NHK放送博物館

○NHK放送博物館 港区愛宕2-1-1 03-5400-6900 HP

 □開館時間 10:00-16:30
 □入館料  無料
 □休館日  月曜(祝日の場合は火曜休館)・年末年始

<パンフレット>

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「ようこそNHK放送博物館へ
NHK放送博物館は世界最初の放送専門のミュージアムとして、1956年に“放送のふるさと・愛宕山”に開館しました。日本の放送が始まってから90年あまり。その間ラジオからテレビへ、さらに衛星放送やハイビジョン、そしてデジタル放送へと大きく進歩・発展してきました。
放送の歴史に関する約3万件の資料を所蔵し、順次公開しています。」

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<NHK放送博物館 MUSEUM OF BROADCASTING>

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<記念碑>

 博物館入口左手にある、昭和43(1968)年当時の前田会長の直筆による石碑です。

(碑文)
「大正十四年夏、ここ愛宕山頂にはじめて二基の鉄塔と一宇の局舎が竣工してより風雪をしのぐ四十有余年 日本の放送は今やけんらん多彩な生成を遂げた
 先人はこの地にあい寄りあい集い放送の大いなる可能性をひたすら追及してやまなかった 時は移り今やNHKの放送は名実ともに世界の放送に躍進した
 テレビ電波が一瞬にして地球の全人類をつなぐ今日 そのかみの鉄塔も局舎もすべて姿を消したがこの地にくっきりと強く深く刻まれた先人の足跡は消えることなく大宇宙に科学の極みを追う心ははてしなくひろがり無限の未来に挑むたからかな足音はりんとして日に新たなる勇気をあたえる
  昭和四十三年 前田義徳」

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<ラジオ放送開始>

 大正14(1925)年ラジオ放送開始の際には、後藤新平は東京放送局総裁として愛宕山の放送局から放送開始の挨拶をしました。

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「東京中央放送局」(明治大正建築写真聚覧 建築学会編 昭和11年)
 かつての放送局の写真です。

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<総裁後藤新平の像>

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(銘板)
「社團法人東京放送局ハ創始僅ニ1年有半ニシテ聴取者貮拾萬ニ達シ遂ニ全國礦石化ノ基礎ヲナセリ
 之レ固ヨリ總裁タル君ノ聲望ト指導ニ負フ所其ノ多ニ因ル依テ大正十五年八月二十日社員總會ノ決議ニヨリ胸像一基ヲ鋳造シ以テ永ク其功績ヲ記念ス
  社團法人 東京放送局」

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(説明板)
「後藤新平 1857(安政4)〜1929(昭和4)年
 陸奥(岩手県)の生まれ。内務省に入り、台湾総督府の民生局長として植民地経営の業績を挙げ、1906年初代南満州鉄道総裁、以後、逓相・鉄道院総裁・内相・外相・東京市長などを歴任。関東大震災後の第2次山本内閣では内相兼帝都復興院総裁となり、東京の復興に尽力した。
 1924年より東京放送局の初代総裁をつとめ、1925(大正14)年3月22日、日本で初めてのラジオ仮放送を開始した際、総裁として初日挨拶を行った。放送の機能として「文化の機会均等」「家庭生活の革新」「教育の社会化」さらに「経済機能の敏活」の4つを挙げた。こうした機能論とともに、放送局の当事者も聴取者も、関係者すべてが高い自治的自覚と倫理的観念をもって、この新文明の利器を活用していかなければならない、とした。」

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「後藤新平肖像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
 安政4年6月4日〜昭和4年4月13日(1857年7月24日〜1929年4月13日)

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<ひょっこりひょうたん島〜チコちゃん>

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○愛宕山エレベーター

 愛宕山山頂に上がる愛宕山エレベーターで、NHK放送博物館駐車場横に出ます。

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tag : 銅像

愛宕山〜空中回廊〜芝青松の杜〜含海山

愛宕山〜空中回廊〜芝青松の杜〜含海山(青松寺②)

