八二神社/旧上根岸町

○八二神社 台東区根岸2-13-1

 八二神社は、銭湯「萩の湯」の裏手、ホテル街にあります。
 八二神社は、旧加賀藩主前田公が明治5(1872)年に金沢から移住、屋敷内に八坂大神、稲荷大神、菅原大神を守護神として祀り三神社と称しました。
 大正13(1924)年に前田公は屋敷を開放し土地を分譲、三神社を八二神社と改称して、住民が護持しています。
 現在の社殿は昭和6(1931)年に竣工したものです。
 八二神社の呼称は、旧番地が根岸82番地であったからという説と、八坂神社の八と他の二社を合わせて八二にしたとの説があります。「八二」は、単純に「ハチニ」と読むのか、八坂(ヤサカ)神社から「ヤニ」と読むのか、どうなのでしょうね。

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<狛犬>

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<社殿>

 加賀の前田氏は菅原道真の子孫と称していたため、家紋は菅原道真ゆかりの「梅鉢紋」を用いました。
 社殿の左右の扉には「梅鉢紋」が刻まれています。

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(説明板)
「八二神社由来記
当神社は明治五年四月(元加賀百万石藩主)前田公が当地に移住せられこの地を根岸の里と称し屋敷内に社殿を築造して
 八坂大神(悪疫防護・無病息災・健康招運を祈る)
 稲荷大神(商売繁盛・家内安全を祈る)
 菅原大神(文教の守護と進歩発展を祈る)
      殊に受験の神様でもある
この三神を守護神として祭り三神社と称しております
毎年祭典を挙行して住民の安全と幸福を祈願せられたのであります
大正十三年前田公は屋敷を開放し土地を住民に分譲すると同時に三神社を八二神社と改称し神社の守護を住民になさしめ毎年二月十一日を例祭日と定めたものであります
現在の社殿は昭和六年九月に竣工したものであります
関東大震災並びに大東亜戦争等にも少しの被害を受けなかったことは三神社の守護によるものと信じられ益々信仰を篤くするものであります
  昭和四十一年七月二十二日 根岸二丁目町会 記之」

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(参考1)
 加賀藩主前田斉泰公(1811~1884)は、慶応2(1866)年に長男慶寧公(1830~1874)に家督を譲ります。斉泰公は明治5(1872)年2月に、前年に購入し改築した根岸邸に移り住みます。
 本郷邸は明治元年の上野戦争で焼失していたため、慶寧公とその家族も同年4月に根岸邸に移ります。
 慶寧公は明治7(1874)年5月に没し、長男利嗣(1858~1900)が家督を継ぎ、明治7(1874)年12月に根岸邸から本郷邸に移り、本郷邸が前田家本邸となります。
 斉泰公は根岸邸を富有園と呼び明治17(1884)年に亡くなるまで隠居所として生活しました。

(参考2) 
懐徳館(旧前田侯爵邸)


○旧町名由来案内 旧上根岸町 台東区根岸3-4

 言問通りの歩道に「旧町名由来案内 旧上根岸町」が設置されています。
 「雀より鶯多き根岸かな」(正岡子規)

(説明板)
「旧町名由来案内 下町まちしるべ
 旧 上根岸町
 呉竹の根岸の里は、上野山を背景にした田園風景と清流音無川の流れる静寂の地であった。江戸時代から「根岸の里の侘び住まい」といわれ多くの文人墨客が好んで住んだ。
 そのむかし、この付近には大きな池があった。そして上野山のもと(根)にあったことから、すでに室町時代には根岸と呼ばれていた。江戸時代初期、根岸は金杉村に属し、いくつかの民家が建っていた。風光明媚の地であったことから文化文政(一八○四〜一八三○)の頃には別荘地として二百戸余りになっていた。明治二十二年(一八八九)、根岸は下谷区に編入されたあとすぐに上根岸町、中根岸町、下根岸町に分けられた。
 「雀より鶯多き根岸かな」
 俳人正岡子規は、明治二十五年から同三十五年まで根岸に住んだ。今、その住まいは「子規庵」として残されている。 台東区」

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根岸薬師/御隠殿跡

○根岸薬師堂 台東区根岸2-19-10

<御隠殿跡>

 根岸薬師堂前に、説明板「御隠殿跡」があります。

(説明板)
「御隠殿跡
    台東区根岸二丁目十九番十号 薬師寺
 輪王寺宮一品法親王は、天台座主に就き、東叡山・日光山・比叡山の各山主を兼帯したので「三山管領宮」とも呼ばれ、第三世から幕末の第十五世まで、親王あるいは天皇の猶子(養子)を迎え継承されてきた。当地は、この輪王寺宮の別邸「御隠殿」があった場所である。
 御隠殿の創建年代は明らかではないが、幕府編纂の絵図『御府内沿革図所』には、宝暦三年(一七五三)七月に「百姓地四反一畝」を買い上げ、「御隠殿前芝地」としたという記述があり、同年までには建造されていたようである。
 敷地はおよそ三千数百坪、入谷田圃の展望と老松の林に包まれた池をもつ優雅な庭園で、ことにここから眺める月は美しかったと言われている。
 輪王寺宮は一年の内九ヶ月は上野に常在していたので、その時は寛永寺本坊(現、東京国立博物館構内)で公務に就き、この御隠殿は、休息の場として利用した。また、谷中七丁目と上野桜木二丁目の境からJRの跨線橋へ至る御隠殿坂は、輪王寺宮が寛永寺と御隠殿を往復するために設けられたという。慶応四年(一八六八)五月、御隠殿は彰義隊の戦いによって消失し、現在ではまったくその跡を留めていない。
  平成十二年三月  台東区教育委員会」

