長徳寺(板橋区)
○長徳寺 板橋区大原町40-7 HP
「豊島八十八ヶ所
霊場札所
第十四番 挙一山 長徳寺」




(説明板)
「長徳寺
宗派は真言宗豊山派で、挙一山遍照院長徳寺と号し、ご本尊は不動明王です。
鎌倉時代初期に中興開山されたと伝えられていますが、いくどか火災にあっているので、江戸時代初期以前のことはよくわかりません。江戸時代後期に書かれた新編武蔵風土記稿には、寛保三(一七四三)年に鋳造された鐘があったことが記されています。また、かつては大日如来像がご本尊で、子育大日尊として信仰を集めていました。しかし、これらは昭和二十年四月十三日の空襲によって、本堂とともに焼失してしまいました。
当寺には、区内で一、二を競う古い仏像があります。平安時代末につくられたもので、平泉の中尊寺に由来すると伝えられる阿弥陀如来の木像です。戦後の再建時に受け入れられました。この仏像は平成四年度に板橋区の有形文化財指定されています。
平成十四年三月 板橋区教育委員会」

山門入り、すぐ右手に石塔が並んでいます。
<馬頭観音主尊庚申塔>
宝永7(1710)年銘の馬頭観音を主尊とする庚申塔です。
「奉造立馬頭明王庚申講中」
「為二世安樂也」

<三基の石塔>
庚申塔の後ろの三基の石塔です。一番左に天明2(1782)年銘の庚申塔です。


<善光寺如来>
文化6(1809)年銘の善光寺如来です。

<秩父西國坂東 供養塔>
正面に如意輪観音坐像と「秩父西國坂東 供養塔」と刻まれています。

<六字名号塔>
道標を兼ねています。
正面中央「南無阿弥陀佛六部供養」
正面両脇「左 千住道 右 川口善光寺道」

<庚申塔>
天保11(1840)年銘の庚申塔です。主尊は馬頭観世音です。
台石「前野村講中」

<敷石供養塔>
大正12(1923)年銘の敷石供養塔です。
正面「敷石四十枚」

<馬頭観世音碑2基>
左は文化5(1808)年銘の馬頭観世音菩薩で道標を兼ねています。
左面「是与り 大日道 祢里まみち」
右は大正15(1926)年銘の馬頭観世音です。



<参道脇石塔>


<出羽三山供養塔>
文政8(1825)年銘の出羽三山供養塔です。
上に乗っている弘法大師座像は、裏に昭和34(1959)年の銘があります。
「月山 湯殿山 羽黒山 秩父 西國 坂東 四國 八十八所供養」




右側面「為先祖代々有無両縁精霊菩提也」

左側面「文政八〜 武州豊嶋郡前埜村 施主〜」


<弁財天>
文化2(1805)年銘の弁財天です。



<大日如来像>
寛文11(1671)年銘の大日如来像です。
左「天下泰平國土安全」右「奉造立大日尊像」




<他>



<六十六部供養塔>

<力石>
力石が五基、整然と置かれています。右手に「紀念」と刻まれた石も、力石でしょうか。




<本堂>


「豊島八十八ヶ所
霊場札所
第十四番 挙一山 長徳寺」




(説明板)
「長徳寺
宗派は真言宗豊山派で、挙一山遍照院長徳寺と号し、ご本尊は不動明王です。
鎌倉時代初期に中興開山されたと伝えられていますが、いくどか火災にあっているので、江戸時代初期以前のことはよくわかりません。江戸時代後期に書かれた新編武蔵風土記稿には、寛保三(一七四三)年に鋳造された鐘があったことが記されています。また、かつては大日如来像がご本尊で、子育大日尊として信仰を集めていました。しかし、これらは昭和二十年四月十三日の空襲によって、本堂とともに焼失してしまいました。
当寺には、区内で一、二を競う古い仏像があります。平安時代末につくられたもので、平泉の中尊寺に由来すると伝えられる阿弥陀如来の木像です。戦後の再建時に受け入れられました。この仏像は平成四年度に板橋区の有形文化財指定されています。
平成十四年三月 板橋区教育委員会」

山門入り、すぐ右手に石塔が並んでいます。
<馬頭観音主尊庚申塔>
宝永7(1710)年銘の馬頭観音を主尊とする庚申塔です。
「奉造立馬頭明王庚申講中」
「為二世安樂也」

