霊亀山慶養寺 明治天皇御製碑

○霊亀山慶養寺 台東区今戸1-6-22

 江戸時代より寺域は狭まっていますが、現在も旧地にあります。

「江戸名所図会 山谷堀・今戸橋・慶養寺」

 山谷堀左岸に「慶養寺」が描かれています。裏手の広大な弾左衛門屋敷は、霞ですべて隠れています。慶養寺は現在も旧地にありますが、寺域はかなり狭まっています。
 隅田川には、吉原通いの猪牙舟が描かれています。隅田川から山谷堀に入った所には「今戸泊り」とあります。今戸橋をくぐった山谷堀には多くの船が係留され、「此辺船宿」と記されています。

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<総門>

 総門前にスリムで立派な仁王像。

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 総門の扁額は「霊亀山」とあります。

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<禁葷酒>

 昭和55(1980)年2月の記銘です。

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<参道>

 短い参道の左手に、石像や石碑が並んでいます。

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<大慈大悲救菩薩観世音菩薩>

 参道左手の慶養会館前の観音像です。

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<寺務所前の観音像>

 参道右手の寺務所前の観音像です。

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<花地蔵>

 本堂前の花地蔵です。

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<鐘撞堂>

 お一人1撞のみ、ご自由にお撞き下さいとあります。滅多に見ることのない掲示と思います。

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<本堂>

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<鐘撞堂裏手の石碑群>

 鐘撞堂裏手に、台東区文化財の石碑が2基、庚申塔、稲荷社などがあります。


<東丘先生記念碑>

 大正2(1913)年3月建立の記念碑。

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<谷素外寿碑> 台東区文化財

 台東区文化財で、亀趺の碑ですが、頭がとれて落ちています。
 台東区のホームページに説明があります。

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<谷素外墓碑> 台東区文化財

 台東区文化財の谷素外墓碑です。

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<庚申塔>

 本堂左側に庚申塔があります。延宝8(1680)年8月の造立。青面金剛立像に三猿です。
 「造立供養 延宝八庚申天」

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 右に笠付角柱型石塔がありますが、摩耗して読めません。

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<稲荷社>

 溶岩で造られた土台に建つ稲荷社があります。江戸名所図会に記載はありません。

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<その他>

 他、読めない石碑が色々。

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○明治天皇御製碑 台東区今戸1-1-10(隅田公園台東リバーサイドスポーツセンター野球場)

 明治6(1873)年、明治天皇は元勲三条実美の別邸対鴎荘(こちらで記載)に行幸し見舞われました。
 御見舞いの帰途、伊達宗城邸で御休息の際(長命寺の桜餅を召し上がる)、隅田川の冬景色を賞せられた和歌をお詠みになりました。
 伊達宗城邸跡は、隅田公園「台東リバーサイドスポーツセンター野球場」となっており、野球場の西の植栽に「明治天皇御製碑」が建立されています。

 「明治天皇御製
   いつみてもあかぬ景色は隅田川
   難美路の花は冬もさきつつ」

(説明板)
「明治天皇御製碑
 明治六年(一八七三)、明治天皇は元勲三条実美の別邸対鴎荘に行幸し病床にあった実美を見舞われた。
 御見舞いの帰途、伊達宗城邸で御休息の際、隅田川の冬景色を賞せられた和歌をお詠みになった。
 「いつみてもあかぬ景色は隅田川 難美路の花は冬もさきつつ」
  平成二十年三月  台東区教育委員会」

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tag : 江戸名所図会亀趺三条実美

熱田神社

○熱田神社 台東区今戸2-13-6

 創建は元亀2(1571)年と伝えられます。
 元々は元鳥越(現:鳥越2丁目)に、鳥越大明神(鳥越神社)の側に第六天(第六天榊神社)とともに熱田明神は鎮座し、鳥越三所明神と称されました。
 正保2(1645)年に元鳥越の地は幕府御用地とされ、三谷村の北端(現:清川1丁目7・8番地)に氏子とともに移転し、この地は新鳥越町と呼ばれました。
 その後、関東大震災で焼失し、現在地である今戸に鉄筋コンクリートで再建されています。


