906154450052.jpg

DSCN5470.jpg

DSCN5455_202009061544521f8.jpg

DSCN5454_20200906154454750.jpg

DSCN5457_2020090615445628b.jpg

DSCN5458.jpg

DSCN5456.jpg

DSCN5452_202009061545006c5.jpg


 像塔は、「萩地蔵/湯殿山供養塔 日塩もみじライン」で見た程度です。

DSC09616.jpg

DSC09608.jpg

DSC09606.jpg


<山門> さいたま市文化財)

DSCN5473_20200906155040afe.jpg

DSCN5471.jpg

DSCN5474.jpg

DSCN5450_20200906155044e66.jpg

DSCN5475.jpg


<文鏡観音堂/文鏡観音像>

DSCN5446_20200906155205e89.jpg

DSCN5466_20200906155207e36.jpg
   

<阿弥陀一尊種子板塔婆>  さいたま市文化財

DSCN5459.jpg

DSCN5449.jpg

DSCN5461.jpg

DSCN5460.jpg


<地蔵菩薩・子育て地蔵>

DSCN5465_2020090615540832e.jpg


<象>
 小堂に白い象がいます。詳細等不詳。

DSCN5463.jpg
関連記事

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行

tag : 出羽三山

カウンター
プロフィール

ほっと湯Web

Author:ほっと湯Web

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
09 | 2020/10 | 11
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
検索フォーム
リンク
カテゴリ
タグリスト

全記事タイトル表示

全ての記事を表示する

Japanese→English
English
♥. ♠. ♣Alice
QRコード
QR