<三基の石塔>
庚申塔の後ろの三基の石塔です。一番左に天明2(1782)年銘の庚申塔です。


<善光寺如来>
文化6(1809)年銘の善光寺如来です。

<秩父西國坂東 供養塔>
正面に如意輪観音坐像と「秩父西國坂東 供養塔」と刻まれています。

<六字名号塔>
道標を兼ねています。
正面中央「南無阿弥陀佛六部供養」
正面両脇「左 千住道 右 川口善光寺道」

<庚申塔>
天保11(1840)年銘の庚申塔です。主尊は馬頭観世音です。
台石「前野村講中」

<敷石供養塔>
大正12(1923)年銘の敷石供養塔です。
正面「敷石四十枚」

<馬頭観世音碑2基>
左は文化5(1808)年銘の馬頭観世音菩薩で道標を兼ねています。
左面「是与り 大日道 祢里まみち」
右は大正15(1926)年銘の馬頭観世音です。



<参道脇石塔>


<出羽三山供養塔>
文政8(1825)年銘の出羽三山供養塔です。
上に乗っている弘法大師座像は、裏に昭和34(1959)年の銘があります。
「月山 湯殿山 羽黒山 秩父 西國 坂東 四國 八十八所供養」




右側面「為先祖代々有無両縁精霊菩提也」

左側面「文政八〜 武州豊嶋郡前埜村 施主〜」


<弁財天>
文化2(1805)年銘の弁財天です。



<大日如来像>
寛文11(1671)年銘の大日如来像です。
左「天下泰平國土安全」右「奉造立大日尊像」




<他>



<六十六部供養塔>

<力石>
力石が五基、整然と置かれています。右手に「紀念」と刻まれた石も、力石でしょうか。




<本堂>



徳丸出羽三山神社/徳丸北野神社
○徳丸出羽三山神社 板橋区徳丸6-34-3徳丸北野神社
出羽三山神社は、徳丸出羽三山講がお守りするお社です。今でも出羽三山の勝木坊さんに宿泊して、月山・羽黒山・湯殿山に登拝しています。(徳丸北野神社HP説明より)
福島や栃木でよく見る単独の「湯殿山碑」があります。また、荒沢不動明王が祀られています。
徳丸出羽三山神社の例祭は4月8日で、都内だと同じ4月8日に梵天祭りがあります(足立と辰沼)。



・「月山 湯殿山 羽黒山」門前

・「當山供養塔」門前右


・「湯殿山」左手前


・「不動明王座像」左奥

・「線刻不動」左


・「祠」中央

・「荒澤不動明王」右奥

・「月山 湯殿山 羽黒山 三祓聖霊」右手前


<天王神社>
出羽三山神社の隣です。

○徳丸北野神社 板橋区徳丸6-34-3 HP
江戸期には徳丸本村の鎮守社です。



<田遊び> 国重要無形文化財、板橋十景
(説明板)
「北野神社と無形民俗文化財「田遊び」
長徳元(九九五)年京都北野神社より勧請する。道真公は平安朝時代の学者で右大臣に任ぜられ、のち藤原時平の嫉にあい九州の太宰府に流されてその地にて没す。没後は天神とあがめられ、学問、能筆の守り神として庶民の間に崇敬をあつめている。
無形文化財「田遊び」は、毎年二月十一日夜間、五穀豊穣を祈願して行なわれる。この夜地の神を招き、農家一年間の行事を所作と唄で表わす古い形を残した祭りである。
また、毎年五月には獅子舞が行なわれ、悪疫の退散と子供の無事生長が祈願される。
平成三年三月 板橋区教育委員会」



<水盤>
「梅鉢」の紋が刻まれています。

<徳丸富士塚>
麓に「小御岳 石尊大権現碑」
山頂に「浅間神社」


<撫牛>



<狛犬>


<拝殿/本殿>


出羽三山神社は、徳丸出羽三山講がお守りするお社です。今でも出羽三山の勝木坊さんに宿泊して、月山・羽黒山・湯殿山に登拝しています。(徳丸北野神社HP説明より)
福島や栃木でよく見る単独の「湯殿山碑」があります。また、荒沢不動明王が祀られています。
徳丸出羽三山神社の例祭は4月8日で、都内だと同じ4月8日に梵天祭りがあります(足立と辰沼)。



