芭蕉ゆかりの地(関口編) 目次

芭蕉ゆかりの地まとめ(関口編)目次

関口芭蕉庵
胸突坂 駒塚橋 水神社 旧関口町
神田上水/大洗堰
○新目白坂/目白坂
   ・関口水神
   ・関口フランスパン カトリック関口教会
   ・正八幡神社 幸神社 旧関口台町
ホテル椿山荘東京
肥後細川庭園

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tag : 松尾芭蕉

肥後細川庭園

○肥後細川庭園(旧新江戸川公園) 文京区目白台1-1-22 03-3941-2010
 HP:https://www.higo-hosokawa.jp/

 熊本藩主・細川家の江戸下屋敷跡にある文京区の施設です。
 公募により2017年3月18日、「新江戸川公園」から「肥後細川庭園」へと改称されています。

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↑関口芭蕉庵の表示位置が間違っています。

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<松聲閣>

 2階展望所「山茶花」、休憩室「椿」は観覧・休憩無料となっています。

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○永青文庫 文京区目白台1-1-1
 HP:http://www.eiseibunko.com/
細川家に伝来する歴史資料や美術品等の文化財を管理保存・研究、一般に公開しているのが永青文庫です。

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椿山荘 庭園

○ホテル椿山荘東京 庭園 文京区関口2-10-8 HP

<ホテル椿山荘東京の歴史>(ホテルHP及び庭園のご案内資料よりまとめ)

 すでに南北朝時代には椿が自生する景勝の地で「つばきやま」と呼ばれていました。
 神田上水の水役として出府した松尾芭蕉が1677年から4年余り、ホテル椿山荘東京に隣接する関口竜隠庵(のち関口芭蕉庵)に住んでいました。
 江戸時代は、この地は上総久留里藩黒田豊前守の下屋敷でした。
 山縣有朋が、明治11(1878)年に「つばきやま」を購入し庭、邸宅をつくり、「椿山荘」と命名しました。
 大正7(1918)年、藤田組の二代目当主「藤田平太郎男爵」が、山縣有朋の意志を受け継ぎました。
 昭和20(1945)年の空襲で、記念館や大邸宅、樹木の大半が殆ど灰燼に帰してしまいます。
 昭和23(1948)年、椿山荘は藤田鉱業(旧藤田組)から藤田興業の所有となります。
 藤田興業の創業者となった小川栄一は名園椿山荘の復興に着手します。


<庭園>

 神田川沿の「冠木門」から入園(入園無料)、「庭園のご案内」をいただき簡単な説明を受けます。
 裏には史蹟・景勝の説明が記されていてわかりやすいです。
 庭園内は、各地からの移築・移転が中心ですが、元々あったものもあります。
 樹齢500年の御神木、椿山、古香井、庚申塔です。

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<御神木>

 「当庭園における最古の樹木として保存されています。
  樹齢500年 高さ20m 根元周囲4.5m」

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<椿山>

「椿山のあるこの場所は、南方に早稲田田圃、西方に富士山を望むことができた展望の良い高台で、 椿の自生する景勝の地であることから南北朝時代の頃より「つばきやま」と呼ばれていました。(以下略)」

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<古香井>

 水量多く湧き出ています。 鉄分で茶色になっています。
 柵で立ち入れず味見できないのが残念です。

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<庚申塔>

ホテルHPによると、
「嘉永6年(1853年)の古地図「江戸切絵図」によると現在ホテル椿山荘東京のある地は上総久留里藩三万石黒田豊前守ほか複数名の土地で、区画にあたり公道が一本通っていました。山縣公は、早稲田から関口台へ抜けるこの公道も併せて買い入れたと言われており、この庚申塔は、元々この公道に造られていたものであったと言われています。」

 寛文9(1669)年4月の庚申塔。
 三猿が刻まれているのが一般的ですが、こちらは猿と鳥2羽で珍しい。

 供養塔は、昔からここにあったとのことなので、昔の古道と分岐点が今に残っていると推測されます。

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 供養塔は、昔からここにあったとのこと。
 江戸切絵図「雑司ヶ谷音羽絵図」を見ると、道がしっかり描かれています。

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<六地蔵>

 横には六地蔵供養塔の一部と思われるものが置かれています。
 六地蔵はお顔がもげていて破損が激しい。
 これまで見てきた六地蔵供養塔からすると、笠と台座が失われています。