「江戸切絵図」

 江戸切絵図では奥州街道沿に「熱田明神」と記載されています。

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「山谷 熱田明神社」(江戸名所図会)
  
 現在地へ移転前です。門前の奥州街道は、千住通りと記載されています。
 本文には「新鳥越にあり祭る所日本武尊一座なり 当社は往古元鳥越の地にありしが正保年中今の所に移れり 例祭は隔年六月十五日執行す」とあります。

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<鳥居/社号標/社殿>

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(説明板)
「熱田神社と大太刀「陰陽丸」 (台東区有形民俗文化財)
   台東区今戸二丁目十三番六号
 本社は江戸時代初期以来、当地の鎮守であった。かつて元鳥越町にあったが(現在の鳥越二丁目あたり)、正保二年(一六四五) 当地に浅草新鳥越町が成立したことにともない移転して、当地の鎮守となった。新鳥越町は山谷堀の北側、千住街道(現在の吉野通り)に沿った町である(後の浅草吉野町)。
 本社は町の北端に位置していたが(現在の清川一丁目七番・八番付近)、関東大震災後の区画整理のため、昭和二年(一九二七)十一月、現在地に移転した。
 本社が所蔵する大太刀「陰陽丸」は、全長三六八・五センチの長大なものである。弘化四年(一八四七)、江戸小石川に住居する刀工、川井久幸が制作し、熱田神社に奉納した。宝刀として保存されるだけでなく、安政五年(一八五八)コレラ流行の時には、疫病を祓うため、本大太刀が 町内を巡航している。当時江戸の町々では、鎮守の神輿や獅子頭が町内を巡行するなど、それぞれに疫病除け行事をおこなっていた。当地では、鎮守の宝刀「陰陽丸」が疫病除けに最もふさわしかったのであろう。古老は「オンヨウマル」と発音していたという。平成二十二年、台東区有形民俗文化財に登載された。
  平成二十三年三月三日  台東区教育委員会」

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<松尾芭蕉句碑>

 池の奥に芭蕉句碑があります。草をかきわけ、ようやく撮れた写真で、存在を知らないと探し当てられない芭蕉句碑です。
 「古池や蛙とびこむ水の音」
 弘化3(1846)年3月建立の江戸時代の碑です。

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<境内社>

 弁財天社
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 豊川出世稲荷神社
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 狐塚
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tag : 松尾芭蕉江戸名所図会

東禅寺(江戸六地蔵)/春慶院/駿馬塚

○東禅寺 台東区東浅草2-12-13

 東京都の有形文化財である銅造地蔵菩薩坐像があり、旧奥州街道の鎮守となっていました。

<銅造地蔵菩薩坐像(江戸六地蔵)> 東京都文化財

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(説明板)
「東京都指定有形文化財(彫刻)
 銅造地蔵菩薩坐像(江戸六地蔵の一)
  所在地 台東区東浅草二丁目十二番十三号 
  指 定 大正十四年五月
       昭和四十五年八月三日名称変更
 江戸六地蔵は、深川の地蔵坊正元が病気平癒に感謝して造立を発願し、多くの人々の浄財を集め、江戸市中六ヶ所に勧請したものである。全身にある陰刻から神田鍋町の鋳物師太田駿河守正義によって鋳造されたことがわかる。本像の高さは二.七一メートル、品川寺に次いで第二番の宝永七年(一七一〇)に造立された。他の六地蔵は鍍金が施されているのに対し、記録では本像は像の表面を布目条にやすりをかけ、弁柄色の漆を塗った上に金箔を置いたあとが残っていたとある。永年の風雨により、損傷が著しかったため、平成十一年に修復工事を行った。胎内仏として小形の銅造六地蔵菩薩坐像等が現存する。
 なお、江戸六地蔵は次のとおりである。
  品川寺 品川区南品川三丁目
  太宗寺 新宿区新宿二丁目
  真性寺 豊島区巣鴨三丁目
  霊巌寺 江東区白河一丁日
  永代寺 江東区(消滅)
 東京都文化財保護条例(昭和五十一年三月三十一日改正)により、文化財の指定種別を都重宝から東京都師指定文化財に変更しましたので、石造標識については、このように読み替えて下さい。
  平成十四年三月二十九日  東京都教育委員会」