【空中回廊(遊歩道)】

 愛宕山山頂から、空中回廊の遊歩道を通って、青松寺へ来ました。途中に「故市来・吉住両君の記念碑」があります。

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<故市来・吉住両君の記念碑>

 インドネシアのスカルノ大統領が1958年に来日した際に、インドネシア独立戦争に参加して戦死した市来龍夫、吉住留五郎両名の顕彰碑が建碑されました。
 スカルノ大統領は、日本料理店「醍醐」で、両名が靖国神社に祀られていないことを聞き、隣接する青松寺に、スカルノ大統領直筆の顕彰碑が建碑されたものです。
 今でもインドネシアの大使が日本に赴任すると、顕彰碑に参られるとのことです。(「青松寺のスカルノ大統領の石碑についての疑問に答えます。」)を参照しました。)

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(碑文)
 「故市来・吉住両君の記念碑
  市来龍夫君と吉住留五郎君へ
  獨立は一民族のものならず 全人類のものなり
  一九三八年二月十五日 東京にて スカルノ」

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 インドネシア語
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 碑陰に顕彰内容が記されています。
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<精進料理 醍醐> 港区愛宕2-3-1

 記念碑のすぐそばに「精進料理 醍醐」はあります。

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【芝青松の杜】

 鐘楼堂の脇の道を進みます。

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<消災十体地蔵尊レリーフ/消災地蔵尊碑>

 再開発前には、「消災十体地蔵尊」が立っていたようです。

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<法輪大観音>

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<奴地蔵(槍持勘助墓)> 港区文化財

 痔の神様と呼ばれる奴地蔵(槍持勘助墓)は、立入禁止の墓地入口にありますが、法輪大観音の裏手にも奴地蔵、港区説明標柱、石祠が配されています。
 槍持勘助(芦田義勝)は、美作国(岡山県)津山藩松平越後守宣富の足軽でした。越後守の槍は大変長く重かったので、倒さぬように持つための苦労が多く、槍持勘助は、この難儀を後に残すまいと、槍の柄を一メートルほど切り落とし、その場で切腹しました。墓は人の形に作られて、いつの間にか奴地蔵と呼ばれました。川柳「柄と腹を切って末世に残す槍」

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(標柱)
「港区文化財 奴地蔵(槍持勘助墓) 
 勘助(本名芦田義勝)は、美作国(岡山県)津山藩松平越後守宣富の足軽でした。主人越後守の槍は大変長く、重かったので倒さぬように持つための苦労が多く、倒して打首になった者もいました。義侠心の強い槍持勘助は、身をもってこの難儀を後に残すまいと、槍の柄を一メートルほど切り落とし、その場で切腹しました。元禄十四年(一七○一)九月のことといいます。その後、松平家では再び切られるのを恐れて、槍の柄に鉄の筋金を入れたといいます。
 墓は人の形に作られて、いつの間にか奴地蔵と呼ばれました。勘助が生前痔病で苦しんでいたので、下の病に効くといわれるようになり、願をかけるものが多くなりました。全治した者は、竹の筒に酒を入れてお礼に供えました。
  平成五年三月二十三日 港区文化財総合目録登録 港区教育委員会」

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<千里社稲荷>

 三祠が並んでいます。

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 裏手には狐穴。

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<智正庵>

 千里社稲荷の手前の階段を上っていくと、「含海山」の頂上に至り、茶室「智正庵」があります。

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<十二支摩尼車>

 智正庵の庭には、十二支の「摩尼車」が並んでいます。くるくると回せます。3点ずつ4か所に分けて設置されています。 彫刻家の薮内左登志氏の作品です。

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<望楼>

 含海山の頂上に建っているのが「望楼」です。望楼からの現在の視界は、木々とビルに遮られ眺望は望めません。

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<石祠>

 望楼の下に石祠があります。

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○清岸院 港区愛宕2-8-7

 含海山を西に降りて行くと「清岸院」があります。青松寺と山号が同じです。

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○考寿院 港区愛宕2-8-7

 清岸院の隣に「考寿院」があります。

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○参道

 両寺へのエスカレーター参道です。

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○そばよし神谷町店 港区虎ノ門3-22-11

 参道下の交差点「芝学園下」の角にある、鰹節問屋直営「そばよし」神谷町店です。本店はこちらで記載

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青松寺①

○青松寺 港区愛宕2-4-7 HP

 文明8(1476)年、貝塚(麹町)に太田道灌が開基し、慶長5(1600)年に現在地に移りました。
 曹洞宗江戸三ヶ寺(青松寺、泉岳寺、総泉寺)の一つです。
 森ビルによる「愛宕地区再開発」により、平成13(2001)年に青松寺は再整備されました。
 奈良県マスコットキャラクター「せんとくん」の作者である彫刻家・籔内佐斗司氏の作品が数多く配されています。
 青松寺の裏山は、「愛宕山」の南に連なる「含海山」です。


