聖徳寺 湯殿山大日如来像
○聖徳寺 越谷市北川崎18



<塩地蔵尊>
参道を進むと、右手に小さなお堂に塩地蔵が祀られています。


塩でとろけています。

正確には塩地蔵ではないのですが、亀戸天神の塩犬がインパクト強かったです。
行徳の塩は、小名木川によって江戸城に運ばれましたが、塩業関係者の信仰です。
(亀戸天神はこちらで記載済)

<湯殿山大日如来像>
塩地蔵を越えた参道右手に、物置の左右に無縁仏の石塔が集められています。





左手石塔群、最後列の右から3番目に湯殿山大日如来坐像の塔があります。
上部に大日如来坐像を浮き彫り。
正面「奉造立湯殿山大日如来」
(石塔間の隙間が狭く草も生えていてよく見えず、越谷市郷土史研究会資料にて確認)
宝暦4(1754)年の造立です。左側面に「同行」と刻まれています。右側面は隙間なく確認できず。







<向畑観音堂> 越谷市向畑885
聖徳寺の参道の右手に向畑観音堂(堂面の観音堂)と墓地があります。
庚申塔や六地蔵石幢などがあります。








<塩地蔵尊>
参道を進むと、右手に小さなお堂に塩地蔵が祀られています。


塩でとろけています。

正確には塩地蔵ではないのですが、亀戸天神の塩犬がインパクト強かったです。
行徳の塩は、小名木川によって江戸城に運ばれましたが、塩業関係者の信仰です。
(亀戸天神はこちらで記載済)

<湯殿山大日如来像>
塩地蔵を越えた参道右手に、物置の左右に無縁仏の石塔が集められています。





左手石塔群、最後列の右から3番目に湯殿山大日如来坐像の塔があります。
上部に大日如来坐像を浮き彫り。
正面「奉造立湯殿山大日如来」
(石塔間の隙間が狭く草も生えていてよく見えず、越谷市郷土史研究会資料にて確認)
宝暦4(1754)年の造立です。左側面に「同行」と刻まれています。右側面は隙間なく確認できず。







<向畑観音堂> 越谷市向畑885
聖徳寺の参道の右手に向畑観音堂(堂面の観音堂)と墓地があります。
庚申塔や六地蔵石幢などがあります。





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テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
tag : 出羽三山
杉浦陣屋跡
○史跡 杉浦陣屋跡 松伏町大字大川戸3133
赤山街道越谷道の終端に杉浦陣屋跡があります。現在はカインズ松伏店が建っています。


(説明板)
「史跡 杉浦陣屋跡
杉浦家の祖である杉浦定政は、織田家の旧臣であった美濃の国竹ヶ鼻城主杉浦定元の長男でした。定元は徳川家と豊臣家の争いを見越し、定政を徳川方の伊奈氏に従わせました。慶長5(一六○○)年の関ヶ原の合戦で徳川方が勝利した後、定政は下総船橋村の代官となりましたが、船橋大神宮再建に際して屋敷を失い、この地にあった大川戸陣屋御殿を拝領しました。この陣屋は、慶長5年に上杉氏討伐のため小山まで出陣していた徳川家康が、石田三成挙兵の報を受けて江戸に引き返す途中でこの地に寄り、この場所に築くように指示したものです。家康直筆の「坪割書」(指示書)は、陣屋と共に杉浦家に与えられました。杉浦家は一時無役となりましたが、寛政4年(一七九二)年の伊奈氏改易(所領などを没収されること)まで、家臣として伊奈氏に仕えて活躍しました。「坪割書」や「伊達政宗書状」といった貴重な資料を含む杉浦家文書は町指定文化財となっています。また、家康が座ったという「家康腰掛け石」も近くに残されています。」

○家康腰掛け石 松伏町大字大川戸
杉浦陣屋敷跡の説明板に記載されている「家康腰掛け石」です。



「家康腰掛け石」




「祠内」

「御嶽大神」(明治7年10月)


「明治7年10月改 浅間大神」(文政6年9月)

富士山の線刻



「猿田彦大神」(文化9年12月)


(参考)
記憶に残っている腰掛け石は、「頼朝・政子腰掛け石」(熱海:伊豆山神社)
こちらで記録しています。



(参考)
石ではありませんが、栃木県那須町に「那須与一の腰掛松」があります。バス停の名前ともなっています。昔撮った画像なので、現在はまともな説明板が建っています。


