人類に火を与えるプロメテウス(大手町)

○人類に火を与えるプロメテウス像 千代田区大手町1-1-2

 人類に火を与えるプロメテウス像が、2度目の引っ越しでここにきています。
 どちらに向かって火を掲げるか議論になったそうで、南を向いて立っています。

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<2度の引っ越し>

  「人類に火を与えるプロメテウス像」は、当初は西新橋交差点の新日本石油本社ビルの前に立っていました。

 <日本石油100周年を記念し、特約店会から寄贈。1988年設置。作:富永直樹氏>
 ちなみに、4号自動式卓上電話機も富永直樹氏の作です。

 新日本石油は2010年4月1日、新日鉱ホールディングスと経営統合し、JXホールディングへ。
 大手町の新会社へプロメテウス像も移動していましたが、さらなる経営統合でJXTGホールディングスが引っ越し、プロメテウス像も2度目の引っ越しとなりました。

 引っ越し前のプロメテウス 千代田区大手町2-6-3


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伊能忠敬翁像

○伊能忠敬翁像 江東区富岡1-20-3 富岡八幡宮

 富岡八幡宮境内、大鳥居脇に伊能忠敬翁像があります。躍動感のある像です。
 平成13年(2001)10月20日除幕、測量開始200年を記念したものです。
 伊能忠敬は深川黒江町(門前仲町1丁目)に住み(こちらで記載)、測量旅行出発に当たっては、富岡八幡宮に参拝していたことから縁りの地である富岡八幡宮に銅像が建てられました。 (富岡八幡宮「伊能忠敬銅像」)

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 富岡八幡宮は、夜はライトアップして綺麗です。
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<江戸切絵図>
 江戸切絵図から 「永代橋」「黒江町」「富岡八幡宮」部分の抜粋です。
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尾崎行雄/ボリヴァー/尾崎メモリアルホール

憲政記念館(千代田区永田町1-1-1)の銅像2つです。

○尾崎行雄像

 1950(昭和25)年92歳の時、米国の日本問題審議会に招かれた時、帰路ハワイで別れを告げる姿です。朝倉文夫の作。躍動感のある銅像で、とても92歳には見えません。
   
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<人生の本舞台>石碑

 「人生の本舞台は常に将来に在り 九四翁行雄」
 尾崎行雄94歳の時の碑です。石材はスウェーデン政府からの寄贈です。

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【尾崎行雄】
安政5年11月20日〜昭和29年10月6日
(1858年12月24日〜1954年10月6日)
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【近世名士写真頒布会 昭10 引用】


○シモン・ボリヴァー胸像

 1783年7月24日~1830年12月17日
 ベネズエラでは多く見かけます。通貨の単位はボリーバルです。日本にシモンボリーバルの像があるとは驚きました。日本ではここにしかないのでは? ベネズエラ政府からの寄贈です。憲政記念館1階会議室の入り口、尾崎行雄記念財団の横に据えられています。

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○尾崎メモリアルホール

 憲政記念館に「尾崎メモリアルホール」があり、貴重な資料が展示されています。小石川植物園にあったハナミズキの原木の切り株が、展示されています。

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 平成27(2015)年、「米国からのハナミズキ寄贈100周年」記念切手が日米両国で共同発行されました(こちら)。

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○憲政記念館(旧・尾崎記念会館) 千代田区永田町1-1-1 ※解体:新築 令和10年度末開館予定