「江戸名所図会 青松寺」

 愛宕山に連なる裏山は「含海山」。
 本文「当寺の後の山を含海山と号く 眺望愛宕山に等しく美景の地なり」

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「江戸切絵図」

 広い寺域の「青松寺」が見えます。「清岸院」も見えます。また、「切通シ坂」には「時ノ鐘」が見えます。

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<AREA MAP/境内マップ>

 愛宕山にNHK放送博物館、含海山に望楼があります。

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<仏足石>

 愛宕通りに面して「仏足石」があります。

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<聖観音像>

 仏足石からの脇参道を上がると「聖観音像」が立っています。

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<山門>

 屋根の四隅には、彫刻家・籔内佐斗司氏の作品「隅龍」が置かれています。

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 山門裏
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 木彫の「四天王像」(持国天、広目天、増長天、多聞天)が配され、それぞれ邪鬼を踏みつけています。彫刻家・籔内佐斗司氏の作品です。

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<鐘楼>

 鐘楼堂の鐘は昭和31(1956)年に鋳造されたものです。

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<中雀門>

 中雀門の手前には「石橋」が架かっています。桜川に架かっていたものを移築したようです。

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 中雀門の左手に「禁葷酒」。
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 中雀門の裏
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<座禅堂>

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<観音聖堂>

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<天水桶>

 天水桶は川口の鋳物です。

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 「昭和三十五年五月吉日
  製作人 川口市 山崎甚五兵衛」

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<本堂>

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 左右に仁王を配置。
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<梵鐘>

 本堂脇の櫓に梵鐘がつるされています。元禄年間(1688-1704)の鋳造で、戦時中に供出されましたが、戻ってきた鐘です。

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<石碑>

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<一銭地蔵>

 趣旨に賛同する人々から小額の寄付を募り、昭和26(1951)年11月に建立。

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<桜川を模した流れ>

 境内には桜川を模した流れが創出されています。

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<龍瀧>

 流れは、一部が龍瀧の吐水口から噴き出しています。彫刻家・籔内佐斗司氏の作品です。

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<誕生童子・花祭りの童子>

 中央に「誕生童子」、四方の花祭りの童子が乗る象の鼻から水の噴水。彫刻家・籔内佐斗司氏の作品です。

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次、「愛宕山〜空中回廊〜芝青松の杜〜含海山

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真福寺(愛宕)

○真福寺 港区愛宕1-3-8 HP

 真言宗智山派摩尼珠山宝光院真福寺と号します。真言宗智山派東京別院です。
 御府内八十八ヶ所霊場67番札所です。
 御本尊は薬師瑠璃光如来で通称愛宕薬師と呼ばれます。
 大正から昭和にかけて再建された本堂や庫裡の老朽化が進み、平成7(1995)年に「真福寺・愛宕東洋ビル」として再生され、真言宗新義智山派の東日本における拠点として活動しています。

 ビルの2階に本堂はあります。
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 寺号標「真言宗智山派総本山智積院別院 真福寺」
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 半鐘
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 扁額
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 内陣
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 寺務所は1階にあります。
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「江戸名所図会 愛宕下真福寺薬師堂 愛宕社総門」

 藪小路から南の、真福寺山門から愛宕社総門までの愛宕下通りと桜川です。2つの挿絵を合成しています。
 真福寺山門脇に桜川をまたいで辻番所が建っています。

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 桜川を渡った先に山門、その先に薬師堂が見えます。
 真福寺山門の北側に桜川の上に建てられた辻番所が見えます。
 大名行列が、辻番所の前で、道の中央にある玉川上水の分岐桝を避けて通過しているため行列が乱れています。

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「名所江戸百景 愛宕下藪小路」(広重)