(参考)
「弁慶下駄掛石」というのもあります。
(参考)
パソコンサイトに、「栃木の石めぐり」をまとめてみた。
○妙楽寺 松伏町大字大川戸3178





<多行松>
多行松は根元から幹が数本に分かれています。
2本の多行松が並んでいます。蓮池がいい雰囲気。

<延宝の庚申塔>(松伏町指定有形民俗文化財)
案内板によると、この庚申塔は町内最古のものとありますが、大川戸神明社の庚申塔が再調査の結果庚申塔と判明、慶安2(1649)年の造立で、これまで町最古とされていた妙楽寺「延宝の庚申塔」延宝5(1677)年を遡いでいます。松伏町内で2番目に古い庚申塔です。一番左の庚申塔です。


(説明板)
「「延宝の庚申塔」
昭和50年6月1日指定
松伏町指定有形民俗文化財
庚申塔は、庚申の信仰に基づいて主に江戸時代に建てられたものです。60日毎にめぐってくる庚申の日には、人の体内にいる三尸の虫が天に昇って神にその人の罪を告げに行くと考えられていました。そこで庚申の日は夜通し起きて、三尸の虫が体からでていかないようにします。これを庚申待といい、庚申待をするために、庚申講という組織ができました。庚申塔は講の人々の長生や幸福を願って建てられたものです。
この庚申塔は延宝5年(1677年)に建てられた、松伏町内で最古の庚申塔です。板碑型(頂部が山形で厚みが少ない)塔身で「奉寄進庚申供養塔」と刻まれ、その下に三猿が浮き彫りにされています。時代が新しくなると刻まれるようになる「日月」がなく、大変シンプルな庚申塔です。このような形の塔は同じころの墓石にそっくりで、「庚申」の文字と三猿がなければ殆ど見分けることができません。江戸時代初期の様式をよく残した例です。」

その他の庚申塔




赤山街道越谷道の終端に杉浦陣屋跡があります。現在はカインズ松伏店が建っています。


(説明板)
「史跡 杉浦陣屋跡
杉浦家の祖である杉浦定政は、織田家の旧臣であった美濃の国竹ヶ鼻城主杉浦定元の長男でした。定元は徳川家と豊臣家の争いを見越し、定政を徳川方の伊奈氏に従わせました。慶長5(一六○○)年の関ヶ原の合戦で徳川方が勝利した後、定政は下総船橋村の代官となりましたが、船橋大神宮再建に際して屋敷を失い、この地にあった大川戸陣屋御殿を拝領しました。この陣屋は、慶長5年に上杉氏討伐のため小山まで出陣していた徳川家康が、石田三成挙兵の報を受けて江戸に引き返す途中でこの地に寄り、この場所に築くように指示したものです。家康直筆の「坪割書」(指示書)は、陣屋と共に杉浦家に与えられました。杉浦家は一時無役となりましたが、寛政4年(一七九二)年の伊奈氏改易(所領などを没収されること)まで、家臣として伊奈氏に仕えて活躍しました。「坪割書」や「伊達政宗書状」といった貴重な資料を含む杉浦家文書は町指定文化財となっています。また、家康が座ったという「家康腰掛け石」も近くに残されています。」

○家康腰掛け石 松伏町大字大川戸
杉浦陣屋敷跡の説明板に記載されている「家康腰掛け石」です。



「家康腰掛け石」




「祠内」

「御嶽大神」(明治7年10月)


「明治7年10月改 浅間大神」(文政6年9月)

富士山の線刻



「猿田彦大神」(文化9年12月)


(参考)
記憶に残っている腰掛け石は、「頼朝・政子腰掛け石」(熱海:伊豆山神社)
こちらで記録しています。



(参考)
石ではありませんが、栃木県那須町に「那須与一の腰掛松」があります。バス停の名前ともなっています。昔撮った画像なので、現在はまともな説明板が建っています。


(参考)
「弁慶下駄掛石」というのもあります。
(参考)
パソコンサイトに、「栃木の石めぐり」をまとめてみた。
○妙楽寺 松伏町大字大川戸3178





<多行松>
多行松は根元から幹が数本に分かれています。
2本の多行松が並んでいます。蓮池がいい雰囲気。

<延宝の庚申塔>(松伏町指定有形民俗文化財)
案内板によると、この庚申塔は町内最古のものとありますが、大川戸神明社の庚申塔が再調査の結果庚申塔と判明、慶安2(1649)年の造立で、これまで町最古とされていた妙楽寺「延宝の庚申塔」延宝5(1677)年を遡いでいます。松伏町内で2番目に古い庚申塔です。一番左の庚申塔です。