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<麺麭祖像>

 銀座木村屋総本店の開業者木村安兵衛と妻ブナの夫婦像があります。

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○春慶院 台東区東浅草2-14-1
 高尾太夫の墓があります。こちらで記載済


○駿馬塚 台東区東浅草2-16-1

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(説明板)
「駿馬塚
 駿馬塚は、平安時代の康平年間(一〇五八-一〇六四)源義家が陸奥へ向かう際、この地で愛馬「青海原」が絶命し、これを葬った所と伝えている。
 現存する塚は、明治二十八年造立の石碑や石造層塔の一部を遺すのみだが、天保七年(一八三六)刊行の『江戸名所図会』には塚の挿絵を載せており、江戸時代後期には土饅頭型の塚や「駿馬塚」と書した石碑が建っていたようである。
 現在、付近の人々はこの塚を「馬頭観音」と呼び、覆屋等を設けて大切に守っている。
  平成十年三月  台東区教育委員会」

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<駿馬塚(江戸名所図会)>

 江戸時代は個人の別荘の一画にあったようです。

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「埋木の花」(国立国会図書館デジタルコレクション)所載の駿目塚です

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<駿馬塚(関東大震災前後)>

 「上代の東京と其周囲」(鳥居竜蔵 磯部甲陽堂 1927)に、関東大震災前後の駿馬塚が掲載されています。 かつてこの塚から陶棺が掘り出されたことが碑文に刻まれていることが紹介されています。 震災直後にもあったこの碑は見あたりません。

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tag : 山谷源義家江戸名所図会銅像江戸六地蔵高尾太夫

①几号水準点 奥州街道ほか

【几号水準点】(足立区、荒川区、台東区)

○五丁目大川町氷川神社 足立区千住大川町12-3

<紙すき碑>

 台座石に21軒の紙すき問屋名が刻まれていますが、台座石の縁取りを削って、永続連(紙すき同業組合)の文字の、続と連の間に几号が刻まれています。
 古碑や鳥居、皇居の門の石垣に刻まれる几号、昔の内務省の力を感じます。

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詳細はこちらで記載


○素盞雄神社 荒川区南千住6-60-1

<鳥居>
 鳥居に明瞭に几号水準点が刻まれています。鳥居が多くありますが、松葉屋半蔵の寄進した狛犬(文化5年)がるところの鳥居です。

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※詳細はこちらで記載


○円通寺 荒川区南千住1-59-11

<百観音碑>
  境内入ってすぐの左手に百観音碑があります。その台石に几号水準点が刻まれています。

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詳細はこちらで記載


○金杉三島神社玉垣石柱 台東区下谷3-7-5

「三島神社の横にある道路はかつては川。人々は川にかかる橋を渡って参拝し橋は「三島様の石橋」として親しまれていました。 明治の末期より、その石橋の一部を東参道の敷石として保存しております。」 (三島神社のホームページより引用)

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<几号水準点>
 三島神社北門の敷石に几号があります。水平配置です。「三島さま」の石橋も埋められています。三島神社のホームページに几号の写真と記載があります。

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(説明板)
「三島様の石橋跡
この横の道路は往昔より吉原土手に通ずる本通りで小高い土手であった頃三島神社に参詣するには石橋を渡ったのである。街が発展して土手がなくなった明治の末期よりその石橋を境内に敷き人々から親しまれた「三島様の石橋」を永く保存するものであります
(注)樋口一葉の「たけくらべ」に三島様の角をまがりてよりこれぞと見ゆる家もなく・・・・はこの道路で土手と小川が有った頃」