 愛宕下通りが描かれています。
 右手の桜川にせり出している竹藪が加藤越中守上屋敷の裏手となります。
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 正面奥の右手に真福寺山門の赤い門が見えます。桜川の上に辻番所も見えます。この先は増上寺へと続きます。
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 桜川には石垣がきれいに積まれています。また標石が並んでいます。川柳「どぶ端に何のためだかどかり石」江戸ッ子も気になっていたようです。
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<江戸切絵図>

 愛宕山の北、「サクラ川」沿に「真福寺」が見えます。辻番所も図示されています。
 真福寺から東へ向かう小路は「薬師小路」です。

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<現在地図>

 「真福寺」の他、「栄閑院」「興昭院」「栄立院」にも寄りました。

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<真福寺 略縁起>

(説明板)
「総本山智積院別院 摩尼珠山 真福寺 略縁起
 真福寺は京都市東山七条にある真言宗智山派総本山智積院の別院で、真言宗智山派の宗務出張所が置かれているお寺です。
 天正19年(1591年)中興照海上人が徳川家康公を慕って江戸へ出て、鉄砲洲に庵を構えたのが始まりで、慶長10年(1605年)家康公より愛宕下に1360坪の土地を賜り、開創されました。
 元禄年間になると弘法大師四国八十八箇所札所詣りの信仰が盛んになり、宝暦年間には御府内八十八箇所が定められ、真福寺も第六十七番札所として名を連ねています。
 このお寺のご本尊様は「薬師如来」、正しくは『薬師瑠璃光如来』といい、そのお姿は、右手で人々に安らぎと勇気を、左手に持つ薬壺(やっこ)で、病気の苦しみを除く請願を示し、『愛宕下のお薬師さん』と通称され、ご縁日には門前市を成す賑わいで、広く庶民の信仰を集めてきました。
 長い歴史の中で度重なる火災や震災などにより堂宇も焼失しましたが、大正から昭和にかけて再建された本堂や庫裡も老朽化が進み、平成7年4月に近代的な『真福寺・愛宕東洋ビル』として再生され、宗団の東日本における拠点として活動しております。
    総本山智積院別院 真福寺
  御本尊 『薬師瑠璃光如来』
  御真言 オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」
  ご縁日 毎月八の日。」

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(説明板)
「オランダなど使節宿館跡
 幕府は、安政5年(1858)、アメリカを初め、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの五ヵ国と通商条約を結び、江戸の地には、外国の使節の往来がはげしくなった。この間、江戸における使節団の宿舎として、攘夷派浪士への対策、多人数が収容できるなどの理由から寺院が選ばれている。ことに港区内の寺院は、開港場と江戸を結ぶという地理的条件から宿舎に指定されるものが多かった。
 真福寺(真言宗智山派の東京別院)は、安政5年3月から約半年間、オランダ使節の宿舎となり、以後、当寺は、短期間であったが、ロシアやフランスの宿舎にもなった。なお、当時の建物は関東大震災で焼失した。
  昭和50年1月  東京都港区教育委員会」

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<勝軍地蔵>

 愛宕権現の本地仏とされる勝軍地蔵を模して昭和9(1934)年に造られた勝軍地蔵菩薩像が境内にあります。

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(説明板)
「この勝軍地蔵菩薩は、天平十年十年(七三八)、行基が近江信楽遊行の砌、造顕したもので、同地に安置され、霊験あらたかなり。
 天正十年(一五八二)徳川家康、本能寺の変の難を逃れんがため伊賀越に際し、信楽の土豪多羅尾氏、当勝軍地蔵を献上、沙門神証これを護持し、三河に帰還するをえたり。爾来、家康の帰依厚し。
 慶長八年(一六〇三)家康、征夷大将軍に栄進するにより、江戸に愛宕神社を創建し、同社の本地仏として勧請、神証を別当の円福寺第一世とせり。
 明治の廃仏毀釈で円福寺は廃寺、尊像は、真福寺に移されたが、大正十二年(一九二三)関東大震災で焼失、昭和九年(一九三四)弘法大師一千百年御遠忌記念として、霊験を不朽にせんがため、銅製で造顕せり。この度の再建興隆に際し、後世に伝えんがため、茲に撰文するものなり。
平成七年六月三十日
  総本山別院 真福寺  住職 高井隆秀」