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<史蹟 御隠殿址>

 門を入ると、正面の石碑群の右手に「史蹟 御隠殿址」があります。

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<史蹟 根岸御隠殿の図>

 碑の右手に「史蹟 根岸御隠殿の図」が掲示されています。

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<根岸薬師堂と正岡子規>

「藤咲いて 眼やみ籠るや 薬師堂」
 明治29年の句。
 いまはひっそりとした根岸薬師堂ですが、明治大正期には眼病が治ると人気がありました。根岸薬師堂の本堂には、眼病治癒を願って大勢の人がお籠りして祈りを捧げていたといいます。

「樫の木の中に灯ともる夜寒哉」
 明治32年秋に、正岡子規は人力車で外出して、夜に帰って来た時の、上根岸での句です。根岸薬師堂は、眼病治癒を願ってお籠りする人たちが夜も祈りを捧げていたのでしょう。


○御隠殿橋 荒川区東日暮里5-40

 交差点隅に、荒川区説明板「御隠殿橋」があります。

(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
 御隠殿橋 
 御隠殿は、宝暦四年(一七五四)上野寛永寺門主輪王寺宮の隠居所となった。御隠殿橋は、その正門前の音無川にかけられた橋であった。
 橋の長さ約二.七メートル、幅約三.九メートル、石材でつくられた立派な橋であったが、昭和八年音無川暗渠工事で取り除かれ、橋げただけが道路の下に残っている。
 往時、このあたりは水鶏の名所で、やや下流には水鶏橋がかかっていた。
  荒川区教育委員会」

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tag : 正岡子規根岸史跡

根ぎし笹乃雪が解体

○根ぎし笹乃雪 台東区根岸2-15-10 新築のため休業

 笹乃雪が解体されました。お店の案内によると、近隣地で新築準備中とのことで、令和3年秋頃のオープン予定です。→令和6年春頃の再開予定に変更です。
 
「笹乃雪 新築移転のご案内
日頃よりご利用誠にありがとうございます。
現在営業中の店舗の老朽化により、徒歩数分以内の近隣地で新店舗の準備を進めております。
お客様にはご不便、ご迷惑をおかけしますが、令和2年12月27日(日)をもちまして一旦休業とさせていただきます。
なるべく早い営業再開を目指しますが、令和3年秋頃新築オープンできますように準備する次第でございます。 店主」

 以前の建物はなくなり、正岡子規の句碑も見当たりません。

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 解体地に掲示されている建築計画によると、跡地は13階建てのマンションが建ちます。令和3年7月1日着工で、令和4年10月31日完成予定です。

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(参考) 解体前の笹乃雪は、こちらで記載

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tag : 根岸正岡子規

田端文士村記念館/大龍寺 正岡子規の墓 

 
○田端文士村記念館  北区田端6-1-2

 企画展「正岡子規の系譜~田端の歌よみたち」が5月5日までの予定で「田端文士村記念館」において開催されています(無料)。館内撮影禁止のため館内画像はありません。

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○大龍寺 正岡子規の墓  北区田端4-18-4

 山門の左に「大龍精舎」と「子規居士墓所」の石柱があります。
 大龍寺は、正岡子規の墓があるお寺です。

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<正岡子規墓>

 本堂左手奥に正岡子規の墓があります。
 正面が子規墓、左は正岡氏累世墓、右は母八重墓です。

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<正岡子規墓碑>

 正岡子規の墓碑が建っており、平成19年に建立されたものです。

「正岡子規又ノ名ハ處之助又ノ名ハ升又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺祭書屋主人又ノ名ハ竹ノ里人伊豫松山ニ生レ東京根岸ニ住ス父隼太松山藩御馬廻加番タリ卒ス母大原氏ニ養ハル日本新聞社員タリ明治三十口年口月口日没ス享年三十口月給四十圓」

 墓碑に糸瓜(へちま)が刻まれています。
 右横に昭和9年建立の旧墓碑の写真パネルが立っていますが劣化し見えません。

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tag : 正岡子規田端

正岡子規 まとめ

正岡子規 まとめ

 アップ完了です。

 正岡子規の句碑の整理を終えているので、以下のリンクを貼っていないところを順次アップしていきます。
 ブログではなく、パソコンサイトのインデックスです。

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【台東区】
 千束
  ○ 鷲神社
 下谷
  ○ 入谷鬼子母神
 根岸
  ○ 子規庵
  ○ 元三島神社
  ○ 根岸の里
  ○ 御行の松不動尊
  ○ 根ぎし 笹乃雪
 東上野
  ○ 下谷神社
 上野公園
  ○ 正岡子規記念球場
  ○ 五條天神社 
 東日暮里
  ○ 羽二重団子本店
  ○ 芋坂
 浅草
  ○ 山谷堀公園
  ○ 隅田公園
  ○ 浅草寺新奥山
  ○ 駒形橋

【中央区柳橋】
  ○ 柳橋銘板〜正岡子規
【向島】
  ○ 長命寺桜もち山本や
【目黒不動尊】
  ○ 目黒不動と文人
【田端】
  ○ 正岡子規墓(大龍寺)
  ○ 田端文士村記念館
【道灌山/諏訪台通り】
  ○ 道灌山
  ○ 路面パネル
【足立区島根】
  ○ 鷲神社

【川崎】
  ○ 稲毛神社
  ○ 中島八幡神社
【草加宿】
  ○ 正岡子規句碑
【飯坂温泉】
  ○ 与謝野晶子/正岡子規 歌碑
【道後温泉】
  ○ 正岡子規像

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