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<庭園めぐり>

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<椿山荘の碑>

 山縣有朋公爵が明治11年に椿山荘と命名した際の感慨を刻んだ碑です。亀趺にのっています。

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<大正天皇皇太子時代の御手植え松の碑>
 
 今上陛下在東宮時、明治42年の椿山荘への行啓の際のお手植え松の碑とのこと。
 内容から大正時代の建立です。

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<筆塚>

 筆塚はもろい石で、草が生えて、文字が崩れています。

 (説明板)
 「 筆塚
  昭和33年(1958年)11月に出版 美術家連盟の皆様によって除幕式が行われた筆供養の碑。
  「筆に明け筆に生涯を送る私達の伴侶を芭蕉ゆかりの地に祀り筆塚とす」と説明文に記されています。
  (高さ85cm、周囲4m50cm)」

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<椿山荘の八福神>

 七福神に、ニワトリの庭の神が加わり、八福神。

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以下は他地からの移転や移築

<白玉稲荷神社>
 大正13(1924)年、京都下鴨神社にあった社殿を移築。

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<三重塔「圓通閣」>
 広島の篁山竹林寺から大正14(1924)年に移築。国登録有形文化財。

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<般若寺式石灯籠>
  鎌倉後期の石灯篭。

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<丸型大水鉢>
 京都の日ノ岡峠からの移転です。

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<伊藤若冲 羅漢石>
 京都伏見の石峰寺に置かれていたものです。
  
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<五丈滝>
 滝の裏に回り、裏見の滝を体験できます。

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tag : 松尾芭蕉亀趺神田川国登録有形文化財

神田上水/大洗堰


○江戸川公園 文京区関口2-1
 関口大地の南斜面の神田川沿いに拡がる東西に細長い文京区立の公園です。大正14年9月の大きな碑があります。
    
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<観光案内マップ>

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<大井玄洞の胸像>

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○神田上水改修工事と松尾芭蕉

<説明板>
「芭蕉の俳句に詠まれた植物の樹名板
 (略)~俳人松尾芭蕉(1644ー1694)は、延宝五年(34才)から同八年までの四年間に亘り此処に居住して神田上水の改修工事にたずさわったと言われている。俳聖と神田上水の工事とは、まことに妙な取り合わせのように思われるが、彼の前身が伊賀国(三重県)藤堂藩の武士であったことや、藤堂藩(藩祖高虎以来、築城土木、水利の技術に長じていた)が当時幕府から神田上水の改修工事を命じられていたことなど考え合わせると、彼が工事監督として、この改修工事に関係していたことも、納得がいくのである。 ~(略)~
  平成六年二月  東京都みどりの推進委員文京地区会」

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○「目白下大洗堰」(江戸名所図会)
 江戸名所図会に描かれた「目白下大洗堰」です。
  
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○「雑司ヶ谷音羽絵図」(江戸切絵図)
 江戸切絵図に描かれている関口上水です。

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○「関口の大瀧」(江戸の今昔 歌川広重 湯島写真場 昭和7(1932)年)
 「江戸の今昔」(昭和7年発行)に紹介されている「関口の大瀧」です。
 水質、水量とも悪くなり、昭和8年に取水口はふさがれており、取水口がふさがれる直前の昭和7年発行。
 「近時水上の地大いに開け、昔日の如く水清らかならず。」と、水質の悪化に触れています。

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○神田上水取水口大洗堰跡 文京区関口1-26-4
 大滝橋の北詰に「神田上水取水口大洗堰跡」があります。
 
<説明板>
「神田上水取水口大洗堰跡 区指定史跡
 徳川家康の江戸入り(天正18年ー1590)の直後、井の頭池から発する流れに、 善福寺池、妙正寺池の流れを落合であわせ、関口で取水して水路を定めたのが神田上水である。
 大洗堰で水は二分され、余水は江戸川に落し、他は上水として水戸殿に給水し、神田橋門外付近で二筋に分かれた。一つは内堀内の大名屋敷に給水し、他の一つは本町方面、日本橋で北の町屋に給水した。
 大正末年には、水質、水量とも悪くなり、昭和8年に取水口はふさがれた。
 上水道として最も古い神田上水の、取水口である大洗堰の跡は永く歴史に残したいものである。
  文京区教育委員会  昭和62年3月」

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<大滝橋> 文京区関口2丁目(北詰)1丁目(南詰)

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<一休橋>
 大滝橋の下流には一休橋がかかります。

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○神田上水取水口の石柱/大洗堰の由来碑/神田上水旧蹟碑記 文京区関口1-23