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tag : 江戸名所図会歌川広重

愛宕山/西郷・勝の会見地(芝)

○愛宕神社 港区愛宕1-5-3  HP

 愛宕神社がある愛宕山(桜田山)は標高25.7メートル。人造の都立戸山公園箱根山は44.6メートル。自然地形では愛宕山が23区内最高峰となります。
 山頂へは、石段「男坂」、石段「女坂」、北の参道(立入禁止)、階段(NHKの下と隧道脇)、車道、エレベーターとあります。
 江戸時代は、江戸の町や芝浦が見渡せるため、月見などの人気スポットとなっていました。

(説明板)
「愛宕山
 愛宕山は洪積層の丘陵地で、標高は二六メートルである。山頂に愛宕神社がまつられ、江戸時代から信仰と見晴らしの名所としてにぎわった所である。
 愛宕神社の祭神は火の神(火産霊命)が中心で、江戸時代には幕府の保護もあり、多くの人々から火伏せの神として信仰されてきた。
 今日のように周囲に高層ビルが立つまでは、山頂からの眺望がすばらしく、東京湾や房総半島までも望むことができた。
 また、愛宕山には、男坂・女坂・新坂などの坂道があり、男坂は神社正面の八六段の急勾配の石段で、寛永年間(一六二四ー一六四四)に曲垣平九郎がこの石段を馬で上下したと伝えられる。
  昭和五十年十二月(平成二十五年十一月建替) 港区教育委員会」

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「江戸名所図会」
 江戸名所図会に描かれています。名所図会では左右の連続図が一般的ですが、愛宕山は上下の連続図です。

 「其三 山上 愛宕山権現 本社図」
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 「其二 愛宕社総門」
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「名所江戸百景 芝愛宕山」(広重)

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「江戸八景 愛宕山の秋の月」(渓斎英泉)
 愛宕山は月見の名所でもありました。

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「江戸名所百人美女 芝あたご」 (豊国・国久)
 こま絵には、石段(男坂)と本社、本社左に明かりをつけた茶屋が夜景の中に描かれています。夜参りなので、6月24日の「千日詣り」です。千日詣りは、この日に参拝すると千日分のご利益があるといわれています。

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「愛宕山」(井上安治)
 井上安治が描いた明治初期の愛宕山です。

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「東京開化狂画名所 芝愛宕山 茶屋女遠眼鏡を見る」(月岡芳年 都立図書館蔵)
 遠眼鏡で景色を見る茶屋女に男が悪戯しています。

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<出世の石段>

 横から見ると、斜度40度はあります。

(説明板)
「「出世の石段」のいわれ
 愛宕神社正面の石段「男坂」(となりの緩やかな石段は「女坂」)は別名「出世の石段」と呼ばれ、その由来は講談で有名な「寛永三馬術」の一人曲垣平九郎(まがきへいくろう)の故事にちなみます。
時は寛永十一年。
三代将軍徳川家光公が芝増上寺ご参詣の帰り道、神社に咲き誇る源平の梅の馥郁たる香りに誘われて山頂を見上げて「誰か騎馬にてあの梅を取って参れ」と命ぜられました。しかし目前には急勾配な石段があり、歩いて登り降りするのにも一苦労。馬での上下など、とてもとても…と家臣たちは皆一様に下を向くばかり。
誰一人名乗りでる者はおりません。家光公のご機嫌が損なわれそうなその時!一人の武士が愛馬の手綱をとり果敢にも石段を上り始めました。
「あの者は誰じゃ?」と近習の臣に家光公からお尋ねがあっても誰も答える者はおりません。その内に平九郎は無事に山の上にたどり着き愛宕様に「国家安泰」「武運長久」を祈り、梅の枝を手折って降りてきました。
早速家光公にその梅を献上すると「そちの名は?」「四国丸亀藩の家臣曲垣平九郎にございます」「この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれ。日本一の馬術の名人である。」と褒め讃えられました。
一夜にして平九郎の名は全国にとどろき出世をした故事にちなみ「出世の石段」と呼ばれるようになり、現代においても多くの皆様にご信仰を頂いております。」