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<仮議事堂の門柱の頭部/英国議事堂の飾り石>

 玄関入口には仮議事堂の門柱の頭部と、英国議事堂の飾り石(イギリス政府から寄贈)があります。

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<休憩所>

 「ギンナン」を洗うこと禁止の張り紙は、日比谷公園と同じ内容です。

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三権分立時計塔/日本水準原点/ハナミズキ

○三権分立時計塔 千代田区永田町1-1-1 国会前庭洋式庭園

(説明板)
「 時計塔
 この時計塔は、尾崎記念会館(現 憲政記念館)建設時に、その施設の一環として、塔全面の噴水池・花壇とともに設計され、昭和35年(1960)7月に完成した。
 三面塔星型は、立法・行政・司法の三権分立を象徴したものである。また、塔の高さは、「百尺竿頭一歩を進む」ということわざの努力の上にさらに努力して向上するの意味から、百尺(30.3メートル)より高くした31.5メートルに設定された。
 時計は、時間を厳守した尾崎行雄を称えてスイスから贈られたものであったが、現在は国産のものに改修されている。
 チャイムは、10時・13時・17時・22時の4回鳴動する。これは、衆議院、参議院の会議開会時刻と退庁、就寝時を標準にしたもので、その音響は静寂時には5キロメートル周囲に響き渡った。」
   
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<尾崎行雄記念碑>

 時計塔の前にある大きな石碑です。

(表面)
「尾崎行雄 1858〜1954
尾崎行雄は、民主主義と世界平和とのために一生をつらぬいた。若くして自由民権運動に身を投じ、保安条例に座して首都を追われ、海外に亡命したが、国会開設とともに衆議院議員に選ばれ、以来、議席にあること63年、世界議会史上の記録をなした。素志は藩閥軍閥の打破、民主政治の確立にあり、あらゆる権力に弾圧に屈せず、つねに民衆の陣頭にあってたたかった。その雄弁は天下に鳴り、憲政擁護の起るや、世は彼を仰望して権勢の神と称した。軍国主義が一世を支配し、戦雲急なるに及んでも、平和の新年をまげず、三たび辞世をふところにして議政壇上に立ち、国論に警告することをやめなかった。つとに世界連邦を提唱し、議会政治の父と仰がれつつ一生の幕を閉じた。高風を追慕する国民の支援と国際的賛助とにより、ここにこの記念会館が成ったのである。
 1960年2月25日しるす」

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(裏面)
「尾崎行雄略歴
1858年11月20日神奈川県津久井郡津久井町又野に生まる。父は行正、母は貞子、長男、幼名彦太郎。
1874年慶応義塾に入り、福沢諭吉に学ぶ。
1879年福沢諭吉の推薦により新潟新聞主筆となる。
1881年退社上京す。
1882年報知新聞に入り、1890年まで各紙記者として活躍す。大隈重信をいただき改進党を組織す。以来政党活動に身を投ず。
1885年東京府会議員となる。
1887年保安条例により3年間東京退去を命ぜられたのを機会に欧米を視察す。
1890年日本最初の衆議院議員総選挙に三重県より立候補し当選す。以来同一選挙区より25回連続当選す。
1898年大隈、板垣連立内閣に文部大臣として入閣す。
1903年第2代東京市長に就任す。(国会議員はそのまま)
1910年国会議員として万国議員会議に出席後欧米を視察す。
1912年桜苗木3000本をアメリカに贈る。水源林の確保、市街鉄道買収その他幾多の功績を残し東京市長を辞任す。
1914年大隈内閣の司法大臣に就任す。
1916年辞任す。
1919年第一次世界大戦後の欧米の惨状を視察す。
1931年アメリカを経てイギリスに渡り、日本国民に対する遺言ともいうべき「墓標に代へて」を執筆。また欧州各地を視察す。
1933年帰国す。
1942年田川大吉郎選挙応援演説にからみ不敬罪容疑で起訴さる。
1944年無罪の判決を受ける。
1950年渡米。第二次大戦後の日米国交に貢献す。
1953年衆議院名誉議員、東京都名誉都民に推薦さる。
1954年10月6日永眠す。北鎌倉円覚寺黄梅院に埋骨さる。」

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「碑文起草 阿部真之助氏
 碑文揮毫 文学博士石橋啓十郎氏
 花崗岩寄贈 株式会社鈴木石材店
 工事    柴田石材工業株式会社」

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○日本水準原点 千代田区永田町1-1-2 国会前庭北地区(国重要文化財)

 全国の土地の標高を決める基となる「日本水準原点」があります(明治24年5月設置)。 先の震災で、24㎜沈下して、標高が改正されています(地理院説明碑)。国の重要文化財及び東京都指定有形文化財(建造物)に指定されています。

