三輪厳嶋神社/密乗院

○三輪厳嶋神社 大田区大森東4-35-3

 源義経と海苔の言い伝えがあります。海苔の守護神として、海苔漁業者の信仰を集めました。

(説明板)
「厳嶋神社由来
 大森海苔の守護神として古来より伝わる
 かしこくも、当社の祭神は素盞嗚尊の御女市杵嶋姫命にまします。謹みて創立の起源を神記口碑に因り案ずるに。安徳帝治承四年(紀元千壷百八拾年)源義経は武蔵坊弁慶・伊熱三郎・駿河治郎等の郎徒を具し、東海道玉川の渡しを過ぎけるが、頃しも二百十日の厄日にて南西の風吹き荒び、舟は見る見る押し流され大森下に漂えば一同安き心なく、波方を望むれば小高き社見えしかわ、これ神のおはします処と其の方に向い海上平穏を念じければ、不思議や風やみ浪治まりぬ。義経霊に感じ、舟を瀬島につけ、葭をなぎ葦を分けて彼方の森を尋ぬれば、ささやかなる社の縁に白蛇顕われいたり。これ神の使いひめならぬ。かしこし、厳嶋大神我等が運を守らせ給いしことよと、里人に語らい改めて森を拓き神殿を修理し、また船をとどめし処に注連竹を建て給う。是れ当社創立、起立の起源にして今を去ること八百年に及ぶ。
 是れより里人等神徳を尊ぶこと愈々深く、海面守護の神として毎年正月十一日水神を祀りしが、ある年海面に建てし注連竹に黒き苔生じければ、人々怪しみてこれを採り嗜めけるに味あり。生酢干かにして食せば殊に風味よし翌年其の頃を計りて木枝多く建てけるに、またまた苔の生じければ種々製造法を考え遂に現今の如き乾海苔に製し年と共に製造するもの多し、海の苔即ち「のり」と称し鎌倉将軍に献上の栄を担い、江戸幕府開かるるに及び毎年将軍家に献上し、維新の際まで変わることなかりしは人の皆知る処なり。
 嗚呼、大森の名産とし名誉海外にたかき海苔の濫觴たる如斯にして、如何に我が厳嶋大神の海面御守護の御神徳高きか、かしこくも尊きことにこそ。
  三輪厳島神社」

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<石灯篭>

 昭和16(1941)年、川端海苔製造業者の奉納による石灯篭です。

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<狛犬>

 子連れ狛犬です。

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<銭洗弁財天社>

 右手奥に銭洗弁財天社があります。

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<三輪厳島神社塚>

 東京都の遺跡(墳墓)として登録(遺跡番号148)されているのが三輪厳島神社塚です。社務所がその所在地です。
 昭和6(1931)年に人骨及び出土品が発掘され、密乗院に埋葬されています。

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〇海光山 密乗院 大田区大森中2-17-5

 野口六郎佐衛門の墓、古墳各霊乃塚碑、庚申塔2基、16基の板碑(非公開)、明治初年に当寺で私塾を開き、その後貴舩小学校、寄来小学校校長を歴任した山口琢磨の遺徳碑等があります。

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<元大森貴舩小学校長 山口琢磨先生之碑>

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<庚申塔2基>

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<古墳各霊乃塚碑>

 昭和6年に三輪厳島神社塚から発掘された人骨及び出土品が埋葬されています。

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<野口六郎左右衛門墓>

 野口六郎左衛門の墓があるとのことですが、野口家の墓が多くあり、墓誌を見るも戒名がわからないので、特定できず。ウィキペディアによると、延宝9年(1681年)没、墓誌を没年で見ていくと、これかな?