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<将軍梅>

 社殿左方に平九郎手折りの梅樹があります。
 「曲垣平九郎が手折り三代将軍に献上された梅と言われています」

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<女坂>

 男坂より緩いですが、斜度35度ぐらいでしょうか。

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<新坂(愛宕神社車道)>

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<北の参道>

 立ち入り禁止となっています。庚申塔があるはずですが行けないので諦めます。

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<几号水準点>

 「起倒流拳法碑」(安永八(1779)年二月)台石の右面の地表に几号水準点が刻まれています。下のほうが埋まっていたので、少し掘りました。Tの形で一般的な几号と異なっています。
 几号は、普遍的な恒久物に刻まれ、寺社だと鳥居に刻まれているのが多いのですが、起倒流拳法は当時は恒久と思われていたのでしょう。

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<三角点>
 
 山頂に三角点があります。 鉄の蓋があり、中を見ると水準点がありました。

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<弁財天社>

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<池>

 山頂に池があるとは意外です。

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<三波石>

 説明板には鉱石とありますが、三波石かなぁ。

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<櫻田烈士愛宕山遺蹟碑>(桜田門外の変集合場所)

 万延元(1860)年3月3日井伊大老暗殺事件の参加者18名の顕彰碑です。ここに集合して桜田門へ向かったといいます。
 東京市長大久保留次郎の書、皇紀二六〇一(昭和16)年の建立です。

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<狂歌合長者園撰歌碑(蜀山人の狂歌碑)>

 元治元(1864)年の建立。大田南畝以下19人の狂歌が刻まれています。

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<手水舎>

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<社殿>

 奉納の提灯には、㈱永谷園と支柱に書かれています。増上寺にも永谷園の木々を奉納した碑がありました。

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<招き石>

 「この石をなでて福を身につけて下さい」

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<太郎坊神社/福寿稲荷社/恵比寿大黒社>

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<江戸城無血開城会談の地>

 勝海舟と西郷隆盛の記念撮影用のパネルです。勝海舟と西郷隆盛がここから江戸の街を眺め、戦火で包むことは避けようと話し合ったとも言われています。正式な会見中に抜けて来たのか、会見前に来たのかは不詳。

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○江戸開城 西郷南州 勝海舟 會見之地 西郷吉之助書 港区芝5-33-8

「田町薩摩邸(勝・西郷の会見地)附近沿革案内
 この敷地は、明治維新前夜慶応4年3月14日幕府の陸軍総裁勝海舟が江戸100万市民を悲惨な火から守るため、西郷隆盛と会見し江戸無血開城を取り決めた「勝・西郷会談」の行われた薩摩藩屋敷跡の由緒ある場所です。
 この蔵屋敷(現在地)の裏はすぐ海に面した砂浜で当時、薩摩藩国元より船で送られて来る米などは、ここで陸揚げされました。
 現在は鉄道も敷かれ(明治5年)、更に埋め立てられて海までは遠くなりましたが、この附近は最後まで残った江戸時代の海岸線です。
 また人情噺で有名な「芝浜の革財布」は、この土地が舞台です。」

(碑裏面)
 「慶応四年三月十四日
  此地薩摩邸に於て
  西郷勝両雄會見し江戸開城の
  圓滿解決を図り百萬の民を戦火
  より救ひたるは其の功誠に大なり
  平和を愛する吾町民深く感銘し
  以て之を奉賛す
    昭和二十九年四月三日
            本芝町會
   本芝町會十五周年記念建之
            大壽信吉 」

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〇愛宕山隧道

 「愛宕山」を堀り抜いた23区内唯一の「山岳トンネル」です。昭和5(1930)年竣工、2004年に内壁の耐震補強工事実施。全長は76.6メートル。愛宕下通り側からの一方通行路になっています。

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〇愛宕山エレベーター

 愛宕山エレベーターは、愛宕山山頂に上がるエレベーターで、NHK放送博物館駐車場横に出ます。「愛宕グリーンヒルズ」と同時に2001年に建設されています。

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「東京中央放送局」(明治大正建築写真聚覧 建築学会編 昭和11年)
 かつての放送局の写真です。

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