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<火除稲荷社>(旧ミサキ稲荷社)
 「境内には火除稲荷社(三島神社の地主神)が鎮座されています。 昔、徳川氏が上野山内の火難方位除けのために勧請したと伝えられており、古くはミサキ稲荷社と称していました。後に、この地が火除地と定められ、その際、火除稲荷と改称されましたが
その創建年代等、詳しくはわかっていません。」(三島神社説明)

 江戸切絵図に「ミサキイナリ」の記載があります。

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<雷井戸>
 神社では「不落(おちない)守」(1000円)を授与しています。

(説明板)
「三島神社の雷井戸
昔武蔵国の原野は雷が多く里人は常におそれていた。時たま時たま神社の境内に雷が落ちたので神主が雷をこの井戸にとじ込めた処雷は「井戸から出して呉れ」と哀願するので「二度と此地に落ちない」と約束のもとに許してやったと云う。
爾来此地に雷が落ちないと伝えられている。この井戸の発掘年代は不祥なるも相当な古井戸で危険防止の為に蓋をしてあるが現在も満満と水をたヽえて雷除の井戸として信仰されている。」

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○鳥越神社 台東区鳥越2-4-1

 鳥越神社は、徳川家康を合祀しています。社号標は、鳩山一郎書とあります。白鳥橋を渡り境内へ。都内の神社には多い、ラジオ体操会場となっています。

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<鳥越神社(説明板)>
 鳥越神社  台東区鳥越二丁目四番一号
 当神社は、白雉二年(六五一)の創建。日本武尊、天児屋根命、徳川家康を合祀している。
 社伝によると、日本武尊が、東国平定の道すがら、当時白鳥村といったこの地に滞在したが、その威徳を偲び、村民が白鳥明神として奉祀したことを起源とする。後、永承年間(一○四六-五二)奥州の安部貞任らの乱(前九年の役)鎮定のため、この地を通った源頼義・義家父子は、名も知らぬ鳥が越えるのを見て、浅瀬を知り、大川(隅田川)を渡ったということから鳥越大明神と名づけた。以後、神社名には鳥越の名を用いるようになり、この辺りは鳥越の里と呼ばれるようになった。天児屋根命は、武蔵の国司になった藤原氏がその祖神として祀ったものとされる。また、徳川家康を祀っていた松平神社(現、蔵前四丁目十六番付近)は、関東大震災で焼失したため大正十四年に当社に合祀された。
 例大祭は、毎年六月九日前後の日曜。千貫神輿といわれる大神輿の渡御する「鳥越の夜祭」は盛大に賑い、また正月八日に正月の片付け物を燃やす行事「とんど焼き」も有名である。
  平成十一年三月  台東区教育委員会」

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<松平神社>
 江戸切絵図を見ると、「松平山西福寺」の西に「御宮」とあります。関東大震災で罹災し鳥越神社に合祀された、徳川家康を祀った「松平神社」かと思われます。

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<鳥越神社石華表几号水準点>

 鳥越神社には鳥居が三つあり、西側の鳥居の左側に几号水準点が刻まれています。かなり明瞭で、保存状態が良いです。

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【付属予備点】

○台東区橋場 台東区橋場2-1-12株式会社伊勢金前歩道中央

 几号水準点ではなく付属予備点というものです。株式会社伊勢金前歩道中央にあります。 歩道反対側は、橋場不動尊。ここから600m南の社会教育会館前の歩道にも付属予備点があります。

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○台東区今戸 台東区今戸2-26-12今戸社会教育会館前歩道中央

 几号水準点ではなく付属予備点というものです。 歩道の舗装で、四角面が丸面に変貌しつつあります。ここから600m北の歩道中央にも付属予備点があります。

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tag : 几号水準点徳川家康千住南千住下谷

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