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tag : 大森遺跡古墳

美原通り(旧東海道)など

〇旧東海道・美原通り
 大田区大森本町1丁目1番付近から大森東1丁目4番付近

 大正7(1918)年の第一京浜国道建設工事の際に、旧東海道が拡張されましたが、美原通りは商店街だったので、ここを避けたため、旧東海道のおもかげを残しています。

 「大森本町ミハラ通り北商店会」「大森ミハラ通り仲町商店会」「ミハラ南商店街」 「するがや通り商店街」の4つの商店街があります。

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(説明板)
「旧東海道(美原通り)
 東海道は、江戸時代初期に幕府が整備した、江戸日本橋を出発点とする五街道の一つで、江戸と京都を結ぶ、最も重要な交通路であった。参勤交代の大名行列のほか、一般の旅人にも大いに利用された。
 昭和二年(一九二七)、東海道は拡幅改修され、第一京浜国道が完成した。そのため往時の幅員を比較的よく残しているのは、この美原通りと六郷地区の一部だけとなった。
 旧東海道は、かつて三原通りと言われた。三原とは、字名の南原、中原、北原の三原のことで、美称して美原になった。
 歌舞伎「浮世塚比翼稲妻」(鶴屋南北作)で有名な旅籠「駿河屋」のあった「するがや通り」は内川橋の際から分かれる。
  昭和五十一年二月二十五日指定  大田区教育委員会 」

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<江戸情緒>

 石椅子には東海道の江戸の風景が描かれ、店のシャッターには浮世絵が描かれています。画像の浮世絵シャッターは川良海苔店です。

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〇羽田道/するがや通り
 大田区大森東二丁目2番から東糀谷三丁目3番付近

「東海道から内川橋際(大森東二丁目2番先)で分かれ、羽田方面に至る道です。分岐点付近に、歌舞伎にも出てくる「駿河屋するがや」という旅籠はたごがあったことから「するがや通り」とも呼ばれます。内川橋から大鳥居交差点(東糀谷三丁目3番先)まで旧道が残っています。産業道路ができるまで、羽田でとれた魚などを運ぶ生活道路でした。」(大田区HPより)

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○海難供養塔 大田区大森東1-27-5

 旧東海道(美原通り)から海のほうへそれて行くと「海難供養塔」があります。

(説明板)
「大田区文化財 海難供養塔
    総高二三二センチ
 この石塔は、大森の海岸に流れ着いた死者を供養するために建立された。
 海難供養塔としては、東京湾沿岸屈指の規模を持つものであり、また埋立てによって周辺の環境が変わったが、この場所がかつて海岸であったことを物語る存在としても貴重である。
 台座には、江戸や神奈川の魚貝業者をはじめ、一般の江戸町民や武士など約三百人に及ぶ名が刻まれており、この塔が地元の人ばかりでなく広い地域のいろいろな階層の人々の協力寄進によって、安政二年(一八五五)に再建されたことがわかる。
    昭和五十年三月十九日指定  大田区教育委員会 」

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 森ヶ崎の海岸にも遺体がうちあげられ江戸時代から森ヶ崎に無縁塚がありました。
 大森寺に魄光大尊霊碑があります。記載済

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tag : 東海道大森

諏訪神社

○諏訪神社 大田区大森西2-23-6

 漁業納畢之碑をメインに参詣しましたが、乃木希典や荒木貞夫による書の碑、狛犬の裏には「八紘一宇」「大詔奉戴」と刻まれ、当時の戦争色を感じます。

<社号標/鳥居>
 社号標「村社諏訪神社 陸軍大将男爵荒木貞夫謹書」
 鳥居は文政7年再建。

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<縁起>
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<日露戦役>
 鳥居をくぐってすぐ右手に日露戦争関連碑があります。

・日露戦役戦利品 台座だけ残っています。
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・日露戦役紀念碑 乃木希典書
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<百度石 手水舎>
 鳥居をくぐってすぐ左手に百度石と手水舎があります。

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<漁業納畢之碑>
 貴舩神社と同内容の碑があります。

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<村社昇格記念>
 昭和11(1936)年、村社への昇格記念の碑です。
 陸軍大将男爵荒木貞夫の書です。