 「大洗堰」の一部の遺構が、取水口の「角落」の「石柱」として残されています。

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<説明板>
「神田上水取水口の石柱
 井の頭池を源流とするわが国初の神田上水は、関口の大洗堰(現在の大滝橋あたり)で水位をあげ、上水路(白堀)で水戸屋敷(現後楽園一帯)に入れた。 そこから地下を樋で神田、日本橋方面に給水した。
 この大洗堰の取水口に、上水の流水量を調節するため「角落」と呼ばれた板をはめこむための石柱が設けられた。
 ここにある石柱は、当時のもので、昭和八年大洗堰の廃止により撤去されたものを移した。
 なお、上水にとり入れた余水は、お茶の水の堀から隅田川へ流された。
  昭和五十八年十二月  文京区役所」

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<説明板>
「目白台・関口の歴史
 大洗堰の由来碑について
 かつて、この地には神田上水の堰があり、古来より風光明媚な江戸名所として知られていました。上水の工事には俳人松尾芭蕉も関与し、その旧居(芭蕉庵)は四○○m程上流に復元されています。
 大正八年東京市はこの地を江戸川公園として整備し、史跡(大洗堰)の保存に努めましたが、昭和十二年になり江戸川(神田川)の改修により失われたので、翌年、堰の部材を再利用して、由来碑を建てました。
 左の碑文はその文面です。由来碑はすでに失われましたが、近年、この碑文のみが見つかりましたので、ここに設置しました。
  平成三年三月  文京区役所」

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<神田上水旧蹟碑記>
 昭和13年3月の碑文です。

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tag : 松尾芭蕉江戸名所図会史跡江戸幕府施設神田川神田上水銅像

目白坂/清土道

目白坂は、清土道という街道筋でした。

○正八幡神社 文京区関口2-3-21

 目白坂の中腹にあります。水神社に並び鎮座していた椿山八幡宮を下の宮と呼ぶのに対し、当社は上の宮とも、また関口八幡宮とも称せられたといいいます。手水舎は嘉永7年8月と刻まれ江戸時代の奉納です。

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<江戸名所図会 目白坂 関口八幡宮>
 江戸名所図会に、描かれています。

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○幸神社 文京区関口2-6-1

 目白坂を上がったところにある小さな幸神社です。小さい神社ですが、江戸名所図会に「道山幸神社」として描かれています。

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(説明板)
「幸神社 関口2-6-1
 祭神は、猿田彦命・稲荷大神である。道山幸神社または駒塚神社とも称した。
 創建年代は不詳。江戸時代、当社の祭神の猿田彦命の神像は、その昔当地の崖下が入江であった頃、海中より出現した神像で、神体全体に蠣殻が付着していたと伝わる。かつては神木の榎が植えられた庚申供養塚があり、そこに猿田彦命を安置したという。
 幸神社が面する道路は、かつて「清土道」とよばれ、江戸・東京から練馬などの西北近郊の村々とを結ぶ主要道の一つであった。道の神である猿田彦命を祀った当社は、清土道における江戸・東京の出入り口に位置し、道行く人びとの安全を祈った祠であった。
  文京区教育委員会  平成27年8月」

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<以波東之桜>
 燈籠の台座にとってつけたように据えられている石碑。裏は漢文の説明。

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<江戸名所図会 道山幸神社>
 江戸名所図会に描かれています。

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○旧町名案内「旧関口台町」 文京区関口2-10

 神社のすぐ横には、旧町名案内があります。

「旧町名案内
 旧 関口台町 (昭和41年までの町名)
 もと、関口村の内で畑地であった。天和2年(1682)町屋を開き、享保5年(1720)から町奉行支配となった。
 町名は関口村の高台(目白台地)にあったので、関口台町と称えたといわれる。関口の名称は、むかしこの辺りに奥州街道の関所があったからとも、また神田上水の分水のための大洗堰があったからともいわれる。
 明治5年、旧細川越中守、黒田豊前守(現・椿山荘)、柳生播磨守ほかの武家屋敷地および寺地を併せた。
 目白台下に、松尾芭蕉ゆかりの芭蕉庵がある。西隣の胸突坂下には、神田上水の守護神であった水神社がある。
 芭蕉庵や水神社の一帯を椿山といった。鎌倉合戦のころこの辺りに伏兵を入れたとあり、そのころから椿が多かった。 」

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講談社 野間記念館 文京区関口2-11-30

 目白坂を上がって、椿山荘の先に、野間記念館。2019年7月16日から、老朽化・建て替えのため休館中。

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