(説明板)
「「延宝の庚申塔」
昭和50年6月1日指定
松伏町指定有形民俗文化財
庚申塔は、庚申の信仰に基づいて主に江戸時代に建てられたものです。60日毎にめぐってくる庚申の日には、人の体内にいる三尸の虫が天に昇って神にその人の罪を告げに行くと考えられていました。そこで庚申の日は夜通し起きて、三尸の虫が体からでていかないようにします。これを庚申待といい、庚申待をするために、庚申講という組織ができました。庚申塔は講の人々の長生や幸福を願って建てられたものです。
この庚申塔は延宝5年(1677年)に建てられた、松伏町内で最古の庚申塔です。板碑型(頂部が山形で厚みが少ない)塔身で「奉寄進庚申供養塔」と刻まれ、その下に三猿が浮き彫りにされています。時代が新しくなると刻まれるようになる「日月」がなく、大変シンプルな庚申塔です。このような形の塔は同じころの墓石にそっくりで、「庚申」の文字と三猿がなければ殆ど見分けることができません。江戸時代初期の様式をよく残した例です。」

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沖縄料理 月桃 サンニ
〇沖縄料理 月桃 サンニ 足立区鹿浜6-34-15-101
2019年11月9日にオープンした沖縄料理店、特に石垣島です。
店HP https://getou-kabira.crayonsite.com/
八重山そば600円を食べました。
次回は八重山焼きそば650円を食べようと思いました。
石垣島金城製麺所の麺を使用しています。








2019年11月9日にオープンした沖縄料理店、特に石垣島です。
店HP https://getou-kabira.crayonsite.com/
八重山そば600円を食べました。
次回は八重山焼きそば650円を食べようと思いました。
石垣島金城製麺所の麺を使用しています。









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tag : 沖縄料理
沖縄きしみ~る①
〇沖縄きしみ~る 三郷市彦成3-11-15 048-969-4022 9:00-18:00(通し営業) 定休日:日曜/祝日
三郷団地北商店街にある沖縄料理店です。
店内は狭いですが、外にテラス席もあります。







<沖縄の品々>
店内では、沖縄の品々が色々とあります。
コーンビーフハッシュ、チューリップポーク、沖縄風ぜんざい、などなど。
手作りのサーターアンダギーも売っています。

以前、沖縄に行った時に買ったものが以下ですが、もちろん置いてありました。
沖縄でお土産を賢く買うなら「サンエー・メインプレイス店」がおすすめ。ゆいレールのおもろまち駅から徒歩10分、23時まで営業しているのも嬉しい。
沖縄土産の品ぞろえが豊富で、観光客向けの土産物店に比べ安い。購入品は、自分でダンボールに詰めて、全国へ発送可能なのもグッド。「沖縄県産食品のギフト詰め合わせ」というのもあります。
食料品売り場には沖縄ならではのものが並び、沖縄の食文化を感じられます。沖縄料理を陰で支える超ローカル食材「コンビーフハッシュ」(オキハム)や、オキハムがぜんざい出しているんですよ、迷わず購入した「うちなー(沖縄)風ぜんざい」 など。




(蛇足)アメリカ統治時代の名残
沖縄の牛乳パックは946mlと473mlの2種類が主流です。
アメリカで使われている「ガロン」は、1ガロン3.785L。
1/4ガロンが946ml、1/8ガロンが473mlにあたります。




(蛇足)沖縄では、空港で、こんなものやあんなものを買った。さとうきびは100円だった。
ポーク玉子


さとうきび

ちんこすこう

本題に戻って、
<メニュー>
メニューを見るとリーズナブルな価格です。一番値段が高くてもソーキそば大800円。

ソーキそば中700円(税込)を食べる。
サン食品(沖縄県糸満市)の麺を使っているようです。
他の人が食べている品々も美味しそうでした。
近くの看護学校があるからか若い女性も多く、量が多いのですが完食されていました。

三郷団地北商店街にある沖縄料理店です。
店内は狭いですが、外にテラス席もあります。







<沖縄の品々>
店内では、沖縄の品々が色々とあります。
コーンビーフハッシュ、チューリップポーク、沖縄風ぜんざい、などなど。
手作りのサーターアンダギーも売っています。