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(碑文)
「日本水準原点
 日本水準原点は、わが国の土地の標高を測定する基準となる点である。明治24年(1891年)5月にこの場所に設置した。
 日本水準原点の位置は、この建物の中にある台石に取り付けた水晶板の目盛りの零線の中心である。その標高は明治6年から12年までの東京湾の潮位観測による平均海面から測定したもので当時24.500mと定めた。
 その後、大正12年(1923年)の関東地震による地殻変動に伴いその標高を24.4140mに改正したが、平成23年(2011年)3月11日の東北地方太平洋沖地震による地殻変動に伴い24ミリメートル沈下したため、新たに24.3900mに改正した。
  平成23年10月21日 国土地理院」

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「東京都指定有形文化財(建造物)
  日本水準原点標庫
 日本全国の統一された標高決定のための基準として、明治二四年(一八九一)五月に水準原点が創設されたが、この建物はその水準原点標を保護するために建築されたものである。 設計者は工部大学校第一期生の佐立七次郎(一八五六~一九二二)。建物は石造で平屋建。建築面積は14.93㎡で、軒高3.75m、総高4.3m。正面のプロポーションは柱廊とその上部のエンターブラチュア(帯状部)とペディメント(三角妻壁)のレリーフ装飾で特徴づけられる。
 日本水準原点標庫は石造による小規模な作品であるが、ローマ風神殿建築に倣い、トスカーナ式オーダー(配列形式)をもつ本格的な模範建築で、明治期の数少ない近代洋風建築として建築史上貴重である。
 平成九年三月三十一日建設  東京都教育委員会 」
 ※この日本水準原点標庫は、国の重要文化財及び千代田区特別登録有形文化財(建築物)に指定されています。

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<一等水準点>
 水準原点の近くには、「甲、乙、丙、丁、戊」と名づけられた一等水準点が5点あります。「丁」は地上にありますが、他の4つの水準点は、鉄の蓋で覆われています。 「戊」はロストしました。


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○ハナミズキ植樹

 尾崎記念会館(現憲政記念館)の建設が決まった際、米国からハナミズキが寄贈され、竣工と同時に植樹されました。
 lまた、「尾崎行雄・返礼ハナミズキ100周年の集い」が2015年10月に開催され、米国からハナミズキ20本が寄贈されています。
 前庭に植樹されています。植樹者「NPO法人咢堂香風土井孝子理事長」

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新聞創刊の地/江藤新平君遭難遺址

【虎の門】
○新聞創刊の地 港区虎ノ門1-2 虎ノ門交差点三井ビル

  虎の門三井ビルの虎の門交差点側の近くに「新聞創刊の地」碑があります。

(碑文)
「洋学者子安峻らが 当時虎の門外琴平町一番地の旧武家長屋に.わが国初の本格的な大衆啓発紙読売新聞を創刊したのは 明治七年(1874年)十一月二日である
 江戸時代の情報伝達形式であった「読売瓦版」から名をとって題号とし漢字にふりがなを施した平易な新聞として出発した  創刊のころ漢字教育を与えられていなかった市民から町名番地にちなんで「千里を走る虎の門 ことにひらがなは一番なり」と歓迎された
 維新後の東京に発祥した開明的な大衆紙から 今日に至るまで題号を変えず全国紙に発展したのは わが国新聞史上類例のないことである
  昭和四十九年十一月  東京都港区教育委員会」

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○贈正四位江藤新平君遭難遺址碑 千代田区霞ヶ関3-8-1

 虎の門三井ビルの虎の門交差点側の横にあります。近くには「新聞創刊の地」碑があります。漢文石碑です。額題は「懐旧表情」。大正5(1916)年6月の建立です。

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<江藤新平>

 江藤新平は、明治5(1872)年、司法卿となり、司法制度整備や民法制定などに尽力しました。明治7(1874)年に佐賀の乱を起こし処刑されます。明治22(1889)年、大日本帝国憲法発布に伴う大赦令により賊名を解かれます。大正5(1916)年に贈正四位。

 江藤新平肖像(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
  天保5年2月9日〜明治7年4月13日
 (1834年3月18日〜1874年4月13日)

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