・「月山 湯殿山 羽黒山」門前

・「當山供養塔」門前右


・「湯殿山」左手前


・「不動明王座像」左奥

・「線刻不動」左


・「祠」中央

・「荒澤不動明王」右奥

・「月山 湯殿山 羽黒山 三祓聖霊」右手前


<天王神社>
出羽三山神社の隣です。

○徳丸北野神社 板橋区徳丸6-34-3 HP
江戸期には徳丸本村の鎮守社です。



<田遊び> 国重要無形文化財、板橋十景
(説明板)
「北野神社と無形民俗文化財「田遊び」
長徳元(九九五)年京都北野神社より勧請する。道真公は平安朝時代の学者で右大臣に任ぜられ、のち藤原時平の嫉にあい九州の太宰府に流されてその地にて没す。没後は天神とあがめられ、学問、能筆の守り神として庶民の間に崇敬をあつめている。
無形文化財「田遊び」は、毎年二月十一日夜間、五穀豊穣を祈願して行なわれる。この夜地の神を招き、農家一年間の行事を所作と唄で表わす古い形を残した祭りである。
また、毎年五月には獅子舞が行なわれ、悪疫の退散と子供の無事生長が祈願される。
平成三年三月 板橋区教育委員会」



<水盤>
「梅鉢」の紋が刻まれています。

<徳丸富士塚>
麓に「小御岳 石尊大権現碑」
山頂に「浅間神社」


<撫牛>



<狛犬>


<拝殿/本殿>


テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
出羽三山供養塔@南蔵院
〇南蔵院 板橋区蓮沼町48-8
出羽三山供養塔3基とも、座像のお頭は修復されています。久しぶりに立派な供養塔を見ました。




「南蔵院のしだれ桜」は板橋十景に選定されています。

<出羽三山供養塔>
(説明板抜粋)
「また、安永六年(1777)と文化元年(1804)に建立された南蔵院石造出羽三山供養塔の台座には、蓮沼村・小豆沢村の講員七〇名の氏名と房号が刻まれており、当該期の出羽三山講の様子を知る貴重な資料となっています。これらは、区の有形民俗文化財に登録されています。
平成二十三年三月 板橋区教育委員会 」




右:月山供養塔 文化元(1804)年。
塔の上には阿弥陀如来坐像。


中:月山 湯殿山 羽黒山 供養取願成就所
安永6(1777)年。
塔の上には大日如来坐像。


左:羽黒山諸願成就 文化元(1804)年。
塔の上は聖観音菩薩坐像。


<馬頭観音>
笠付の三面馬頭観音。
「武州豊嶋郡蓮沼村庚申講 正徳三年癸巳」正徳3(1713)年。

<庚申塔>
延宝8(1680)年9月の立派な庚申塔があります。


<庚申地蔵>(板橋区登録有形民俗文化財)
当像は、承応2年(1653)に蓮沼村の庚申講中の十人によって建立された、板橋区内で現在確認されている203基の庚申塔の中でも二番目に古いものです。(板橋区教育委員会HPより)

<地蔵堂>
地蔵堂(はいた地蔵)。御本尊は地蔵菩薩。俗に歯の痛みが治る「はいた地蔵」と称されてます。


<不動堂>


<本堂>


出羽三山供養塔3基とも、座像のお頭は修復されています。久しぶりに立派な供養塔を見ました。




「南蔵院のしだれ桜」は板橋十景に選定されています。

<出羽三山供養塔>
(説明板抜粋)
「また、安永六年(1777)と文化元年(1804)に建立された南蔵院石造出羽三山供養塔の台座には、蓮沼村・小豆沢村の講員七〇名の氏名と房号が刻まれており、当該期の出羽三山講の様子を知る貴重な資料となっています。これらは、区の有形民俗文化財に登録されています。
平成二十三年三月 板橋区教育委員会 」




右:月山供養塔 文化元(1804)年。
塔の上には阿弥陀如来坐像。


中:月山 湯殿山 羽黒山 供養取願成就所
安永6(1777)年。
塔の上には大日如来坐像。


左:羽黒山諸願成就 文化元(1804)年。
塔の上は聖観音菩薩坐像。


<馬頭観音>
笠付の三面馬頭観音。
「武州豊嶋郡蓮沼村庚申講 正徳三年癸巳」正徳3(1713)年。

<庚申塔>
延宝8(1680)年9月の立派な庚申塔があります。


<庚申地蔵>(板橋区登録有形民俗文化財)
当像は、承応2年(1653)に蓮沼村の庚申講中の十人によって建立された、板橋区内で現在確認されている203基の庚申塔の中でも二番目に古いものです。(板橋区教育委員会HPより)

<地蔵堂>
地蔵堂(はいた地蔵)。御本尊は地蔵菩薩。俗に歯の痛みが治る「はいた地蔵」と称されてます。


<不動堂>


<本堂>


テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
- カウンター