以前、沖縄に行った時に買ったものが以下ですが、もちろん置いてありました。
沖縄でお土産を賢く買うなら「サンエー・メインプレイス店」がおすすめ。ゆいレールのおもろまち駅から徒歩10分、23時まで営業しているのも嬉しい。
沖縄土産の品ぞろえが豊富で、観光客向けの土産物店に比べ安い。購入品は、自分でダンボールに詰めて、全国へ発送可能なのもグッド。「沖縄県産食品のギフト詰め合わせ」というのもあります。
食料品売り場には沖縄ならではのものが並び、沖縄の食文化を感じられます。沖縄料理を陰で支える超ローカル食材「コンビーフハッシュ」(オキハム)や、オキハムがぜんざい出しているんですよ、迷わず購入した「うちなー(沖縄)風ぜんざい」 など。




(蛇足)アメリカ統治時代の名残
沖縄の牛乳パックは946mlと473mlの2種類が主流です。
アメリカで使われている「ガロン」は、1ガロン3.785L。
1/4ガロンが946ml、1/8ガロンが473mlにあたります。




(蛇足)沖縄では、空港で、こんなものやあんなものを買った。さとうきびは100円だった。
ポーク玉子


さとうきび

ちんこすこう

本題に戻って、
<メニュー>
メニューを見るとリーズナブルな価格です。一番値段が高くてもソーキそば大800円。

ソーキそば中700円(税込)を食べる。
サン食品(沖縄県糸満市)の麺を使っているようです。
他の人が食べている品々も美味しそうでした。
近くの看護学校があるからか若い女性も多く、量が多いのですが完食されていました。

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tag : 沖縄料理
みなかみ町 湯原温泉
○湯原温泉
水上温泉の中心、湯原温泉街は、古くからの温泉街です。
国道291号線沿の道の駅「みなかみ水紀行館」はとても賑わっていますが、そこから湯原温泉街まで立ち寄る人は、ほぼいないでしょう、人の流れが途切れています。
鬼怒川温泉のような廃れ方を呈している温泉街です。
鬼怒川温泉は温泉以外の見所が多いのでよく行きますが、湯原温泉の見所はよくわかりません。
ネットで検索すると、岡山の湯原温泉ばかりがヒットします。
湯原温泉の衰退を如実に示しているかと思います。
廃墟の壁面を利用した案内図なんかは工夫しているなと思います。

<水上駅SL転車台広場> みなかみ町鹿野沢


<線路沿いD51物語>



<EF16型電気機関車> みなかみ町小日向416
みなかみ水紀行館にあるEF16型電気機関車。
キレイになっています。




○吉井勇の歌碑 みなかみ町小日向 水上大橋たもと
吉井勇の歌碑
「あなをかし旅にて得たる寂しさも
喜びのはての寂しさに似る」
伯爵家に生まれた勇は、20歳で与謝野寛(鉄幹)主催の新詩社に入社しています。




○足湯
足湯が3か所あります。
ふれあい交流館は湯を張っていませんでした。
みなかみ水紀行館の足湯は利用可。人多し。
湯原温泉公園 足湯・手湯は、激しく人多かった、昼の画像撮りたかったけど撮れず。以下は以前撮った夜の画像。

水上温泉の中心、湯原温泉街は、古くからの温泉街です。
国道291号線沿の道の駅「みなかみ水紀行館」はとても賑わっていますが、そこから湯原温泉街まで立ち寄る人は、ほぼいないでしょう、人の流れが途切れています。
鬼怒川温泉のような廃れ方を呈している温泉街です。
鬼怒川温泉は温泉以外の見所が多いのでよく行きますが、湯原温泉の見所はよくわかりません。
ネットで検索すると、岡山の湯原温泉ばかりがヒットします。
湯原温泉の衰退を如実に示しているかと思います。
廃墟の壁面を利用した案内図なんかは工夫しているなと思います。

<水上駅SL転車台広場> みなかみ町鹿野沢


<線路沿いD51物語>



<EF16型電気機関車> みなかみ町小日向416
みなかみ水紀行館にあるEF16型電気機関車。
キレイになっています。




○吉井勇の歌碑 みなかみ町小日向 水上大橋たもと
吉井勇の歌碑
「あなをかし旅にて得たる寂しさも
喜びのはての寂しさに似る」
伯爵家に生まれた勇は、20歳で与謝野寛(鉄幹)主催の新詩社に入社しています。




○足湯
足湯が3か所あります。
ふれあい交流館は湯を張っていませんでした。
みなかみ水紀行館の足湯は利用可。人多し。
湯原温泉公園 足湯・手湯は、激しく人多かった、昼の画像撮りたかったけど撮れず。以下は以前撮った夜の画像。


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