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<狛犬>
 昭和16(1941)年奉納の狛犬。
 飛びかかってきそうな珍しい体勢の狛犬です。
 「八紘一宇」「大詔奉戴」と、それぞれの狛犬の裏に刻まれています。
 戦争色、強いです。

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<御社殿再建記念>
 「御社殿再建記念」碑には、昭和32年6月と刻まれています。

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<社殿>
 社殿には随所に細かい彫刻が施されています。

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<稲荷神社>
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<諏訪神社下社>
 社殿左手に諏訪神社の下社があります。

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tag : 大森戦役紀念碑乃木希典八紘一宇

貴舩神社

○貴舩神社 大田区大森東3-9-19 HP

 参道は南と東にあり、南が表参道、東が東参道です。奉納の灯篭や碑をみると、大森漁業協同組合、東京瓦斯と関係が深いと感じます。

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<社号標/扁額>

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<漁業納畢之碑>
 昭和39(1964)年5月吉日に浜端連合会により建立。
 諏訪神社にも同内容の漁業納畢之碑があります。

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<漁業養殖解散記念灯篭>
 昭和16年10月、海苔生産者が京浜運河埋め立て計画に伴い、漁業養殖解散記念に寄進した石灯篭。

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<大正元年11月建立灯篭>

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<大東京市制記念碑>
 昭和7年10月1日建立。

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<奉納 金五百萬円也 東京瓦斯株式会社大森工場殿>
 昭和27年8月、貴舩神社の復興に東京瓦斯大森工場が500万円奉納。
 裏面に本田社長と安西副社長のお名前が刻まれています。

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<百度石>
 大正15年6月、大森八番組消防が建立。

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<阿夫利神社 石碑 海盛講>
 海盛講(大森の海苔販売会社が組織)による阿夫利神社石碑。

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<奉納水舎 金五百円 東京瓦斯株式会社>
 東京瓦斯が水舎を500円にて奉納。

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<狛犬>
 明治33(1900)年奉納。子連れ狛犬です。

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<太鼓橋>
 明治33(1900)年奉納。

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<貴舩稲荷神社・熊野神社>

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<神楽殿脇燈籠>

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tag : 大森

大森漁業協同組合跡/糀谷浦海苔漁業発祥之地

 
〇大森漁業協同組合跡 大田区大森東3-5-15(大森児童館)

 大森漁業協同組合は、都内では最大の海苔漁協でした。組合員1020名。1965(昭和40)年解散。跡地は大森児童館になっています。
 大森漁業協同組合の沿革が刻まれた碑が建っています。


<大森漁業協同組合沿革>

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<漁業記念>

 反対面には、海苔養殖の終業について刻まれています。

(碑文抜粋)
「(略)一九六四年、はからずも東京内湾埋立事業により国及び東京都の発展に寄与するため、不本意乍ら自らの漁業権を全面放棄することにより大森漁業史は終焉することになった。それは又祖先が築き上げてきた貴重な技術と独特な精神風土の終焉でもあるのであろうか。誠に愛惜の情にしのびず、ここに大森漁業協同組合事務所跡に一碑を刻む。(略)
    一九六七年五月吉日」

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【呑川越えて糀谷へ】
○糀谷浦海苔漁業発祥之地 大田区東糀谷5-14北前掘緑地内

 北前堀緑地の一角、エネオスの前辺りに「糀谷浦海苔漁業発祥之地」石碑があります。
 この一帯は、かつて糀谷村で、江戸時代から昭和まで海苔の主要生産地でした。戦前には東京湾の海苔の生産が全国の70%を占めていたとも言われていますが、羽田空港の拡張に伴って昭和37(1962)年に海苔漁業は終了しています。

 生類憐れみの令により、浅草近辺での漁業が禁止され、浅草の漁師たちは大森に移住し 海苔の養殖で生計をたてました。生類憐れみの令が、大森と浅草を結んだとは意外です。
 浅草海苔の製法は、浅草紙(再生紙)の製法を浅草からやってきた漁師達から聞いて、大森の野口六郎左衛門が開発しました。

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